本の情報
著者:加藤隆
書名:「『新約聖書』の誕生」
出版:講談社学術文庫
出版年月日:2016年11月10日
最新刊:2020年5月8日
目次
プロローグ
第一章 イエスの時代
第二章 「復活」したイエス
第三章 主の兄弟ヤコブが登場したとき
第四章 パウロの分離
第五章 世界教会の構想
第六章 ユダヤ人の社会の危機
第七章 脚光を浴びるパウロ的境界
第八章 模索するキリスト教
第九章 乱立する文書
第十章 独自の聖書
第11章 正典の成立
引用文
| 章 | 節 | 要約 | 引用文 | 頁 |
|---|---|---|---|---|
| 0 | 0 | 27文書 | 新約聖書は、二七の文書で構成されている。 | 11 |
| 0 | 0 | 4福音書と 使徒行伝 | まず「四つの福音書」がある。 「四つの福音書」の次が使徒行伝。 | 11 |
| 0 | 0 | パウロ書簡集 | つづいて伝統的に「パウロ書簡集」とされている。 「ローマの者への手紙」から「ヘブライ人への手紙」の一四の書簡である。 | 11 |
| 0 | 0 | パルロのヘブライ人当て4書簡中「牧会書簡」 | この一四書簡のうち、「テモテへの第一の手紙」「テモテへの第二の手紙」「テトスへの手紙」は、まとめて「牧会書簡」と呼ばれている。 | 11 |
| 0 | 0 | 「公同書簡」 | 「ヤコブの手紙」から「ユダの手紙」までの七つの書簡は「公同書簡」と呼ばれている。「公会書簡」と呼ぶ人もいるが、これは日本語の翻訳の問題であって、同じことである。 | 11-12 |
| 0 | 0 | 「ヨハネ黙示録」 | そして最後が「ヨハネ黙示録」である。 | 12 |
| 0 | 0 | 第一段階 教会主流とヘレニストの分離 | イエスは文書を書かなかった。 初期キリスト教運動において、分派が生じてしまう。 教会主流であるエルサレム教会から、「ヘレニスト」と呼ばれる流れが分離する。 このヘレニストの流れのなかから、エルサレム教会を批判するために、最初の福音書であるマルコ福音書が書かれる。 | 16 |
| 0 | 0 | 第二段階 教会主流からパウロの分離と統合 | また教会主流から、パウロが分裂する。 教会主流はこうしたあり方を学び取る。 | 17 |
| 0 | 0 | 第三段階 「異端」マルキオン派が正典作成 | 二世紀半ばに「マルキオン派」があらわれ、・・・ マルキオン派は、いくつかの文書だけを権威あるものとして独自の文書集を作成しており、・・・マルキオン派は、「異端」として退けられる。 | 17-18 |
| 1 | 0 | 章目次 | 第一章 イエスの時代 | 21 |
| 1 | 1 | 節目次 | 1 神が与えた試練ー600年の被支配 | 21 |
| 1 | 1 | イエスの運動 | キリスト教はイエスがはじめた運動が発端となって生じた。 | 21 |
| 1 | 1 | サドカイ派 | 祭司階級であるサドカイ派は、ユダヤ人社会における社会宗教的指導者であり、また特に「十分の一税」の制度によって、経済的にもたいへん豊かだった。 | 32 |
| 1 | 1 | エッセネ派 | エッセネ派は、まずは祭司集団からわかれて生じた一派である。 エッセネ派は、反サドカイ派である。 | 33-35 |
| 1 | 1 | 律法と神殿の効用を否定した修行者集団 | 彼らは、律法や神殿について、公然と否定するのではないし、敬意を払うような様子を見せる。しかし彼らには、律法や神殿は、真に重要なものではない。 *************** エッセネ派は、反サドカイ派でかつ、より反パリサイ派であるといえる。おそらく仏教の影響を受けた修行者集団と想定できる。イエスはここから出てきた可能性が高い。 | 37 |
| 1 | 1 | 反国粋主義=コスモポリタン的 | 特に、ユダヤ国粋主義者である「ゼロテ派」からは、民族全体の政治的問題に無関心なエッセネ派は、民族の裏切り者だということになる。 | 39 |
| 1 | 1 | ファリサイ派 | ファリサイ派は一言でいうならば、律法主義である。 | 39 |
| 1 | 1 | 神殿はエルサレムの1つのみ | すでに述べたように、神殿はエルサレムに一つたるだけであった。 ************ ハスモン朝が、自分たちの原理主義を押し付けるため、エルサレム以外の神殿を廃止したため、結果、神殿によるサドカイ派の力が衰え、パリサイ派が興隆した。 | 43 |
| 1 | 1 | シナゴーグ建設 | そこでユダヤ人たちは、いたるところに「シナゴーグ」と呼ばれる会堂をつくって、そこで定期的に集会を行っていた。 ************* シナゴーグは、パリサイ派の拠点となった。サドカイ派は、メソポタミア系の神殿宗教の末裔であり、税金泥棒だが、狂暴ではなかった。イエスの標的は、興隆している独善的で凶暴なパリサイ派である。 | 43 |
| 1 | 1 | ラビの宗教 | こうしたシナゴーグの活動を中心的に担っていたのが、ファリサイ派の者たちで、彼らは「ラビ」と呼ばれる律法の教師であり、聖書を朗読して解説するのも、彼らの役目だった。 | 44 |
| 1 | 1 | ゼロテ派 | ゼロテ派は、いわばユダヤ国粋主義者である。「ゼロテ」とは「熱心」と言う意味で、日本語で「ゼロテ派」は「熱心党」とされることもある。 | 44 |
| 1 | 1 | 暴力的国粋主義 | そして非ユダヤ人の支配権力をくつがえすために、彼らは暴力も厭わない。 | 44 |
| 1 | 1 | 「強盗」という意味の「レースタイ」 | ゼロテ派は「強盗」という意味の「レースタイ」という名前で呼ばれることもあった。 | 46 |
| 1 | 1 | イエスととも十字架につけられた二人の「強盗」 | イエスととも十字架につけられた二人の「強盗」は、ゼロテ派の者である可能性が大きい。 | 46 |
| 1 | 1 | ルカ福音書「サマリア人の譬」 | またルカ福音書に記されている「サマリア人の譬」(ルカ福音書10・30-35)で、旅人が「強盗たち」に襲われるが、この強盗たちもゼロテ派だと示唆されていると思われる。 | 46 |
| 1 | 1 | 祭司とレビ人が助けない理由 | また通りかかった祭司とレビ人という二人のユダヤ人がこの旅人を助けないのも、ゼロテ派によって襲われた者を助けると今度は自分の身があぶなくなると考えたからとするならば了解できることだし、 | 46 |
| 1 | 1 | サマリア人が助けた理由 | サマリア人が旅人の隣人となって救助活動を行ったのも、サマリア人が外国人で、ユダヤ人社会内部の対立の局外にいるからだと考えるとよく理解できる。 | 46 |
