- 第五章 諸地方の伝説
- 第一節 テーバイをめぐる伝説
- ニ、ボイオーティア侵入ーカドメイア建設
- 三、カドモスの孫たち
- 四、リュコスとアムピーオーンとゼートスの簒奪王朝
- 六、イリュリアからガデスまでヨーロッパ植民
- 七、リュコスの簒奪時代
- 八、アムピーオーンとゼートスの簒奪
- 九、アムピーオーン、タンタロスの娘ニオベーと結婚
- 十、ラーイオス、簒奪者からテーバイ王位を奪還
- 11、オイディプースの誕生
- 12、オイディプース統治時代
- 13、クレオーン再度摂政に?
- 14、オイディプースの息子時代:二王交代制?
- 14、「アルゴス王」アドラーストスとは?
- 15、テーバイ遠征のイニシアティヴは、ポリュネイケースに
- 16、第一次テーバイ戦争
- 17、第二次テーバイ戦争
- トロイア戦争に不参加のテーバイ
- 下衆のアルクマイオーン
- 第二節 クレーテーの伝説
- 一、ミノア文明はフェニキア人の文明!
- ニ、工人ダイダロスの正体ー技術者集団ダイダリダイ
- 三、クレタ島から小アジア半島へ植民
- 四、ミノア文明末期、ミノア文明の終焉
- 第三節 テッサリアの伝説
- 一、ケンタウロイとラピタイ
- ニ、ケンタウロイの祖イクシーオーン
- 三、ケンタウロイは、イクシーオーン×雲
- 四、賢者の一面・ケイロン
- 五、優しいポロス
- 六、ラピタイの出自、やはりイクーシオーンの子孫
- 七、ケンタウロイとラピタイの戦い
- 第四節 アッティケーの伝説
- 零、テーセウスは捏造
- 一、アテーナイの古王たち
- 二、エレクテウス時代~アイゲウス時代
- テーセウス時代
第五章 諸地方の伝説
第一節 テーバイをめぐる伝説
ニ、ボイオーティア侵入ーカドメイア建設
テーバイの前身カドメイア
カドモスは、前の場所に戻るとまずその牝牛を屠って、ゼウスを祭った。そしてこの土地に都を建てることにした。これがすなわち、後のテーバイである。
そこの小高い丘は、カドメイアの砦と呼ばれた。p16
スパルトイとは?
彼はまたその地を耕し、アテーナーの勧めに従い、竜の歯を播いた。するとその畝がむくむくと動きだして、まず初めに光った槍の切っ先が現われ、つづいて兜が、それから肩、胸と、胸甲を着けた武士の姿が出てきた。p17
アテーナーは敵であり、関係ない。
なぜならスパルトイはスパルタ人の先祖であるからだ。
カドモス王家の種(男子)と「生え抜き」(おそらくアイオリス人とプロト・フェニキア人)の豪族の胎(女性)から生れたテーバイ人貴族がスパルトイであろう。
王家の種は王家の胎に劣るのであろう。
フェニキア人は、女系相続であった可能性が高い。
スパルトイ:テーバイ貴族の始祖
これがエキーオーン、ウーダイオス、クトニオス、ヒュペレーノール、ペローロスの五人で、スパルトス(播かれた者たち)と呼ばれ、テーバイでも最も古く尊貴な家柄の始祖たちであった。p17
アレースの娘ハルモニアーと結婚
息子(あるいは眷属)を殺された武神アレースをカドモスと和解させるために、ゼウスはハルモニアー〔調和〕をカドモスの妻に与えた。ハルモニアーは、アレースと美の女神アプロディーテーとの娘であった。p17
カドモスの4人の娘と一人の息子
年とともに、この夫婦は大勢の子供に恵まれた。娘にはアウトノエー、イーノー、セメレー、アガウエーなど、男の子は一人でポリュドーロスといった。p17
鏤金の首飾り
そのおり、神々は美々しい婚礼の衣装とともに、鍛冶の神ヘーパイストスが丹精をこめて造った鏤金の首飾りをハルモニアーに贈った。
これが後にいろいろな禍いをテーバイに、またカドモスの一族に、もたらすことになった。p18
カドモスがアルファベットを伝授
カドモスのした事の一つに、テーバイの民へ、彼がポイニキアからもたらした、字を書く術を教えたことがある。ギリシア文字が、ポイニキア文字に起源することは、一般に認められている。p18-19
ギリシア本土にはじめてフェニキア文字をもたらしたのが、カドモスであったことは重要である。
三、カドモスの孫たち
一男四女
娘にはアウトノエー、イーノー、セメレー、アガウエーなど、男の子は一人で、ポリュドーロスといった。p17
誰が長女か悩むところだが、ペンテウスが二代目を継承しているので、アガウエーが長女であろう。
セメレー、イーノー、アウトノエーの順としておこう。
イーノーは、アイオロスの息子でボイオーティア一帯の君主であったアタマースに、アウトノエーはアポローン神とニンフ・キュレーネーとの息子であるアリスタイオスに、アガウエーはスパルトイの一人なるエキーオーンに嫁した。p17
エキーオーンは、カドモス一統とプロト・フェニキア人の混血のスパルトイで、この結合の孫ペンテウスが、王位継承第一位であった。
アタマースは、北方のアイオリス系の豪族であり、アリスタイオスは、南方のプラタイアの豪族で、リビュアのキュレナイカ地方から上陸したいた。
アリスタイオスの母キュレーネー
そこで彼女は、アリスタイオスの母になった。このアリスタイオスは、おそらくこの地方に古くからある土地神で、農牧の神として知られ、土民に養蜂やオリーブ樹の栽培、狩猟の方法などを教えた、と言い伝えられる。キュレーネーが運ばれていったのは、いうまでもなく、アフリカのキュレーネー市であって、キュレナイカ地方の首都としてのちに栄えた町である。
アリスタイオスは、いうまでもなく土地の伝説にあった農神が、人類に光を与えるアポローンの子として、ギリシア名をつけられたものであろう。p192(月)
アリスタイオスは、リビュアのキュレナイカ地方の農牧神で、養蜂やオリーブ栽培などの文化英雄であったのだろう。リビュアに植民したプロト・フェニキア人の指導者と想定できる。
アポローンの子ではありえない。
この農牧神は、リビュアのキュレナイカからギリシア本土に上陸して、テーバイ帝室の侍女アウトノエーの入り婿となった。
つまり、先住のプロト・フェニキア人で、養蜂やオリーブ栽培を伝えた人々に、テーバイ帝室が君臨し、されに技術を洗練させたといえよう。
アリスタイオスとアウトノエーの子アクタイオーンは、狩猟の神であったと思われ
カドモスの孫アクタイオーン
さて、カドモスの一族を襲った不幸は、まずアウトノエーの家から起こった。彼女は夫のアリスタイオスとの間に、一人の息子アクタイオーンをもっていた。p19
このアクタイオーンは、プラタイアでかなり鳴らした王であったようだ。
カドモスの孫ディオニューソス
ヘーラーに殺されるセメレーという捏造
セメレー・・・そこでヘーラー女神は彼女の昔の乳母に姿を変え、彼女をそそのかしてゼウスが今度訊ねて来たとき、真の姿を見せてくれるよう頼み込ませた。
生の身のセメレーは焼かれて命が絶えた。p22
テーバイ帝室はヘーラーの寵児であり、ヘーラーがテーバイを懲らすわけがない。
邪悪なアテーナイ人の捏造である。
カドモスの娘二人が生み育てたディニューソス
赤子はセメレーの姉に当たるイーノーの手に預けられた。
この嬰児こそ後のディオニューソスである。
ディオニューソス信仰の渡来と縁の深かったボイオーティア・テーバイの国祖にかずけられたものであろう。p23
カドモスの孫メリケルテースとレアルコス
イーノーは元来アタマースの後妻であったが、夫との間にレアルコスとメリケルテースの二人の息子をもっていた。(メリケルテース=メルカルト)
ところがヘーラーは「狂気」を遣わして二人を狂わせてしまった。p24
イーノーは、イーオーであり、ヘーラーの投影である。
レアルコス(王)とメリケルテース(メルカルト)は、カドモスの故郷テュロスの主神メルカルトの投影である。
それでアタマースは、おのが子のレアルコスを、鹿と見なして矢で射殺し、イーノーもまたメリケルテースを、煮え立った釜に投げ込み、のちにその屍を抱きかかえて、海の底深く身を投じたという。p24
神々はその最期を憐れんで、二人を神とし、彼女はレウコテアー(白い女神)、子供のほうはパライモーンと名乗るようになって、それから船乗りたちを護る神霊として崇められた。p24
