本の内容
著者:松島英子
書名:「メソポタミアの神像」
出版:角川書店
発行年:平成13年5/31
目次
序章
第一章 神々はどのような姿をしていたのだろうかー神とその像
一 多神観と神人同形観
二 神々の系譜
三 神々の性格と役割
四 神像の資料
第二章 神像はどのような役割を担っていたのだろうかー神像の存在意義
一 『エッラ叙事詩』
二 マルドゥク像をめぐって
三 粘土板文書BBS36が語るエピソード
四 国の興亡と神の移動
五 神はそこにいるー神と像
第三章 神像はどのように作られたのだろうかー神像の制作と手入れ
一 神像は何から作られたのか
二 物から神へ
三 製作・修復の実情を探る
1 新アッシリア時代の王碑文から
2 エサルハッドン王宛の書簡類
3 カルディア王朝、ナボニダス王の碑文
第四章 神々のファッション
一 神像と衣裳
1 前二千年紀以前
2 前二千年紀ー装身具や衣装のカタログ
3 前一千年紀ー衣装献納式「ルプシュトゥ」
二 衣装の種類と装飾
1 衣装の種類
2 アップリケ装飾
3 クシートゥについて
第五章 神殿では何が起きていたのだろうかー日々の務めと特別行事
一 神殿の日常
二 特別行事
1 ナブー神とタシュメートゥ女神の婚儀について
2 マルドゥク神とザルパニートゥ女神の婚礼について
3 ウルクの典礼・暦編文書
4 「神の婚儀」の意味について
終章 生きている神々ー偶像と崇拝
引用文
| 章 | 節 | 要約 | 本文 | 頁 |
|---|---|---|---|---|
| 0 | 0 | セム人の最古 | この北に位置し、今日のジェベル・ハムリーンを北限とする地域は、古い文書で「アッカドの地」と呼ばれた土地である。当時既にこの地には、既知のセム人のなかではもっとも古い部族に当る一群の人々がやって来て居住していた。 | 13-14 |
| 0 | 0 | アラビア半島が原郷 | セムの人々の源は、おそらく今日のアラビア半島であろう。 前四千年紀またはそれ以前から進行したこの地域の砂漠化に伴い、彼らのうちの一群が、今日のシリア・アラビア砂漠の北の縁にあたる地域に移動するようになった。 | 14 |
| 0 | 0 | キシュ出身のサルゴン | 前二十四世紀も三分の二を過ぎた頃、比較的北に位置する都市キシュの王に仕えていたセム人のサルゴンが、この王朝を倒し自ら権力を掌握し、アガデの町を都に、最初のセム系王朝であるアッカド王国を開いた。 | 18 |
| 0 | 0 | ラガシュ市からウルク市へ | アッカド王国末期の紺頼の時期に独立を保持し文化の華を咲かせたのは、南部のシュメール人都市ラガシュであった。 前二十二世紀になるとシュメールの都市ウルクがグディ人に勝利を収めた後、ウルに都が遷ってウル第三王朝が興った。 | 18 |
| 0 | 0 | マルトゥ=アムル人 | 同じ頃この地に、新しいセム系移民の波が姿を見せるようになった。彼らは当初北西方向から不穏な侵入者として現れた。人々は彼らを「西方の人々」と呼び(シュメール語ではマルトゥ、アッカド語ではアムッルー)、今日われわれはアムル人、またはアモリ人と呼んでいる。 | 19 |
| 0 | 0 | セム系のイシンとラルサ | その後のメソポタミア南部で覇権を握ったのは、ウル第三王朝から独立したイシン王朝と、やや遅れて出たラルサ王朝であるが、どちらもセム系王朝である。 | 19 |
| 0 | 0 | 南部統一できず | 前二十世紀から十九世紀にかけて、イシン、ラルサ両王朝はバビロニアの覇権を争ったが、どちらも統一するにはいたらなかった。 | 20 |
| 0 | 0 | バビロンは小国家 | バビロンには前十九世紀にセム系アムル人が独立王朝を開いたが、当初は小さな一地方都市国家にとどまっていた。 | 20 |
| 0 | 0 | シャムシ・アダドのアッシリア | 一方メソポタミア北部では、古くからアッシュルの町を中心にセム人が住み着いていたが、前十九世紀末にアムル人のシャムシ・アダド(前一八一三~一七八一)が王位に就き、彼の治世下でこのアッシリア王朝は、南部の地域と接触を持つようになる。 | 20 |
| 0 | 0 | マリの台頭 | 同じ頃西方ユーフラテス中流域の都市マリには、やはりアムル人の王朝が繫栄し特にジムリリム王の治世期には華やかな宮廷文化が花開いた。 | 20 |
| 0 | 0 | バビロン、アッシリア、マリの鼎立 | 前十八世紀にはアッシリア、マリ、バビロンが互いに勢力を競い合うが、バビロンのハンムラビ(前一七九二~一七五〇)が最終的に勝利を手にすることとなる。 | 20 |
| 0 | 0 | バビロニア王国成立 | 彼は近隣の諸都市を勢力下におさめ、マリを陥落させ、「シュメールの地」と「アッカドの地」のみならず、北方はアッシリアにまで到達する広大な地域を統一する国家を実現させた。 これをもって都市国家の時代は完全に終結したと言える。 | 20-21 |
| 0 | 0 | 世界の中心バビロン | これ以降は、どうような政治的興亡が繰り返されようとも、バビロンとその近隣、すなわち「バビロニア」は核心であり続け、メソポタミアの中心地であり、なおかつ彼らの目から見れば、世界の中心地でもあった。 | 21 |
| 0 | 0 | ザグロス山中からカッシートが浸透 | やがてバビロン第一王朝は、政治的に衰退への道を辿ることとなる。 そのような状況下、東北方のザグロス山中に住んでいたカッシート人の一部は徐々にバビロニアに移住して、さまざまな形で社会に浸透していった。 | 21 |
| 0 | 0 | ヒッタイトによってバビロン代位王朝滅亡 | 前一五九五年、突然アナトリア高原に位置していたヒッタイト王国の軍勢がバビロンを急襲し、バビロン第一王朝は滅亡した。 | 21 |
| 0 | 0 | カッシート成立 | 間もなく退却したヒッタイト軍に代わってバビロニアを政治的に支配したのは、カッシート人の王朝である。 | 21 |
| 0 | 0 | 450年の安定統治はバビロニア同化 | およそ四五〇年にわたるカッシート王朝時代、特にその前半に関しては、歴史資料が著しく乏しい。 政治的支配層を占めていたカッシート人は少数派であり、彼らはむしろバビロニアへの同化に努めたと思われる。 | 21 |
| 0 | 0 | イシン第一王朝 | バビロニアではカッシート王朝の滅亡、東方エラムの侵入などを経験した後、前一二世紀中葉にイシン第一王朝が成立した。 | 22 |
| 0 | 0 | ネブカドネザル一世、エラムからマルドゥク像奪回 | 四代目のネブカドネザル一世(前一一二四~一一〇三)は、エラムの都スーサまで遠征を行い、カッシート王朝時代末期に侵入したエラム王によって持ち去られたままになっていた、バビロンの主神マルドゥクの像を奪回することに成功した。 | 22 |
| 0 | 0 | 暗黒時代 | 前二千年紀末の暗黒時代の後、前一千年紀にはアッシリアが大きく勢力を伸ばした。 | 22 |
| 0 | 0 | アッシリアの征服 | アッシュルナシルパル二世(前八八三~八五九)以降の歴代の王は、ティグリス、ユーフラテス両川の中上流域、シリア北部に遠征を繰り返して、強力な軍事力を背景に次々と領土を拡張した。 | 22 |
