- 八巻 サラミス海戦とクセルクセスの退却
- 一、アルテミシオンの海戦
- 二、ペルシア陸上軍の進撃ーアテナイ占領に至る
- テッサリア人とポキス人
- テッサリア人がペルシア軍を誘導
- トラキス地区からドーリス地方へ
- ドーリス人は、すでにペルシア陣営
- ポーキス人の避難
- クセルクセスは友軍のボイオティアへ
- デルポイへー怪異現象
- アテナイ人の退避
- サラミスのギリシア水軍の陣容
- アテナイ人の歴史
- メガラ人・アンブラキア人・レウカス人
- アイギナ人はエピダウロスからの移民
- エウボイア島のカルキス人とエレトリア人
- ナクソス人
- セリポス、シプノス、メロス人
- ギリシア水軍378隻
- コリントス地峡決戦が大部分の意見
- テスピアイとプラタイアがペルシアに抗戦し、テバイ人が密告
- 残留アテナイ人
- 神託の「木の砦」を木製の防柵と解した者と貧民が残留
- アテナイのアクロポリス陥落
- エレクテウスへの供儀をペイシストラトス一族に命じた理由
- 三、サラミス海戦
- サラミスで戦う戦略の発案者は?ームネシピロス
- シドン船での御前会議
- ペロポネソス諸都市、クレオンブロトスの指揮下、長城建設
- アルカディア人
- アカイア人
- 外来4種族
- キュヌリア人=イオニア系のオルネアイ人
- 中立をとることによりペルシア側に与した町
- ヘロドトスが最も高潔と評するアリステイデス登場
- サラミス海戦不可避で突入
- 逃げ腰だったが、アテナイ人が先端を開く
- 女の幻影の鼓舞激励
- フェニキア部隊VSアテナイ、イオニア部隊VSスパルタ
- サモス人艦長テオメストルとピュラコス
- テオメストル、サモス独裁者にピュラコス、王の恩人(エウエルゲタイ)に
- ギリシア軍、戦列整えて勝利
- アルテミシアの船、友軍のカリュンダの船に偽装突入
- 悪事でクセルクセスに評価
- フェニキア人に讒訴のイメージ(ヘロドトスの偏見)
- サモトラケの船の投槍攻撃
- クセルクセスの不明
- イオニア人贔屓のペルシア人側近が反フェニキア人活動
- アイギナ人にも憎まれているテミストクレス
- 6分の一の兵力でアイギナがアテナイを圧倒の功績
- アルテミシア生捕りに賞金賭けたアテナイの「男尊女卑」
- アテナイ人の捏造したコリントス司令官アデイマントス逃亡の噂
- アテナイ以外はコリントス艦隊の功績を認める
- 海戦が終って
- 四、クセルクセスの退却
- 五、マルドニオスによるギリシア本土作戦
八巻 サラミス海戦とクセルクセスの退却
一、アルテミシオンの海戦
二、ペルシア陸上軍の進撃ーアテナイ占領に至る
三、サラミスの海戦
四、クセルクセスの退却
五、マルドニオスによるギリシア本土作戦
一、アルテミシオンの海戦
ギリシア人水軍の陣容
水軍は海運国
水軍に配置されたギリシア諸国を次に列挙すれば、先ず百二十七隻の船を出したアテナイ人があり、プラタイア人はアテナイの船に同乗していた。
コリントス人は四十隻、メガラ人は二十隻の船を出し、
カルキス人はアテナイの提供した船二十隻に乗り込み、
アイギナ人は十八隻、シキュオン人は五隻、・・・・
さらにロクリス・オプンティア人が五十橈船七隻をもってこれを応援したのである。
水軍総帥はスパルタ人エウリュピアデス
アルテミシオンに出撃したギリシア諸国は右のごとくで、
アルテミシオンに集結した船の総数は、五十橈船を除き二百七十一隻であった。
指揮の最高権を掌握する司令官の地位は、スパルタ軍の出したエウクレイデスの子エウリュピアデスが占めた。
この時期、テバイ王家は事実上ペルシア側、アルゴス王家は戦線離脱中立物見を決め込む状態で、アテナイではなく、スパルタが総帥を占めたことは意味深長である。アテナイはペイシストラトスの力で発展した新興国であったからだろう。
品性卑しき欲深テミストクレス
テミストクレスがギリシア軍を引き留めるためにとった行動はこうであった。
彼はエウリュピアデスに、右の金の内五タラントンを、あたかも自分の懐から出ている金のごとくにして贈った。こうしてエウリュピアデスは説き落されたが、
コリントス軍の指揮官であったオキュトスの子アイデマントスひとりが、どうしてもアルテミシオンを出航し、ここに留まるつもりはないといって、頑強に反対した。
早速アイデマントスの船に銀三タラントンを届けさせた。
こうして二人は賄賂によって篭絡されて同意させれ、
テミストクレス自身も私服を肥やした。
彼が残りの金を握っていることは誰も知らず、その金の分け前にあずかった者たちも、その金はこの目的のためにアテナイから出たものとばかり思っていたのである。
ペルシアのエウボイア島両側から挟撃戦略
エウボイアの両側から挟み撃ち作戦
そこでペルシア軍は次のような作戦を樹てた。
全艦隊の中なら二百隻を選抜し、
