著述 本69 トゥキュディデス『歴史』上 第5巻 アンピポリスの戦い/ニキアスの平和/メロス島

ギリシア
  1. 第5巻の概要
  2. 第1章 アンピポリスの戦い
    1. クレオンがトラキア遠征に出発
  3. クレオン、トロネ征服へ
  4. クレオン、アンピポリスへ
    1. クレオン、アンピポリスの港エイオンに基地
    2. クレオン、ペルディッカスに出動要請
  5. アンピポリスでの対峙
    1. ブラシダス、アルギロスの高台で待機
    2. クレオンも高地に待機
  6. ブラシダス、アンピポリス市へ
  7. アンピポリスの戦い
    1. ブラシダスの臨機応変の戦法の採用
    2. 物見のクレオン退去を指令
    3. ブラシダス隊の突撃
    4. アテナイ勢、左翼分断され逃走へ
    5. ブラシダス、アンピポリス市に運ばれてから臨終
  8. アンピポリス、ブラシダスを建国の祖へ
    1. アンピポリス市民、ブラシダスを半神として祀る
    2. ブラシダスを創立者に更新
    3. ニキアスの子ハグノンとは?
  9. 第2章 ニキアスの和平へ
  10. ニキアスの平和
    1. パウサニアスの子プレイストアナックス王とは?
    2. テバイはプラタイアを、アテナイはニサイアを保持
    3. 50年和平条約
    4. ラケダイモンの中心神域はアミュクライオン
  11. 年代の記録法
    1. ラケダイモンの督視官、アテナイの執政官で年を数える
    2. ニキアスの和平の年
    3. 重鎮の序列
    4. ペロポネソス戦争10年のちニキアスの和約
  12. 第3章 トゥキュディデス 下巻/コリントス市が再び戦争へ
  13. 平和の維持期間
    1. コリントス市と数都市が動揺を引き起こす
    2. 6年は和約を保つ
  14. コリントスが戦争再開の種をまく
    1. コリントスーアルゴス秘密会談
      1. コリントス使節団の講和会議の帰途のアルゴス訪問
      2. コリントス使節団がアルゴスと秘密会談
    2. アルゴス、第三勢力同盟結成へ
      1. マンティネイアが参加
      2. エリスが参加
  15. アテナイ帝国主義続行!
    1. アテナイのスキオネ陥落とプラタイア人植民
  16. コリントス孤立へ
    1. テゲアが同盟拒否でコリントスおよび腰
    2. コリントス、ボイオティア仲介でアテナイとの旬期条約締結図る
    3. コリントス孤立
  17. アテナイ帝国主義続行ーケルキュラ戦線
    1. メッセニア人をケパレニア島に入植
  18. ラケダイモンの主戦派とコリントスーボイオティア同盟模索
    1. ラケダイモンのタカ派督視官クレオブロスとクセンネレス
    2. ボイオティアとコリントス使節団帰路へ
    3. アルゴスの高官と合流会談
    4. ボイオティア、ラケダイモンとアルゴス両者のと同盟に乗気
    5. 連絡不十分で同盟の空中分解
  19. 第4章 アテナイのタカ派アルキビアデス登場
    1. アルキビアデス、アルゴス同盟へ食指
    2. アテナイ、アルゴス勢と同盟
  20. ヘラクレイア攻撃受ける
    1. マリス、テッサリアなどからヘラクレイア攻撃を受ける
  21. 第十二年目終了
  22. ボイオティアがヘラクレイアを救援
    1. ボイオティアがヘラクレイアを引き継ぐ
  23. エピダウロス戦線ーエピダウロスVSアルゴス
    1. アルキビアデスの陰謀
    2. アルゴス、エピダウロスを焼き討ち
    3. ラケダイモン王アギス、レウクトラで足踏み
  24. 第十三年目終り
  25. 第5章 アテーナイシンパのアギス王登場
  26. アギス王登場!弱腰継承か?で「家取り壊し」
    1. ラケダイモン、エピダウロス救援に出撃
    2. アギス、優勢に関わらず軍を引く
    3. ラケダイモンの主戦派、アギスを批判
    4. アギスの家を取り壊し
  27. マンティネイアの戦い(前418年)
    1. 発端はテゲアの救援要請
    2. アギス王、マンティネイアに出征、ヘラクレス神殿に宿陣
    3. ラケダイモン勢の戦列
    4. 木笛隊に合わせて前進するラケダイモン人
    5. 右半身を守るため右翼が右へ寄る傾向
    6. アギスの三百騎隊の活躍
    7. プレイストアナックス援軍引き返し
    8. アルゴス降伏ラケダイモンと条約
  28. アルゴス公民派の暗躍
  29. 第十五年目
  30. 第6章 メロス島征服ーアテナイ帝国主義の典型
    1. メロス島
    2. クレオメデスとテイシアス
    3. アテナイ使節団とメロス委員団の応酬
    4. アテナイ帝国「弱肉強食」こそ正義
    5. 支配権の終焉を恐れない
    6. メロス無条件降伏
    7. メロス人殲滅アテナイ人植民