| 0 | 0 | ティグラト・ピレセル三世、バビロニア併合 | ティグラト・ピレセル三世(前七四四~七二七)は南部のバビロニアに介入し、自らバビロン王の位にも就いた。 | 22 |
| 0 | 0 | サルゴン朝時代 | サルゴン朝時代と呼ばれるアッシリア帝国の最盛期は、サルゴン二世(前七二一~七〇五)からアッシュルバニパル王(前六六八~六二七)の時代まで続いた。 | 23 |
| 0 | 0 | センナケリブのバビロン破壊 | センナケリブ(前七〇四~六八一)はバビロニアの支配に手こずり、前六八九年にバビロンを攻撃して徹底的に破壊している。 | 23 |
| 0 | 0 | エサルハッドンの復旧 | 後継のエサルハッドン(前六八〇~六六九)はバビロンの復興に着手するが、本格的な復旧には次の王朝の出現を待たねばならない。 | 23 |
| 0 | 0 | カルディア人の新バビロニア | 一方、バビロンにはカルディア人の王朝が成立した。ネブカドネザル二世(前六〇四~五六二)の治世はその最盛期である。 | 23 |
| 1 | 1 | 章目次 | 第一章 神々はどうような姿をしていたのだろうかー神とその像 | 27 |
| 1 | 1 | 節目次 | 一 多神観と神人同形観 | 28 |
| 1 | 1 | 多神観と神人同形観 | こうした神々の世界を今日の言葉で表現するならば、「多神観」と「神人同形観」という二つの用語を用いることになろう。 | 30 |
| 1 | 1 | 想像上の共同体「パンテオン」 | ところでこの超自然の人格すなわち「神々」び想像上の共同体を、われわれば「パンテオン」と呼んでいる。 | 30 |
| 1 | 1 | ディンギル | 「神」はシュメール語でディンギル、アッカド語でイルといった。 | 31 |
| 1 | 1 | 『アトラハシース叙事詩』の人類誕生神話 | この理由付けに関しては、人類誕生の経緯を叙述するいくつかの神話、特にその代表的な作品である『最高賢者叙事詩(アトラハシース叙事詩)』が冥界に説明している。 | 34 |
| 1 | 1 | アヌナンキとイギギ(神々の階級差別) | それによると太古、神々だけが存在していた時代、社会は「上流階級」の神々(アヌナンキ)と下級の「労働者階級」の神々(イギギ)から成り立っていた。 | 34 |
| 1 | 1 | ストライキするイギギ | イギギはアヌナンキの生活を維持するために日々の労働に従事していたが、その辛さに耐えかねてストライキを起こした。 | 34 |
| 1 | 1 | 下級の神々の労働の肩代わり | この緊急事態に直面し、収拾の必要に迫られたとき、知恵に長けた神エアは、労働を肩代わりする存在を創造することにした。 | 34 |
| 1 | 1 | ストライキ犯の神を殺した「血」と泥から合成 | エアが思いついたのは、ストライキに加担した神の一人を殺して、その「血液」を土に混ぜこねて神と同じ姿に成形し、労働が可能な存在に作り上げることであった。こうして誕生したのが「人間」である。 | 34 |
| 1 | 1 | 人間の姿をした神 | そのようなわけでメソポタミアの人々は、あたかも人間を見るがごとくに神々を想い描いた。 | 34 |
| 1 | 1 | 具体的神像の制作 | 人々は、人間と同じ姿をしている神々を具体的に表現するために、その像すなわち神像を制作した。 | 35 |
| 1 | 2 | 節目次 | 二 神々の系譜 | 36 |
| 1 | 2 | 都市国家の隣保同盟 | 前三千年紀前半、シュメール人主体の都市国家がメソポタミア南部に併存していた時代、有力な都市国家はおそらく合意のもとで、一種のゆるやかな隣保同盟を形成していたと思われる。 | 36 |
| 1 | 2 | ニップルを頂点とするパンテオン | このような状況を反映して、上方の世界においても、ニップルの町に本拠地を置く超自然界の統一権威が組織された。 | 36 |
| 1 | 2 | 守護神を王とする神々の宮廷 | もちろんそれぞれの都市には、それぞれの「神々の宮廷」が存在していた。「神々の宮廷」の王は中心となる都市の守護神であり、配下に入った近隣集落出身の神々がその構成員でもあった。 | 36 |
| 1 | 2 | ウルクの神アン | アンはウルクの神であるが、パンテオンのなかでは神々の王朝の創設者であり、神々の王エンリルの父であり、権威の源であり保証人でもあった。 | 36-37 |
| 1 | 2 | ニップルの神エンリル | エンリルはニップルの神で「神々の王」であり、権力者であり、しばしば盲目的にその権力を行使しようとして、思わぬ事態を招くことさえあった。 | 37 |
| 1 | 2 | エリドゥの神エンキ/エア | エンキ/エアはシュメール南部の都市エリドゥの神で、常に思慮深いとは言えない王エンリルの傍らにあって、賢い助言者の役割を演じていた。 | 37 |
| 1 | 2 | 別の組織が重なる | 三大神が全く姿を消したわけではないが、もう一つ別の組織が、いわばその上に重なる格好となった。 | 37 |
| 1 | 2 | バビロンの守護神マルドゥク | それは前十八世紀、バビロンの王ハンムラビの手によって統一王国が形成されたという、大きな政治的変化の所産である。 バビロンの王が近隣・周辺の広い地域を支配するようになったことから、この町の神マルドゥクが、たんなる一都市の守護神から次第にその地位を上げ、数世紀の時間をかけてやがて他の神々を制したのである。 | 37 |
| 1 | 2 | マルドゥクがバビロンのベール | 遅くとも前一二〇〇年頃には、マルドゥクは天上界及び地上界の絶対君主と認識され、しばしば「主」を意味するベールの名で呼ばれるようになった。 | 37-38 |
| 1 | 2 | アッシリアのアッシュル神 | 北方アッシリアの帝王たちは、アッシュルの町の守護神でアッシリアの「国神」であるアッシュルを、マルドゥクに置き換えて最高神の地位に就けようとした。 | 38 |
| 1 | 3 | 節目次 | 三 神々の性格と役割 | 38 |
| 1 | 3 | アダドの台頭 | しかしエンキはエアに代り、同じくイナンナはイシュタルに、太陽神ウトゥはシャマシュに、月神ナンナはシーンに、雷雲をもたらす天候神イシュクルはアダドになった。 | 40 |
| 1 | 3 | 人間的な神から超越的な神へ | シュメールを起源の宗教の枠組みに、アッカド的精神が徐々に流入していったのである。 親しみやすく人間的な神ではなく、絶大な能力・特権を身に帯びた、崇高で近寄りがたく、輝かしい神の姿が想定されるようになったのである。 | 41 |
| 1 | 4 | 節目次 | 四 神像の資料 | 42 |
| 1 | 4 | 神殿エアンナ | ウルクにはアン/アヌの神殿があり、また同時にイナンナ/イシュタルの神殿エアンナも営まれていた。 | 42 |
| 1 | 4 | 神殿エクルと神殿エアブス | ニップルにはエンリルの神殿エクルが、エリドゥにはエンキ/エアの神殿エアブスがあった。 | 42 |
| 1 | 4 | 神殿エバッバル | ウトゥ/シャマシュの神殿エバッバルは、シッパルとラルサそれぞれの町に存在した。 | 42 |