敵の目につかぬようにしてエウボイアのカペレウス岬からゲライストス附近を迂回し、エウリポス海峡に達することができるように、スキアトス島の外側を通って出航させたのである。
この方面に到達した部隊がギリシア軍の退路を遮断するとともに、主力は正面から敵に迫って、ギリシア艦隊を捕捉せんという作戦であった。
〔註〕次のゲライストス岬とともに、エウボイア島(東)南端の岬の地名。
ペロプスの神話で有名。リュディアからギリシア本土に遠征し、戦車競走に長けたペロプスの息子はアトレウスで、アトレウス王家の祖であり、ペロポネソス半島の名祖である。彼が自分の協力者の御者ミュルティロスを、このゲライストス岬から突き落として殺したことで、この岬は有名。
スキアトス島は、エウボイア島の北、本土マグネシアのペリオン半島の東に浮かぶ島。
つまり、エウボイア島の北のスキアトス島と南のゲライストス岬で挟撃する計画。
スキオネの潜水の名手の密告
ペルシア軍が艦船の点呼を行なっている時のことであるが、その陣中にスキオネの出身でスキュリアスという男がいた。当時並ぶもののない潜水の名手で、
ペリオン沖の難破の折にもペルシア軍のために財宝多数を救い、自分も莫大な富を手中にした男である。
スキオネとは、「〔註〕カルキディケ半島が三叉に分かれている。その最西のパレネ半島にある町。」である。
さてこのスキュリアスは以前からギリシア軍に脱走することを考えていたが、・・・
さてスキュリアスはアルテミシオンに着くとギリシアの指揮官たちに、例の難破の詳しい模様と、艦隊の一部がエウボイアを迂回すべく派遣されたことを告げた。
さてこのスキュリアスは以前からギリシア軍に脱走することを考えていたが、・・・
さてスキュリアスはアルテミシオンに着くとギリシアの指揮官たちに、例の難破の詳しい模様と、艦隊の一部がエウボイアを迂回すべく派遣されたことを告げた。
船間突破の戦法
ギリシア軍は午後遅くなるのを待って、こちらからペルシア艦隊に攻撃をかけた。
敵の手並とその戦術、特に船間突破の戦法を試したいと思ったからである。
〔註〕巻六、十二節参照。
これはアテナイからの植民都市ポカイアの三隻しか出していないのに、ギリシア軍をスパルタ式に鍛えてボイコットされたディオニュシオスの戦法である。
ポカイア人は、フェニキアの丸形商船ではなく、長い戦艦で植民した民族で、原則海賊である。フェニキア人が現地人と共存共栄でくらしている西地中海に殴り込みをかけた。シケリア海域から撃退され、南イタリアのエレアに植民したため、哲学的にはエレア派を形成した。イベリアの最先端植民地サグントゥムで、フェニキア人のハンニバル・バルカと対決する。
アルテミシオンの海戦決着つかず
ギリシア部隊は最初の合図で、まず船首を異国艦隊に向け、船尾は陣形の中央に集まるようにした。そして第二の合図とともに、狭い海域に閉じ込められ正面に進む他ない態勢でありながら行動に移った。
この戦闘で両軍は悪戦苦闘を繰り返したが結局勝敗決せぬまま夜に入り、この海戦はもの別れとなった。
ギリシア軍はアルテミシオンに、異国軍はアペタイへとそれぞれ引き返したが、ペルシア方にとっては全く予想外の戦闘であった。
雷雨によるペルシア水軍大被害
夜に入ると、時は盛夏であったのに、夜を徹して激しい雨が降りつづき、ペリオン山の方角からは雷鳴がさく裂するように轟いた。
死骸や船体の破片が漂流してアペタイ港内に入り、艦船の船首のまわりに群がり、橈の水かきの動きを妨げた。
同じ夜がエウボイア迂回を命ぜられた部隊にとっては、それが洋上航行中に起っただけ一層無残なものとなり、その結果は悲惨だった。
すなわちこの部隊が航行してエウボイアの「凹み」のあたりにさしかかった時、暴風と豪雨に襲われ、風に流され行方も知らず漂ううちに岩礁に乗り上げてしまった。
〔註〕エウボイアの南端ゲライストス岬からエウボイア西海岸沿いに北上してゆくと、中央部のエレトリアあたりまでの一帯は、山岳が海に迫って海岸線は屈折をつづけ、暗礁も多く、航行者には難所として知られた。
テミストクレス、エウボイア人の家畜を屠殺させて食べる卑劣!
テミストクレスは、・・・折からエウボイアの住民は家畜を海辺に追っていたが、その場所に指揮官を集め、自分によい策があり、これによってペルシア連合軍中最精鋭の部隊を離反させることができると思う、と語った。その計略についてはこれ以上は話さず、さし当りエウボイア人の家畜を好きなだけ殺せ、敵の手に渡すよりは味方のものにする方がましであるからといい、・・・
ただちに火を焚き家畜の屠殺にかかった。
これもエウボイア人が例のバキスの託宣を戯言として軽んじ、来るべき戦争に備えて家財を安全に移すこともせず、兵糧の貯えもしなかったためで、彼らは自ら求めて破局を招いたわけである。
ヘロドトスは、託宣や神意を重んじる迷信的(敬神的?)なところがある。これはアテナイに亡命したヘロドトスのアテナイびいきの表れの部分である。
エウボイア人、家畜をテミストクレスの詐欺によって巻き上げられるのは自業自得?