| 1 | 1 | エッセネ派とゼロテ派の対立 | ちなみに、襲われた旅人はエッセネ派の者だったという説があり、これは魅力的な説である。 | 46 |
| 1 | 1 | バラバ=ゼロテ派に民衆の支持 | しかしゼロテ派には、民の側からの潜在的な支持もあったと思われる。イエスが十字架につけられる経緯のなかで、バラバという「強盗」が死刑を免れたとされるが、民衆にある程度の人気のあったらしいこのバラバもゼロテ派の者である可能性が大きい。 | 47 |
| 1 | 1 | ヘロデ派=親ローマ派 | ヘロデ派は、ユダヤ人社会のなかの親ローマ敵流れの代表的存在である。 | 48 |
| 1 | 2 | 節目次 | 2 ユダヤ教の人間観 | 52 |
| 1 | 2 | 「プロゼリット」(改宗者) | 異邦人はユダヤ教徒になればユダヤ人になるのであって、そうすれば異邦人出身であっても救われる。異邦人出身でユダヤ教徒になった者を「プロゼリット」(改宗者)という。 | 52-53 |
| 1 | 2 | 共卓の禁止 | ユダヤ人は異邦人と交わってはならないという規定がある。異邦人の家に入ってはならないし、異邦人とおなじテーブルで食事をしてはならない(共卓の禁止)。 | 53 |
| 1 | 2 | 「神を畏れる者」 | したがってユダヤ教に積極的な関心を抱きながらも、ユダヤ教徒になる決心がつかない者がユダヤ教の周辺には数多くいた。彼らを「神を畏れる者」という。 | 53 |
| 1 | 2 | アラム語話者 | パレスチナのユダヤ人は、基本的にはアラム語を用いていた。イエスもその弟子たちも、アラム語しかわからなかった可能性が大きい。 | 56 |
| 1 | 2 | 「ユダヤ教のヘレニスト」 | しかしディアスポラのユダヤ人でエルサレムに移住する者のなかには、ギリシア語圏からの者も多く、エルサレムにはアラム語を使うユダヤ人とギリシア語を使うユダヤ人とがいた。エルサレムにいたギリシア語を使うユダヤ人を「ユダヤ教のヘレニスト」という。 | 56 |
| 1 | 3 | 節目次 | 3 イエスが登場したとき | 57 |
| 1 | 3 | エッセネ派=荒野のエリート主義集団 | しかしヨハネの態度には、荒野のエッセネ派のものとは根本的な相違点が存在する。 荒野で自分達だけの共同体生活を行う徹底的なエリート主義集団であった。 | 58 |
| 1 | 3 | 洗礼者ヨハネ | これにたいし、ヨハネは民全体に働きかけようとした。 | 58 |
| 2 | 1 | 章目次 | 第二章 「復活」したイエス | 67 |
| 2 | 1 | ペテロの「十二人」派 | エルサレムで活動をはじめた集団は、二つのグループから構成されていた。一つはイエスの弟子たちのグループで、中心は「十二人」と呼ばれる者たちであり、その筆頭はペテロだった。 | 70 |
| 2 | 1 | イエス親族「主の兄弟ヤコブ」派 | もう一つはイエスの親族からなるグループである。そのなかに後のエルサレム教会の第一人者となる「主の兄弟ヤコブ」がいたと考えられる。 | 70 |
| 2 | 1 | エルサレム共同体=「エレクシア」 | エルサレム共同体については、彼らが自分たちの共同体を「教会」という名で呼んでいたことも重要である。「教会」はギリシア語では「エレクシア」であって、このギリシアは「集会」を意味するごく一般的な語である。 **************** このギリシア語は、ペリクレス時代のアテーナイでは、議会を指した。これから、エルサレム共同体は全「シナゴーグ」が地方議会だとすると、国会に相当するという認識があったと思われる。 あきらかに、これは「ローマ教皇庁」の前身といえよう。 | 77 |
| 2 | 2 | 節目次 | 2 主流派対ヘレニスト | 78 |
| 2 | 2 | ヘブライストとヘレニスト | こうしてエルサレム共同体には、教会主流であるところのアラム語を離すものを中心とする勢力(「ヘブライスト」と呼ばれることもあるが、あまり一般的ではない)と、ギリシア語を話す者の一部からなる勢力(「ヘレニスト」)が存在するようになる。 | 79-80 |
| 2 | 2 | ペトロと ステファノ | アラム語を話す者たちのを中心とする主流派の指導者が「十二人」グループで、その筆頭はペテロである。ヘレニストの指導者が「七人」グループで、その筆頭はステファノである。 | 80 |
| 2 | 2 | 財産共有の共同体生活 | すでに指摘したように、エルサレム共同体では完全な財産共有の共同体生活が行われていた。 | 83 |
| 2 | 2 | 財産共有が崩れる | ところがこの体制がまもなく崩れてくる。その原因は、人数が多くなってきたこと、そして特に貧しい者で仲間になる者が増えてきたことである。 | 83 |
| 2 | 2 | エルサレム共同体からエルサレム教会へ | このために自分の家で暮らす者も出てくる。これは私有財産制を認めることを意味する。 以後は「エルサレム教会」と呼ぶことにする。 | 83 |
| 2 | 2 | ステファノ石打刑 | そこでユダヤ人当局は、ヘレニスト・グループの指導者格であったステファノを、石打刑で処刑する。そして、このステファノの処刑をきっかけに、エルサレム教会のヘレニストのグループにたいして、迫害を行う。 | 85 |
| 2 | 2 | ヘレニストの分離/30年頃 | この事件によってヘレニストたちとエルサレム教会主流派との対立は決定的なものとなる。このヘレニストの分離が生じたのは、三〇年代の前半の事と考えられる。 | 85 |
| 3 | 1 | 章目次 | 第三章 主の兄弟ヤコブが登場したとき | 87 |
| 3 | 1 | 節目次 | 1 なぜマルコ福音書は成立したか | 87 |
| 3 | 1 | サマリア地方や地中海沿岸都市を本拠に | エルサレムから出て行かざるをえなくなったヘレニストたちは、サマリアや地中海沿岸の諸都市など、エルサレムのユダヤ人当局の追及がおよばない場所へ逃げて、活発な活動を行うようになる。 ***************** 最初から、イエスの共同体は、サマリア地方にあったのではないか。 | 87 |
| 3 | 1 | マルコ福音書が誕生 | ヘレニストの活動については、重要な展がもう一つ存在する。ヘレニストたちのなかから最初の福音書であるマルコ福音書が誕生した。 | 89 |
| 3 | 1 | イエスの言動についての情報を網羅的に書き記した文書 | しかしイエスの言動についての情報を網羅的に書き記したと主張する文書が成立して、それが権威あるものになってしまうとどうなるだろうか。弟子以外の者は、弟子の証言を聞く必要がなくなってしまう。 | 92 |