| 1 | 4 | 神殿エサギルと神殿エジダ | 前二千年紀後半から勢力を拡大し「神々の王」と見なされるようになったマルドゥクの神殿は、バビロンにあるエサギルであり、ナブーの神殿はボルシッパのエジダにあった。 | 42 |
| 1 | 4 | 項目次 | 1 考古資料すなわち造形資料 | 43 |
| 1 | 4 | 丸彫り像 | 神像であるかどうかを議論された最古の作品は、テル・アスマルから発見された丸彫り像である。 | 44 |
| 1 | 4 | 礼拝者像だった | 今日では二体とも、ほかと同様の礼拝者であるとする見解が一般的である。 | 44 |
| 1 | 4 | 本尊の神像は現存せず | こうして検討してみると、考古資料のなかに、古代メソポタミアの有力な神々で、神殿において「本尊」として人々の礼拝の対象となっていた高位の神々の像が、事実上は全く現存していないことを認めざるを得まい。 | 48 |
| 1 | 4 | 浮き彫りは現存 | 一方神像を描写した浮彫りや円筒印章の図柄に関しては、かなりの数が現存している。 | 48 |
| 1 | 4 | 項目次 | 2 旧約聖書の外典から | 52 |
| 1 | 4 | 旧約聖書外典の一書「エレミヤの手紙」 | 旧約聖書外典の一書、「エレミヤの手紙」は、バビロニア王ネブカドネザル二世による「バビロン捕囚」の折、異国に連れて行かれようとしているユダヤの人々に送られた手紙の写しである。 | 53 |
| 1 | 4 | 肩に担がれる神像 | 「バビロンでは、金や銀や木でできた神々の層が肩に担がれて、異邦の民に恐れを抱かせているのを見るでしょう。 | 53 |
| 1 | 4 | 顔を拭いてもらう神像 | 紫の衣をまとってはいますが、自分の上に神殿の埃がつもるために、顔をふいてもらう有様です。 | 54 |
| 2 | 1 | 章目次 | 第二章 神像はどうのような役割を担っていたのだろうか | 57 |
| 2 | 1 | 節目次 | 一 『エッラ叙事詩』 | 58 |
| 2 | 1 | 『エッラ叙事詩』 | 『エッラ叙事詩』はバビロニアの神話のなかでも、比較的制作年代の新しいものであるが、五枚のタブレット合計約七百行からなるテクストの写本断片は、ニネヴェ、アッシュル、バビロン、ウルさらにはスルタンテペなど複数の遺跡から発見されており、広い範囲でよく知られていた文学作品であったことが判明する。 | 58-59 |
| 2 | 1 | 戦闘的な神エッラErra(冥界の王ネルガル神の別名) | しかし話の内容が、制作年代をある程度示唆してくれる。 『エッラ叙事詩』が語るのは、破壊欲に駆られた戦闘的な神エッラErra(冥界の王ネルガル神の別名)が、バビロンを初めとするバビロニアの諸都市を蹂躙し、後に心を鎮めてその復興を認める話である。 | 59 |
| 2 | 1 | 工人の神々! | さらにマルドゥクは、自分の高貴な像を輝かせる技量に長けている神々、すなわち木工師ニンイルドゥ、金銀細工師グシュキンバンダ、石工師ニンアガルの居所を知っているのかどうか、エッラに問いただした後、さらに続けて言う。 | 61 |
| 2 | 1 | 七人のアプカッルー | 「選りすぐった貴石はどこにあるのか、広い海の実り、私の王冠に相応しいそれは? アプスーの七人のアプカッルーはどこにいるというのか? 聖なる輝く魚であり、その主人エア神と同じように、叡智に長け、私の像を浄めることを任された者は? | 61 |
| 2 | 1 | 社会的・政治的に大きな混乱=神の不在 | 神が「怒って」本来の居場所である神殿を離れた場合、国の秩序は乱れ荒廃する。つまり社会的・政治的に大きな混乱が生じて神の像が失われた場合、それは神が「怒って座所離れた」と理解されたのである。 | 62 |
| 2 | 2 | 節目次 | 二 マルドゥク像をめぐって | 63 |
| 2 | 2 | トゥクルティ・ニヌルタ一世のマルドゥク拉致 | 例えば、バビロニアに伝わる『年譜』によれば、アッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ一世(前一二四四~一二〇八)はバビロンの町を攻撃し、「エサギルとバビロンの財宝を戦利品として持ち出し、偉大な主マルドゥクをその住まいから動かして、アッシュルへの道を辿らせた」。 | 63 |
| 2 | 2 | エラムによる拉致 | カッシート王朝末期のバビロニアの弱体化に乗じて、隣国エラムの王シュトゥルク・ナッフンテが侵入した事件である。 | 64 |
| 2 | 3 | 節目次 | 三 粘土板文書BBS 36 が語るエピソード | 64 |
| 2 | 3 | シッパルの町の守護神シャマシュの神殿エバッバルの復興事業 | 前九世紀中頃バビロンの王であったナブー・アプラ・イッディナによる、シッパルの町の守護神シャマシュの神殿エバッバルの復興事業の経過を述べたのち、エバッバルに対する供物の定めを記し、これを文書として交付することによって、神殿の経済基盤を保証しようとするものである。 | 65 |
| 2 | 3 | ストゥによるシャマシュ神像拉致 | 「ストゥ族がアッカドの地を混乱に陥れていた時代、この蛮族がエバッバルを襲い、シャマシュの像も、その標徴も失われてしまった。 | 65 |
| 2 | 3 | 太陽円盤で代用 | バビロン王シンバル・シパクは神像を探したが発見出来ず、像の前に懸けられていた太陽の形をした円盤を置いて、日常の供物の儀礼を復活し、エクル・シュム・ウシャブシを祭司に任命した。 | 65 |
| 2 | 3 | 粘土製のモデル発見 | ユーフラテス川の西岸から、シャマシュ神の像と標徴とを写した、粘土製のモデルが発見された。 | 66 |
| 2 | 3 | 神像制作決定 | シッパルの神官ナブー・ナディン・シュミがこれを王に見せたところ、王は大いに喜び、神像を作らせることを決意した。 | 66 |
| 2 | 3 | 工人の神々 | エア神の知恵と(木工師)ニンイルドゥ神、(金銀細工師)グシュキンバンダ神、(石工師)ニンクッラ神、(彫物師)ニンザディム神(から授かった)技によって、赤い金と輝くラピスラズリを使った偉大なシャマシュの像は、立派に完成した。 | 66 |
| 2 | 3 | 口すすぎの儀 | ユーフラテス川岸のエカルザギンナで行われたエア神とアッサルヒ神による浄めの儀式において、神像の口がすすがれ、神像は(祭室内の)座所に入った。 | 66 |
| 2 | 4 | 節目次 | 国の興亡と神の移動 | 68 |
| 2 | 4 | ティグラトプレセル三世の宮殿の浮彫り | 前八世紀のアッシリア王ティグラトプレセル三世の宮殿の壁面を飾っていた浮彫りのなかに対外軍事遠征に赴いたアッシリアの軍隊が、征服した町から四体の神像を、運び出す場面を描写したものがあることは既述した。 ******** 四体の最後は、アダド神である。稲妻の束を持っている。 | 68-69 |
| 2 | 4 | 神像が捕虜 | アッシリアの兵隊が肩に担ぐ輿に載せられた神々の像は、事実上の「捕虜」としてアッシリアの町に連行されようとしている。 | 68 |