ちがうだろ。エウボイア人のうちエレトリア人はアテナイびいき、カルキス人はフェニキア系で敵であったからだ。
テルモピュライの悲報届く
トラキスから見張りの者が到着した。・・・
レオニダスとその麾下部隊の運命を伝えた。
もはや撤退を遷延せずその時の陣形のまま、コリントス部隊を先頭に、アテナイ軍が殿となって、撤収していった。
二、ペルシア陸上軍の進撃ーアテナイ占領に至る
テッサリア人とポキス人
数年前のテッサリア人の侵入-テリアスの石膏人間戦術
今次のペルシア王の遠征に先立つこと幾年にもならぬ頃のことであったが、テッサリア人はその同盟軍を加えてその同盟軍を加えて全兵力を挙げ、ポキスに侵入したが、ポキス軍に敗れ、さんざんな目に遭った。
はじめポキス軍は敵に追われ、エリス出身のテリアスという預言者を伴ってパルナッソス山中に立て籠もったが、この時のテリアスがポキス人のために次のような作戦を編み出したのである。
彼はポキス軍中六百の精鋭を選び、その全身並びに武具にも石膏を塗らせた上、テッサリア軍に夜襲をかけさせたのであるが、あらかじめ兵士たちには、白く塗られていない人間を見れば殺せと命じていた。
テッサリア軍は、・・・なにか怪異なものと思って恐れをなし・・・恐慌を来たしたため、ポキス軍は敵兵の死骸四千とその盾を手中に収めた。
〔註〕エリス地方に続いた有名な預言者一族(テリアダイ)に属する人物であったと考えられる。
そしてその盾の半分ずつをアバイとデルポイに奉納した。
〔註〕ポキスの東北部、ボイオティアとの国境に近く位置する町。ここにもアポロン神殿と託宣所があった。
ポキス侵入のテッサリア騎兵には壺埋め作戦
国内に侵入したテッサリア騎兵部隊にも回復不能な打撃を加えた。
すなわちヒュアンポリス附近の進入路に大きい濠を掘って、ここに空の壺をいくつも埋め、それに土をかけ他の地面と同じようにならしておいて、侵入するテッサリア軍を迎えた。
テッサリア騎兵隊はポキス軍を殲滅せんものと殺到してこの壺に踏み込み、馬は脚を折ってしまったのである。
テッサリア人の右の申し入れに対しポキス人は、金を払うつもりもなく、またいやしもその気になれば自分たちもテッサリア人同様ペルシア側につくことはできるが、自分たちとしは進んでギリシアを裏切るようなことをする気持ちもない、と答えた。
ポキス人は、常にアテナイ人と共闘して、後にデルポイの財宝を着服して、神聖戦争を引き起こす。
もしかしたら、アカイア人の子孫だったのかもしれない。
テリアスの逸話はいつの時代のことなのか不確かである。
パウサニアスに詳しい話がある。
テッサリア人がペルシア軍を誘導
この返答が持ち帰られると、テッサリア人はポキス人に対する怒りに燃えて、ペルシア王の道案内を引き受けることになった。
トラキス地区からドーリス地方へ
トラキス地区
彼らはトラキス地区(トラキニア)からドーリス地方へ侵入した。
テルモピュライの西、オイテー山の麓の東に、トラーキースという都市がある。そのあたりがトラキス地方。
ドーリス地方
ドーリス地方はこのあたりでは、マリス、ポキス両地方に挟まれ、約三十スタディオンほどの幅の狭い帯状を成して延びている。
昔はドリュオピスといった地方で、ペロポネソス在住のドーリス人の発祥の地である。
東にアイトリア、北にマリス、南にロクリス、西にポキスに囲まれて、オイテ山を北にパルナッソス山を南にもつピンドゥス川流域の狭い地区。
ドーリス人は、すでにペルシア陣営
ペロポネソス軍はこのドーリス地方に侵入したが、ここを荒らすことはしなかった。住民はペルシア方に与してしたし、またテッサリア人がそれに不賛成だったからである。
テバイ、テッサリア、ドーリスは同じ穴のムジナ。
のちにスパルタ・ポキスに対して、テバイ・テッサリアが対決したエパミノンダスの時代の敵対図にも通じる。
ポーキス人の避難
ネオン附近のパルナッソスに退避
ペルシア軍はドーリスからポキスに侵入したが、ポキス人を捕捉することはできなかった。ポキス人の一部はパルナッソスの山頂に登りー
パルナッソス山系の中で、ネオンの町の近くに孤立して聳えるティトレイアという峰があり、多人数を収容するには屈強の場所であった。
ポキス人はこの峰に家財を運び、彼ら自身も登ったのであるー
オゾライ・ロクロイ人の国に亡命も
大部分のものはオゾライ・ロクロイ人の国に難を避け、クリサ平野を越えたところにあるアンピッサの町に家財を運んで移り住んだのである。
ペルシア軍はポキスの全土を剰すところなく蹂躙した。
ポキスの主要都市破壊
ペルシア軍はケピソス河沿いに進んで、手当たり次第に略奪し、
ドリュモスをはじめ、カラドラ、・・・ネオン、ヒュアンポリス、アバイの諸市を焼き払った。
アバイには多数の宝蔵や奉納物を擁した豪華なアポロンの神殿があり、・・・
クセルクセスは友軍のボイオティアへ
クセルクセス自身の率いる最も強大な部隊は、アテナイ指して進み、ボイオティアに侵入し、オルコメノス領内に入った。
ボイオティアの大半はペルシア方となっており、・・・
デルポイへー怪異現象
別の部隊は、・・・デルポイの神域に向った。
デルポイの神殿を掠奪し、財宝をクセルクセスに献じようというにあった。ことにアリュアッテスの子クロイソスの奉納した品々は彼が最も深い関心をもったものであった。
神託係りの祭司はーその名をアケラトスといったがーいかなる人間も手を触れることを許されぬ聖なる武器が、本殿の奥から持ち出されて神殿の前にあるのを目にした。
武器がひとりでに本殿の奥から出て社殿の前に横たわっていたということも、誠に驚くべきことであるが、・・・