| 3 | 1 | ヘレニストのつくった「マルコ福音書」 | マルコ福音書はイエスについて書かれた物語であるという点だけでも、反エルサレム教会の立場の文書である。 ************** 実際に12人の弟子がいたか不明である。むしろ、マルコは、イエスと共同生活をしていた修行者たちに取材して、イエスの言行録をつくったと思われる。マルコ福音書がもっとも捏造の少ない福音書と見てよい。 | 94 |
| 3 | 2 | 節目次 | 2 ペテロの失墜 | 97 |
| 3 | 2 | 十二人の一人ヤコブ処刑 | この後おそらく紀元四四年に、ヘロデ・アグリッパ一世によって、十二人の一人ヤコブが処刑され、ペトロも逮捕されるという事件が起きる。 | 98 |
| 3 | 2 | ペトロ、エルサレムから逃亡 | しかし処刑を免れたペトロは、エルサレムから逃げざるをえなくなる。このときから主の兄弟ヤコブの権威が絶対的なものになったと考えるべきだろう。 | 98 |
| 3 | 2 | ペトロに天国の鍵が与えられた逸話は捏造 | たとえば、マタイ福音書につぎのようなイエスの言葉がペトロに語られたとして記されている。 私はあなたに天の国の鍵を与えよう。 しかしこの言葉は、ペトロ自身、あるいは少なくともペトロの権威を高めようとする者たちが、イエスの言葉としてつくりだした可能性がある。この言葉は、マルコ福音書にはもちろん記されていない。 | 100-101 |
| 3 | 2 | 主の兄弟ヤコブの正体 | ヤコブは、初期教会の展開にとってたいへん重要な人物である。ヤコブは四〇年代の前半から、ユダヤ戦争がはじまる六〇年代半ば過ぎまで、二〇年以上にわたってキリスト教の母教会であるエルサレム教会の最高指導者の地位にあった。 ***************** ここで疑問が生じる。なぜイエスの家族は、イエスの死後10年経つまで重要視されなかったのか。聖書を見ると、イエスはたびたび、マリアや兄弟を叱責している。彼らは決してキリスト教に帰依せず、ユダヤ教徒であったと思われる。つまりイエスの敵のパリサイ派サイドだったのではないか。 こやつと毒親のマリアは、イエスが刑死すると、生前はさんざん妨害していたのに、イエス商売がもうかるとなると「ご遺族様」商法をおっぱじめたものと思われる。 | 106 |
| 3 | 2 | ユダヤ戦争のどさくさでの死 | エルサレム教会はユダヤ戦争をめぐる混乱のなかでヤコブを失い、事実上崩壊して、キリスト教世界における重要性を失うが、それでもヤコブの後継者としてイエスの従兄弟であるシメオンという者が選ばれ、さらにイエスの兄弟であるユダの二人の孫とされる者が跡を継いだようである。 | 107-108 |
| 3 | 2 | パリサイ派ヤコブ | またヤコブはユダヤ人でキリスト教徒になった者には、律法を厳しく守ることを求めたようである。 ************ こいつは完全なパリサイ派であり、のちのカトリックに入る反動主義である。 | 108 |
| 4 | 1 | 章目次 | 第四章 パウロの分離 | |
| 4 | 1 | 節目次 | 1 パウロの回心 | |
| 4 | 1 | キリキアのタルソス出身 | パウロはディアスポラのユダヤ人であり、小アジアのキリキアにあるタルソスという町の出身である。ローマ市民権をもっており、これは当時としてはたいへん特権的なことだった。 | 111 |
| 4 | 1 | ゼロテ派の前身 | キリスト教に回心する前に彼がゼロテの一員であったという仮説が存在するが、否定してしまうことはできないと思われる。 | 111 |
| 4 | 1 | ステファノ処刑に参加 | 彼はステファノを処刑した活動家たちのなかに混じっており、ステファノの仲間にたいする精力的な弾圧活動をしていた。 | 112 |
| 4 | 1 | ダマスカス途上の回心 | ステファノの仲間たちへの迫害をさらに推し進めるべく、彼はダマスカスにおもむこうとする。そして使徒行伝で報告されているところでは、その途上でパウロはキリスト教に回心する。有名な「ダマスカスへの途上の出来事」である。 | 113 |
| 4 | 1 | パウロの報告を欠く | しかしパウロ自身が書簡のなかで、この劇的で根本的な出来事を具体的に語っていないのは、やはり奇妙ではないだろうか。 | 115 |
| 4 | 1 | イエスの顕現の捏造神話の必要性 | 復活のイエスの顕現の要素がパウロの回心の出来事の話に結びついたのは、エルサレム教会の指導者たちの権威に匹敵するような権威がパウロにも必要になったためだと考えてみることもできるかもしれない。 | 115 |
| 4 | 1 | ダマスカスから始める伝道 | いずれにしても回心の後、パウロはダマスカスに行き、アラビアに伝道活動を行う。そしてダマスカスに帰るが、ダマスカスから逃げざるを得なくなる。回心のおそらく三年後にパウロはエルサレムにおもむいて、ペトロおよび主の兄弟ヤコブに会う。 **************** ダマスカスは、伝統的に、ユダヤ人と対立したアラム人の王国の首都であり、開明的な都市であったと思われる。実際ゼロテ派からエルサレム主流派のキリスト教へ改宗したのは、ダマスカスにおいてであっただろう。 | 115 |
| 4 | 2 | 節目次 | 2 アンティオキア事件の波紋 | 116 |
| 4 | 2 | ヘレニストの異邦人伝道 | エルサレムを追放されたヘレニストたちのなかには、異邦人(非ユダヤ人)にたいしても伝道活動を行う者が出てくるようになる。 | 116 |
| 4 | 2 | ピリポのサマリア人伝道が異邦人伝道の嚆矢 | フィリポスがサマリアで行った伝道活動が、その最初の例として使徒行伝に記されている(使徒行伝8・5以下) *************** ピリポは、ギリシア語宣教者「七人」の一人として選出され、(『使徒行伝』6章)ステファノの死後、このグループの筆頭。 | 116-117 |
| 4 | 2 | ルカ文書(ルカ福音書と使徒行伝) | ルカ文書(ルカ福音書と使徒行伝)におけるサマリア人の位置づけには微妙な問題がある。したがってルカ文書の立場では、サマリア人についてかなり好意的、例外的な位置づけがなされているという可能性をまったく斥けてしまうことはできない。 | 117 |
| 4 | 2 | アンティオキア/ヘレニストの拠点 | ところがヘレニストの一部の者が、アンティオキアで「ギリシア語を話す者たち」にも伝道活動を行うようになる(使徒行伝11・20)。 アンティオキアはシリアの大都市で、オリエントとの商業の結節点であり、住民はコスモポリタン的だった。 *************** アンティオキアは、セレウコス朝のセレウコス1世が、父アンティオコスを記念して建設したセレウコス朝シリアの首都。 西シリアのオロンテス河畔にある。 | 117 |
