著述 本28 ヨセフス「ユダヤ古代誌」

ユダヤ教
  1. 目次
  2. 『ユダヤ古代誌』1 目次
  3. 第Ⅰ巻/第1章 天地と人間の創造
    1. 天地創造
    2. カインと腐敗堕落した子孫たち
  4. 第Ⅰ巻/第2章 人類の堕落/神の処罰と和解
    1. ニムロデとバベルの塔/言葉の混乱
    2. ヤペテの子孫
    3. ハムの子孫
    4. セムの子孫
    5. ヘブル人の起源
    6. アブラハムとその家族
  5. 第Ⅰ巻/第三章 アブラハム物語
    1. アブラハム、メルキセデク王の出迎えを受ける
    2. モアブとアンモン
    3. サラの死とヘブロンでの埋葬
  6. 第Ⅰ巻/第四章 イサクとヤコブ物語
    1. ヤコブ、ラケルを見つける
    2. ヤコブの子ら
      1. ①レアの子:ルベン、シメオン、レビ、ユダである。
      2. ②ビルハの子:ダン、ナフタリである。
      3. ラケルの死
  7. 第Ⅲ巻/第一章 シナイ山への行進と到着
    1. アマレク人、戦いの準備をする
    2. ヘブル人、戦いの準備をする
    3. ヘブル人の勝利と大量の戦利品
  8. 第Ⅲ巻/第三章 幕屋の聖所の造営
    1. 幕屋の聖所造営のための資材
    2. 幕屋の聖所をかこむ庭
    3. 幕屋の聖所について
    4. 聖所内部の造営について
    5. 神の箱について
    6. 燭台について
    7. 大祭司の祭服について
    8. 大祭司のエフォーデースとエッセーン
    9. 幕屋の聖所と祭服が象徴するものについて
  9. 第Ⅲ巻/第四章 大祭司が選ばれ、律法が与えられる
    1. 潔めのための香料
    2. 幕屋の聖所の奉献
  10. 第五章 シナイ山を出発、カナンへ
    1. 一二人の探索隊の報告
    2. ヨシュアとカレブ
  11. 第Ⅳ巻/第一章 荒野における試練と前進
    1. アロンの奇蹟の杖/人心ようやく鎮まる
    2. レビ人の町と十分の一税
    3. エドム人の王、モーセの領内通過を拒否
    4. アロンの死
    5. アモリ人の王シホン、モーセ軍の領内通過を拒否
    6. アモリ人の敗北とその国の占領
    7. オグ王の敗北
  12. 第Ⅳ巻/第二章 モーセの律法と統治原理
    1. 瀆神に関する規定
    2. 結婚に関する規定
  13. 第Ⅳ巻/第三章 モーセの最期
    1. モーセ、石板と幕屋を祭司に引き渡す/祝福と呪詛
    2. 地上におけるモーセの最後と人びとの感動
  14. 『ユダヤ古代誌』2 目次
  15. 第Ⅴ巻/第一章 カナン侵入と征服
  16. ※ヨシュアがした「ヨルダン渡河」と「エリコ攻略」の真実
    1. ヨシュア間諜をエリコに送り、ヨルダン渡河を準備する/p11
    2. ヨルダン川の徒渉/p15
    3. エリコ攻略の準備/p16-
  17. ※ヨシュアなる者の正体
    1. シロに幕屋を建て、シケムに祭壇を築く/p28
  18. ※トランスヨルダン後の九部族半の割り当て見るヘブル人の領域
    1. 九部族半への土地の割り当て
      1. エフライム族の領域
      2. ユダ族の領域
      3. シメオン族への割り当て
      4. ベニヤミン族への割り当て
      5. エフライム部族への割り当て
      6. マナセの半部族への割り当て
      7. イッサカルの領地
      8. ゼブルン人の領地
      9. アセル人の領地
      10. ナフタリの子孫の領地
      11. ダン
    2. 土地の割り当て終る
    3. ヨシュアとエレアザルの死
  19. 第Ⅴ巻/第二章 士師時代
  20. ※ユダ部族の本拠地ヘブロン
    1. ユダとシメオンの部族に与えられた使命
    2. アドニベゼクの敗北とエルサレムの攻撃
    3. ヘブロンの占領と土地の再分配/p43
    4. 二部族の占領地/p44
  21. ※アシュケロン
    1. カナン人との平和/p44
    2. エフライム部族、ベテルを占領/p45
    3. エフライムの嗣業の地のレビ人とその妻、暴行をうける/p46
  22. ※ヘブル人の被支配と解放のくり返し
    1. イスラエル人、アッシリア人に支配される/p57
    2. ケナズによる解放/p57
    3. モアブ王エグロン支配下のイスラエル人/p58
    4. エホデ、エグロンを殺害/p59
    5. イスラエル人、カナンの王ヤビンの圧制に苦しむ/p61
    6. デボラとバラクの登場/p61
    7. ミデヤン人の侵入/p64
    8. ギデオンに使命下る/p65
    9. 士師としてのギデオン/p70
    10. 僭主アビメレク/p70
    11. アビメレクのシケム攻撃と大虐殺/p73
  23. 第三章 サムソン物語
    1. 天のみ使い、マノアの妻の男子の誕生を告げる/p82
    2. サムソン、ライオンを殺す/p85
    3. サムソンの謎/p85