さらにまたプロナイアの神殿の内からは怒号と嚇声が響いたのである。
無事に帰還したペルシア人は、右に述べたことのほかにもさまざまな霊験を目にしたと語っていたという。
例えば、普通の人間とは思われぬ巨大な重装兵二人が、逃げる彼らに追いすがって殺戮をほしいままにしていたという。
アテナイ人の退避
トロイゼンへ退避、戦闘員はサラミスへ
さて他の部隊はサラミスへ向い、アテナイ部隊のみは自国へ向った。
アテナイ部隊は国許へ着くと布告を発し、アテナイ市民は各自その力の及ぶ範囲で子供や家人を安全な場所へ移すように勧告した。
そこで市民の大部分のものはトロイゼンに子や家人を避難させたが、アイギナやサラミスへ送ったものもいた。
サラミスのギリシア水軍の陣容
総司令官はスパルタのエウリュピアデス
かくて集結した艦船の数は、アルテミシオン海戦の時よりも遥かに多数に上り、参加した町の数も増したのである。
水軍の総司令官はアルテミシオンの折と同じくエウクレイデスの子エウリュピアデスで、彼はスパルタ人であったが王家の出ではなかった。
ペロポネソスの水軍の陣容とドーリス人の都市とアテナイ単独で180隻
水軍に加わった町々は次のとおりである。
まずペロポネソスからはスパルタ人が十六隻、コリントス人はアルテミシオンの折と同数の船を出した。シキュオン人は十五隻、エピダウロス人は十隻、トロイゼン人は五隻、ヘルミオネ人は三隻を出した。
右の町々の住民は、ヘルミオネ人を除いて、いずれもドーリスおよびマケドノイ系の民族で、エリネオス、ピンドスおよびドリュオピス地方から最も遅く(ペロポネソスに)移ってきたものたちである。
ヘルミオネ人は本来ドリュオペス人で、ヘラクレスとマリス人によって今日ドーリスと呼ばれる地方から追われてきたのである。
ペロポネソス以外の本土から参加したのは次のとおりである。
先ずアテナイ軍は全く単独で、他のすべての部隊を合わせた勢力に拮抗しうる、実に百八十隻の船を出した。
アテナイ人の歴史
「生え抜き」はクラナオイ人
なおアテナイ人は、ペラスゴイ人が現在のギリシア(ヘラス)の地を占有していた頃は彼らもペラスゴイ人で、クラナオイ人の名で呼ばれていた。
ケクロピダイ→アテナイ人→イオニア人
ついでケクロプス王の時代にはケクロピダイ(ケクロプス一族)と称し、
エレクテウスが王位を継ぐに及んでアテナイ人と名を変え、
さらにクストスの子イオンがアテナイの軍司令官となったとき、その名にちなんでイオニア人と呼ばれることになったのである。
〔註〕エレクテウスは女神アテナに養育されたところから。
しかし神話をしらべれば、アテナとエレクテウスは敵である。
おそらくエレクテウスはカドモイ系とポセイドーン教徒の残党。
〔註〕アテナイがエレシウス(?)の町と戦ったとき、イオンがアテナイの軍事長官であったという伝承に基づく。
イオンがアイオロス系のヘレーンの系統とするなら、これは矛盾する。イオニア人がアテナイ出身といいたいための後付け伝承であろう。
イオニア人はほとんどフェニキア系。アテナイ系はポカイア人のみであろう。
実は「ギリシア本土」のトロイア戦争で、一時的にアカイア人がギリシアを制したあと、すぐにテーバイ帝室とアイオリス王家が「レコンキスタ」した。
その折、アテナイはアイオリス系の王族に支配された。
それがアテナイ人→イオニア人という名称の変遷に投影されているのであろう。
アイオリス系王家は、外来の王家で、その末裔はペイシストラトスの僭主政である。
そのあと、アテナイを長らく占拠していたダナオイ系とアカイア系が勝利した。
それがペルシア戦争当時のアテナイの政権である。
つまりイオニア人からアテナイ人に戻ったのである。
メガラ人・アンブラキア人・レウカス人
メガラ人はアルテミシオン当時と同数の船を出した。
アンブラキア人は七隻、レウカス人は三隻をもって来援した。
これらはいずれもコリントス系のドーリス族である。
〔註〕西部ギリシア、エペイロス(エピルス)地方の南端の町。
次のレウカスとともに前七世紀の中頃、コリントス人によって植民された。ギリシア綴りではアンプラキアとよむ。
〔註〕ギリシア西部アカルナニア地方に相対する島。レウカディアともいう。
アイギナ人はエピダウロスからの移民
島嶼の住民ではまずアイギナ人が三十隻を出した。
アイギナ人はエピダウロスから移民してきたドーリス民族であり、島の名は以前はオイノネといった。
エウボイア島のカルキス人とエレトリア人
アイギナ人につづいては、アルテミシオンにおけると同じ二十隻を擁するカルキス人、七隻を擁するエレトリア人が加わったが、いずれもイオニア民族である。
ナクソス人
ナクソス人は船四隻を出した。彼らは本来他の島の住民と同様に、ペルシア軍に加わるべき国許から派遣されたものであったが、デモクリトスの熱心な勧めに従い、受けた指令を無視してギリシア陣営に走ったのである。このデモクリトスは町の名士で当時三段橈船の指揮官であった。
ナクソス人はアテナイに発するイオニア民族である。
ナクソス島が、ディオニュソス信仰の島であることから、フェニキア系ではないか。アリアドネはクレタ人。
セリポス、シプノス、メロス人
またセリポス、シプノス、メロス各島の住民も水軍に加わって参戦した。島嶼の中では右の諸島のみがペルシア王に土と水を献じなかったからである。
他の部隊が三段橈船を出して参戦したのに対し、メロス、シプノス、セリポスの各島は五十橈船を出した。
メロス人はスパルタからの移住民であるが、五十橈船二隻を、シプノス人およびセリポス人はアテナイを発祥地とするイオニア族で、おのおの一隻を出した。