| 4 | 2 | ユダヤ人・異邦人の混合教会の誕生 | この教会に非ユダヤ人出身のキリスト教徒がメンバーとして加わるようになる。この結果アンティオキアに、ユダヤ人出身と非ユダヤ人出身のキリスト教徒からなる教会が出現する。 | 118 |
| 4 | 2 | 異邦人だけのキリスト教会は既存 | 非ユダヤ人出身のキリスト教徒ーたとえばサマリア人ーだけからなるキリスト教共同体は、それ以前にも存在していた。 | 118 |
| 4 | 2 | ユダヤ人・異邦人の混合教会の誕生/40年前後 | しかしユダヤ人出身と非ユダヤ人出身のキリスト教徒が混じった一つの教会が成立したのである。これは新しい事態である。紀元四〇年前後のことだろう。 *************** キリスト教はユダヤ教の一分派とみなされており、これはユダヤ教の「共卓の禁止」に抵触する。 | 118-119 |
| 4 | 2 | キプロス出身のレビ人・バルナバ | この新しい事態にたいしてエルサレム教会が動きだすことになり、キプロス出身のレビ人でエルサレム母教会で高い地位を獲得していたバルナバがアンティオキアに派遣される。 ***************** バルナバがフェニキア人のキュプロス島出身であったことに要注意。しかもレビ族。レビアタンを崇拝のフェニキア人? | 119 |
| 4 | 2 | アンティオキアでの新しい現実をそのまま容認 | 彼は、おそらくアンティオキア教会に対するエルサレム教会の母教会としての権威を確認したうえで、アンティオキアでの新しい現実をそのまま容認した。 | 119 |
| 4 | 2 | パウロを招聘 | バルナバはここで、タルソスに退いていたパウロを呼びに行く。バルナバもパウロもアンティオキア教会によく溶けこみ、共同体の指導的役割を分担するようになる。 | 121 |
| 4 | 2 | アンティオキア教会としての伝道旅行 | 第一回の伝道旅行でバルナバとパウロは、アンティオキア教会からの使者という格で旅行をした。 | 121-122 |
| 4 | 2 | セルギウス・パウルスの入信 | まず、キプロス島での活動についての叙述に、地方総督セルギウス・パウルスという人物が登場する。彼は「賢明な人物」とされており、そして「信じた」とされている。 | 122 |
| 4 | 2 | ヨハネ・マルコという助手 | そしてこのエピソードにおいて、ヨハネ・マルコという助手がいたと記されている。 | 122 |
| 4 | 2 | ヨハネ・マルコと訣別 | ここでヨハネ・マルコは、エルサレムに帰ってしまい、・・・ヨハネ・マルコと、バルナバおよびパウロとのあいだに分裂が生じている。 | 122 |
| 4 | 2 | バルナバとパウロをいわば監督 | ヨハネ・マルコは、バルナバとパウロをいわば監督するために、エルサレムから派遣されていたのではないだろうか。バルナバとパウロは、エルサレム教会側が好ましいと判断する伝道活動の実行を、拒否したのだと思われる。 | 122-123 |
| 4 | 2 | ローマ的諸都市 | 小アジアにおいてパウロたちは当初の予定を変更し、ローマ的諸都市を特に伝道の対象として選んだということである。 | 123 |
| 4 | 2 | セルギウス・パウルスの影響でパウロ改名か | キリスト教徒となったローマ帝国の高級官僚である地方総督のセルギウス・パウルスがパウロたちに、ローマ帝国の枠組みを利用しながらキリスト教を広めるという方針を示したと推測される。 | 123 |
| 4 | 2 | サウロからパウロへ | 使徒行伝において、サウロというユダヤ的な名前から、パウロというローマ的名前に変更が行われているのは、こうしたことを示唆しているのではないだろうか。 | 123 |
| 4 | 2 | バルナバがすべてお膳立て | 二人はまずキプロス島におもむく。バルナバは「キプロス島出身」である。最初の目的地を選んだのはバルナバではないだろうか。 | 124-125 |
| 4 | 2 | 主流派と対立する契機 | アンティオキアにパウロたちが帰ると一連の事件が生じて、パウロは結局のところエルサレム教会主流派と厳しく対立する。 | 125 |
| 4 | 2 | ペトロのアンティオキア訪問 | パウロとバルナバは、アンティオキアに帰還する。この時、ペトロも、アンティオキアに来る。 | 127 |
| 4 | 2 | ペトロ「共卓」に参加 | こうした状況を象徴的に示していたのが、「共卓」である。 アンティオキアにやってきたペトロも、共卓に参加していた。 ****************** 異邦人との共卓を拒否したのはペトロではない。 | 127 |
| 4 | 2 | 主の兄弟ヤコブの使者が、「共卓」を糾弾 | そこへエルサレム教会のヤコブから遣わされた使者がやってくる。異邦人キリスト教徒の存在が認められたとしても、それはユダヤ人出身のキリスト教徒と異邦人出身のキリスト教徒が同一の共同体を構成することを容認するものではないと確認する。 **************** ユダヤ人と異邦人の「共卓」を、拒否したラビ的原理主義者は、主の兄弟ヤコブであったということだ。 ペトロはいやしくも、イエスの弟子であったが、このヤコブはパリサイ人であり、イエスの生前は母共々イエスに敵対していたのである。 | 127 |
| 4 | 2 | ペトロとバルナバ、心ならずおじけづく | ペトロとバルナバは、このときにヤコブの立場に立ち、異邦人出身のキリスト教徒との共卓から身をひいてしまう。 *************** ペトロとバルナバは本心は、共卓賛成派だったのだろう。ヤコブの手先がやばすぎたのだろう。 | 127 |
| 4 | 2 | パウロ、エルサレム教会と訣別 | しかしパウロは、ペトロを皆の面前で非難する。こうしてパウロとエルサレム教会主流派との対立が、はっきりと具体的なものとしてあらわれてしまう。これが、いわゆる「アンティオキア事件」である。紀元四八年か四九年のことであろう。 | 127 |
| 5 | 1 | 章目次 | 第五章 世界教会の構想 | 135 |
| 5 | 1 | 節目次 | 1 パウロの書簡 | 135 |
| 5 | 2 | 節目次 | 2 「信仰義認」と「十字架の神学」 | 137 |
| 5 | 2 | 「信仰義認」 | 「信仰義認」とは、普通の理解では、人が「信仰によって義とされる」ということである。 | 141 |