第5巻の概要

①アンピポリスの戦い
②ニキアスの平和
③コリントスの揺動で再び開戦
④アルキビアデス登場
⑤メロス島征服ーアテーナイ帝国主義

第1章 アンピポリスの戦い

クレオンがトラキア遠征に出発

休戦条約の期間が切れると、クレオンはアテナイ人にトラキア地方出兵を説得して、
アテナイ重装兵千二百にアテナイ騎兵三百、それに同盟軍諸兵を加え、三十隻の軍船をもって出発した。p417

クレオン、トロネ征服へ

トロネ市からあまり離れていないトロネ領のコポス港に入港した。
ブラシダスがトロネにおらず、・・・やがてクレオンはトロネ市を囲む市壁に到着した。・・・トロネ市に着いて、それを占領してしまった。p417-418

まずクレオンは、アテーナイ海軍を率いて、カルキディケ半島の真ん中のシトニア半島の先端の都市トロネを陥落させた。
これは留守狙いなのでたいしたことはない。しかし、留守狙いという効率がよく、兵士が安全な方法を取ることこそクレオンの優秀性である。

クレオン、アンピポリスへ

クレオン、アンピポリスの港エイオンに基地

一方クレオンはトロネから出航し、アンピポリスに周航して以来、エイオンを基地としてアンドロスの植民都市であるスタギロス市に攻撃をかけたが、それを落せず、タソスの植民都市ガレプソス市を強襲してこれを獲得した。p420

アンピポリス市の近くのスタギロスは、アンドロス人の植民地で、共に、ブラシダス勢となっていた。
クレオンは、落とせなかった。

クレオン、ペルディッカスに出動要請

さらにペルディッカスの使節を送って、条約に基づいて、彼とその軍勢の出動を求め、・・・
クレオン自身はエイオンに留まって待機した。p421

ペルディッカスに救援要請するところ容易周到。

アンピポリスでの対峙

ブラシダス、アルギロスの高台で待機

これを知ったブラシダスは、自らこの動きに対峙してケルデュリオンに待機した、
この地はアルギロスの一部で、ストリュモン河に面した高台にあって、アンピポリスから近いために、クレオン一隊の動きはブラシダスの観察を逃れられなかった。p421

アルギロスは、アンピポリスから西のカルキディケ半島方面の土地である。
ブラシダスは、ストリュモン河西岸の高台に待機した。
ブラシダスが展望を取ったアルギロスは、アンピポリス市より西の高台にある都市である。
アンピポリス攻防戦は、ブラシダスがアンピポリスとカルキディケ半島の中間の丘に待機した状態で始まった。

クレオンも高地に待機

そこでアンピポリスに面した高地にクレオンはやって来ると、そこに手勢を配置して、自分自身はストリュモン河の沼湖やアンピポリス市のトラキア側の情況を観察した。p422

クレオンは、アンピポリスの港エイオンを基地に、ストリュモン河の東岸の高台にやって来た。
クレオンは、アンピポリスを挟んで、東の丘に待機した。

ブラシダス、アンピポリス市へ

一方、ブラシダスはアテナイ勢の動きを察知するとただちに、自らケルデュリオンを降り、アンピポリス市にやって来た。p422

電光石火、ブラシダスが、アンピポリスに移動

アンピポリスの戦い

ブラシダスの臨機応変の戦法の採用

「正面から隊列を布いて正攻法で襲撃することなく、現状に即して臨機応変の戦法を用いる者こそ、勝利を得る公算が大きい。」p423

これはラケダイモーンの戦法(伝統的なファランクス)ではなく、後のハンニバルのゲリラ戦法である。

物見のクレオン退去を指令

クレオンは高地に上って状況を見たが、援軍の来る前には交戦を望まなかった上に、早急に退去ができるとも判断したので、後退の合図を上げるように指示するとともに、左翼の方角へ移動している隊にエイオンに退去するように命じた。p425

そしてまだ時間に余裕があると考えたクレオン自身は、右翼も方向転換させて、兵士の無防備な右半分を敵にさらしたままで後退を始めた。p425

ブラシダス隊の突撃

さてアテナイ軍のこの動きを好機と見たブラシダスは、自分の麾下と他の諸隊に・・防柵の門を越え、当時あった長壁の第一門を通ってまっすぐの道を全力をあげて駆け出した。p425

これと同時にクレアリダスは、命じられた通りに、手勢を伴ってトラキア門から出撃し、アテナイ勢を攻めたてた。p425

ブラシダスの先手を取った奇襲にあわてふためくアテーナイ勢。

アテナイ勢、左翼分断され逃走へ

この結果、突然両側面から思わぬ攻撃を受けたアテナイ勢は、たちまち混乱に陥り、エイオンに向っていた左翼はすでに移動していたので、すぐに主力から切り離されて敗走した。
そこで、ブラシダスは退却するアテナイ勢の右翼に向って前進する途上で負傷したが、アテナイ勢は、彼が倒れたのにも気がつかなかった。p425-426

戦闘中に、ブラシダスも斃れる。

ブラシダス、アンピポリス市に運ばれてから臨終

ブラシダスは近くにいた者に助けられ、後方に運ばれた。
一方、ブラシダスを助け出した者たちは戦場を離れて、ブラシダスがまだ息のあるうちにアンピポリス市内まで彼を運んだ。
しかしブラシダスは、麾下の兵が勝ちつつあるという報を耳にしてから間もなく、息を引きとった。p426