航海の守り手はポセイドーンの役割である。またメルカルトの役割でもあった。
イストモス祭
かのイストモスの競技はもともと、このメルケルテースに捧げられたもので、コリオントスの国祖シーシュポスが創始したところだとも伝える。
レアルコスとメリケルテース
これらイーノーの子達も、ディオニューソスと等しく外来の神々かも知れない。
なぜかというと、メリケルテースの名は、ポイニキアの君主を意味するメルカルトを連想させるし、レアルコスすなわち「民衆の統治者」という名は、そのギリシア訳とも考えられるから。(ともに「王」という意味の子達の名)p24
カドモスの孫ペンテウス
カドモスが政治に飽きてから、その娘アガウエーとエキーオーンとの息子であるペンテウスが、王位を継いだ。p25
カドモスの王位を継いだのは、おそらく長女のアガウエーが生んだ孫のペンテウスであっただろう。
カドモスには、男子が生れなかったか、女系相続のためカドモスの娘の胎が貴ばれたかであろう。
エキーオーンはスパルトイの筆頭であったようだ。
ラブダキダイは一人息子の嫡流と設定
カドモスの一人息子ポリュドーロスも王位に上ったことになっているので、この間の事情は明らかでない。おそらくポリュドーロスは、実体のない、作り上げられた人物で、カドモスの一族へ、後のテーバイ王家たるラブダキダイを結びつけるため考案されたものであろう。p25
ポリュドーロスの子がラブダコス、ラブダコスの子がラーイオスで、その子が大王オイディプースである。
古典期のギリシア人は男性相続で、男系が重んじられたため、特にアテーナイ捏造班のアテーナイは男尊女卑の極であったため、ポリュドーロスという男子を捏造したか、カドモス系の胎から生れたもののほうがより貴種であったかである。
カドモスの男系の孫ラブダコス
すなわちポリュドーロスが、やはりスパルトイの一人クトニオスの子ニュクテウスの娘であるニュクテーイス(これも作り上げられた名前らしい)と結婚し、間にできたのがラブダコスだという。(ラブダキダイの名祖)
クトニオスというスパルトイは、まさに「生え抜き」(土着)を意味し、プロト・カルタゴ人の胎(土地)にカドモス王族の種がまかれてできた子であっただろう。
そしてその娘ニュクテーイスの胎にカドモス系の王族の種(ポリュドーロス)が播かれ生れたのがラブダコスであった。
同じ孫でも、ディオニューソス(神)、アクタイオーン(半神)、ペンテウス(大王)とくらべて影が薄い。
バッカイの頭母アガウエーに引き裂かれる
とにかく、このペンテウスもラブダコスも、ともにディオニューソスの教えに抗ったので、身を滅ぼすことになった。
すなわち前者は、母のアガウエーを頭とするバッカイ(バッコス信女の群れ)に引き裂かれた。
実際は、ペンテウスとラブダコスはアテーナイとの戦争で死んだのだろう。ペンテウスは、ディオニューソスの秘儀を導入した張本人で大王の可能性が高い。母のアガウエーが、バッカイの総帥であったのだろう。
四、リュコスとアムピーオーンとゼートスの簒奪王朝
幼君ラーイオスからリュコスが王位簒奪
彼の死んだときには、一人息子、まだ一歳であったラーイオスが遺されたが、年少であったため、大伯父に当たるニュクテウスの弟のリュコスが、摂政をし、ついで王位を簒奪した。p25
リュコスとアムピーオーンとゼートスの家、ニュクテウス家が簒奪する。
そのうちラブダコスの遺児ラーイオスは、敵のペロプスの所に滞在することになる。
それはありえない。ペロプスはアカイア人の祖で時代がずっと先であるし、不倶戴天の敵である。
実は、ペンテウスの実際のカドモス宗家はずっと健在だったのではないか。
六、イリュリアからガデスまでヨーロッパ植民
カドモスのさすらいの原因
このように不幸が絶えないので、カドモスは、つくづく神々の呪いが、自分の身の上にかかっているのではないか、と懼れた。p26
カドモス自身ではなく、カドモスの率いた植民軍が、西ギリシアから、イオニア諸島を経由し、イリュリアに植民したことの投影であろう。
西ギリシア・イリュリア植民
それでテーバイを去って西ギリシアに往き、それからさらにイリュリア人のもとに赴いた。それは彼らと争っていたエンケレイス(鰻人)という種族に招かれ、その指導者となってイリュリア人を征服したのであった。それからハルモニアーとの間に、さらに一子イリュリオスを儲けた、という。p26
これ以降、エペイロス地方、イリュリア地方には、テーバイ帝室系フェニキア人が植民を繰り返したと想定できる。
「テーバイド」で亡命した弟筋の率いた植民団も大量植民している。
彼らフェニキア貴族から、エペイロス王家は誕生したであろうし、イリュリアの世界遺産の畠もフェニキア人の灌漑幾何学によるものであろう。
大蛇になったカドモス夫妻
のち、年老いてから、ある日、身の上をかこって、あれーすがさほどに大蛇を惜しみたまうのならば、我々も大蛇になりたい、と言ったところが、たちどころにハルモニアーもろとも、大蛇に変身したという。されで今でも、この地方には人地区に害をしない大蛇がいる、ということである。p26
下半身蛇身のゼウス、ピュトン、ラドン、などフェニキア人の蛇をトーテムにしている。
楽園の蛇
一説ではさらに、ゼウスによって、エーリュシオンの楽園におくられた、というが、これは別伝であろう。p26
楽園の蛇はカドモス夫妻か。
楽園といえば、ヘスペリデスの園であり、ガディル(ガデス)のことである。これがエーリュシオンである。フェニキア人は、ここに植民し巨富を築いた。
エウロペーを探しにジブラルタルまで植民したのである。
まさにヨーロッパ植民である。探した妹の名がエウロペであるこれが理由である。
七、リュコスの簒奪時代
摂政リュコス王位に
ラーイオスの幼時に摂政となったリュコスは、市人から押されて王位に即き、二十年間テーバイを治めた。しかしその終りは、やはり良くなかった。p26
リュコスは20年も王位にあったので、正当な王の投影とみる。
むしろ、リュコスを殺すアムピーオーンとゼートスこそ簒奪者である。
アンティオペー
ニュクテウスの娘に、アンティオペーという乙女があったが、大神ゼウスがひそかに彼女のもとに通って、いつか身重の体となった。それを父親に見つかり、詰問を懼れてシキュオーンに逃れ、そこのエポーペウスに頼り、やがて彼と結婚した。p26
ゼウスは、他民族の投影であろう。ここでは、不倶戴天のアテーナイ人の可能性が高い。アテーナー信者のパンディーオーン一党であろう。
シキュオーンのエポーペウスは、アイオリス系のようなので、これはシキュオーン史で明らかにする必要がある。
ニュクテウスの自刃
これを聞いた父のニュクテウスは憤怒と絶望からついに自刃し、その際弟のリュコスに遺言して、アンティオペーとエポーペウスを罰するように命じた。p26
ニュクテウスは、アテーナイ捏造班のつくったあばずれ女アンティオペーの父なので、悪のターゲットとせず、退場させる。リュコス夫妻は悪のターゲットとして捏造された、実在の王をモデルにしているのだろう。
八、アムピーオーンとゼートスの簒奪
キタイロン山麓のエレウテライに
リュコスは・・・アンティオペーを捕虜にして連れ帰った。
その途中、にわかに産気づいたアンティオペーは、キタイローンの山麓のエレウテライで、二人の男児を分娩した。
この子供たちは山中に捨てられたが、土地の牛飼いが見つけて取りあげ、これを養育した。p27
捨て子伝説は、簒奪者のおきまりのパターンである。
エレウテライは、テーバイとアテーナイの境界で、アテーナイ人のパンディーオーン一党の貴族たちを、このアムピーオーンとゼートスは投影しているのだろう。
エジプト風にピラミッドに埋葬されているので、エジプトからきたパンディーオーン一党を投影したとみる。
当時は、羊飼いより牛飼いが多かった。ボイオーティアは、牛が多かったのだろう。なにせボイオーティアである。
アンピオン琴で灌漑
ゼートスは、牛飼いながら・・・武人としても衆に卓越した。