| 5 | 2 | 「ピスティス」 | 「信仰」はギリシア語の「ピスティス」という語が原語である。 ************** 「信じれば救われる」という他力本願な邪見を生み出した。 律法を守らなくて、イエスを信じればすくわれるとした。これのほうがはるかに難しい。 | 142 |
| 5 | 2 | 「十字架の神学」 | 「十字架の神学」は、簡単にいうならば「イエスの十字架の事件によって、罪が贖われた」という考え方である。 ************ 身代わり贖罪など、茶番である。カルマの法則を無視している。これがイエスの教えではない。 | 157 |
| 5 | 2 | 永遠の命という邪見 | しかし「エデンの園」の物語では、永遠の命をえることは、神によって望ましくないこととされている。この問題をパウロは、まったく不問に付している。 ************** 仏教は諸行無常。真っ向から対立する邪見。 | 165 |
| 5 | 2 | ユダヤ人たちの反感 | そしてパウロはふたたび五八年にエルサレムを訪問する。 そしてパウロをめぐってのユダヤ人の騒動がエルサレムで生じてしまう。ユダヤ人たちにとって絶対の権威をもつ律法をないがしろにする立場をとっている者としてパウロが有名となっていて、ユダヤ人たちの反感をかっていたからである。 | 181 |
| 5 | 2 | パウロは逮捕 | エルサレムでのこの騒動は大規模なものとなり、ローマ当局が介入し、パウロは逮捕されてしまう。これ以降パウロは生涯の最後まで囚人として過ごすことになる。 | 181 |
| 6 | 1 | 章目次 | 第六章 ユダヤ人社会の危機 | 183 |
| 6 | 1 | 節目次 | 1 ユダヤ戦争の敗北 | 183 |
| 6 | 1 | エルサレム神殿の破壊=サドカイ派消滅/70年 | ローマ軍は結局のところ七〇年にエルサレムを陥落させ、エルサレム神殿も破壊してしまう。 *************** これ以降、神殿によって立つサドカイ派が消滅する。 | 184 |
| 6 | 1 | ヤムニア会議 | こうした状況のなかでユダヤ人社会の立て直しにあたったのは、パレスチナにあるヤムニアという小さな村に集まったファリサイ派の学者たちだった。 | 184-185 |
| 6 | 1 | ヨハナン・ベン・ザッカイ | ヨハナン・ベン・ザッカイがその指導者である。 ユダヤ戦争後のユダヤ人社会の指導的立場をファリサイ派が独占することになったのは、選択の余地のないことであった。 | 185 |
| 6 | 1 | ゼロテ派の消滅 | ユダヤ戦争の敗北は、ゼロテ的解決策が失敗に終わったことを意味する。 また一三二~一三五年にはバル・コクバの指導によっていくらか大規模な反乱が生じる。しかしこれも鎮圧されてしまい、以後、ゼロテ的動きはほぼ完全に消えてしまう。 | 165 |
| 6 | 1 | サドカイ派消滅/70年 | またユダヤ戦争によってエルサレム神殿が破壊されてしまったために、神殿制度を根拠とする祭司勢力であるサドカイ派は、その存在根拠を失ってしまう。 | 165 |
| 6 | 1 | 原理主義的一神教としてユダヤ教の誕生日 | したがってファリサイ派の指導によるユダヤ教の民族主義的な流れーこの流れは基本的に今日にまでおよんでいるーだけを「ユダヤ教」と呼んでしまうのは、もしかしたら誤解を招くかもしれない。 ***************** 狭義のユダヤ教ー「ラビによる原理主義的一神教」をユダヤ教と措定するなら、その誕生日は、バビロン捕囚後からペルシアによる解放と、ペルシアの高官になった官僚兼ラビによって創られた「ユダヤ教×ペルシアの宗教」のハイブリッドによって誕生した一神教である。大胆に措定するならば、これまでのユダヤ教は、ユダヤ人がカナン人と呼んだ「アムル人ーアラム人、フェニキア人、バビロニア人」が中核をなす「エル・アシェラ・バアル」の三最高神を崇拝する人々の信仰と何ら変わりのない、ヒビ人・ハピル人・ヘブライ人は貧乏で山に棲む遊牧民族でメインとしてヤハウェを崇拝していた者であり、彼らの主神にすぎなかっただろう。 | 165 |
| 6 | 1 | ユダヤ教とキリスト教も一宗教の分派 | この流れをたとえば「ユダヤ教の民族主義派」とでも呼びキリスト教と呼ばれる流れを「ユダヤ教の普遍主義派」としたほうが適切かもしれない。 | 187 |
| 6 | 1 | 最高神を別の神としたグノーシス派が正当なイエスの後継者 | もしユダヤ教との決別を徹底させたいならば、神のレベルにおいてもはっきりと区別をもうけるべきだということができるかもしれない。実際に、たとえばキリスト教的グノーシス主義などに認められるように、自分たちの神は従来からのユダヤ教の神とは別個の存在であると主張する流れもあらわれるようになる。 ****************** 一神教は一神教でもユダヤ教は、排他的原理主義的一神教で、ユダヤ人を贔屓する凶暴な神ヤハウェを崇拝する。グノーシス派は、アテン教の友愛的平等のやさしい神、牡牛に象徴される太陽神でもある神を崇拝すると見ることができよう。 | 187 |
| 6 | 2 | 節目次 | 2 キリスト教の独立 | 187 |
| 6 | 2 | エルサレム教会の消滅 | ユダヤ戦争をめぐる混乱でキリスト教側がこうむった痛手としてまず指摘しなければならないのは、エルサレム教会が実質的に消滅したことである。 | 188-189 |
| 6 | 2 | ユダヤ当局によって「主の兄弟ヤコブ」処刑 | 大きな尊敬を集め、圧倒的な権威を享受していた主の兄弟ヤコブが姿を消してしまう。ローマにたいする反乱に立ち上がる雰囲気が次第に農耕となっていた六〇年代前半のエルサレムで、ユダヤ当局によって処刑されたと考えられる。 ******************* 「主の兄弟ヤコブ」を著者は義人と評価しているようだが、いただけない。こいつはイエスの教えをかつて信じたこともないパリサイ派ユダヤ教徒である。エルサレム教会はキリスト教の中のユダヤ教パリサイ派であったのだ。まだしもペトロはましである。 ローマに服従するヘロデ派=ユダヤ当局にとって、ゼロテ派は一番の敵で、背後で操るのがエルサレム教会のパリサイ派であった。 ローマ総督ピラトやヘロデ王サイドは、ゼロテ派のバラバよりイエスを助けたかったであろう。ユダヤの王と称したことが問題になっただけでイエスは凶暴ではなかった。 | 189 |
| 6 | 2 | エルサレム教会の残党シメオン | それでもキリスト教徒の一部はエルサレムに戻ったようである。ヤコブの後継としてイエスの叔父クレオパの子であるシメオンという者が選ばれ、組織を維持しようとしたらしい。彼は二世紀のはじめまで、この地位にあったようである。 | 189 |