アンピポリス市の同胞に看取られて、ブラシダス死亡

アンピポリス、ブラシダスを建国の祖へ

アンピポリス市民、ブラシダスを半神として祀る

この後、武具をつけて正装した同盟軍全員は、公費でブラシダスを市内の、今では市場になっているところの前に埋葬した。
アンピポリス人はこの墓の周りを囲い、ブラシダスを英雄として生贄を捧げ、競技礼や年ごとの犠牲式をそれ以来営んでいる。p426

ブラシダスを創立者に更新

また、彼らはブラシダスをアンピポリス市の創立者と決め、ハグノンの建築にかかるものを破壊し、ハグノンがアンピポリスの創立者であるとする記憶を残すようなものを一切取った。p426

都市の創立者や名祖の更新の一端がかいまみえる挿話である。
ハグノンは、アンピポリスにアテーナー神殿とか作っていたようだが、取り壊されたかはわからない。
しかし、アテーナイ帝国主義とハグノンの治世に強い反感を抱いていたことは確かである。
今も、ブラシダスの銀の納骨堂は、アンピポリスにある。

ニキアスの子ハグノンとは?

〔註〕ハグノンがアンピポリスを創立したのはこれより十五年前のことである。第四巻102章三節。

ニキアスの子ハグノン。ただし有名なペロポネソス戦争の将軍ニキアスとは別人
世代的には、サモス戦争前440年)から活躍し、
前437年に、エンネア・ホドイ(九路)新市を建設アンピポリスと名付けた。
前430年ペリクレスから引き継いでポテイダイア包囲をし、
前421年ニキアスの和約で、条約宣誓者の一人となった。
つまりニキアスほぼ同世代と推定される。
一方、有名なニキアスは、(前470から前413年)に生存し、
アテナイの貴族派の領袖ラウリオン銀山の莫大な富を相続していた。
ハト派の聡明な将軍。シケリア遠征で、デモステネスとともに処刑される。

第2章 ニキアスの和平へ

アンピポリス戦とランピアスのテッサリア撤退の直後に、双方とももはや戦いから手を引く状態が出現し、両陣営ともに和平を求める意見を持つにいたった。p428

ニキアスの平和

パウサニアスの子プレイストアナックス王とは?

アッティカ領からプレイストアナックスがスパルタの軍勢を引き揚げたのは収賄によるものであるという非難から、リュカイオンにプレイストアナックスが亡命者として逃れて、ラケダイモン人を恐れて住家の半分を主神ゼウスの神殿にして住んでいたが、時経て追放後十九年目に、ラケダイモン人を説得して、ラケダイモンが最初の王を設けた時と同様な踊りと犠牲をもって自らを王位に復位させたというのである。p430

プレイストアナックスは、ペロポネソス戦争当時の王家クレオンブロトスの子パウサニアスの子であり、和平的であり、戦争に不熱心である。
前446年アッティカ侵攻の折、すぐに和平して引き揚げた。(ペロポンネーソス戦争勃発10年前)。
父パウサニアス督視官たちに殺されたらしいので、彼も警戒したのだろう。
隣国アルカディアのリュカイオンゼウスの神域のある都市)に遁れて、すぐに哀訴者になれるように家の半分を神殿にしたわけだ。
19年後にスパルタ王に復帰した。

〔註〕リュカイオンはアルカディアでラコニアに接した地点にある。
メガロポリスの平地の西端にある。

テバイはプラタイアを、アテナイはニサイアを保持

双方ともに戦いで獲得したものは返還する条件で和平条約を結んだ。
ただしアッティカがニサイアを保持したのは、テバイ人がプラタイアは武力でテバイに降ったのではなく、両者の合意の結果であったとして、プラタイアのアテナイ返還を拒否したので、アテナイ側もそれならばニサイアの場合がそれと同じであるとしたからであった。p431

原則は、ペロポンネーソス戦争以前に復旧
ただし自発的併合がこのかぎりではない
しかし、テーバイは、プラタイアをアテーナイは、ニサイアを返還しなかった。

50年和平条約

「本条約はその有効期限を五十年とし、アテナイおよびその同盟諸都市と、ラケダイモンおよびその同盟諸都市の間に締結されたるものにして、・・・」p431

ラケダイモンの中心神域はアミュクライオン

「この誓約は各年、双方により確認更新されるべきこと。
この条文の石碑をオリュンピア、ピュティア、「地峡」、アテナイのアクロポリス、およびラケダイモンのアミュクライオンの神域に建立すべきこと。p433

ラケダイモーンの中心神域は、古王朝の神域アミュイライオンというのは注目に値する。
これは、古典時代は、アポロン・アミュクライオスというように、アポローン神となっているが、もともとは、ヘーリオスであっただろう。
祀っていたのは古王ヒュアキントスなど、プロト・カルタゴ人×テーバイ帝室の王統であっただろう。
生え抜きの王朝が、テーバイ帝室になかば占領されたので、アミュクライオスは、ヘーリオスからヒュアキントスになったのかもしれない。