イオニア人は、テーバイ帝室×アイオリス王家(ペラスゴイ)の末裔であろう。
ドーリス人は、スパルタ王族・貴族の末裔であろう。
ギリシア水軍378隻
かくて五十橈船を除き戦艦の総数は三百七十八隻であった。
コリントス地峡決戦が大部分の意見
発言者たちの大部分の意見は、コリントス地峡に船を進め、ペロポネソスの前面で海戦を行なうことに一致した。
その理由とするところは、万一海戦に敗れた場合、サラミスに在っては救援の現われる見込みの全くない島に閉じ込められて攻撃をうけるであろうが、地峡附近ならば味方のいるところへ上陸もできよう、というにあった。
テスピアイとプラタイアがペルシアに抗戦し、テバイ人が密告
クセルクセスに従ってボイオティアを通過した部隊は、すでに住民がペロポネソスに退避したテスピアイの町、ついでプラタイアの町も同様に焼き払った後、アテナイ領に侵入しここを手当たり次第に荒らしていたのである。
ペルシア軍がテスピアイとプラタイアを焼いたのは、彼らがテバイ人からこの二市がペルシア側につかぬことを聞いたからであった。
残留アテナイ人
時にアテナイはカリアデスの執政下にあった。
〔註〕四八〇年。ギリシア史に関する限り、ヘロドトスが年代を明示した唯一の箇所。
神託の「木の砦」を木製の防柵と解した者と貧民が残留
残留のアテナイ人は神殿の管理者と貧民とで、彼らは門扉や材木でアクロポリスに防柵を施し、攻め寄せる敵を防ごうとした。
一つには財力がなかったためにサラミスへ避難できなかったためもあったが、さらにもう一つの理由は、デルポイの巫女がアテナイ人に下した「木の砦は不落なるべし」との託宣の真意を解き得たのは自分たちであると信じていたからであった。
自分たちの設けた防柵こそ神託の示した避難所であり、神託は船を指したものではないと考えていたのである。
アテナイのアクロポリス陥落
これらのペルシア兵がアクロポリスに登ってきたのを見たアテナイ人は、あるものは城壁から身を投げて死に、あるものは神殿内に逃避した。登攀してきたペルシア兵はまず縄文に向い門を開いた後、神の守護にすがったものたちを殺した。アテナイ人をことごとく斃した後、ペルシア兵は神殿を掠奪しアクロポリスの全面に火を放ったのである。
エレクテウスへの供儀をペイシストラトス一族に命じた理由
クセルクセスは自分に随っていたアテナイの亡命者(ペイシストラトス一族)を集め、アクロポリスに登り彼ら自身のしきたりに従って生贄をささげるように指示した。
アクロポリスには大地から生まれたと伝えられるエレクテウスの社があり、・・・
エレクテウスの社で供儀をすることを、ペイシストラトス一族に命じたということは、彼らがアテナイ僭主時代に、この供儀を行なっていたことを意味するだろう。
つまり、エレクテウスはポセイドンの子であるから、フェニキア系のアテナイ王家を祀っていたわけだ。
〔註〕普通の伝承ではエリクトニオスの孫、パンディオンの子とされる伝説上のアテナイ王。
しかしエリクトニオスとしばしば混同され、さらにポセイドンと同一視されることもあった。
大地から生まれたというのはエリクトニオス(この場合エレクテウスと同一)がポセイドンと大地の子であるという伝承に基づく。
〔註〕エレクテウス社(エレクテイオン)については、現存のものは四八〇年より以後の造営によるものであるから、その前身である。
ペイシストラトス一族支配のアテナイ建設で、造営された旧エレクテイオンであろう。
三、サラミス海戦
サラミスで戦う戦略の発案者は?ームネシピロス
テミストクレスが自分の船に帰着すると、ムネシピロスというアテナイ人が、協議の決定事項を訊ねた。
彼はテミストクレスから、艦隊を地峡に廻し、ペロポネソス前面で海戦を開くという決定がなされたことを聞くと、いうには、
「艦隊をサラミスから引き上げることともなれば、あなたとしてはもはや単一の祖国のために海戦を行なうことはできぬこととなりましょう。各部隊はそれぞれ自国へ向うことは必定で、それを留めて水軍の四散を防ぐことは、エウリュピアデスといわず何人にも不可能なことでありましょう。」
ムネシピロスのアイデアを盗むテミストクレス
こうしてテミストクレスは彼と膝を交えて自分がムネシピロスから聞いたところをそのままあたかも自分の意見のごとくに述べ、遂にエウリュピアデスを説き伏せ、船をおりて指揮官たちの会議を召集することに同意させた。
アテナイとコリントスのサラミスの是非論争
テミストクレスが右のように弁じていると、コリントス人アデイマントスは再び彼に喰ってかかり、祖国を喪ったものは黙っておれといい、されにエウリュピアデスに向って亡国の民であるものを決議に参加させる法はないと詰め寄った。
さてこの時はテミストクレスも、アデイマントスおよびコリントス人一般をさんざんに嘲罵し、自分たちに兵員を具えた二百の艦船のある限り、自分たちには彼ら同盟諸国よりも強大な国家と国土があるのだ、現にアテナイの攻撃を撃退しうる力のある国は、ギリシア中を探しても一国だにないではないか、と論証してみせたのである。
シドン船での御前会議
ペルシア艦隊の序列最上位シドンの王、次席テュロスの王
クセルクセスは水軍の将士たちと接触しその意見を知りたく思い、自ら船団を訊ねた。
クセルクセスが到着して最上席に坐ると、船団からは召しに応じて各国の独裁者と部隊長が参集し、王の定めた序列に従って座を占めた。
第一にはシドンの王、次にテュロスの王というふうに順次席についたのである。
マルドニオスが通訳
一同が席次に従って居並ぶと、クセルクセスは各人の真意を探ろうとして、マルドニオスを介し海戦を開く是非を質問した。
アルテミシア