| 6 | 2 | イエスの弟ユダの孫 | またイエスの弟のユダの二人の孫が、ドミチアヌス帝(在位八一~九六年)の前に出頭したという報告が残っているが、彼らについてのこれ以外のことは知られていない。 | 189 |
| 6 | 2 | ネロの迫害 | 六四年にローマで生じたネロによるキリスト教徒への迫害である。 | 189 |
| 6 | 2 | キリスト教だけを迫害 | またネロによる迫害は、ローマ当局がキリスト教徒をユダヤ人とは別個の集団として認識して、キリスト教徒だけに迫害を行いえることを示した最初の出来事である。 ****************** ネロは、原理主義的ユダヤ教とかわらない原理主義的キリスト教を迫害したのである。ローマは宗教的友愛国家であったから。 | 190 |
| 6 | 2 | ユダヤ人は優遇 | ユダヤ人は有力な少数派で、ローマ帝国においてかなり優遇されていた。 ***************** ネロの妃ポッパエアは、「神を畏れる者」であったし、ヨセフスもローマ皇帝に寵愛されていた。 | 190 |
| 6 | 3 | 節目次 | 3 キリスト教の権威とはなにか | 192 |
| 6 | 3 | 口承主義の主流派 | この問題と関連して注目すべきは、エルサレム教会主流派において文書作成の活動がほとんど行われなかったと思われることである。 | 205 |
| 6 | 3 | 文書主義のヘレニスト | これにたいし、ギリシア語圏では文書活動が開始され、やがて活発に行われるようになる。まず重要なのは、まとまった文書として最初に成立したのがマルコ福音書だという事実である。 最初に書かれた福音書であるマルコ福音書は、エルサレム教会主流派に反対する立場から、特に口承の情報を重要視する権威のあり方を批判するために書かれたと考えられる。 | 206 |
| 6 | 4 | 節目次 | 4 ヤコブ書とマタイ福音書 | 209 |
| 6 | 4 | 律法を積極的に評価 | このためにまず、律法の価値を積極的に評価するという手段が採用される。ヤコブ書に見られる傾向である。またいくらか遅れて成立したマタイ福音書にも、おなじような方向が認められる。この二つの文書においては、律法主義的なキリスト教のあり方が構想されていると述べてよいかもしれない。 | 210 |
| 6 | 4 | 主の兄弟ヤコブを著者として擬した文書 | ヤコブ書は主の兄弟ヤコブを著者として擬した文書で、八〇年ごろの著作と考えられている。 | 210 |
| 6 | 4 | 金持ち批判 | 金持ちにたいして厳しく批判的で、「貧しさ」が特に優先されねばならないとされている。 | 210 |
| 6 | 4 | マタイ福音書/90-100年 | マタイ福音書もギリシア語で執筆されている。執筆時期はヤコブ書の場合よりもかなり後で、一世紀の末、九〇年代の前半あたりであろう。ユダヤ教側のファリサイ派のあり方が、かなり秩序立ったものとなってきている時期である。 | 212 |
| 7 | 1 | 章目次 | 第七章 脚光を浴びるパウロ的教会 | 215 |
| 7 | 1 | 節目次 | 1 パウロ的教会が変えたキリスト教 | 215 |
| 7 | 1 | イエスの十字架の出来事の意義 | パウロの神学はイエスの十字架の出来事の意義についての考察に、ほぼ排他的に集中している。 | 218 |
| 7 | 2 | 節目次 | 2 新しいキリスト教世界ールカ文書 | 222 |
| 7 | 2 | ルカ文書 | パウロ的教会のあり方が注目されるようになってそれほどの期間を経ないうちに、たいへん野心的な文書があらわれる。ルカ文書(ルカ福音書と使徒行伝)である。 | 223 |
| 7 | 2 | エルサレムの初期教会の姿とパウロの活動 | そして使徒行伝の前半では、そのエルサレムの初期教会の姿が描かれている。そして使徒行伝の後半は、パウロの活動の描写に集中している。 | 223 |
| 7 | 2 | パウロの復権 | ここでパウロの復権が試みられており、パウロの権威が、イエスやエルサレムの初期教会の指導者たち(「使徒」とはっきり呼ばれている)にならぶものとされている。 | 223 |
| 7 | 2 | ユダヤ中心主義 | それどころかルカ文書には、ユダヤ中心主義が認められる。マルコ福音書やマタイ福音書では復活のイエスがあらわれるのはガリラヤだが、ルカ文書ではエルサレムおよびその付近にあらわれたとされている。 | 224 |
| 7 | 2 | ギリシア人の側近テトスを無視 | またキリスト教運動の指導的な役割を担う者は、すべてユダヤ人とされている。歴史的にはパウロの側近にテトスというギリシア人がいて、かなり有名だったと思われる。しかしるか文書において、テトスは言及されていない。 | 224 |
| 7 | 2 | ユダヤ人出身のキリスト教徒 | ルカ文書の著者は、ユダヤ人出身のキリスト教徒であるとするのが順当であろう。 | 224 |
| 7 | 3 | 節目次 | 3 パウロ書簡集の流布 | 231 |
| 7 | 3 | パウロを著者に擬した文書 | 八〇年代後半以降になると、パウロを著者に擬した文書がいくつも作られるようになる。 | 231 |
| 8 | 1 | 章目次 | 第八章 模索するキリスト教 | 237 |
| 8 | 1 | 節目次 | 1 道徳主義の流れ | 237 |
| 8 | 1 | 数多の文書作成 | 断片しかしられていないものもふくめると、この時期には数多くの文書が作成される。 | 237 |
| 8 | 1 | 「キリスト教的ユダヤ教」 | 簡単に述べるならば、ユダヤ教の枠内でキリスト教的要素も認めていこうとする流れといえる。 「キリスト教的ユダヤ教」といっても、それほど不適切ではないだろう。 | 239 |
| 8 | 1 | 「ディダケー」 | 「ディダケー」という題は略称で、「教え」「教訓」の意味である。本来の題を正確に訳すならば「諸国民に対する十二使徒 による主の教訓」といったことになる。全一六章。 一世紀の末ごろにシリアで書かれたとされている。 | 240 |
| 8 | 1 | 使徒の尊重 | たとえば使徒は「主のように」扱わねばならない(一一章)。 全体としてユダヤ的キリスト教の雰囲気が濃厚である。 | 240 |
| 8 | 1 | 「ローマのクレメンスのコリントの者への手紙」 | 「ローマのクレメンスのコリントの者への手紙」には、「第一」と「第二」が存在する。 「第二の手紙」は、クレメンスを著者に模したものである。 「第一の手紙」は、一世紀末ごろに成立したと考えられる。伝統的には、一世紀末ごろにローマの監督者の一人だったクレメンスが著者とされている。 | 241 |