ヘーラクレイダイの時代になって、アレースやディオスクロイ中心神格となった。
いずれにせよ、古王ヒュアキントス、すなわち人間の先祖を神として、半神として、祀る習慣がある。

年代の記録法

ラケダイモンの督視官、アテナイの執政官で年を数える

ラケダイモンにおいてはプレイストラスが督視官の年、アルテミシオス月第二十七日とし、アテナイにおいてはアルカイオスが執政官の年、エラペボリオン月第二十五日とする。p433

ラケダイモーンも年は、筆頭監督官によって呼ばれる!
それは筆頭監督官が、毎年交代するからであろう。
この時の筆頭監督官は、プレイストラスである。勃発時のステネライダス同様、タカ派であろう。

ニキアスの和平の年

前四二一年四月十一日頃とされている。

ニキアスの和平の年代は、前421年
前435年のエピダムノスの内乱から、24年、前431年のプラタイア侵入から、ちょうど20年

重鎮の序列

ラケダイモン側、プレイストアナックス、アギス、プレイストラス、・・・
アテナイ側、ランポンイストミオニコス、ニキアス、・・・ハグノン、・・・デモステネス。」p433-434

ラケダイモンは、二王、続いて筆頭督視官、督視官たちと続く。
アテナイは、おそらく年功序列。
ラケダイモーンは、プレイストアナックス、アギスの両王が筆頭筆頭監督官プレイストラスは第三位。
アテーナイは、第二位がニキアス末席がデモステネス。デモステネスがいかに弱い立場だったかわかる。

ペロポネソス戦争10年のちニキアスの和約

それはアッティカ領への第一回侵犯と戦争開始以来より十年目に数日程過ぎた時であった。p434

第3章 トゥキュディデス 下巻/コリントス市が再び戦争へ

平和の維持期間

コリントス市と数都市が動揺を引き起こす

この条約を承認した諸都市は平和を保ったが、コリントスとペロポネソスの数都市は事態を動揺させ、同盟諸都市との間に新しい問題をラケダイモンに対し提起したのであった。p9

6年は和約を保つ

しかしともかく、両都市は六年と十か月の間は双方の領土に直接的に敵対行動をとることは避けていた。p9

戦争再開は、コリントスから。

コリントスが戦争再開の種をまく

コリントスーアルゴス秘密会談

コリントス使節団の講和会議の帰途のアルゴス訪問

五十年講和とその後の同盟が成立すると、このために招集されていたペロポネソス各地からの使節団はラケダイモンを去った。
そして他の者たちも帰路についたが、コリントス使節団はアルゴスに寄り、まずアルゴスの執政者たち数人を会合を開いた。p11

コリントス使節団がアルゴスと秘密会談

アルゴスはペロポネソスを救済するために、ヘラスの希望都市をそれぞれが自主権を持ち、対等の資格を保持したまま、アルゴスとの同盟都市として相互防衛条約を結ぶべきであるとした。
コリントス使節団はアルゴスにこのような提案をすると帰国した。p11

ラケダイモーンと不仲のアルゴスに、同じく不仲のコリントスが、第三勢力として同盟することを提案。これら三国は、ヘーラクレイダイの強国であり、兄弟ゲンカのようなものである。

アルゴス、第三勢力同盟結成へ

コリントス使節団からこの話を聞いたアルゴス人は、問題をアルゴス政府と国民の前に連絡した。
そこでアルゴスは十二名の者を投票で選出し、この者たちによってアテナイとラケダイモンを除くヘラスの希望都市と同盟条約が成立するようにし、またアテナイおよびラケダイモンに関するアルゴスとの同盟は、アルゴス国会の承認を経なければならないとした。p11

アルゴスは、コリントスや他の希望国と、ラケダイモーンを除外したペロポンネーソス同盟を結ぶことを裁決した。

マンティネイアが参加

まず最初にマンティネイアとその盟邦がラケダイモンに対する恐怖からアルゴスと手を結んだ。
このわけは、対アテナイ戦の機に乗じて、アルカディアの一部をマンティネイアがその属領にしてしまっていたので、世の中が落ち着けば、ラケダイモン人がマンティネイアのこの支配を容認しておくはずはないと考えたからである。p12

次いで、マンティネイアが参加。

エリスが参加

この直後、エリス人の使節団がコリントスにやって来て、まずコリントスと同盟を結んだ。その後彼らはこの地からアルゴスに来ると、アルゴスとも指示通りに同盟都市となった。p14

エーリスも、コリントスとアルゴスと同盟

アテナイ帝国主義続行!