そこでマルドニオスはシドンの王を手はじめに次々と質問を続けていったが、いずれも海戦を行なうべしとして同じ答えをした中に、アルテミシアは次のように答えた。
「マルドニオスよ、どうかこれから私の申すとおりを王にお伝え願いたい。」
つまりハリカルナッソスの僭主アルテミシアは、ペルシア語が話せなかった。
「水軍を温存し海戦はなさらぬように、ということでございます。」
女性差別の少ないペルシア人
一方アルテミシアが同盟諸国の中でも特に重んぜられていることを快く思わず、彼女に嫉妬心を抱いていたものたちは、・・・
ペルシア王は、ギリシア、とくにペリクレス時代のアテナイの市民よりはるかに、女性差別心が少なかったことがわかる。
ペロポネソス諸都市、クレオンブロトスの指揮下、長城建設
ペロポネソスの住民たちは、レオニダス麾下の部隊がテルモピュライで戦死したとの報に接すると、各都市から急遽地峡に集まりここに陣を布いた。
その指揮に当ったのはアナクサンドリデスの子クレオンブロトスで、彼はレオニダスの弟であった。
地峡に陣取ったペロポネソス人は、スケイロン街道を破壊し、ついで協議の末地峡を横断して長城を築くことになった。
国を挙げて地峡の防衛に馳せ参じたギリシア諸国は次のとおりである。スパルタ人にアルカディアの全兵力、エリス人、コリントス人、シキュオン人、エピダウロス人、プレイウス人、トロイゼン人、ヘルミオネ人らがそれで、いずれも危機に瀕したギリシアの運命を憂い来援したものであった。
それ以外のペロポネソス諸国は、オリュンピア、カルネイアの祭はすでに終っていたにもかかわらず、これに全く無関心であった。
アルカディア人
ペロポネソスには七つの種族が住む。
その内アルカディア人とキュヌリア人の二種族は土着民で、昔と同じ地域に今も住んでいる。
アカイア人
またその内の一つであるアカイア族は、ペロポネソス外に出たことはないが、固有の地を離れ他国に居住している。
〔註〕本来ペロポネソスの東部および南部に住んでいたが、侵入したドーリス人に追われ北海岸のアカイア地方に移った。
ただしペロプスの子孫だから、小アジアからの移民である。
ヘロドトスは、その昔の資料がない。
ドーリス人にとっての土着民ということ。
外来4種族
七種族の内残りの四種族は外来のもので、ドーリス人、アイトリア人、ドリュオペス人、レムノス人がこれである。
アイトリア人=エリス人
ドーリス人の住む町が数も多くよく知られてもいるが、
アリトリア人の住むのはエリス地方のみで、
テッサリアからエリス地方に進出し、後に対岸のアリトリア地方に進出した。
ドリュオペス人=ヘルミオネとアシネ
ドリュオペス人の町としてはヘルミオネ(ヘルミオン)と、ラコニア地方のカルダミュレと相対するアシネがあり、
〔註〕このアシネはアルゴリスの町ではなく、メッセニア湾をはさんで東岸のカルダミュレと相対する西岸のアシネである。
アルゴリスのアシネとメッセニアのアシネ、二つのアシネがある。
レムノス系(トリピュイア地方の住民)
パロレアタイ人は全部レムノス系の住民である。
〔註〕ペロポネソスの西海岸中部のトリピュリア地方に住んでいた種族(巻四、一四五および一四八)
キュヌリア人=イオニア系のオルネアイ人
キュヌリア人は土着民で唯一のイオニア系住民であると思われるが、長期にわたるアルゴス人の支配をうけてドーリス化されている。
いわゆるオルネアイ人でスパルタの周住民のごときものである。
〔註〕オルネアイはアルゴス西北方の町で、アルゴスの支配下に入った。そこでオルネアイ人というのは一般に従属民の意に用いられ、これはスパルタの周住民に相当する、と作者が注したものととる。
中立をとることによりペルシア側に与した町
さてこれらの七種族に属する町の内、先に列挙したもの以外は、中立の立場をとった。
もし忌憚なくいうことが許されるならば、彼らは中立を保つことによって、ペルシア側に与したというべきである。
後のアカイア連邦のアカイア人はこの中に入る。
ヘロドトスが最も高潔と評するアリステイデス登場
指揮官たちが論戦を戦わしているときに、リュシマコスの子アリステイデスがアイギナから海をやってきた。
彼はアテナイ人で国民によって陶片追放を受けた人であるが、
私が知る彼の人となりから判断するに、この人はアテナイで最も優れ、また最も高潔な人物であったと私は信じている。
テミストクレスは彼にとっては決して友好的な人物ではなく、むしろ最悪の敵であった。
サラミス海戦不可避で突入
ここにおいてギリシア軍は全艦船をもって外海に乗り出したが、それと同時にペルシア軍はただちに彼らに迫ってきた。
逃げ腰だったが、アテナイ人が先端を開く
そこでギリシアの艦隊は櫓を逆に漕いで船を陸に乗り上げようとしたが、ここにただ一人アテナイ人でパレネ区出身のアメイニアスなるものが、戦列を抜け前進し、敵艦一隻に突入した。
他の船もアメイニアスを救援にかけつけ、ここに戦闘が開かれた。
女の幻影の鼓舞激励
また次のようなことも伝わっている。
ひとりの女の姿がギリシア軍の眼前に現れ、まず
「腑甲斐ないものどもじゃ、そなたらはいつまで逆櫓を漕ぐつもりじゃ。」と罵った後、ギリシア全軍に聞えるほどの大声で鼓舞激励したという。
フェニキア部隊VSアテナイ、イオニア部隊VSスパルタ
アテナイ軍の正面に布陣していたのはペイライエウス側の西翼を受け持つフェニキア部隊で、スパルタ軍に対したのはペイライエウス側の東翼に当るイオニア部隊であった。
サモス人艦長テオメストルとピュラコス