アンピーオーンは(ヘルメース神から竪琴を授かった、ともいう)、音楽を好み、琴を弾じては水の流れをも感じ入らせるほどであった。
ゼートスもアムピーオーンも、牛飼い出身のアテーナイ方の将軍であろう。
竪琴を奏でて、動物を動かしたり、岩を動かして城壁を築いたり、灌漑したり、というのは、後のオルペウス教のパクリであろう。
ギリシア式の竪琴を発明したヘルメース神もテーバイ帝室系の王族の投影であるから、田舎者の牛飼い育ちのアムピーオーンが、竪琴を弾けるはずがない。
竪琴は、古典期のカドモス末裔の教養であった。エパミノンダスのように。
リュコス夫妻殺害
その代わりにディルケーを結びつけ、彼女が望んだところの死を、自分でもって味わわせた。ついでリュコスも王位を追われるか、殺されるかした。p28
この二人は、残虐なので、ヒクソス出身のアテーナイから来たダナオイ人と性悪のアンティオペーの野合の子であろう。ディルケーは泉であり、プロト・フェニキア人の豪族の娘であろう。
双子がテーバイ簒奪
ゼウスの子である二人の英雄は、暴虐なリュコスに代わって、テーバイの王位に即いた。p28
竪琴を奏でて城壁を築く
テーバイが城壁をめぐらしたのは、この時代だ、ともいう。すなわちアンピーオーンが琴を弾くと、城壁のための石塊が自ずからその後に従い、組み合って城壁をつくった、というのである。p28
オルペウス教のパクリであろう。
双子の伝説は別系統もしくはオルコメノスの話
このゼートスとアンピーオーンの双子の物語は、テーバイ建国の別な由来譚らしく、・・・
しかし一説には、このアンピーオーンの伝説は、同じくボイオーティアの古都オルコメノスのことだという、あるいはそれがテーバイへ移されたかとも推定される。p29
南部のダナオイ人の話か、(ピラミッドに葬られているらしいから)、
北部のオルコメノスのアイオリス人の話かもしれない。
シキュオンと確執したり、ポーコスとアンティオペーの結びつきからも、また北方から来たアポローンとアルテミスを崇拝する者たちに殺されたらしいことからも。
九、アムピーオーン、タンタロスの娘ニオベーと結婚
アポロンに殺されたアムピーオーンの子孫
アンピーオーンは、タンタロスの娘ニオベーと結婚して、二人の間に多くの子女を儲けた。あるとき彼女は、自分がレートーよりも、ずっと子供の点では優っている、と誇った。それを耳にしたレートーは、深くこれをふくんで、自分の子アポローン神とアルテミス女神に命じて、それぞれ息子と娘とを、遠矢にかけて射たおさせた。p29
ニオベーは子供らの死を嘆いて、その馬で、あるいは父タンタロスの住居であった小アジアのシピュロス山に赴き、そこでゼウスに祈って石に姿を変えたという。p29-30
ニオベは小アジアの出身で、タンタロスの娘である!
つまりニオベはアカイア人の祖であるペロプスの妹である。
アムピーオーンとゼートスは、パンディーオーン系のアテーナイ人の投影であり、その妻ニオベーは、アカイア人の祖ペロプスの妹である。
つまり、アムピーオーンとゼトスは、ダナオイ人&アカイア人の陣営の投影である。
アポローンとアルテミス、つまり、テーバイ帝室と共闘しているアイオロス王家によって成敗されたのであろう。
十、ラーイオス、簒奪者からテーバイ王位を奪還
ラーイオス、ペロプスの元に亡命?
ゼートスとアンピーオーンの死後(という)、一時国を追われてタンタロスの息子のペロプスのもとに亡命していたラーイオスが、迎えられてテーバイの王位を継いだ。p30
まず、ペロプスは後年の英雄なので年代が合わない。
アカイア人の捏造であろう。
するとアムピーオーンとゼートスはやはりダナオイ系か。
テーバイ宗家のイオカステーと結婚
ラーイオスは帰国してから、スパルトイの一族なるメノイケウスの娘イオカステーを娶ったが、これより前、ペロプスのもとにあったとき、彼は後年の禍いの種子を播いたのであった。
イオカステーは、ペンテウス王の直系である。
女系のカドモス王家は、ラーイオスが、エキーオーンの子孫と結婚することで、テーバイ王となる資格を得たのかもしれない。
11、オイディプースの誕生
アポロンの託宣
のちラーイオスは、アポローン神から、もし子を儲ければ、その子によって命を失うだろう、との託宣をうけた。p31
キタイローン山に捨て子
月が満ちて男児が出生したとき、ラーイオスはすぐさまその子を殺すように命じた。
しかしイオカステーはそれに忍びないで、嬰児を期待ローンの山奥につれてゆき、そこに棄てて来るよう、家臣の一人に命じた。p31
そこはテーバイ領との境近くであった。棄ててある児を、コリントス王ポリュボスの牧人が見つけて抱きあげ、主君の館につれ帰った。子のなかった王妃メロペー(ポリュオイアーとも)は、その幼児を神の授けたもうものと思い、自分の子として育てることにした。p31
オイディプースというテーバイ帝室の大王は実在したが、アポローン神はこのころ導入されていなかっただろうし、捨て子伝説も創作であろう。
このポリュボスというコリントス王も、メデイアの伝承のコリントス王クレオーンもシーシュポスの子となっているが、系譜にはない。メデイアもアテーナイ捏造班の捏造のため、この捨て子伝説も捏造であろう。
コリントスがテーバイ帝室の藩王国であったことは確かで、クレオーンには、テーバイ帝室のオイディプースの叔父クレオーンが投影されている。そのように、ポリュボス王も、プレイアデスのメロペーと同名の王妃も架空の人物であろう。
オウディプースの名の由来
ラーイオスは子供の足をピンでさし貫いておいた。そのため、子供は傷あとがすっかり癒らず、足が腫れていたので、オイディプース、つまり「ふくれ足」という綽名を獲たのだという。p31
オイディプースは、エキーオーンとアガウエーの宗家の血を引く尊貴な血である。
つまり、ペンテウス家とラブダコス家の両方の血を引く大王であったのだ。
12、オイディプース統治時代
王位に
スピンクス(有翼の)
その上に現在テーバイでは、郊外の丘に怪物が現われて、市人を悩ましていた。
それはエキドナとテューポーンとの子のスピンクスで、顔は人間の女、胸と脚と尾は獅子、それに大きな鳥の羽根をもっている怪獣であって、下を通る者に謎をかけ、解き得ないおりは、これをとって食うのであった。p33
テーバイ王に
オイディプースは約束によりテーバイの王位につき、イオカステーと結婚した。p34
オイディプースの四人の子ども
二男二女を儲ける
こうして数年たち、その間にポリュネイケースとエテオクレースの二人の息子と、アンティゴネーとイスメーネーの二人の娘が生れた。p34
四人の母は別な婦人
パウサニアースは、イオカステーはまもなく(ホメーロスのいうとおりに)自殺して死に、四人の母は別な婦人だ、という。p35
オイディプースの追放か蟄居か
そのころ、また凶作がつづき、悪疫が国中に流行しだした。デルポイの神託には、先王の殺害者の穢れのためであるから、その犯人を捜し出して国外に追放せよ、とあった。p35
彼はそれから娘たちを伴って放浪の旅に出たとも、王位を退いて国内に籠居したとも、いわれている。
いずれにせよ、ついには国外に出て、自分を助けようとしない二人の息子を呪いながら、アテーナイ近郊のコローノスに来り、そこのエウメニデスの神苑でもって、そこを自分の死に場所と悟って、死に就き昇天した、という。そのおり、ソポクレースの『コローノスのオイディプース』では、アテーナイ王テーセウスの庇護を受けることになっている。p36
とんでもない捏造である。
オイディプースが、アテーナイとの国境で死んだとすれば、戦死である。アテーナイには、パンディーオーン一統のアイゲウスが復活しており、テーバイ帝室の藩王家を追放していたので、オイディプースはアイゲウスと戦争状態であっただろう。スピンクス退治は、その戦争の一つの戦闘の投影であろう。
ホメーロスには、オイディプースの遺体がテーバイに運ばれ、そこで盛大な埋葬が行われたことを述べている。
13、クレオーン再度摂政に?