| 8 | 1 | 「ヘブライ人福音書」 | 「ヘブライ人福音書」は二世紀半ばに、ギリシア語で書かれたと思われる。成立場所は、おそらくエジプトである。マタイ福音書の影響が大きい。 | 241-242 |
| 8 | 1 | イエスの毒親マリアの神格化 | またマリアは天の力が地上にあらわれたものであり、天使ミカエルである。 ***************** 「ヘブライ人福音書」は、完全なユダヤ教サイドのものであろう。 イエスにたする毒親マリアに超自然の力を与え、「天使ミカエル」と同一視するなど言語道断である。マリア信仰の萌芽といえる。 歴史上のマリアは、パリサイ原理主義的派ユダヤ教徒であって、イエスを恥じて妨害していたと思われる。 | 242 |
| 8 | 1 | 「エビオン派福音書」 | 「エビオン派福音書」は二世紀末に成立したと考えられる。 エビオン派(「貧しい者たち」の意)は、パレスチナのユダヤ人キリスト教徒の後継者のなかの一つも流れと考えられている。 | 242 |
| 8 | 1 | 人間イエスから超人イエスへ | イエスは人間であり(イエスはヨセフとマリアの子)、キリストが人間イエスと洗礼の際に一つになることによって神の子が成立するとされている。十字架事件の前にキリストはイエスから離れ、イエスのみが受難し、復活する。 *************** ユダヤ教サイドから、「人間の受難と復活」という大嘘の欺瞞が捏造されたことが明らかである。 義人、哲学者、遊行修行者のイエスを、キリストなるスーパーマンに仕立て上げる欺瞞が。イエスはスーパースターだったが、スーパーマンではなかった。 | 242 |
| 8 | 1 | ヘブライ人への手紙 | この文書は「手紙」と呼ばれ、末尾にそのような体裁の短いテキストがそえられているが、実際には論文になっている。執筆年代は九〇年代前半ごろと思われる。 | 243 |
| 8 | 1 | イエスの復活は「大祭司としての自己犠牲と復活」 | キリストが最高の大祭司であり、自分自身を犠牲として捧げたのだから、もうこれ以上の犠牲を捧げることに意味はなく、したがって神殿での犠牲の儀式は乗り越えられてしまったと主張されている。 ****************** これは目からウロコである! 「イエスの死と復活」のモデルが、密儀宗教の大女神と男性の祭司による「死と復活」の儀礼にあることはたしかだ。 ここでは、もし本当にイエスが自己犠牲を行ったなら、これは、イエスがサドカイ派であったということになる。 つまり、これは、フェニキアの大女神の若い植物の精霊としてのエシュムン、メルカルト、アドニースなどを模しているわけだ。 国民の代表として都市の国王は、儀礼的に自己を大女神に犠牲に捧げて、復活することで、その都市の豊穣を獲得していた。 なぜ、他人のたった一人が、自己犠牲することで、全人類が救われるという茶番が構想されたかが判明した。 一都市における一年の豊穣を神に約束させるための都市の国王による「豊穣儀礼」がモデルであったわけだ。 イエスはサドカイ派的立場から、律法よりも儀礼の有効性をつきつきたのだろう。 | 243 |
| 8 | 1 | ローマ支配の否定 | 執筆時期は九五年ごろであろう。ヨハネ黙示録はローマ帝国の支配にたいして、はっきりと否定的である。メシアによる支配が、ローマによる支配に取ってかわるとされている。 ************** 「ヨハネ黙示録」の正体は、「ダニエル書」の猿真似である。 「ダニエル書」は、ユダヤ教原理主義の時の世俗支配者であったセレウコス朝シリアの王アンティオコス四世エピファネスを仮想敵国とした負け惜しみ白昼夢である。 後にグノーシス派が黙示的になり、「反宇宙的唯心論」といわれるのは誤解がある。 「ダニエル書」「ヨハネ黙示録」はたしかに「反宇宙的」である。この場合も、グノーシス派においても、「反宇宙的」はこの世全体の否定を意味しない。ピンポイントで、彼らの現在の支配者の支配する世界の否定であったのである。 | 253-254 |
| 8 | 1 | 黙示文学の現状否定 | あらゆる黙示文学に共通することだが、一方でまったく否定的で絶望しているが、他方で神の力について熱狂的に肯定的である。 | 254 |
| 9 | 1 | 章目次 | 第九章 乱立する文書 | 255 |
| 10 | 1 | 章目次 | 第一〇章 独自の聖書 | 273 |
| 10 | 1 | 節目次 | 1 マルキオンの聖書 | 273 |
| 10 | 1 | 「マルキオンの聖書」 | グノーシス主義の影響を受けたマルキオン派において、いわゆる「マルキオンの聖書」が作られたのである。 | 276 |
| 10 | 1 | ペルシア的二元論 | ペルシア的宗教思想ー特にその二元論ーの影響があるのは確かである。 | 277 |
| 10 | 1 | グノーシス主義はメソポタミア発 | グノーシス主義の文書は、最初のうちはシリアやメソポタミアで書かれたものが多く、それから中心がエジプトへ移っていく。 | 277 |
| 10 | 1 | グノーシス神話の骨格にユダヤ教やキリスト教 | グノーシス神話の骨格にユダヤ教的要素をとりこんだもの、キリスト教的要素をとりこんだものが存在し、したがって、ユダヤ教系グノーシス主義、キリスト教系グノーシス主義が存在する。 | 277 |
| 10 | 1 | ヤーヴェは悪の神 | したがって我々がいるこの世は、根本的に「悪」である。 そしてこの「悪い世界」の神が、ユダヤ人の神ヤーヴェである。 | 227 |
| 10 | 1 | 「良い世界」の神の「使者」 | 「霊的人間」は、外部から何の働きかけもないと、自分がじつは「良い世界」に属する者であることに気づかない。 そこで「良い世界」の「父」は、「悪い世界」へ「使者」を送る。 | 278 |
| 10 | 1 | 「魔術師」サマリア人シモン | この「使者」が、ユダヤ教系グノーシス主義では、「魔術師」と呼ばれたサマリア人シモンであったりする。 | 278 |
| 10 | 1 | イエス | キリスト教系グノーシス主義では、この「使者」はイエスである。 ***************** ユダヤ教系グノーシスの「使者」=サマリア人「魔術師」シモン キリスト教系グノーシスの「使者」=イエス | 278 |
| 10 | 1 | 自力本願=光の粒の内在化 | グノーシス主義の「グノーシス」とは、「知識」という意味である。自分のなかに光の粒がふくみこまれていると気づくこと、これがこの「知識」である。 | 279 |
| 10 | 1 | 「普遍主義(カトリシスム)」 | 二世紀半ばになると全体としての統一的な秩序を重要視する動きが、かなりはっきりと認められるようになってくる。こうした流れを「普遍主義(カトリシスム)」と呼びことができる。 | 280 |