アテナイのスキオネ陥落とプラタイア人植民

この夏の同じ頃、アテナイはスキオネを陥落させ、壮者を殺戮し、婦女子を奴隷に売り、その地をプラタイア人に居住地として与えた。p15

スキオネは、カルキディケの三つ手の一番西のパレネ半島にある都市。
ブラシダスが保護し、クレオンによって奪還されていたが、ニキアスの和約で解放されていたところを、アテナイが条約無視で、陥落させた。
アテナイ帝国主義の悪業きわまれり
トラキア人の混血アテナイ人トゥキュディデスも、スキオネに同情的であったようだ。

コリントス孤立へ

テゲアが同盟拒否でコリントスおよび腰

ところがテゲア人がラケダイモン人に対しては一切の敵対行為を避けると言明すると、コリントス人はそれまで持っていた熱も急に冷め、残りの都市はもうどれも彼らに味方しないのではないかという恐怖に襲われた。p16

テゲア人が、ラケダイモーンに臣従を続行すると宣言した。
これは、テゲアアテーナイ・シンパで、ラケダイモーンの王が和平派であるからであろう。

コリントス、ボイオティア仲介でアテナイとの旬期条約締結図る

彼らはボイオティアに赴き、アルゴスや自分たちと手を結び、かつ他の方面でも協調するように強要した。
またコリントスは、ボイオティアがコリントス人を伴ってアテナイに行き、アテナイとボイオティアとが五十年同盟条約の直後に結んだ旬期条約と同じ条約をコリントスもアテナイと締結できるように申し入れ、アテナイがそれを拒否した場合は、ボイオティアはアテナイとの旬期条約を破棄し、今後はコリントス抜きでは一切の条約を締結しないようにと要望した。p16

おそれをいだいたコリントスは、ボイオーティアを仲間にいれて、アテーナイとも同盟しようとした。

コリントス孤立

ボイオティア人は、・・・アテナイにコリントス人を同行した。
アテナイ人は、コリントス人との旬期条約の締結を拒否した。
しかも、コリントス人の要望と前約の履行要請にもかかわらず、ボイオティアはアテナイとの旬期条約を放棄しなかった。
かくしてコリントスはアテナイに対して、条約締結のない事実上の停戦国となった。p16

ボイオーティアは仲介の労はとったが、アテーナイは、コリントスとの条約を拒否した。
ニキアスら和平派が権力を握っていたからだろう。
コリントス孤立する。

アテナイ帝国主義続行ーケルキュラ戦線

メッセニア人をケパレニア島に入植

アテナイはピュロスからメッセニア人および農奴、それにラコニア逃亡者を引き揚げることに同意した。
そしてこれらの者をアテナイはケパレニアに入植させた。p19

ケパレニア島は、イオニア諸島の3つ島の真ん中
ザキュントス、ケパレニア、レウカスの一つ。オデュセウスの本拠
ピュロスは、ラケダイモン側に返還され、アテナイは3つ島とケルキュラという島嶼を押さえる

ケパレニア島は、オデュセウスの時代フェニキア系の島であったが、この時から、アカイア人がオデュッセウスを追放してから、イオニア三島すべてが、アカイア人の島になった。アカイア人とアテーナイ人は蜜月。ゆえに、メッセニア人を植民し、メッセニア人の島となった。

ラケダイモンの主戦派とコリントスーボイオティア同盟模索

ラケダイモンのタカ派督視官クレオブロスとクセンネレス

督視官の間でもっとも強い反条約派であったクレオブロスとクセネレスは、非公式にボイオティアとコリントス代表団と会談し、
ボイオティアがまずアルゴスと同盟を結んでから、アルゴスがボイオティアと共にラケダイモンの同盟国になるように交渉した。p19-20

ラケダイモーンの監督官はタカ派の領袖が、クレオブロスとクセネレス
蜜月のボイオーティア連盟を説得し、ボイオーティアがまずアルゴスと同盟を結んでから、アルゴスがボイオーティアと共にラケダイモンの同盟国になるように交渉した。

ボイオティアとコリントス使節団帰路へ

こうしてクセナレスやクレオブロスおよびラケダイモンの友人たちから本国政府に報告するようにと、以上のような指示を受けたボイオティアおよびコリントス使節団はそれぞれ帰路についた。p20

アルゴスの高官と合流会談

ところがその帰路にはアルゴスの二人の高官が待っていた、両者は会うと会談が開かれた。
そしてボイオティアはコリントス、エリスおよびマンティネイアと行動を共にしてアルゴスと同盟を結べるかどうか話合いが行われた。p20

ボイオーティアコリントス、エリスおよびマンティネイアと行動を共にしてアルゴスと同盟を結べるかどうか話合いを持った。

ボイオティア、ラケダイモンとアルゴス両者のと同盟に乗気

ボイオティア使節団がこれを聞いて喜んだのは、たまたまボイオティアと友好関係にあるラケダイモンから指令されていた内容と同じことを、アルゴス高官から要請されたからであった。
ボイオティアに帰った使節団がボイオティア連邦長官たちにラケダイモンからの要請とアルゴス人との会合の内容を報告すると、連邦長官たちは満足するとともに大いにこの案に乗気になった。p20

ボイオーティアは、ラケダイモーンのタカ派の領袖からの打信とおなじことを第三勢力からも要請されたことで、ぶれないボイオーティア連盟(テーバイ)は、汎ヘーラクレイダイ主義をつらぬけることであるから喜んだ。