オイディプースが王位を退いてのち、二人の息子が成人するまで、叔父のクレオーンがまた摂政になった。p36
テーバイはラケダイモンの時と同じく二王制であったのだ。
オイディプース=ヘーラクレースは、テーバイ軍を率いて遠征に行き、
クレオーン=プロイトス=エウリュステウスは、本拠地に残って内政をしっかりやっていたのである。
14、オイディプースの息子時代:二王交代制?
交代で王位に?
成人してから二人は協定して、交互に一年ずつ統治することにした。こうしてまずポリュネイケースが王位につき、ついでエテオクレースが後をおそった。p36
ポリュネイケース、アルゴスへの真相
彼は約束の時が来ても位を譲ろうとせず、かえってポリュネイケースを国外へ追放した。
ポリュネイケース(この名は「多くの闘争」を意味している)は、もちろん憤懣に耐えず、復讐を誓ってアルゴスへ赴いた、p36
テーバイはすでに二王制で、エテオクレースはテーバイの王として、ポリュネイケースは、テーバイ帝室帝王として首都アルゴスに君臨していたと読む。
なにせ、三種の神器たる(二種か)ハルモニアーの首飾りと長衣をもっていったのだから。
家に伝わる呪いのハルモニアーの首飾りと衣を携えてである。p37
14、「アルゴス王」アドラーストスとは?
アルゴス王アドラーストスの宮殿へ
そしてそこの王アドラーストスの宮殿を訪ね、アポロドートスの伝では、
夜中に着いてカリュードン王オイネウスの子テューデウスと出くわし、格闘をはじめたところを、騒ぎで起こされた王に引き分けられた、という。p37
獅子と野猪
ところで、王は前に予言者から、二人の娘に、獅子と野猪とを婿として迎えるべきことを、求められていた。p37
カリュードン王子テューデウス
いま二人を見ると、ポリュネイケースは獅子の皮を、テューデウスは野猪の皮を、それぞれ肩にかけていた(あるいは、楯の紋章として付けていた)。p37
カリュードン王子テューデウスがカリュードンの猪を、テーバイ王子ポリュネイケースがヘラクレスの獅子を。つまり退治したトーテムを。
トロイア勇将ディオメーデースはアルゴス×カリュードンの混血
そこでアドラーストスは、前者を娘アルゲイアーに、後者をデーイピュレーに娶せることにした。前の夫妻からはテルサンドロスが、後者からはトロイア戦役の勇将ディオメーデースが生れた。p37
15、テーバイ遠征のイニシアティヴは、ポリュネイケースに
義父にテーバイ遠征を依頼(いや命令)
ポリュネイケースは義父に頼んで、テーバイ遠征軍を起した。そして六将を誘ってこれに参加させた。p37
ハルモニアーの首飾りでエルピューレーを買収
その中の一人アンピアラーオスは神占の術に長じて、もしこの遠征に加われば、死が自分を待っているのを悟っていたので、しきりに断わった。
しかしポリュネイケースは、彼の妻のエリピューレー(義妹にあたる)を、例のハルモニアーの首飾りで誘惑し、夫に遠征をすすめさせた。p37
このときアルゴス王は、プロイトスの血脈であり、プロイトス=クレオーンだから、テーバイ王家である。
このピュロス王家と同じアイオリス系のアドラーストス王は、テーバイ帝王たるポリュネイケースの臣下である。
16、第一次テーバイ戦争
七つの門
アルゴス勢はいよいよテーバイに迫った。テーバイは昔から名高い七つの門がある。そのおのおのへ一人ずつの大将が向かった。テーバイ方でも、それぞれ七人の将を選んで、各自の門に当たらせた。p39
ヒュプシスタイ門の主将決戦
ことにヒュプシスタイ門では、ポリュネイケースとエテオクレースの兄弟が、あい対峙することになった。p39
オイディプースの占い師テイレシアース
このとき、テーバイには、オイディプースの時から名高い占者テイレシアースがいた。
スパルトイの一人が犠牲になれば、テーバイ方は勝利を得るだろう、といった。
それを聞いたクレオーンの長子メノイケウスは、自分から城門の前へいって自刃してテーバイ方の勝利を確保した。p39
実際のテーバイ帝室の王は、クレオーンであろう。
そのクレオーンの嫡男が自殺するのはありえない。メノイケウスは、クレオーンの父の名である。
ここでは、占い師テイレシアースが問題で、彼は、娘マントーが生んだモプソスという歴史上の人物をもっているため、人口に膾炙した占い師だったのだろう。
占い師を登場させるための茶番であろう。
テーバイ兄弟の戦死
エテレオクレースとポリュネイケースの兄弟は、互いに決闘をし、刺しちがえて二人とも死んでしまった。p40
アルゴス王のみ
アルゴス方七将のうち六人は滅びたが、アドラーストス王だけは逃れおおせた。
17、第二次テーバイ戦争
10年後の再征
この戦から十年ほどたって、遠征した七人の大将の息子たちは、それぞれ父の志をつぐべく、テーバイへの再征を企てた。
それで神託を覗うと、もしアルクマイオーンを指揮者に選んで進軍すれば、勝利疑いなし、とあった。p42
テーバイ王家逃亡/テーバイ陥落
そこでテーバイ軍は敗走して城内にたて籠もったが、ついに夜陰に乗じて車に家族を載せ、和議を申し出て置いてから市外に逃亡した。アルゴス勢は市中に入って略奪し、火を放ち城壁を破壊して帰った。p43
テルサンドロスは、勝利者となってテーバイに入城、テーバイ王になるが、
トロイア戦争の前哨戦で、あやまってミュシアーに上陸した時、ただ一人戦死したとあり、その後をテーバイの王族ではないペーネレーオスが継いだという。
この男の子孫がクサントス。
つまり、テーバイ王テルサンドロスは、アカイア軍と戦って戦死し、幼君ティーサメノスの代りにペーネレオースが王となってトロイア遠征にテーバイ軍を率いたという。
つまり、トロイア遠征にアカイア方として戦ったのである。
つまり、ペーネレオースは、アカイア方に寝返って、最後のクサントスまでアカイア方であった。
この段階で、ティーサメノス一家はラケダイモンへ亡命したようである。
一方、エテオクレースの子ラーオダマースは、イリュリア地方のエンケレイス族の土地に去ったという。
おそらくカドモスの子孫に迎えられ、イリュリアの貴族の先祖となったのであろう。
トロイア戦争に不参加のテーバイ
イーリアスの目録にテーバイなし/ヒュポテーバイのみ
なおこのテーバイの破壊は史実らしく、例の『イーリアス』の船の目録にもテーバイはなく、ヒュポテーバイ(下テーバイ、おそらく城下にできた新市街、あまり大きくないもの)の名だけがある。p43
当然である。トロイアこそテーバイの投影だったのだから。
アカイア軍といっしょにトロイアを攻めたのは、この裏切り者のクサントスにつながる家系だ。
アドラーストスとアガメムノーン
アドラーストスは、アルゴス地方の領主であったが、これはアガメムノーンとは時代がちがうらしい。おそらく後者は、さらに昔の、ミュケーナイ全盛時代の大君主かと考えられる。p43
アドラーストスもアルゴス王ではない。アルゴス王は、プロイトスの子孫の方である。
アドラーストスは、テーバイ帝王の臣下の藩王国であり、ヘーラクレースたるポリュネイケースとテルサンドロス父子の臣下であろう。
ヘクトールもヘーラクレースのひとりで、その実体はラケダイモーン分家の王ヒュアキントスであろう。
テルサンドロスが、トロイア戦争の前哨戦で戦死すると、ティーサメノスをいただいたテーバイ帝室軍は、ラケダイモーンに疎開した。
ラケダイモーン王ヒュアキントスは、テーバイ帝室軍の総大将として、アカイア軍を迎え撃ったのだろう。
アガメムノーンも捏造された人物で、それは、ミュケナイ全盛時代はおろか、さらに大昔のアメンエムハト=偉大なメムノンを投影した架空の人物だろう。
下衆のアルクマイオーン
テーバイを攻略した後、アルクマイオーン兄弟は、父の遺言に従い母エリピューレーを殺した。それは彼女がポリュネイケースから例の禍いの首飾りを貰って、夫を死の遠征に送り出し、今またテルサンドロスからハルモニアーの婚礼衣装を受けて彼自身を遠征に促し立てたからである。p43
テーバイ王室の三種(二種)の神器を、卑しい情婦にやろうとしたアルクマイオーンの末路も相応しいものであった。
このテーバイ帝室の呪われた秘宝は、デルポイに奉納された。
第二節 クレーテーの伝説
一、ミノア文明はフェニキア人の文明!