私はここにギリシア船を捕獲した三段橈船の艦長の名多数を列挙することができるが、いまはともにサモスの出身であったアンドロダマスの子テオメストルと、ヒィスティアイオスの子ピュラコスの二人の名以外は挙げぬことにする。
とくに親ペルシアのイオニア人として、フェニキア系の可能性が高いサモス人が挙げられることに注意。
テオメストル、サモス独裁者にピュラコス、王の恩人(エウエルゲタイ)に
特にこの二人の名のみを挙げる理由は、
テオメストルがこの功によりペルシア人に擁立されてサモスの独裁者となり、
ピュラコスは王の恩人としてその名を記帳され莫大な領土を与えられたからである。
王の恩人(エウエルゲタイ)というのはペルシア語でオロサンガイという。
ギリシア軍、戦列整えて勝利
ギリシア軍が整然と戦列もみださず戦ったのに反し、ペルシア軍はすでに戦列も乱れ何一つ計画的に行動することができぬ状態であったから、この戦いの結果は、当然起こるべくして起こったのである。
アルテミシアの船、友軍のカリュンダの船に偽装突入
ただアルテミシアの身には次のようなことが起こり、・・・
アルテミシアの乗った船はアテナイの船の追撃を受けていた。
すなわちアテナイの船に追跡されたその船は、カリュンダの人とその王ダマシテュモス自ら乗り組んだ友軍の船に激しく突入していった。
〔註〕カリアの東部、ロドス島と相対するあたりにある町。
かりにヘレスポントス附近にあった当時、すでにアルテミシアとダマテュモスとの間になにか争いのあったことが事実としても、果たして彼女が故意にこの挙に出たものか、あるいはたまたまカリュンダの船が附近にいたのかは私にも判らない。
さて自分の船をカリュンダの船に突入させてこれを沈没させたアルテミシアは、幸運にもこれによって自分の身に二重の利益を挙げることになった。すなわちまずアテナイの船の艦長は、その船がペルシア軍の船に突入するのを見て、アルテミシアの船をギリシア船であるか、あるいはペルシア軍からの脱走船で、味方の応援にきたものと思い、方向を転じて他の艦船に向ったのである。
悪事でクセルクセスに評価
つまりアルテミシアは、第一には敵の手を脱れて破滅を免れることができ、第二には悪事を犯しながらそのためにかえってクセルクセスに対して大いに面目を施すことになった。
アルテミシアはさまざまの点で幸運に恵まれたが、ことにカリュンダの船の乗員が一人も助からず、アルテミシアの罪を咎めるものがなかったのは、彼女にとってまことに仕合せなことであった。
クセルクセスは一同の言葉に対して次のようにいったという。
「わが軍の男はみな女となり、女が男となったのじゃな」
フェニキア人に讒訴のイメージ(ヘロドトスの偏見)
船を失ったフェニキア部隊のあるものが、王の許へきてイオニア人を讒謗し、自分たちが船を失ったのはイオニア人のせいであり、彼らは裏切者であると訴えたのである。
この挿話が事実か否かは固有名詞を挙げていないので不確かである、かりにこの訴えは、アルテミシアのような例がある以上正当である。
サモトラケの船の投槍攻撃
フェニキア人たちが右のような訴えをしているさ中に、サモトラケの船がアテナイの船に突入した。
アテナイの船が沈没しようとしたとき、アイギナの船が急遽駈け付けて、サモトラケの船を撃沈した。
ところがサモトラケ人たちは投槍に長じていたので、沈みゆく船上から槍を投げて敵船の戦闘員を一掃し、その船に乗り移ってこれを占領してしまったのである。
サモトラケは、カベリロイ崇拝のメッカで、フェニキア人の建設都市である。イオニア人といっても最も功績を挙げたのはフェニキア系であった。
クセルクセスの不明
この事件がイオニア人を救うことになった。というのはサモトラケ人が見事な手柄を立てたのを見たクセルクセスは、
フェニキア人に向き直ると、自分自身臆病な振舞いをしながら、自分たちより勇敢なものたちを誹謗するようなことは許せぬといって、彼らの首を刎ねよと部下に命じた。
処罰すべきアルテミシアを処刑せず、忠実なフェニキア人を処刑させたクセルクセスは不明の暗君である。けだしシドンが後に反乱したのはこのような冷遇の積み重ねのせいであろう。
イオニア人贔屓のペルシア人側近が反フェニキア人活動
さらにこの時その場に居合わせたアリアラムネスというイオニア人贔屓のペルシア人も、このフェニキア人の受難事件には一役買ったのであった。
つまり、クセルクセスはイオニア人に賄賂で買収された奸臣の嘘の讒言に躍らされていたわけだ。
アイギナ人にも憎まれているテミストクレス
この時敵船を追っていたテミストクレスの船と、シドンの船に突撃したアイギナ人クリオスの子ポリュクリトスの船とが遭遇した。
[シドンの船を捕獲したポリュクリトスは、]大声でテミストクレスを非難し嘲罵した。
6分の一の兵力でアイギナがアテナイを圧倒の功績
この海戦でギリシア軍中最も名を揚げたのはアイギナ軍で、アテナイ軍がこれに続いた。
個人ではアイギナ人ポリュクリトス、アナギュルス区のエウメネスおよびアルテミシアを追撃したパレネ区出身のアメイニアスの二人であった。
アイギナが、30隻で参戦したのに対し、アテナイは180隻、6倍の船をもっても、アイギナ艦隊の功績に及ばなかった。
アテナイのピンチを、アイギナ船が自船を撃沈されながら救出に向かったこともあったので、アイギナの功績はアテナイびいきのヘロドトスとしても無視できなかった。
アルテミシア生捕りに賞金賭けたアテナイの「男尊女卑」
アメイニアスは、もし彼がその船にアルテミシアの搭乗していることを知っていたならば、彼女を捕らえるか自分が捕らえられるまでは、追跡を止めなかったろうと思われる。
アテナイ軍の単調たちにはそのような指令が出ていたからで、さらにアルテミシアを生捕りにしたものには、一万ドラクメの賞金まで賭けられていた。