連絡不十分で同盟の空中分解

この誓約を取り交わす前に、ボイオティア連盟長官は政治の全権を握っているボイオティア四老会議にこの問題を提出した。
ボイオティア四老会議はこの要請を拒否した。
その理由は、ラケダイモンから離反したコリントスと誓約と取り交わして、ラケダイモンの敵になることを恐れたからである。
つまり、四老会議にボイオティア連盟長官たちは、ラケダイモンの督視官クレオブロスとクセナレスおよびラケダイモンの同志が、ボイオティアはまずアルゴスとコリントスとに同盟を結んでおいて、その後、ラケダイモンと同盟を締結するように進言してきた事実を連絡しなかったからであった。p21-22

ボイオーティアの四老会議が、これを拒否した。
ラケダイモーンのタカ派の領袖の暗黙のお墨付きに触れることを失念したからだ。

第4章 アテナイのタカ派アルキビアデス登場

ラケダイモン人はアテナイ人に対してこのような食い違い点を示してきたので、アテナイ人の中でも反同盟条約派がすぐに台頭した。
それらの者の中で誰にもまして強い意見をもっていたのはクレイニアスの子アルキビアデスであった。p26

アテーナイでも反和平条約派が台頭。タカ派のペリクエスの後継をめざすアルキビアデスである。

アルキビアデス、アルゴス同盟へ食指

アルキビアデスはアルゴスと手を結んだほうが良いと判断していたが、この反同盟条約の意見は何にもまして彼の名誉欲のなせる業であった。p26

アルゴスと同盟して、ラケダイモーンに挑戦を試みる。

アテナイ、アルゴス勢と同盟

アルキビアデスの先導で、早速下記のような条件で彼らと講和と同盟を結んだ。「本講和条約は、アテナイ、アルゴス、マンティネイア、エリス間に当事国およびその属国のために百年の期限をもって締結されたるものにして、・・・」p30

アテーナイ、アルゴスと同盟結ぶ。

ヘラクレイア攻撃受ける

マリス、テッサリアなどからヘラクレイア攻撃を受ける

冬になると、トラキア地方のヘラクレイアに対して、アイニア、ドロピア、マリスおよびテッサリアの数都市が攻撃を加えた。
これらのヘラクレイアに隣接している都市は、ヘラクレイアがとくにこの地を選んで防壁を築いたことに対し敵意をもっていたのである。
ヘラクレイアの指導者であったラケダイモン人クニディスの子クセナレスを殺し、他に多くの死者を出した。p35-36

周りのテッサリア人都市が、ヘラクレイアを襲撃して、ラケダイモーン人の都市建設者の一人クセナレスを殺す。

第十二年目終了

今次大戦第十二年目は終った。p36

ボイオティアがヘラクレイアを救援

ボイオティアがヘラクレイアを引き継ぐ

夏になると同時に、ヘラクレイアは前述の戦いでひどく痛めつけれてしまったので、ボイオティアがこの地の責任を引き受け、ラケダイモン人アゲシッピダスを失政者として送還した。
ボイオティアがヘラクレイアを引き継いだのは、ラケダイモンがペロポネソス内の紛争に取り紛れているうちにアテナイにそれが取られてしまうことを恐れたからであった。
しかし、ボイオティアがラケダイモンの怒りをかったことはもちろんである。p36

テーバイ人もヘーラクレースの末裔であることは間違いない。
というかテーバイ人こそヘーラクレースという神を作った人々であろう。
彼らがヘラクレイアを引き受けたのはもっともである。
不倶戴天のアテーナイからボイオーティアを防衛するために水面下内乱状態のラケダイモーンに頼っておれない。テーバイ人はかくれ強軍である。
そもそもラケダイモーンは、王は厭戦的で、監督官も弱力で、アテーナイからの帝国主義侵略を防ぐ正義の味方にボイオーティア連盟(テーバイが盟主)がなるしかなかった。

エピダウロス戦線ーエピダウロスVSアルゴス

アルキビアデスの陰謀

同じ夏にエピダウロスとアルゴス間にも戦争があった。
できればアルゴスとアルキビアデスが共同してエピダウロスを取っておいて、・・・p36-37

アテーナイのタカ派アルキビアデスが、アルゴスと同盟して、ラケダイモーン支配下のペロポンネーソス陣営の都市エピダウロスを襲撃する。

アルゴス、エピダウロスを焼き討ち

(その翌月はドリス族が聖月とするカルネイオス月であった)
しかしアルゴス勢は、ラケダイモンが引き揚げると、カルネイオス月まであと四日という時になって出兵し、エピダウロスに入り、それを焼いた。p37

アルゴスとアテーナイエピダウロスを焼き討ち

ラケダイモン王アギス、レウクトラで足踏み

ちょうどこれと同じ頃、ラケダイモン人はその総力をあげて、リュカイオン山に面した国境にあるレウクトラに出兵した。ラケダイモンの王アギスが指揮をとっていた。
しかし国境越えのための犠牲式に不吉と出たので、ラケダイモン勢自体は帰国し、同盟諸勢には将来の再出兵に備えるように通告した。p37

(その翌月はドリス族が聖月とするカルネイオス月であった)
しかしアルゴス勢は、ラケダイモンが引き揚げると、カルネイオス月まであと四日という時になって出兵し、エピダウロスに入り、それを焼いた。p37