クレーテー王室はフェニキア王女エウローペーの子孫
エウローペーの父は、ポイニクス?アゲーノール?
ゼウスの牡牛に載ったエウローペーは、やがてクレーテーについた。
ヘーシオドスによると(『烈女伝』断片一九、なお、ここではエウローペーの父はアゲーノールではなくポイニークスとなっている)、それは三人の男児で、ミーノース、ラダマンテュスおよびサルベードーンとなっている。p44-45
エウローペーがフェニキア王女であることは間違いないが、その父については異説がある。
①ヘーシオドス『烈女伝』断片一九
エウローペーの父は、ポイニクスである。
②アポロドーロス『ギリシア神話』第三巻1
エウローペーの父は、アゲーノールである。
つまりボイオーティアの詩人ヘーシオドスは、エウローペーは、エジプトから来たヒクソスの子孫ではなく、フェニキアの地元の王女であるとする。
そしてこちらが正しいであろう。
エウローペーやカドモスの先祖が、エジプトから来たというのは、シュメル人の第一二王朝のレヴァント遠征の影響を投影しているだけであろう。
正義の王ミーノース
ミーノースが王位を継ぎ、善政を布き正義を守り、近隣の諸国を武威によらないで来貢させ勢威が大いに振るったという。p45
クレタ島の初期はフェニキア人王朝で、フェニキア人らしく友愛外交で栄えた。
殷賑を極めたクレーテー島
その繁栄と殷賑とは、「ゆたかに美しい島、そこには数多の人びと限りなく住み、九十の町あり」とか「また百の町あるクレーテー島の、一帯に住まう者ども」とかいう句でも知られる。p45
ニ、工人ダイダロスの正体ー技術者集団ダイダリダイ
エレクテウスの末裔=フェニキア系
このダイダロスという男は、もとアテーナイの工人であった。
彼はアテーナイの古王エレクテウスの裔で、・・・つまりアテーナイの工芸技術を表徴する人物であろう。p49
ダイダリダイという部
同市(アテーナイ市)にはケーピソス川の左岸に、市に接して工人の住まう地区に近くダイダリダイとう部があり、彼はその祖先とされている。p49-50
斧や錐の発明者
アテーナイで彼は家具の製作に従事していたといわれ、そのための要具、斧とか錐とか水準の類の発明者とされている。(メソポタミア時代からあるから眉唾)p50
鋸発明の甥を殺したダイダロスの闇
甥に当たるタロースが、・・・鋸というものを工夫し出した。
これを見たダイダロスは競争心のはげしい工人、ことにギリシア人の常として、甥の天分を喜ぶよりも、将来自分を凌駕する名工となるのを懼れ、アクロポリスの崖から彼を突き落として殺してしまった。p50
ダイダロス、クレーテーへ亡命
ともかくこの甥殺しが露見したので、近親殺害の罪科によって、ダイダロスはアテーナイにとどまることができず、クレーテー島に亡命してミーノースの宮殿に仕える身となったのであった。p51
実際は、呉が否認しているダイダロスの系譜が正しく、彼はテーバイ帝室系のエレクテウスの一族であったため、パンディーオーン系のアイゲウスによって追放されたが、自ら逃亡し、親族のいるクレタ島へ亡命したのである。
三、クレタ島から小アジア半島へ植民
フェニキア人リュキアに植民
ところで一説によると(アポロドーロス・三・一・二)、ミーノース兄弟は一人の少年ミーレートスを争って互いに戦を起し、サルペードーンはそれに敗れたため、リュキアに赴いたともいう。p54
エウローペーの植民団は、テュロスからクレタ島へ植民し、ミーノース王を生んで、ミノア文明を築いた。
クレタ島を橋頭堡として、小アジア半島の南岸から西岸に植民していった。
クレタ人ミーレートスがミレトス市建設
一方ミーレートスも小アジアに渡り、ミーレートス市を起した。(フェニキア人がクレタ島からアナトリア半島西岸に植民したことの寓話)p54
仁徳者のミーノースが悪者になっている。実は、フェニキア系のミーノースと、サルペードーンやミーレートスを対比させたいだけのアテーナイ捏造班の捏造であろう。
ミーノースの帝国は平和的に、エーゲ海沿岸諸都市・諸島嶼を支配したと思われる。
四、ミノア文明末期、ミノア文明の終焉
ミノスの後継は息子デウカリオン
パーシパエーが生んだ息子四人のうちでは、デウカリオーン(プロメーテウスの子とは別人)がミーノースの継承者としてクレーテーを領し、テーセウスともその資格で交渉をもっている。p54
このアカイア人テーセウスが支配した時代のアテーナイと交渉をもっとミーノース王は、ミノア文明末期の王である。
ミノア文明を開いた王も、滅亡時の王もミーノースである。
クレタ島のフェニキア人王朝の王は、テーバイ帝室の王がヘーラクレースであったように、何代目かのミーノースであったのだ。
テーバイ帝室:王の称号がヘーラクレース。
ラケダイモーン:王の称号がヒュアキントス。
クレタ島:王の称号がミーノース。
テーセウスのアテーナイの攻撃で滅亡?
テーセウスは表面ではいい加減にあしらわせ、密かに二隻の船を造らせてクレーテーに出兵し、クノーソスを襲ってデウカリオーンを迷宮の前で殺した。p54
テセウスはクレタ王家の不倶戴天の敵、アリアドネーも不幸にした。ミノタウロス、デウカリオンとミーノースの息子二人殺している。
アテーナイ人は、アテーナイと仮想敵国アトランティス、アテーナイと仮想敵国クレタ島というように、フェニキア系のギリシア人の海上帝国を仮想敵国に伝説を捏造している。
事実は、フェニキア人がクレタ島に植民して、海上帝国を築き繁栄する。
前1450年ごろ、テーバイ帝室が、ラケダイモンからピュロスまで支配し、クレタ島に里帰り植民する。
ギリシアから植民もさほど文化を変えてはいない。
ギリシア本土のトロイア戦争時、アカイア人は、クレタ島まで遠征する力はなかったであろう。
気候変動で、西地中海やパレスティナに移住し、クレタ島はフェニキア系が去って一時無住の地に近くなったのだろう。
このあとに描かれているカトレウスの伝説は、初代ミーノースの子の話である。
そして、テーセウスとの確執は、末期のミーノースの話である。
ただし、クレタ島を征服した「タナヤ」はテーバイ帝室系であり、アカイア人テーセウスではなかったと想定される。
第三節 テッサリアの伝説
一、ケンタウロイとラピタイ
ケンタウロイの姿の原型
ケンタウロイというのは、今いうように、上半身は人間の姿で、胴以下は四脚の馬になっているが、古くは人間の全身の後ろに、馬の胴と後脚や尾がついた形で表されている。p60
スキタイ人をモデルにしたのかもしれない。
ラピタイもケンタウロイもテッサリア人
ケンタウロイもラピタイも共にテッサリアの、ことに山間地帯の住民として互いに交渉をもった。p60
馬をあやつるテッサリアの原住民
ことにケンタウロイはホメーロスなどでは「山に臥す獣(人)たち」ペレース(『イーリアス』一・二六八、ニ・七四三)とも呼ばれ、おそらくは山間の粗野な原住民で、馬を自在に操る者をいったのではないか、とも考えられている。p60
神話では粗暴な半人半獣
神話の上では、半人半馬の族でテッサリアの山間部、ことにペーリオン岬の一帯、あるいはピンドスの麓などの洞穴に棲居して生肉をくらい、その性も荒々しく闘争を好むとされていた。p60
ニ、ケンタウロイの祖イクシーオーン
イクシーオーンとは?