アテナイ人としては、一女子の身でアテナイに兵を進めるということに憤懣を禁じえなかったのである。
アテナイがギリシア諸都市の中で随一の「男尊女卑」都市である。スパルタやフェニキア系の都市は、女性を重んじる。ペルシア人も概して人より女性を重んじる。フェニキア人は女性の地位がすこぶる高い。
アテナイ人の捏造したコリントス司令官アデイマントス逃亡の噂
アテナイ人の語るところによれば、コリントスの指揮官アデイマントスは、両艦隊が戦闘に入るとたちまち狼狽して極度の恐怖に襲われ、帆を揚げて逃走し、他のコリントス部隊も司令官の標識をつけた船の逃げるのを見て、同じく逃亡したという。
アテナイ以外はコリントス艦隊の功績を認める
コリントス部隊についてはこのような噂が、アテナイ人によっていいふらされているのであるが、コリントス人自身はそのような噂を否定し、自軍が海戦で第一の働きをしたと信じている。
そして他のギリシア諸国もその主張の正しいことを証言しているのである。
〔註〕この最後の添え書きによって、作者はこの話がアテナイ人の悪意から出た作り話であることを暗に示しているように思われる。古来から過度のアテナイ贔屓を非難された作者であるが、盲目的なアテナイ一辺倒ではなかったのである。
海戦が終って
破損船体の曳航
海戦が終わった後、ギリシア軍はなおその海域に漂流している破損した船体をサラミスに曳航し、新たな海戦に備えていた。
ヘロドトスの託宣好き(バキスやムサイオスの託宣)
船体の破片は大部分西風に流され、アッティカ地方のコリアスという浜辺に打ち上げられた。かくてこの海戦に関してバキスやムサイオスの告げた託宣がことごとく成就したのみならず、ここに打ち上げられた船の破片についても、アッティカの卜者リュシストラトスがこの事件より幾年も以前に託宣の形で述べ、アテナイ人たちがみな忘れてしまっていた次の言葉が実現したのである。「コリアスに住む女どもは船の橈にて料理をしようぞ」
四、クセルクセスの退却
ペルシアの飛脚制度アンガレイオン
このペルシアの飛脚より早く目的地に達しうるものはない。これはペルシア人独自の考案によるものである。全行程に要する日数と同じ数の馬と人員が各所に配置され、一日の行程に馬一頭、人員一人が割当てられているという。
この早馬の飛脚制度のことをペルシア語ではアンガレイオンという。
マルドニオス残留
マルドニオスは、ギリシアを征服するか華々しく戦死を遂げるのが望ましかろうと、ひそかに考えた。
このアルテミシアのお召しは不可解
クセルクセスはギリシア人の顧問官たちと協議しているとき、アルテミシアも呼んで評議に加わらせるのがよかろうと思いついた。
ハリカルナッソス近辺のペダサ出身の宦官ヘルモティモス
さてクセルクセスはアルテミシアを賞めた上、自分の子供たちを連れてヘペソスへ帰らせた。
クセルクセスは子供たちにその守役としてヘルモティモスという者をつけてやった。これはペダサ生まれの人間で、王側近の宦官の中で二位には下らぬ地位を占めていた男である。
[ペダサ人はハリカルナッソスの北方に住み、・・・]
つまりハリカルナッソスの近辺出身の宦官ヘルモティモスが、アルテミシアの手柄話とフェニキア人への讒言話など、クセルクセス近辺の話の出どころかもしれない。
復讐の鬼宦官ヘルモティモス
このヘルモティモスは、・・・すさまじい復讐を果し、昔の恨みをはらした男である。
パニオニオスというキオス人に買われたが、このパニオニオスというのが世にも非道な職業を営んで生計を立てている男であった。
つまり器量のよい男の子を買い入れるとこれを去勢し、サルディスやエペソスへ連れて行っては高値に売りさばいていたのであった。
テミストクレスのペルシアに亡命準備
「テミストクレスの命を受け、アテナイ人テミストクレスはあなたのお役に立ちたいとの念願から、貴国の艦隊を追撃し、ヘレスポントスの船橋を破壊船と望むギリシア軍を制止した、とお伝えするために参りました。」
テミストクレスは、自分は真逆の意見を述べながら、ペルシア王にうその貢献の手紙を書いて、将来ペルシアに亡命できるようにした。
暴力団テミストクレス、アテナイ帝国主義の走り
貧島アンドロスを包囲するテミストクレス
アンドロス島を占領しようとしてこれを包囲した。
その理由は島嶼の住民の中で、テミストクレスから金銭を要求されてこれを拒絶した最初の島民がこのアンドロス人であったからである。
カリュストス人やパロス人など島嶼から金まきあげる
テミストクレスはなおも私腹を肥やすことをやめず、・・・他の島々へも威嚇的な申し入れをし、金銭を要求した。
テミストクレスはこのような言辞を弄して、カリュストス人やパロス人らから多額の金を集めたのであるが、これらの住民はアンドロスがペルシア側に加担したために攻囲を受けたこと・・・
恐れをなして金を送付してきたのであった。
個人的に戦争利用して金巻き上げ
このようにテミストクレスはアンドロスを基地として他の指揮官には内密で島嶼民から金銭を巻き上げていた。
五、マルドニオスによるギリシア本土作戦
マケドニア王使って降伏勧告
マルドニオスはこれらの託宣の文言に目を通した後、マケドニア人、アミュンタスの子アレクサンドロスを使節としてアテナイへ派遣した。
彼を選んだ理由の一つは、彼とペルシア人との姻戚関係があったからである。
「そなたも今後はこのような提案をもってアテナイ人の前に現われてもらいたくない。」

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