| 2 | 4 | センナケリブの神像破壊宣言 | センナケリブの王碑文はバビロンを徹底的に破壊したことを述べ、「私の(アッシリアの)民の手は(バビロン)に住まう神々を捕らえ打ち砕いた」と言明している。 | 72 |
| 2 | 4 | 数字をひっくり返すと十進法と六十進法を入れ替え可能碑文 | (マルドゥクは運命のタブレットに)「バビロンの放置の期間は七十年間とする」と記した。(しかし)恵深いマルドゥクは、心を鎮め、数字をひっくり返し、十一年後に、再び住むことを宣言した。 | 74 |
| 2 | 4 | メソポタミアの数学 | メソポタミアでは、十進法と六十進法が、同時並行的に通用していた。 | 74 |
| 2 | 4 | 現代と同じ | この地の人々が用いた楔形文字では、数字の六十を示すサインと一を示すサインは同じ字形をしている。そのことから、六十+十と書いてあるものを左右入れ替えると、十+一と読める。このような「文字の遊戯」を思い付いた知恵者が、エサルハッドンの側近にはいたわけである。 | 74 |
| 2 | 4 | アラブ人の要塞アドゥトゥ/アラビアの王妃イスカッラトゥ | 「我が父にして生みの親センナケリブは、アラブ人の要塞アドゥトゥを征服し、財宝、財産、神々、さらにはアラビアの王妃イスカッラトゥをも奪い、アッシリアに持ち込んだ。 | 76 |
| 2 | 4 | アラビアの王ハザイル | アラビアの王ハザイルは、大きなる貢ぎ物とともに我が王権の町ニネヴェを訪れ、我が足に口付けをして、神々を返してくれるようにと懇願した。 | 76 |
| 2 | 4 | アタルサマーイン、ダヤ、ヌハヤ、ルルダヤウ、アビリッル、アタルクルマー | 私は心を和ませた。疲れた姿のアラビアの神々アタルサマーイン、ダヤ、ヌハヤ、ルルダヤウ、アビリッル、アタルクルマーを、立派に仕立て直し、それぞれ(の像)の上に我が主アッシュルの威光ならびに我が名を書き記して返還した。 | 76 |
| 3 | 1 | 章目次 | 第三章 神像はどのように作られたのだろうかー神像の制作と手入れ | 81 |
| 3 | 1 | 節目次 | 一 神像は何から作られたのか | 83 |
| 3 | 1 | ハンムラビの治世年の記事 | バビロン第一王朝の六代目の王ハンムラビ(前一七九二~一七五〇)の十七年、二十九年、三十年の年名にも、神像の記事が見られる。 | 84 |
| 3 | 1 | 銅像であった証拠 | そのうち三十年のものは、天候神アダドの妻であるシャラ女神の像が前年に作られたことを示しているのだが、ここで「像」を意味する語 alam を表記している文字の前に「銅」を意味する限定文字 urudu がつけられている。 | 84 |
| 3 | 1 | ブロンズ小型神像のファクト | 第一章でも見たように、然二千年紀中葉以前に作られたブロンズ製の小型神像は、実際に発見されている。 | 85 |
| 3 | 1 | 世界樹である 「メースの木」が神像の材料 | 「神々の身体(そのもの)であるメースの木はどこにあるというのか?(それは)全(宇宙)の王の標徴、清浄な木、宗主権に相応しい高貴な若者!広い海のなかを百ベールもの深さに届いて、地下世界に根を張り、上方は高くアヌ神の天の頂きに達するもの!(Ⅰ150-153)」(『エッラ叙事詩』より) | 87 |
| 3 | 1 | メースの木=宇宙樹 | ここでは「メースの木」が、マルドゥク神の身体に例えられていて、そのメースの木については、「宇宙樹」を連想させる形容がなされている。 | 88 |
| 3 | 1 | メース=実在のメソポタミア原産の木 | しかし、メースは実在した樹木である。メソポタミア原産の木で主として家具・調度品の材料になったというが、現在われわれが知っている木のどれに相当するのか、同定は出来ていない。 | 88 |
| 3 | 1 | 高級木材は貴重品 | メソポタミアの気候風土のなかで、木は豊富にある材料ではない。特に良質の木材は、容易に入手できるものではないし、それだけに希少価値のある高価な資材であった。そうであれば、大切な神像の材料としてはむしろ相応しかったはずである。 | 89 |
| 3 | 1 | 金や貴石も材料 | 『エッラ叙事詩』ではメースの木に加えて、「エルメーシュ」「輝くザギンドゥルー石」「選りすぐった貴石、広い海の実り、私の王冠に相応しいそれ」などが、材料に挙げられている。またしばしば「輝き」が問題とされていること、上述のように金銀細工師や石工(ニンアガルは石を研磨する技術者)が大きな役割を担っていることから、神の像と金や貴石とが密接に結び付いていたことも分かる。 | 90 |
| 3 | 2 | 節目次 | 二 物から神へー神像の取り扱い手順 | 91 |
| 3 | 2 | 口を洗う | BBS 36 には、「エア神とアサッルヒ神による浄めの儀式において、ユーフラテス川岸のエカルザギンナ(祭殿)に置かれたシャマシュ(像)の口を洗った。(その後)神は(本来の)住まいに落ちついた(Ⅳ 22-28)」と書かれている。 | 92 |
| 3 | 3 | 節目次 | 三 制作・修復の実情を探る | 95 |
| 3 | 3 | 項目次 | 1 新アッシリア時代の王碑文から | 96 |
| 3 | 3 | カルフ(ニムルド)の造営者 | 前九世紀の王アッシュルナシルパル(前八八三~八五九)は、強力な征服王であると同時に新都カルフ(ニムルド)の造営者としてもよく知られているが、彼はここに、自分がもっとも信奉する神ニヌルタの神殿を建設した。 | 97 |
| 3 | 3 | ニヌルタ神殿 | 「私は我が主ニヌルタの神殿を(カルフの)なかに建てた。」 | 97 |
| 3 | 3 | 赤く輝く金 | 「その偉大な神性の表示像として、山の産物である美しい貴石と赤く輝く金を用いて作った。」 | 97 |
| 3 | 3 | 天地の運河の監督アダド | 「天地の運河の監督アダドの神像を興した。」 | 98 |
| 3 | 3 | 迷信深いエサルハッドン、神像再興 | エサルハッドンは、歴代のアッシリアの帝王たちのなかでも、とりわけ迷信深い人物であった。健康の不安を抱えていたためでもあろうか、側近に占星術師や内臓占い師を集めて、自分の行動について占いに基づき助言するように頻繁に求め、また彼らの進言から強い影響を受けている。 | 99 |
| 3 | 3 | アッシュルのビート・ムンムの職人集団 | その工房ビート・ムンムはアッシュルの町にあるアッシュル神殿のなかに設けられていた。卜占を通じて選ばれ、王によって任命された選り抜きの職人たちが集められ、贅沢な材料をたっぷり使って作業が着々と進行していった。 ************** エサルハッドンの側近の占い師や天文学者、金銀細工師、石工などは、バビロニア人(のちのカルデア人)で、シュメル=フェニキア系であっただろうから、アッシリア最盛期の浮彫り美術の高度な技術はこのあたりからの技術者集団の寵用が原因かもしれない。 | 103 |
| 3 | 3 | 項目次 | 2 エサルハッドン王宛の書簡類 | 104 |