ヘーラーに恋情
伝説ではかの女神ヘーラーに邪な思いをかけたイクシーオーンが、ケンタウロイの祖だといわれる。p61
イクシーオーンはテッサリア王の子
イクシーオーンはテッサリア王プレギュアースの子、あるいはアレースの子とされるが、・・・p61
三、ケンタウロイは、イクシーオーン×雲
ヘーラーの寵児か
ゼウスの妃ヘーラーに思いをかけ、その上女神の寵愛が自分の上にあるなどと、邪な嘘までも言いふらして歩いた。
彼はこの雲であるヘーラーと交わり、思いを遂げたと誇っていたが、p61
雲とイクシーオーンの末裔
一方雲はこの交わりからみごもって、ついにケンタウロイの祖であるケンタウロス、あるいはすぐにケンタウロイたちを生んだと言われる。p61
ケンタウロイとラピタイは野蛮といわれるが、彼らの王家がアイオリス人の王家かもしれない。イオールコス王家は、テッサリア人と総称できるケンタウロイやラピタイの上に君臨する王族だったのかもしれない。
イアーソンがヘーラーの寵児であったり、ヘーラーを崇拝しているのはそういうわけなのかもしれない。
四、賢者の一面・ケイロン
ケイロン
その一人はケイローンで、彼は、クロノスとオーケアニデス(オーケアノスの娘ら)の一人ピリュラーとの子であった。p62
ケイロンは、テッサリア人ではなく、クロノスとオーケアニデスの子なので、アルカディアからボイオーティアに来た「生え抜き」×プロト・フェニキア人の賢人だったのかもしれない。
医術と薬草学に通じた賢人
一般には年老いて賢い、心の優しい馬人に描かれている。
彼は母親と共にペーリオン山の洞窟に住み、ひろく薬草を試みて医術に長じ、薬草を栽培して人びとを助けること数を知らなかった。p62
アキレウス、イアーソーンなどを養育
人間の子供を預かって育てた。
アスクレーピオス、アキレウス、イアーソーンなどは、みなその幼児に母親と別れ、あるいは危難を避けるために、彼とピリュラーの手もとに預けられ養育されたものであった。p62
アキレウスは、アカイア人なので眉唾だが、アスクレーピオスの養父ということは、アルカディアの出身の傍証であろう。ボイオーティアからテッサリアに来て、(テーバイ帝室に招聘されたか?)イアーソーンの養父になったのかもしれない。
アスクレーピオスの師
ことにアスクレーピオスは彼から医療の術を教わり、あるいは彼以上にその深奥をきわめて、医術の神といわれるようになった。p62
アスクレーピオスは、もともと高度な医術をもった癒しの神エシュムンである。
五、優しいポロス
もう一人はポロスで、シーレーノスと、森のニンフの一人(とねりこの精メリアス)との間に生まれた。彼の住居は他と異なって、アルカディアの山中、ポロエーの近くであった。p62
六、ラピタイの出自、やはりイクーシオーンの子孫
一方ラピタイは、主として北部テッサリアに住む、これは通常のギリシア種族であろう。その首領のペイリトオスはケンタウロイと同じくイクシーオーンとディアーとの子・・・p63
ケンタウロイの祖もラピタイの祖も、同じイクシーオーンということは、同族である。
七、ケンタウロイとラピタイの戦い
中でも一番に名高く、『オデュッセイア』にも謡われているのは、彼とヒッッポダメイアとの結婚の祝宴、これにつづくケンタウロイの闘いの物語である。p63
ケンタウロイとラピタイは敵ではなく、同族。
その野性味を、馬脚で表しているだけで、内輪げんかである。
第四節 アッティケーの伝説
零、テーセウスは捏造
テーセウス伝のほか重要な伝説なし
アテーナイを首都とするアッティケー地方の伝説には、テーセウス伝のほか、あまり重要なものがない。p65
ヘーラクレースに対抗して創られた英雄
このテーセウスもおそらくアテーナイの隆盛につれ、そのこ文学者たちが、ドーリス民族の英雄ヘーラクレースに対抗させるため、大いに敷衍した傾きがある。p65
一、アテーナイの古王たち
古いアテーナイの君主5人
伝説に残るもっとも古いアテーナイの君主は、ケクロプス、エリクトニオス、エレクテウス、パンディーオーンおよびアイゲウスの五人である。p66
ケクロプスは蛇脚
大体はケクロプスが初めで大地ゲーの子として生れ、その脚は蛇形をしていたという。そしてアテーナイを領し、これを自分の名からケクロピアーと呼んだ。p66
ポセイドーンVSアテーナー
彼の時代に有名なポセイドーンとアテーナーとの争いがあった。
まず海の主神ポセイドーンがアテーナイに来て、例の三叉戟でアクロポリスの中央を撃ち、エレクテーイスと呼ばれた泉を湧き出させた。
その後で女神アテーナーが来てケクロプスを証人とし、やはりアクロポリスの上にあるオリーブの木を生じさせた。
ポセイドーンがアテーナイのアクロポリスに湧出させた泉の名が、エレクテーイスであることは注目にあたいする。
ポセイドーン信者は、エレクテウス王と関係が深そうである。
従って、アテーナーをポセイドーンに対して認証した王は、最古のケクロプスではありえない。
アテーナイの由来
そこで両神の間にアテーナイの争奪の論争がおこなわれたとき、結局ケクロプスの証言でもってアテーナーの勝ちと判定され、以後この町はアテーナイと呼ばれることになった、という。p66
アテーナイとなったのは、アテーナー信者のパンディーオーン一党によってであろう。
アムピクテュオーン
アポロドーロスは、彼を追放して土着人のアンピクテュオーンが王となり、次に同じく土地生まれのエリクトニオスが彼を追って王位についたという。p68
エリクトニオス
つまりヘーパイストスが女神を捉えて犯そうとしたとき、女神が拒絶したためその胤がもれて(また女神の体についたのを、拭き取って棄てて)地に落ち、そこからエリクトニオスが生れたという。p68
この赤児をアテーナーが預かり、内密に箱に入れて育て、ケクロプスの娘たちに預けておいた。・・・開けて見たところ、
赤児に蛇が巻きついていたとも、児の脚が(ケクロプスと同じに)蛇の形をしていたともいう。p68
蛇足のケクロプス、エリクトニオスなどは、ポセイドーン信者であったと想定される。
アテーナーが来るのはまだ先であろう。
エレクテウスとパンディオーン
時代のエレクテウスとパンディオーンは、伝によって順序がまちまちである。p69
順番は、呉の取っているエレクテウスーパンディーオーンではなく、パンディーオーンーエレクテウスの順である。ラブダコス戦争の結果、パンディーオーンはアテーナイを追われ、メガラに亡命。
テーバイ帝室が、エレクテウスを藩王として送り込んでくる。
エレクテウス
エレクテウスはポセイドーンの別名
エレクテウスは実はポセイドーンの別名であって、彼を崇拝したミニュアイ(第三章・四・一参照)族系の王統、支配者を意味する者かとも解される(イオニア系)。p69
ミニュアイは古都オルコメノスの王家
またボイオーティアの有力な古都オルコメノス(ミュケーナイ時代または以前より栄えていた)の王家、ミニュアースの一族(ミニュアイと呼ばれる)、同系のエウボイア島に拠っていたアバンテス族なども、みなアレースの裔と称した。p69
ボイオーティアでディオニュソースの布教を阻み拒もうとしたのは、ペンテウスらだけではなかった。古都オルコメノスを領有したミニュアースの一族もこれに快くなかったという。p69
またボイオーティアの古都オルコメノスに拠るミニュアイの一族も、ポセイドーンの信仰者として知られ、その名祖ミニュアースはポセイドーンの子ともいわれる。p69
エレクテウスは、テーバイ帝室系の藩王であるが、ポセイドーン信者のアイオリス人の可能性もある。
パンディーオーン
むしろ伝説らしい伝説は、パンディーオーンに始まるといえよう。p70
呉は、アテーナー信者のパンディーオーンを重要視している。
パンディーオーンの舌切り燕の捏造伝説の背景の事実
パンディーオーンには二人の娘プロクネーとピロメーラーおよび双生の男児エレクテウスとブーテースがあった(後者は伝でまちまち)。p70
まず、燕娘のほうは、アポロドーロスが原典で、ローマ時代の『変身物語』の作者が潤色しているが、あきらかに、へんてこな名前から、アテーナイ捏造班の作品である。