第十三年目終り

こうして冬は終り、戦争の十三年目は過ぎた。p37

第5章 アテーナイシンパのアギス王登場

アギス王登場!弱腰継承か?で「家取り壊し」

ペロポネソス戦争期のアギス王とは、アギス二世である。
エウリュポン朝の王で、アギス三世は、革命遂行で失敗し、その遺志はアギス朝の最期の王クレオメネス三世が引き継いだ王である。

アギス二世の父アルキダモス二世こそ、ペロポネソス戦争勃発時の王で、弱腰のハト派の王であった。
アギス二世も父同様弱腰として登場する。
ラケダイモンを勝利に導いた立役者の一人(ブラシダス、リュサンドロスと並び)となり、アテナイに勝って三十人僭主を送り、エリス討伐戦の凱旋途上で病死し、名誉をたたえられ壮麗な葬儀を受けた。

ラケダイモン、エピダウロス救援に出撃

次の夏の半ば頃になって、ラケダイモン側は、同盟都市エピダウロスの苦境を見、・・・ラケダイモン王、アルキダモスの子アギスを指揮官として、農奴も含めた全兵力でアルゴスに出撃した。p39

アギス、優勢に関わらず軍を引く

またアギスも個人的にこの交渉を受けると、この問題に関して全体の意を問わずに、上層部の一人と相談しただけで、アルゴスと四ヵ月の休戦協定を結び、・・・軍を引揚げた。p42

アギス王アルカディアのレウクトラに出征するも、例によって、早々に引き上げる。

ラケダイモンの主戦派、アギスを批判

彼らの間にアギスを非難する声が高まった。彼らはアルゴス勢を攻撃する絶好機にあったとして、歩兵と騎兵でアルゴス勢を完全に包囲していたにもかかわらず、これだけの準備にふさわしいことを何もせずに引揚げたと言った。p42

アギスの家を取り壊し

そしてオルコメノス陥落の報が伝わるや、人々の怒りはますます募って、その激情のままに人々は前例を破ってアギスの家を壊し、十万ドラクマの罰金をアギスに課そうとした。p44

この「アギスの家取り壊し事件」はいろんなことを教えてくれる。
まずラケダイモーン王は、質素な「一般人の家」に住んでいたということ。
これはラコニアがやせ地のため、王族がヘイロータイを含む全国民と苦楽を共にしていたことである。

もう一つは、アギスも代々のアギス朝のクレオンブロトス系の王と同じく、エウリュポン朝のレオテュキデスの子孫の弱腰の王として登場した。
なしにろレオテュキデスの孫で、ペロポンネーソス戦争勃発時のアルキダモス二世の子であるから。
しかし、エウリュポン朝の王でありながら、アギス朝の祖、アギス一世の名を受け継いだ彼は、名は体を表すということか、ペロポンネーソス戦争を戦う勇敢な王として成長する。
アギスの名は、アギス一世のみが、アギス朝で、二世から四世までは、エウリュポン朝である。

マンティネイアの戦い(前418年)

マンティネイアの戦い(全418年)は、ニキアスの和平(前421年)から三年後の前418年に、ラケダイモーン王エウリュポン朝のアギス王率いるスパルタ軍とアルゴス・アテナイ連合軍が戦った戦い

より有名な「マンティネイアの戦い」は、前362年に、エパミノンダス率いるボイオーティア連合軍とスパルタ・アテナイ・マンティネイア軍が戦った戦いで、エパミノンダスが戦死した戦いである。

発端はテゲアの救援要請

こうしている機に、テゲアにいるラケダイモン派から連絡があって、ラケダイモン勢が早急に出兵しない限り、テゲアはラケダイモン側から離れて、アルゴスとその同盟諸国側に、いつでも参加するであろうと知らせてきた。p44

テゲアの野郎は基本裏切り者。

アギス王、マンティネイアに出征、ヘラクレス神殿に宿陣

ラケダイモン側は、コリントス、ボイオティア、ポキス、ロクリスにも連絡して、急遽マンティネイアに来援を要請したのであった。
ラケダイモン勢は到着していたアルカディア同盟軍と共にマンティネイア攻撃に移り、ヘラクレス神殿に宿陣し、土地を荒した。p45

ラケダイモーン軍、ヘーラクレース神殿に宿陣

ラケダイモン勢の戦列

この戦いでは戦列の左翼はスキリティス勢が占めた。ラケダイモン軍の戦列ではスキリティス人がいつもこの翼を自分だけで守ることになっているのである。
彼らの次には、かつてブラシダスと共にいたトラキア地方からの部隊が新市民兵と並んで戦列につき、
これについでラケダイモン勢が各部隊ごとに並んだ。
ラケダイモン勢の横にはアルカディアのヘライア隊が並び、これにつづいてマイナロス勢が立ち、そして右翼はテゲア勢が占めて、
さらに少数のラケダイモン部隊が最右翼の翼端を守った。p47