| 3 | 3 | 迷信深いエサルハッドンと占い師の側近 | 既述のようにエサルハッドンは健康に優れず、精神的にも不安を抱えていた王であったが、占い師を多く含む直属の廷臣たちからさまざまな情報を入手したり、助言を求めたりして、多難な局面を切り抜けようとした。 | 104 |
| 3 | 3 | 占術廷臣の書簡 | このした廷臣たちは、王に直接任命されて帝国内の主要な土地に赴き、その地の動向を事細かに王に報告している。 | 104 |
| 3 | 3 | ニネヴェ出土のエサルハッドン書簡 | このような書簡が都ニネヴェの発掘によって多数出土したが、それらの大多数は行政や外交の諸問題、王や国の運命の吉凶についての卜占の結果などを話題としている。 | 104-105 |
| 3 | 3 | 蛇文石の「眼石」(エサルハッドンの守護石か) | 「我が主王に、御身の僕マール・イシュタルより。・・・ 我が主王の蛇文石でできた二十六個の「眼石」と、我が女主人王母后の一ミナの金を、クルブートゥ職の役人ナブー・レーイが、アブ月二日に運んでまいりました。」 | 105 |
| 3 | 3 | ナブー神信仰を洗脳 | 我が主王が私に書き送り給いましたように、ナブー神の王冠のために(それらを)使いましょう。 **************** ナブー神の持物は尖筆と粘土板で、「書記官」の神である。水星と関係づけられ、ヘルメースと同一化。 セム語の語幹nb(知らせる)に由来するとの説もある。 バビロニア人の占星術師の崇拝する神であり、主王のエサルハッドンを洗脳したものと思われる。 | 105 |
| 3 | 3 | 側近中の側近「書記」マール・イシュタル | 発信人マール・イシュタルは、エサルハッドンがバビロニアに派遣した「書記」であるが、いわゆる王の「官房官」であり、側近中の側近の一人であった。彼はバビロニアの動向や行政上の細々した事項について書き記した書簡を、王に頻繁に送っている。そのなかにバビロニアの諸神殿の復興活動や祭儀に関するものが相当の数含まれていることから、彼がエサルハッドンの治世下におけるこの方面の事業の、中心人物であったことが推察される。 | 105 |
| 3 | 3 | 王と皇太后の名の下に材料調達 | 問題の書簡は当時のバビロニアでもっとも有力な神の一人となっていたナブーの神像に関わるもので、ナブーの王冠の復旧ないしは修復について、王が担当者に直接指示を出したこと、また王と皇太后の名の下に材料が調達されていたことを物語っている。 | 105-106 |
| 3 | 3 | 皇太后ザクートゥ(アラム語名ナキア) | 皇太后とは先王センナケリブの妃で、当時のアッシリアの政治に少なからぬ影響を与えていたザクートゥ(アラム語名ナキア)である。 | 106 |
| 3 | 3 | 眼石の美しさ | 「彼らがわれわれに見せた多くの「眼石」は、大変美しいものでございます。」 | 106 |
| 3 | 3 | バビロン王太子の名記す | 「ナブー神の王冠は[完成したしました(?)]。我が主王の御名と、[バビロンの]王太子の御名を、その上に[記しました]。」 | 107 |
| 3 | 3 | シャマシュ・シュム・ウキーン | エサウハッドンは、・・・完成した王冠に自分の名前と、後にバビロン王となるシャマシュ・シュム・ウキーンの名を刻ませている。 | 107 |
| 3 | 3 | 神像は現存せず | このようにして制作されたはずの神像が一点も現存していないのだから、如何ともしようがない。 しかしこれまで論述してきた事項を、あらためて書簡から確認しることは出来る。 | 113 |
| 3 | 3 | 木像で金、銀、貴石で装飾されたもの | すなわち高位の神々の像は木製であったこと、その表面は金で覆われたこと(ABL 476)、神像には衣が着せられ、金、銀、貴石類で作った冠、装身具、持ち物で飾られたこと、などである。 | 113 |
| 3 | 3 | 項目次 | 3 カルディア王朝、ナボニダス王の碑文 | 114 |
| 3 | 3 | カルディア王朝神殿再建に熱意 | アッシリアを滅ぼしてメソポタミアの覇権を握ったカルディア王朝の帝王たちは、バビロニア各地の神殿の再建、再興に尽力した。 | 114 |
| 3 | 3 | ネブカドネザル二世の貢献 | 王朝最盛期の王ネブカドネザル(前六〇四~五六二)が残した多数の碑文には、神殿の再興に関する記述が多く認められるが、神像に直接言及した記事はほとんど見当たらない。 | 114 |
| 3 | 3 | ナボニダスの碑文VR63 | しかしナボニダス王(前五五五~五三九)の碑文VR 63 を見ると、興味深い記事が目につく。 | 115 |
| 3 | 3 | ナボニダス王市民と対立 | だが文書はナボニダスがシャマシュの冠の制作を発意したこと、その折、王とバビロニアの市民たちの間に対立が生じたことについて、具体的な記述を残している。 | 115 |
| 3 | 3 | バビロニア神官団に従う | 「しかし私は黄金の冠の制作については心配し、技に長けたバビロンと[シッパルの]市民を集め助言を求めた。彼らは「王冠は古くからのそれと全く同じようでなければなりません!」と言った。(VR 63) | 115 |
| 3 | 3 | ナボニダスは王位簒奪者 | 王が市民に屈したこのエピソードは、ナボニダス自身がカルディア王朝の王位簒奪者であったという、複雑な政治的事情を反映したものと言えるかもしれない。 ************ 母はハラン市の出身(アラム人)で碑文で「取るに足らない出自だ」と述べている。 ハランの主神は月神シンであり、マルドゥクやナブーよりシンを尊重し、神官団の力を削ごうとした観がある。 長期サウジアラビアのタイマに通商路開発のため滞在し、バビロンを留守にしたため人気がない。 バビロン陥落時に捕らえられたが処刑された形跡はない。 名前はアッカド語でナブー・ナイド(ギリシア語でナボニダス)。名前にナブー神があるため、父はナブー信仰系だったのかも。 | 116 |
| 3 | 3 | 新バビロニア王朝の資料 | ソース:ウィキペディア(ネルガル・シャレゼル)から ***************** ネブカドネザルの治世後半の大部分と、アメル・マルドゥク、ネルガル・シャレゼル、その息子で後継者であるラバシ・マルドゥクの治世の大半に該当する紀元前594年から紀元前557年までの期間における楔形文字の史料はごくわずかしかない。一般に、この時代の歴史の再構成には、バビロニアからの契約文書粘土板に加えて、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語の二次資料に従って、当時の出来事を決めている(ベロッソスなど) | w |
| 3 | 3 | アメル・マルドゥク/3代目 | ネブカドネザル二世の息子。ネブカドネザルの有力な将軍ネルガル・シャレゼルによって殺されて、ネルガル・シャレゼルが王位を簒奪する。 | w |
| 3 | 3 | ネルガル・シャレゼル/4代目 | 簒奪者。ネブカドネザルの娘婿。治世(前560-556)。 | w |
| 3 | 3 | ラバシ・マルドゥク/5代目 | ネルガル・シャレゼルの息子。子供のころに即位して、ナボニダスに殺され、簒奪される。 | w |