しかし、実在の人物が投影されている可能性はある。
しかし、後者のエレクテウスとブーテースは、テーバイ帝室のラブダコスに戦争で実は敗北して、テーバイ帝室にアテーナイを占領されたときに、テーバイ帝室が送り込んだ藩王である。
彼自身は、ポセイドーン信者で、プロト・フェニキア人かアイオリス人かその混血か、テーバイ帝室の王族か、いずれにせよラブダコス帝王の家臣であっただろう。
ラブダコス戦争の援軍のため
王がテーバイのラブダコスと争ったとき、トラーキアの王テーレウス(アレース神の子という)の援助を得て勝ったため、娘プロクネーをこれに娶せた。ところがテーレウスは、彼女によって子イテュスを儲けてから、妻の妹に当るピロメーラーに恋着して、・・・p70
まず、パンディーオーンのアテーナイが、娘の婚姻を餌に、トラーキア人の援軍を得て勝利する。
そして、このばかばかしい陰惨なおとぎ話である。
これはトラーキア人、アテーナイ人ともに女性が極端に家に閉じ込められて、男尊女卑の差別に苦しんでいたペリクレス時代のアテーナイ捏造班の同時代のアテーナイの世相を反映している。
このおとぎ話が、アテーナイ捏造班によってつくられた傍証である。
まず、夫テーレウスが、妻の妹をべつの住居に1年も閉じ込めて外出を禁じること、愛人の舌を切る「舌切燕」のDV、自分の子も憎い夫の子ということで殺して夫に食人させる猟奇性、これらは、極端な男尊女卑で、実際一夫多妻であったペリクレス時代のアテーナイの世相を投影している。
二、エレクテウス時代~アイゲウス時代
エレクテウスの娘クレウーサがイオーンの母
アテーナイの王エレクテウスの娘といわれるクレウーサは、デウカリオンの孫のクスートスに嫁いだ。が、その前、祭の夜に、アポローン神によって、イオーニア人の祖であるイオーンの母となった、といわれる。p76
エレクテウスは、テーバイ帝室系であり娘クレウーサは、テーバイ帝室系であると措定すると、アイオロス王家のクスートスとの結婚は、ありだろう。
パンディーオーン一統の追放、メガラへの亡命
パンディーオーン王(アポロドーロスでは、エレクテウスの子であるケクロプスのまた子)はアッティケーを治めているうち、従弟にあたるメーティオーンの息子たちから国を追い出され、隣国メガラに亡命していた。p76
実は、パンディーオーンは、アテーナー信者の王で、第一パンディーオーンの子孫であるが、時代的に同一人物を投影している。
要は、アテーナイ捏造班は、第二パンディーオーンをエレクテウスの子ケクロプスの子つまり、テーバイ帝室系のエレクテウスの孫として「接ぎ木」した。なぜなら、エレクテウスこそ、ファクトがあり、実在の王であるからだ。実際は、エレクテウスの政権が、息子のメーティーオーンに相続され、メーティーオンの子どもたちが正統のアテーナイ王であった。
パンディーオーン(一世=二世)、メガラ王家を簒奪
パンディーオーン一統、メガラに敗走して侵入
パンディーオーン王(アポロドーロスでは、エレクテウスの子であるケクロプス〔二世〕のまた子)はアッティケーを治めているうち、従弟にあたるメーティオーンの息子たちから国を追い出され、隣国メガラに亡命していた。p76
エレクテウスの息子を駆逐して、アテーナイに返り咲いたアテーナー信者を、パンディーオーン二世に投影されている。しかし、実際は、返り咲かず、第一パンディーオーンが、ラブダコス軍によって、敗走し、メガラへなだれ込んだのである。
そのパンディーオン二世は、エレクテウスの真の子メーティオーンの息子たちによってアテーナイを追放され、メガラに亡命したと捏造されているが、メーティオーンの一族こそエレクテウス王家の嫡流である。
メガラ王家を簒奪
メガラの領主ピュラースの娘ピュリアーを娶って、四人の子を儲けた。アイゲウス、パラース、ニーソス、リュコスがこれである。
その後ピュラースは叔父に当るビアースを殺したため国を出ることになり、パンディーオーンにメガラの統治を委ね、自分はペロポンネーソスの西岸に往って、ピュロス市の建設者になったという。p76
まず、メガラ王家は、プロト・フェニキア人であるが、その領主が、敵のパンディーオーンを婿にするはずがない。武力制圧である。邪魔者は、親族殺人で亡命させるのは、アテーナイ捏造班の常套手段である。パンディーオーン一統は、隣国メガラを支配して、アテーナイへの捲土重来を狙う。
アイゲウスのアテーナイ復権
アイゲウスはパンディーオーンの嫡男
そこでメガラの領主ピュラースの娘ピュリアーを娶って、四人の子を儲けた。
アイゲウス、パラース、ニーソス、リュコスがこれである。p76
ダナオイ系のパンディーオーン二世が、敵のアイオリス系のピュラース王に庇護されるとは思えないので、おそらくピュラースを追放してメガラを占領したのだろう。
そうすると、アイゲウス、パラース、ニーソス、リュコスはみなダナオイ系と見てよい。
アイゲウス、アテナイ王に
父の死後パンディーオーンの息子たちはアテーナイに攻め寄せ、メーティオーンの子たちを追い払って統治権を回復し、国内を四分して四人で分けて治めることにした。しかしその宗主権はアイゲウスが保持した。p77
再びパンディーオーン一統(ダナオイ系)が、アテーナイを奪還する。
テーセウスの出自
トロイゼーンのピッテウス王の娘アイトラーとの子
アイゲウスは・・・ともかくもデルポイを発ってアテーナイに向った。その途中(すこし回り道になる)、湾をへだててアテーナイに相対するトロイゼーンに立ち寄り、その王ピッテウス(プルータルコスなどは、彼はペロプスの子らと一緒に旅をしていたという)のもとにしばらく逗留した。・・・娘のアイトラーといっしょに寝かせた。・・・月満ちて生れたのがテーセウスである。p77
つまり、パンディーオーン一統(ダナオイ人)の王アイゲウスは、プルータルコスによると、ペロプスの子らと旅をしていた、つまり、ピッテウス王は、ペロプスの息子であり、最近、ギリシア本土に侵入してきたアカイア人の野盗集団と、テーバイ帝室に追い詰められたアテーナイのパンディーオーン一統(アテーナー信者)が連合したのである。
トロイゼーンは、アカイア人の領域になっており、そこで、アカイア人の王女アイトラーとの間に、テーセウスを作ったということであるが、後の神話を見ると、テーセウスは、アイゲウスの血が入っているかは不確定である。純粋にアカイア人かもしれない。
アーテナイートロイゼーンの混血
その結果アイトラーは懐妊したが、アイゲウスは帰国するとき、言いのこして、・・・やがて月満ちて生れたのがテーセウスである。p77
アイゲウスは、パンディーオーン(ダナオイ人)の子であり、ダナオイ人、
アイトラーは、ピッテウス(ペロプスの子=アカイア人)の子であり、アカイア人。
したがって、テーセウスは、アテーナイ市民を構成する二大民族ダナオイ人とアカイア人の混血として捏造された!もともと、テーセウスは架空の英雄である。投影されたアカイア人の将軍は、両陣営の混血であっただろう。アテーナイ捏造班は、ダナオイ系なので、アイアキダイは、テーセウスを持ち上げるだろうが、アテーナイ捏造班もテーセウスを民主主義の創設者のように捏造しているところを見ると、本当にアイゲウスの血は入っていたのだろう。
アイガイア海の主神ポセイドーンの投影であるアイゲウス
一説では、テーセウスの父は海の主神ポセイドーンだという。
おそらくアイゲウスは影の人物で、アイガイに宮を保ちアイガイア海(エーゲ海)の主神であるポセイドーンこそ、その実体にほかならないだろう、
つまりポセイドーン・アイゲウスという神の名乗り名がアイゲウスなのである。p78
テーセウスが、捏造英雄だけにポセイドーンの子ということで、アテーナイ王の名をアイゲウスにした。(ダナオイ系の王の名は伝わっていなかったのだろう)。
つまりテーセウスを最初に捏造して、父の名をアイゲウスにしたのである。
テーセウスの冒険
スケイローン退治とスケイローンの「接ぎ木」
その次はメガラ領への入口で、スケイローンを退治した。