| 10 | 1 | 小アジアのポントスのシノペ生まれ | マルキオンは紀元一〇〇年を少し過ぎたころ、小アジア北部、黒海沿岸のポントス州にあるシノペという町でキリスト教徒の家に生まれた。 | 281 |
| 10 | 1 | 船主 | 彼の家は富裕で、船主であったという。 | 281 |
| 10 | 1 | ローマ教会/130-144 | いずれにしても一三〇年代半ばごろにマルキオンはローマへ行く。ローマ教会に多大な献金をし、立場上の対立から教会とわかれることになり(一四四年)、その後、独自の活動を展開する。 | 281 |
| 10 | 1 | パウロ主義 | マルキオンの出発点は、パウロ書簡に見られるところのパウロの立場であった。 | 281 |
| 10 | 1 | イエスは律法を排そうとした | マルキオンによればイエスは律法を排そうとしたのであり、したがってパウロはイエスの唯一の真の弟子である。 | 281-282 |
| 10 | 1 | パウロのイメージを改竄 | しかし教会はパウロのイメージを改竄し、パウロを律法主義の道徳教師にしてしまい、旧約聖書の神の業と、イエス・キリストの父の業とを、根本的に同一のものとしてしまっている。 | 282 |
| 10 | 1 | 旧約の神≠新約の神 | マルキオンにとって、イエス・キリストは愛の神であり、この神は、この世を創造した律法の神と同一ではない。ここにグノーシス主義の影響があることは疑いえない。 | 282 |
| 10 | 1 | 旧約聖書排斥 | マルキオンはまず旧約聖書を退ける。 | 283 |
| 10 | 1 | 「福音」と「使徒」という二部構成 | マルキオンの聖書は、「福音」と「使徒」という二部構成になっている。 | 283 |
| 10 | 1 | ルカ福音書 | 「福音」の部についてマルキオンは、ルカ福音書を選びだす。 | 283 |
| 10 | 1 | 旧約聖書の引用の削除 | 選ばれた文書のテキストから、旧約聖書の引用はすべて削除される。 | 284 |
| 10 | 1 | はじめての「正典」 | つまりマルキオンの作業によって、明確に権威あるとされる文書ーつまり「正典」ーが、そのような文書を確定しなければならないというはっきりとした意識的な立場を背景ににしてはじめて出現したのである。 | 285 |
| 10 | 1 | 結婚と肉食の禁止 | また日々の生活においても、たとえば結婚としてはならず、肉とワインを摂ってはならないとされていた。 ************** 仏教徒のようである。 | 287 |
| 10 | 1 | 男女平等 | 教会主流の各共同体と同様に、マルキオン派の教会にも、監督官、奉仕者、長老がいるが、マルキオン派の教会の場合には、女性もこれらの役職につくことができる。「新しい創造」においては、性の区別は意味がないからである。 | 287 |
| 10 | 1 | メンバーが堅く団結した安定した組織 | マルキオンの立場が、教会主流にとって他のグノーシス主義者のものよりもはるかに大きな脅威となったのは、マルキオン派の教会が大きく発展し、メンバーが堅く団結した安定した組織を構成したからである、 | 287 |
| 10 | 1 | 最初の「新約聖書正典」をもったこと | この特別な出来事が生じた決定的原因は、マルキオン派がキリスト教独自の聖なる書物ー最初の「新約聖書正典」と呼ぶべきものーを所持していたからだと考えられる。 | 288 |
| 10 | 1 | 神は二元論、人間は普遍的 | マルキオンはグノーシス主義的な〈二つの神〉の考え方を主張するが、二元論を徹底させるのではなく、彼の〈愛の神〉はむしろ普遍主義的である。 | 290 |
| 10 | 2 | 節目次 | 2 新約聖書という意識の芽生え | 291 |
| 10 | 3 | 節目次 | 3 何が「正典」か | 297 |
| 10 | 3 | イレナエウス | イレナエウスは、おそらく小アジアのスミルナの出身で、ガリアのルグドゥヌム(いまのリヨン)の司教となる。 | 297 |
| 10 | 3 | 『異端反駁論』/185年 | グノーシス主義批判を展開した大部の『異端反駁論』(185年ごろ)を残した。 | 297 |
| 10 | 3 | 四福音書を正典 | イレナエウスは四福音書を正典として主張する。 | 297 |
| 10 | 3 | 四つのケルビム(天使) | また、四つのケルビム(天使)をそれぞれの福音書記者の象徴としている。マタイが人間、マルコが獅子、ルカが牛、ヨハネが鷲である。 | 298 |
| 10 | 3 | テルトゥリアヌス | テルトゥリアヌスは一六〇年ごろにカルタゴに生れ、ローマで法律家として仕事をした。 | 299 |
| 10 | 3 | カルタゴのモンタノス派 | 一九五年ごろにキリスト教徒となる。カルタゴに帰り、教会の指導者として活動する。二〇三年ごろにモンタノス派に転向し、二二〇年ごろに没した。彼はラテン語で著作をした。 | 299 |
| 10 | 3 | 「新約聖書(Novum Testamentum)」 | ラテン語ではじめて「新約聖書(Novum Testamentum)」という表現を文書の中に用いたのは彼である。 | 299 |
| 10 | 3 | アレクサンドリアのクレメンス | アレクサンドリアのクレメンスは、おそらくアテネで生まれた。 | 300 |
| 11 | 1 | 章目次 | 第11章 正典の成立 | 305 |
| 11 | 1 | 節目次 | 1 聖なるテキスト | 305 |
| 11 | 1 | 「エクレシア・カトリカ」 | 「エクレシア・カトリカ」は、日本語では「公同教会」と訳されることもある。 「エクレシア」は「教会」のことであり、「カトリカ」とは「普遍的な」という意味である。 | 314-315 |
| 11 | 2 | 節目次 | 2 ローマ帝国国教へ | 317 |
| 11 | 2 | キリスト教公認/313年 | さらに三一三年の「ミラノ勅令」により、キリスト教が公認される。 | 323 |
| 11 | 2 | ニカイア会議/325年 | 三二五年にニカイア会議が開かれる。 | 324 |
| 11 | 2 | 二七の文書が正典/ アタナシオスの書簡から | 二七の文書が正典として確定したとされるのは、アタナシオス(295-373年)の『第三十九復活祭書簡』(367年)である。「誰もこれに加えてはならないし、これから削ってはならない」とされている。 | 325 |

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