| 3 | 3 | ネブカドネザル晩年から新バビロニア滅亡までの歴史が不明な理由は史料不足 | ネブカドネザルの治世後半の大部分と、アメル・マルドゥク、ネルガル・シャレゼル、その息子で後継者であるラバシ・マルドゥクの治世の大半に該当する紀元前594年から紀元前557年までの期間における楔形文字の史料はごくわずかしかない。一般に、この時代の歴史の再構成には、バビロニアからの契約文書粘土板に加えて、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語の二次資料に従って、当時の出来事を決めている(ベロッソスなど) | w |
| 3 | 3 | ラバシ・マルドゥク/5代目 | ネルガル・シャレゼルの息子だが、ネブカドネザル二世の娘の胎でなかった可能性がある。そのため、高位の神官団と組んだナボニダスによって誅せられたようだ。おそらく新参者のバックが。 | w |
| 3 | 3 | ベロッソスのクーデタの経緯/ナボニダス擁護 | ベロッソスは、ネルガル・シャレゼルは没する前の4年間、王であり、その跡は息子のラボロソアルドコス(ラバシ・マルドゥク)が引き継いだと書いている。また、ベロッソスは誤ってラバシ・マルドゥクの治世を9か月としている(これは書記の誤りである可能性がある)。そして彼は、ラバシ・マルドゥクの「邪悪な道」ゆえに彼の友人たちは陰謀を企て、最終的にはまだ子どもであった王を殴打して殺したと述べている。その後、首謀者たちは、自分たちのグループに属していたナボンネドス(ナボニドゥス)が王となることで合意した。 | w |
| 4 | 0 | 章目次 | 第四章 神々のファッション | 119 |
| 4 | 0 | 衣装と装身具 | 一般に身を飾るものには、衣装のほか装身具がある。 古代メソポタミアの人々は、衣装(一式)を「ルブシュトゥ」小寝具類(一式)を「シュクットゥ」と呼んでいた。 | 120 |
| 4 | 1 | 節目次 | 一 神像と衣装 | 121 |
| 4 | 1 | 項目次 | 1 前二千年紀以前 | 122 |
| 4 | 1 | 項目次 | 2 前二千年紀ー装身具や衣装のカタログ | 123 |
| 4 | 1 | バビロン第一王朝七代目の王サムスイルナの治世 | 既知のまとまっと記録のうち最古のものは、バビロン第一王朝七代目の王サムスイルナの治世二十一年(前一七二八頃)の年名、すなわち「ドゥムジ月二十七日、サムスイルナ王がニンガル女神の神殿の玉座を作った年」の奥付があるテクストTLB1,69である。 | 123-124 |
| 4 | 1 | 衣装と装身具の戸棚 | この一覧を見ると、ラガバの町ではこの頃神々の衣装や装身具が特別に作られ、財宝を保管しておくために「戸棚」に納められていたようである。 | 125 |
| 4 | 1 | 財産目録 | 時々財産目録の点検が行われ、目録には追加が書き込まれた。 | 125 |
| 4 | 1 | カトナの女神の装身具カタログ | 前二千年紀中葉にシリアの町カトナで作られた「装身具一式」シュクットゥの一覧を挙げてみたい。 | 128 |
| 4 | 1 | タブレット原文/ファクト | 「ニンエガル女神のシュクットゥに関するタブレット。 カトナの女主人、(その色は)赤く輝く金。 黄色に輝く金のフルップをその手に(持っている)。 その重さは十シェケル。」 | 129 |
| 4 | 1 | 「赤く輝く金」の語彙 | 「赤く輝く金」は第二章で利用したアッシリア期の王碑文抜粋の中でもほぼ同義の hurasu russu と共にしばしば使われている語彙である。「黄色に輝く金」で出来た持ち物フルップと対比させられているところを見ると、女神の姿全体が赤みがかった金、持ち物が黄みがかった金に輝いていたことになろうか。 | 129 |
| 4 | 1 | 10シェケル=約80グラム | フルップは、シュメール語からの借用語でおそらく金属製の皿のようなものと思われるが、・・・ここではその重さが十シェケル(約八十グラム)というから、ある程度の直径を有する器になる。 | 129 |
| 4 | 1 | 人間の2/3大の神像 | そうであるとすれば、女神ニンエガルの像は、既にかなりの規模を備えていたことになる。人間の等身大には及ばないにしても、少なくともその三分の二ほどの大きさがあったのではなかろうか。 | 129 |
| 4 | 1 | 項目次 | 3 前一千年紀ー衣装献納式「ルブシュトゥ」 | 133 |
| 4 | 1 | シッパルの町の主神シャマシュの神殿エバッバルの献納式/前9世紀 | まず挙げられるのが第二章で見た BBS 36 である。 前九世紀のバビロン王ナブー・アプラ・イッディナの発意により、シッパルの町の主神シャマシュの神殿エバッバルに神像が復活したわけだが、そのとき王はシャマシュ、その妃神アヤ、そしてブネネの三神に対し、食物を捧げるとともに、さまざまな種類の衣装を献納した。 | 133 |
| 4 | 1 | カルディア時代のエバッバル | エバッバルにおける毎年の神々への衣装の献納に関しては、時代が大きく下がったカルディア朝のナボポラッサル王(前六二五~六〇五)時代の成立になるテクストにも記述がある。 | 135 |
| 4 | 1 | 麻やウールの衣装を着せていた | 「偉大なる王シャマシュ、エバッバルに鎮座在すお方、しっぱるの主君、エバッバルの偉大なる主シャマシュの衣装は(以下のとおりである) 麻の服…二着、・・・四着、・・・ 青紫のウールのリボン・クルール一本、 金の「アム」装飾の付いたリボン・クルール一本、 青紫のウールの服一着、 ************* つまり素材は、麻やウールであり、人間同様、布製の服を像に着せていた! | 135 |
| 4 | 1 | 「衣装」から「衣装・持ち衣装を中心とした神殿の儀式」へ | 以上の資料に現れる「ルブシュトゥ」の語は、元来「衣装・持ち衣装」「衣装一般」などを意味する用語であった。しかしここに見るように前一千年紀のテクストの中で、この語はより象徴的なニュアンス、すなわち「衣装・持ち衣装を中心とした神殿の儀式」の意味を含んで使われるようになった。 | 139 |
| 4 | 1 | アッシリア王宛の書簡類 | 新アッシリア・サルゴン朝時代に王宮内で取り交わされた書簡類のなかには、第二章で見たように、神像に関する記述を含むものがある。 | 139 |
| 4 | 1 | マール・イシュタル | 「ABL 338 我が主王へ。御身の僕、マール・イシュタルより。・・・」 | 142 |
| 4 | 1 | マール・イシュタルの書簡 | この手紙は、先に神像の制作や修理に関する書簡として引用したABL 340、及び ABL 476 の発信者であるエサルハッドンの側近マール・イシュタルによって書かれたものである。 | 142 |
| 4 | 1 | 訪れるナブー神 | この書簡によれば、ナブー神が「ルブシュトゥ」に参加するために、ベールすなわちマルドゥク神のもとにやって来るという。 | 143 |
| 4 | 1 | エサギルの「書記」からマルドゥクの「長子」へ | ナブーは古くはエサギルの「執事」そして「書記」であったが、前一千年紀にはマルドゥクの「長子」として、急速にその地位を向上させ勢力を伸ばした。 | 143 |