〔註〕スキリティス人はラコニア地域の北辺にあるスキリティス地帯の先住民である。

木笛隊に合わせて前進するラケダイモン人

アルゴスとその同盟諸勢が気勢をあげて無闇に前進して来るのに対して、
ラケダイモン勢は、行動を共にしている木笛隊の音にあわせて、落ち着いて前進した。p49

右半身を守るため右翼が右へ寄る傾向

両軍が接触する寸前になって、アギス王は次のような動きを決めた。
つまりどんな戦列でも起こることなのであるが、敵と接触するために戦列を前進させると、戦列の右翼がさらに右に寄ってしまう傾向があって、両戦列とも敵の左翼を自軍の右翼で取り巻く形になってしまう。
この原因は無防備の右半身を隣の兵士の盾でできるだけ守ろうとする気持ちからでるもので、きっちりと自分の右隣りに接していれば少しでも危険は防げると考えるからである。p49-50

ファランクスの弱点は、右翼が、自分の半身を覆ってくれる兵がいないため右へ寄り、お互いの左翼を取り巻く形になることである。

アギスの三百騎隊の活躍

とくに王アギスと三百騎隊と呼ばれるその手勢がいた中央では、アルゴス側の高年兵部隊や五の部隊と呼ばれる一団、クレオナイ勢、オルネアイ勢およびこの横に並ぶアテナイ勢などをたちまち浮き足立たせた。p51

〔註〕三百騎隊という名であるが、これは歩兵部隊で、王の護身隊であった。おそらく昔は馬に乗って王の身辺で戦った首長の一団が変化したものであろう。

アギスは、有効な戦略を立てられなかったが、力業でねじ込んだ
王の親衛隊「三百騎隊」の勇猛によって勝利した。

プレイストアナックス援軍引き返し

この戦いが起こる寸前に、ラケダイモンのもう一人の王プレイストアナックスは高年兵と若年兵を率いて救援に出たが、テゲアに到着するまでに勝利の報を聞いて帰国した。p53

ていたらくのアギス朝のプレイストアナックスは、救援に到着するまでに、戦闘が決着したので帰国した。

アルゴス降伏ラケダイモンと条約

アルゴスはラケダイモンの和平交渉を受けることにした。p54

結果、アルゴスの第三勢力は解体され、アルゴスはペロポンネーソス陣営にもどった
何より、スパクテリアの大敗北以来のスパルタ軍の威信を回復した。

アルゴス公民派の暗躍

アルゴスの公民派はこの間にラケダイモンに対する恐怖から、アテナイに再び接近して同盟の交渉を始めた。p58

第十五年目

そして今次大戦の第十五年目が終了した。p59

第6章 メロス島征服ーアテナイ帝国主義の典型

メロス島

メロス人は元来ラケダイモンからの移住民であって、
アテナイに他の島国都市国家のごとくに屈服することを潔しとせず、はじめは中立を堅持して平和を守っていたが、後にはアテナイに圧迫されて土地を荒され、明らかな戦闘状態に入った。p60

メロス島は、ラケダイモーンからの植民であった。
アテーナイ帝国主義に最後まで反抗した。

クレオメデスとテイシアス

アテナイ勢はそこで前記の装備でメロス島に出兵したが、島に害を加える前にまず交渉をすることにした。
そこでアテナイ将軍、リュコメデスの子クレオメデスとテイシマコスの子テイシアスは使節団をメロス島に送った。p60

アテーナイの将軍は、リュコメデスの子クレオメデステイシマコスの子テイシアスである。
しかし、ギリシア悲劇のような応酬をする使節団の団員の名前は明かされていない。

アテナイ使節団とメロス委員団の応酬

そこでアテナイ使節団は次のように発言した。
メロス委員団は答えて言った。
アテナイ使節団「・・・」
メロス委員団「・・・」p60-61

アテナイ帝国「弱肉強食」こそ正義

「我々が現在ここに来ているのはなにも大義名分があるからではない。
我々が交渉相手として諸君に期待することは、
弱肉強食の原則と、客観的人間理性の論理的必然性が正義であるとする原則にのっとって、双方が希望することを明示する必要のあることを諸君が知っていることである。」p62

アテーナイ帝国主義の正義とは、「弱肉強食の原則」である。

支配権の終焉を恐れない

「我々の支配権にたとえ終りが来ようとも、その終末を思って動揺する我々ではない。」p62

ただ、この使節団の矜持
「我々の支配権にたとえ終りが来ようとも、その終末を思って動揺する我々ではない。」には、悪の魅力といえるものがある。
ただし、この発言者が、因果応報で、シケリア遠征の犠牲者になったとは限らない。
悪人の悪行の報いは、悪人ではなく、それを怖れることによって、その不幸を呼び込む犠牲者にふりかかるのかもしれない。いずれにしても、カルマは自分で刈り取らねばならないが。
アテーナイ帝国主義が、世界を制覇すれば、世界が、万人の万人に対する闘争の巷と化し、復讐の連鎖が生じるであろう。

メロス無条件降伏

メロス内部に裏切り者も出たので、ついにアテナイに対してメロスは無条件降伏をした。p71

メロス人殲滅アテナイ人植民

そこでアテナイ側は捕えたメロスの成人を全部殺害し、婦女子を奴隷に売り、後にアテナイから五百名の移民をメロスに送って、アテナイ自身がメロスに住みついたのであった。p71

アテーナイ人は、メロス人を苛酷に罰し、メロス島は、一時的にアテーナイ人のものになる。

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