もっとも詩人シモーニデースは、この男は実は悪人ではなくてかえって追剥をからした正しい人だと言っているそうである(プルータルコス)。
別伝か異伝か、あるいはアテーナイとメガラとの反目の産物かも知れない。p83
スケイローンは、もともとテーバイ帝室の代官であり、正義の人であって、地名にもなる有名人であったが、これを、アテーナイ捏造班のアイアキダイは、ペロプスの息子に「接ぎ木」した。このりっぱなスケイローンの娘に、あばずれのアカイア娘エンデーイスを「接ぎ木」したのである。このエンデーイスは、ペーレウスとテラモーンの母で、アイアコスの後妻である。
アイアキダイが、アカイア人である所以の女で、大アイアースとアキレウスの祖母である。
メーデイアの子孫ペルシア帝国の捏造
メーデイアはアイゲウスとの間に、一人の男の子を儲けていたという、このメードスという子を彼女は連れて逃亡し、その子はのちにメーデイア(ペルシア)の国祖になったというが、もとよりメーデイアと名前の似ているのを、こじつけた伝説である。p84
メーデイア自体が、アテーナイ捏造班の捏造であろう。メーデイアとダナオイ系アテーナイ人のアイゲウスの子が、メディアの国祖だと、アナトリアに植民したアテーナイ人どもが吹聴したのであろう。
ペルシアの史料にはいっさいそのような話はない。
メディアは、ペルシア語で、マーダ(Māda)であり、ギリシア語のメードイ(Μῆδοι)ではない。
テーセウス時代
クレタのミノタウロス退治と王権簒奪
因縁の「白い帆」
その船には喪のしるしに、いつも黒い帆をあげる習いであった。テーセウスはこの船に、もし自分が幸いにして、無事に生きて還る際には、白い帆を揚げて来よう、と父親に約束した。
アイゲウスが舵取りに白い帆を渡し、もしテーセウスが無事な時は、早くそれが判るよう白い帆を揚げろ、と命じたのだ、という。p87
鬼畜テーセウス
アテーナイへの途中で、ナクソス島に立ち寄った。
あるいは一般の通説では、テーセウスの一行が彼女をこの島へ置き去りにしていったのを、後でディオニューソス神が来て、つれていったのだ、ともいう。p88
テーセウスの意図的陰謀
クレーテーへの使船は、黒い帆を白(または紅)い帆とかけ換えるのを忘れて、アテーナイの外港に入った。p89
父殺しテーセウス
船が帰ると聞きつけて、アクロポリスの丘のはしへ大急ぎで駆けつけた老王は、帆が黒いのを見るともはや最愛の息子も凶悪な牛人の餌食になったかと思うとにわかに眩暈を覚えて(あるいは、絶望して)、高い丘端から墜落するとそのまま息が絶えた。p89
確信犯テーセウスというより、テーセウスのアカイア人一統が、アイゲウスを突き落としたのであろう。
テーセウスの集住「シュノイキスモス」と民主政!?
集住「シュノイキスモス」の導入
こうしてテーセウスは、図らずもアテーナイの王位に即くことになった。
彼はさまざまな国政の改革を断行し、アッティケーの政を、もっぱらアテーナイへ全地域の代表者が集まって執行することにした。
つまりアッティケー地方に限って、諸町村が各自独立した政治を執らず、一首の中央集権制にしたのである、これをふつう「集住」シュノイキスモスと呼んでいる。p89
民主政時代の捏造バレバレ
彼はまた王政を廃止して、貴族農民および工人の三階級による民主政を設立したとも伝える。
またはじめて貨幣を鋳造し、その表に牛の姿を刻みつけた、(アテーナイに牛の貨幣は考えられない)p90
これは、古典期にもすでに否定されている。テーセウスが民主政設立とは茶番である。
アイゲウスの兄弟筋根絶やし
パラースの子ら異図あるものは、前の内乱の時か、クレーテーから帰国した際にか、片づけておいた。(アイゲウスの兄弟・眷属は根絶やしにしたということ)p90
アイゲウスの兄弟のうちニーソスは、ミーノースに攻められて死に、アイゲウスはテーセウスに殺され、リュコスは、テーバイ帝室系の人物を「接ぎ木」したに過ぎない。
最後の一人、パラースであるが、パラース・アテーナーからの捏造か、ダナオイ人王家の生き残りである。このダナオイ人王家は、アカイア人テーセウス一統に反抗したらしい。そして根絶やしにされた。
しまし民衆には、多くのアテーナー信者の末裔がいたであろう。
彼らからも、エレクテウス王のテーバイ帝室系の王族を崇拝する貴族階級からも、テーセウスは、あまり受け入れられなかったようだ。
こののちアテーナイは、「ギリシア本土のトロイア戦争」で、アカイア系とテーバイ帝室系の争奪の巷となる。
好色テーセウス、数々の非行
アマゾン女王ヒッポリュテーとヒッポリュトス
彼はアマゾンの女王ヒッポリュテーを攫って来、自分の妻にしました。
・・・息子がヒッポリュトスである。
クレーテー征服、ミーノースの娘パイドラーを妃に
ミーノースの死後、テーセウスはクレーテーへ修正してこれを攻略したといわれる。
クノーソスの町を陥れてデウカリオーンに和を乞わせ、彼の妹(アリアドネーにも妹に当る)パイドラーを妃に迎える約束をしたのだ、とも伝える。
パイドラーに騙され我が子を殺す
旅から戻ったテーセウスは、もちろん一途に息子の所業と思い込んで激怒した。
テーセウスは、かつて父なるポセイドーン神から許された三つの願望の一つを、自分の息子ヒッポリュトスへの呪いに当てた。
好色テーセウス、ヘレネー誘拐
テーセウスはスパルテーへ出かけ(ヘラーニコスによると五十歳にもなって年甲斐もなく)、まだ十二歳のヘレネーを奪って来た。p99
これは冥界の河と同名の河のあるエペイロス方面に遠征し、ここに釘付けにされている折、ラケダイモーン人のディオスクーロイが、ヘレネーを救出し、テーバイ帝室系のメネステウスをアテーナイ王に着けた。
追放の後客死
アテーナイ追放 亡命地で高い崖から突き落とされ死
彼はヘーラクレースに助けられて地上へ戻って来たが、一般の民衆からも反抗や侮蔑をもって報いられたので、多島海中の一島スキューロスの王リュコメーデースのもとに逃れた。しかし王はテーセウスを懼れてか、メネステウスに買収されてか、彼を裏切って高い岩~突き落とし、殺害したといわれる。p99
民衆の支持を失う。父と息子を殺した方法で高い崖から突き落とされて殺される。因果応報。
アテーナイは、テーバイ帝室系のメネステウスに奪還されていたため、テーセウスは客死した。
子らがアテーナイ奪還、半神へ
テーセウスの子らちを帰国させ、半神として祭る
テーセウスは祖国を去るとき、忘恩な町の人々を呪った。そのためいろんな不祥事がつづいて起こった。そこでアテーナイの市人は、エウボイア島に逃れていたテーセウスの子たちを迎えて王位に即けた。
そしてテーセウスを、半神の英雄ヘーロースとして崇め祭ることにした。p100
これは、エウボイア島に逃れていたテーセウス一統の息子たちが、アカイア人の協力のもとに、アテーナイを奪還したからであろう。
その際、テーバイ帝室系のヒュアキントス王の王女たちが、犠牲にされたのであろう。
テーセウスの復権
その後アポローンの神託によって、アテーナイの人々はテーセウスの遺骨を迎え取り、町の中央に葬ったとある。そして彼が生存時に、しばしば暴力によって虐げられる弱者の庇護者だったように、この社は、あらゆる救いを求める人々、奴隷や弱い者などの駆け込み場所とされていた。p100
テーセウスの腐骨を無人のスキューロス島から回収して来て、(架空の人物に骨などない)アテーナイに葬り、テーセウス社を築いたのは、アカイア人の子孫アイアキダイのキモンである。
伝説のテーセウスは、一夫多妻の好色下衆野郎で、父殺し、テーバイ帝室のギリシアへの侵略者であって、野盗の最たるもので、「しばしば暴力によって虐げられる弱者の庇護者」であったことはない。
テーバイ帝室の帝王オイディプースや、ヘーラクレイダイは、アカイア人の不倶戴天の敵であり、彼らをテーセウスが庇護したようにいう伝説は、すべてアテーナイ捏造班の捏造である。

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