| 4 | 2 | 節目次 | 二 衣装の種類とカタログ | 158 |
| 4 | 2 | 衣装着せ替えの祭儀 | 神々の像に衣装を着せることが年間の主要な祭儀として定着していた事実を、こうして確かめてきた。 | 158 |
| 4 | 2 | メソポタミアの神々の衣装 | ではそこで用意された衣装はどのようなものであったのだろうか、そしてメソポタミアの神々は、一体どのような衣装を身に着けていたのだろうか? | 158 |
| 4 | 2 | 職人集団 | 例えば前六世紀から前五世紀にかけてのシッパルのシャマシュ神殿エバッバルには、織物職人、衣類の修繕職人、洗濯職人、金銀細工・宝飾職人などが出入りしていた。 | 158-159 |
| 4 | 2 | 項目次 | 1 衣装の種類 | 159 |
| 4 | 2 | 衣装用語 | 前一千年紀において、具体的に衣装を指して使われている用語のなかに、例えばテーディーク、ムツィープトゥ、ピシャンヌ、クシートゥがある。 | 160 |
| 4 | 2 | オッペンハイムの研究から | オッペンハイムは一九四八ねんに発表した論文”The Golden Garments of the Gods”,JNES 8,pp.171-193において、神像の衣装の問題に取り組み、文献資料を注意深く検討しつつ考古学資料とも突き合わせて、いくつかの事柄を明らかにした。 | 160 |
| 4 | 2 | テーディーク | 「テーディーク」は、新バビロニア時代の王碑文のなかで宗教的文脈においてしばしば使われている用語であり、一方経済文書など神殿の具体的な活動のなかから生まれた文書においては、ほとんど見かけることはない。 オッペンハイムはこれを当時の神々や王の持ち衣装に含まれる豪華な衣類であろうと考え、さらに動詞エデーク「身に着ける」の受動態との結び付きを勘案して、腰に巻いて着用したものではないかと推測している。 | 160 |
| 4 | 2 | ムツィープトゥ | 「ムツィープトゥ」は、新バビロニア時代の文書では二通りの現れ方をしている。 一方では法・経済文書のなかで社会の中流以下の階層の人々の衣装として、他方では神殿関係の文書のなかでもっぱら女神の衣装として言及されている。この衣装にはしばしば「金のアップリケ」(後述)が施されたという記録がある。 | 160-161 |
| 4 | 2 | ピシャンヌ | 「ピシャンヌ」は、常に神像と関わる文書の中で使われる用語である。麻布を材料にした衣服だが、その装飾には、赤色または青紫色に染めたウールがしばしば用いられた。 | 161 |
| 4 | 2 | クルール | 「クルール」は頭飾りの一種であり、ヘアバンドかターバンのような形態をしていたと思われる。 これと一緒に「メーツ」あるいは「エッル」の語が姿を見せるが、こちらはいわゆるリボンのようなものであって、縛ったり、縁を飾ったりするために利用されていたと思われる。 | 161 |
| 4 | 2 | ツッブトゥ | 「ツッブトゥ」はもっぱら縁飾りのために使われた品であった可能性が高い。 | 161 |
| 4 | 2 | 衣装の種類 | 衣装に関する語彙を大雑把に分類して分かることは、少なくとも、①頭部に付けるもの、例えばヘアバンド、リボン、スカーフの類、②外衣、例えばケープや外套、③その内側に着る衣類、肌着、腰巻、その他、④腰帯、ベルトなど、に分類出来ることである。 実際の神像はこれらに加えて、さらに別に仕立てられた冠、装身具などを着けていたわけである。 | 163 |
| 4 | 2 | 麻とウール | 衣装の材料は、主として羊毛の織物すなわちウール生地、ないしは麻生地である。 | 163 |
| 4 | 2 | 赤色と青紫色 | シッパルの神々の衣装に関する文書記録を検討した限りでは、赤色のウールあるいは青紫色のウールがもっとも頻繁に使用されていた。 | 163-164 |
| 4 | 2 | 項目次 | 2 アップリケ装飾 | 164 |
| 4 | 2 | オッペンハイム論文 | さきに言及した L・オッペンハイムの論文の成果のなかで、とりわけ重要なのは衣装の表面装飾に関する事柄である。 | 164 |
| 4 | 2 | 金の品(パーツ) | ウルクやシッパルから出土したバビロニア後・晩期のテクストの中に、女神が着用する衣装の「金のアヤル」、「金のテンシュー/テンシュヤ」、「金のニプフ」、「金のカッカブ」、「金のハシュー」など、いくつかの具体的携帯を有する金の品についての言及がしばしば見られる。 | 164-165 |
| 4 | 2 | 衣装に付けた数百・数千のパーツ | 多くの場合ムツィープトゥ、ピシャンヌ、クシートゥなどの豪華な衣装に付属しており、総計で数百から千以上の数のアヤルやテンシューなどが、一つの衣装に関わっている。 | 165 |
| 4 | 2 | 修繕・クリーニング時に取り外し | ある種の衣装には、金で作られた多数の小さな飾りが取り付けられてその表面を飾り、また修繕やクリーニングが必要になると取り外されたことが、こうして文書の記述から判明する。 | 165 |
| 4 | 2 | アヤル=ロゼット、テンシュー=方形、ニプフ=円盤、カッカブ=星形 | アヤルはいわゆるロゼットすなわち円形の花飾り、テンシュー/テンシュヤはおそらく方形の飾り、ニプフは円盤形、カッカブは星形の飾りである。 | 165 |
| 4 | 2 | 項目次 | 3 クシートゥについて | 168 |
| 4 | 2 | 金のパーツがアップリケされたクシートゥ | ウルク出土のテキストYOS 6,117(ネブカドネザル王八年)では、「ウルクの女主人」すなわちイシュタル女神のクシートゥには七〇六個の金の星カッカブと六八八個の金のハシューのアップリケが、また同様にナナイ女神のクシートゥに七〇六個の金の円形花模様アヤルと七〇六個の金のテンシュのアップリケが散りばめられていたという。 | 171 |
| 4 | 2 | 重い衣装クシートゥ | クシートゥが豪華な装飾を一面に施した重い衣装でであったこと、・・・ | 171 |
| 5 | 0 | 章目次 | 第五章 神殿では何が起きていたのだろうか | 183 |
| 5 | 1 | 節目次 | 一 神殿の日常 | 184 |
| 5 | 1 | 神々の「住」について | 神殿は神々を住まわせるだけでなく、彼らを静かな環境に置き、ほかの存在とは別に神々だけで、平穏な、しかも洗練された生活が送れるようにする場であった。 | 186 |
| 5 | 1 | 神々の「食」について | 神殿では神々に毎日必ず食事が用意された。 | 187 |
| 5 | 1 | 旧約聖書の『ダニエル書 補遺』 | ところで、神々に供された食事は、神々が食べることを前提に作られたわけだが、実際に像によって食べられることはない。ではその後どのようになったのだろうか?旧約聖書の『ダニエル書 補遺』のなかの「ベルと竜」の話の一節は、バビロニアの王が、ベル神すなわちマルドゥクに毎日大量の食物を供える様子を語る。そして次のように続ける。 「夜になり、いつものように祭司とその妻や子供たちがやって来て、すべてを食い、飲み尽くした。」 | 189 |
| 5 | 2 | 節目次 | 二 特別行事 | 190 |
| 5 | 2 | 祭 | さて神殿では、神の像があたかも人間のごとく衣・食・住の世話を受けていた。言い換えれば神像は一種の「人形」であったわけだが、この「人形」はさまざまな行事、すなわち祭にも参加した。 | 190 |
| 5 | 2 | 項目次 | 1 ナブー神とタシュメートゥ女神の婚儀について | 191 |
| 5 | 2 | ナブー神は「運命のタブレットの保持者」! | ナブーは前二千年紀にはエサギルの「執事」であったが、前一千年紀になるとマルドゥクの「長子」とされ、バビロンの近くに位置するボルシッパを本拠地に、書記術の神・「運命のタブレットの保持者」として広く信仰を集め、時代が下るにつれさらにその勢力を強めた。 | 191 |
| 5 | 2 | カルフでのナブー神の婚礼儀礼 | アッシュルバニパルの皇太子時代、アッシリアの都の一つカルフ(ニムルド)で、ナブー神の婚礼の儀式が執り行われた。式には神殿の「長」が出席した。 | 193 |
| 5 | 2 | カルフのナブー神殿 | 前九世紀のアッシュルナシルパル二世によって造営されたこの町には、立派なナブー神殿が営まれていた。 | 193-194 |
| 5 | 2 | 夫婦神の神殿の設備 | 神殿域内にはナブーとッタシュメートゥそれぞれのための聖堂が設けられたほか、「玉座室」「図書館」、タブレットを保管した複数の部屋があった。アッシリアにおけるナブー祭祀の中心地の一つであったと考えられる。 | 194 |
| 5 | 2 | 「寝所」に神像が入ってする儀礼 | 「ABL 366 我が主王へ、御身の僕、ネルガル・シャラニより。・・・。 明日四日の夕刻、ナブーとタシュメートゥとは「寝所」に入り給いましょう。五日に人々(?)は、「王の食事」を食べさせることでしょう。(人々は)「ライオンの頭」と松明とを、宮殿に運んで来ることでしょう。五日から十日まで、神々は「寝所」に籠り給うことでしょう。・・・」 | 197-198 |
| 5 | 2 | 儀礼の劇の台本の存在 | さて、これまで見たきた書簡類とほど遠からぬ時期の制作になると思われる宗教文学テクストのなかに、問題の儀礼と直接関わるものが一点存在する。ナブー、タシュメートゥ、コーラスの三者が交互に科白を語るという、なかなか壮麗な詩歌形式の構成からなる作品である。 | 199 |
| 5 | 2 | 寝所に入り閂をかけた外で、劇が開催された | 「その後神々は「寝所」に入り、扉に閂がかけられる。後にいくつかの暗喩的な科白が続くが、具体的な意味は不明。 ******************* 夫婦一対の神像を持った神殿コンプレックスでは、二体の神像を使っての豊穣儀礼(婚礼儀礼)が為されたと言うことが想像できる。 プラタイアのヘーラーとゼウスの聖婚儀礼は、この形のものであろう。 フェニキアのアシュタルテ神殿などは、神官が女神の花婿の役割を果たしたと思われる。 逆に、男神の神殿の女性神官は、神の花嫁の役割を果たしたのだろう。 実際に神像とセックスできるわけもないので、当然、劇のコーラスによる進行で、科白を読んだのであろうと想像できる。 | 200 |
| 5 | 2 | 神像をつかった婚礼芝居 | しかし実際には、メソポタミアにおける祭儀とは、神像という「人形」を中心にした「芝居」であったと言える。 | 206 |
| 5 | 2 | バビロニア系のナブーの婚礼式 | 前一千年紀のバビロニア系テクストのなかにも、ナブーの婚礼式に言及したものがある。 | |
| 5 | 2 | ナブー神とナナヤ女神の婚礼儀礼 | 「SBH no.8 アヤルの月、エンリルの強きイッシャク役のニンギルス神の月、 牡牛に鋤を付け、畑を開く月、 花婿ナブーは「最高神アヌの権威」(を象徴する)衣を纏い、 エジダから(出発する。) 彼はまっすぐエフルシャバのなかへと歩みを進める。 六日目に彼は「園」へ出向き、・・・ 七日に彼はエメウルウルにまっすぐ進み、聖なるエアンナに上り、「園」へと出る。「アヌの園」に入ったナブーは、そこに鎮座する。 十七日にナナヤはエフシャバから身を起こし、 「山の園」へ赴く。 | 206-208 |
| 5 | 2 | アッシリアのナブー婚礼儀礼との共通点 | 記述のなかには、アッシリアの資料にあった事実と共通する点がいくつか見られる。 まずはナブー神の婚礼の模様が記されていること、その儀式がアヤルの月に執り行われていること、そして儀式の途中でナブーが寝所を出て「園」へ赴いていること、などである。 | 208-209 |
| 5 | 2 | 相手がナナヤ女神へ | 一方アッシリアの記述の相違点としては、何といってもナブーの相手の女神がナナヤであり、タシュメートゥではない点が挙げられよう。 | 209 |
| 5 | 2 | タシュメートゥとは別系統 | ナナヤは主として前一千年紀のバビロニア系テクストのなかで、度々ナブーの妃とされているが、タシュメートゥとは出自も性格も全く異なる女神である。 | 209 |
| 5 | 2 | ナナヤはアヌの娘・イシュタルの別人格 | ウルクに本拠地をおき、しばしばイシュタルと共に姿を見せるばかりか時にはこれと混同視され、またウルクの主神アヌの娘ともされる。 | 209 |
| 5 | 2 | 主神アヌの入り婿ナブー | この文書の記述は、まるでナブーがアヌの娘と結婚することによって、天の神の権威を継承する権利を獲得したかのような印象さえ与える。 | 209 |
| 5 | 2 | 項目次 | 4 「神の婚儀」の意味について | 219 |
| 5 | 2 | 前二千年紀初旬のシュメルの「聖婚儀礼」 | ところで「神の婚礼式」は、前二千年紀初旬以前のシュメール的伝統が濃厚であった時代にも存在した祭儀である。 研究者の間では、シュメール世界の婚儀はしばしば「聖婚」と呼ばれ、早くからその事例が知られており、活発な議論の対象となってきた。 | 219 |
| 5 | 2 | ウルクの王ドゥムジとの恋 | またシュメール世界に伝わる伝承では、イナンナは恋多き肉体愛の女神で、その恋人の一人が伝説化したウルクの王ドゥムジであり、イナンナとドゥムジを巡るいくつかの物語が広く伝わっていたことも、また事実であった。 | 219 |
| 5 | 2 | イナンナと国王の婚礼儀式 | このような背景のもと、ウル第三王朝からイシン第一王朝時代にかけて、女神イナンナと国の王とが婚礼を挙げることがあったのである。 | 220 |
| 5 | 2 | 女性神官と国王の聖婚儀礼 | 祭ではイナンナの役を高級女神官が、ドゥムジの役を国の王が演じ、実際に性的な交わりを含めた儀式が行われ、そのことによって国の王が、女神の祝福を受けると理解されたのである。 | 220 |
| 5 | 2 | 神と人との結婚 | だが、シュメール世界の「聖婚」は女神と王との結婚、言い換えれば神と人との結婚であった。 | 220 |
| 6 | 0 | 章目次 | 終章 生きている神々ー偶像と信仰 | 223 |


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