    4. デリラ、ペリシテ人にサムソンを引き渡す/p90
  24. 第五章 サムエル物語(前半)
  25. ※ 大祭司の家の物語
    1. エリ、ハンナに男子の出生を告げる/p100
    2. サムエルの誕生と神への奉仕/p101
    3. イスラエル、惨敗を重ね、契約の箱を奪われる/p104
    4. 大祭司の後継者/p106
  26. 第Ⅵ巻
  27. 第一章 サムエル物語(後半)
  28. ※「契約の箱」物語
    1. ペリシテ人、契約の箱のため災禍に苦しむ
  29. 第二章 サウル物語ーサウル、イスラエルの初代の王となる
    1. サウル、父のろばを探しに出てサムエルに会う/p125
    2. サウル、アマレク人を破るも、命令に背いて王を殺さず/p152
  30. 第三章 サウルとダビデ
    1. ダビデ、ゴリアテと戦う
    2. 占い女への頌詞とサウルへの賛辞/p219
  31. 第Ⅷ巻
  32. 第一章 ダビデ、ユダ部族の王となる
    1. ダビデ、妻のミカルを取り戻す/p240
    2. 全部族、ヘブロンでダビデの王位を承認/p249
  33. 第二章 ダビデ、イスラエル統一王国の王となる
  34. ※エルサレムとエブス人の謎、メルキゼデクの正体
    1. ダビデ、エルサレムの町を占拠/p252
    2. ダビデ、エルサレムを王都と定める/ヒラム、ダビデに同盟を提案/p253
  35. ※ 「契約の箱物語」後編
    1. ダビデ、ペリシテ人を打ち破る/p255
    2. 契約の箱、エルサレムに向かう/257
    3. ウザ、契約の箱にふれて死ぬ/p258
  36. ※ ウリヤを殺しバテシバを奪う
    1. ダビデ、ウリヤの妻バテシバの美貌に脳殺され罪を犯す/p272
    2. ダビデ、陰謀を企てる/pp273
    3. ダビデ、人口調査をする/p329
    4. 神、預言者ガドを遣わし、災禍の選択をダビデに迫る/p329
    5. ダビデ、悪疫を選ぶ/p330
    6. 悪疫の猛威とダビデの悲嘆/p331
  37. ※ 「ソロモン神殿」の建設地の謎解き
    1. 悪疫の消滅/ダビデ、打穀場を買い上げて神殿建設用地にする/p332
  38. 第三章 ソロモンの即位
    1. アドニヤ、王位をねらう/ナタンの勧告を受け入れたバテシバ、ダビデに訴え出る/p337
    2. 人びと、ソロモンの即位を祝う/p347
  39. 『ユダヤ古代誌』3 目次
  40. 第Ⅷ巻 
  41. 第一章 ソロモン物語
    1. アドニヤ、アビシャクとの結婚を志望/バテシバ、仲介の労をとる/p14-15
    2. ソロモン、アドニヤの処刑をベナヤに命じる/アビヤタル、大祭司職を追放される/p15
    3. ヨアブ、ソロモンの命令で処刑される/p17
    4. ソロモンの結婚と統治/p19
  42. ※ 知者ソロモン
    1. 生まれた子をめぐる二人の遊女の争い/ソロモンの裁き/p20
    2. ソロモンの知恵/ソロモンの歌と箴言/悪魔払いの秘技と応用について/p25
  43. ※ パレスティナを領域支配、中央集権制へ
    1. ソロモンの任命した指揮官と知事/人びとの繁栄/p23
    2. ヒラム、祝賀の使節をソロモンのもとへ派遣/ソロモンのヒラム宛ての書簡/p27
    3. ヒラム王のソロモン宛て返書/p28
    4. ツロ人、ヒラムとソロモン両王の書簡を保存/p29
  44. 第二章 ソロモンの神殿と王宮
    1. 神殿建設の着手の年について/p31
    2. 神殿の高さ/p32
    3. 駆使された高度の技術/p33
    4. 至聖所と二つのケルビム/p34
    5. ツロ人の職人ヒラム/p35
    6. 二本の柱、ヤキンとボアズ/p35
    7. 青銅の海/p36
    8. 洗盤と台/p36
    9. 燭台/p39
    10. 契約の箱、神殿内に運び込まれる/p42
  45. ※ ソロモンの神、ヘブル人の神とは?
    1. 濃い雲、神殿内に流れ込む/人びと神の顕現を知る/p44
  46. ※ ソロモンの王宮
    1. ソロモン、王宮を建てる/51
  47. ※ テュロスの古記録の断片とソロモンの正体
    1. メナンドロスとディオスの証言/p55
  48. ※ ソロモンの通商から見るその正体
  49. ソロモンの戦果/p60
    1. ソロモンの艦隊/p60
    2. ソロモンの宝/p65
    3. 色情狂ソロモンの七〇〇人の正妻と三〇〇人の側室/p67
    4. 不首尾に終ったヤラベアムの反乱/p72
  50. 第三章 分裂王国時代
  51. ※ 南ユダ王国の起源
    1. レハベアム、ソロモンの後継者となる/p74
    2. レハベアム、長老や若者たちと協議し、人びとの要求に答える/p75
    3. 民の怒りの爆発/一〇部族の離反/レハベアムのもくろみの失敗/p76
  52. ※ 北イスラエルの歴史
    1. ヤラベアム、ベテルの町に拝所を建てる/p78
    2. レハベアムの腐敗堕落/シシャクの侵入ー/p87
  53. ※ ヤラベアムのエフライム王朝から間奏曲をはさんでオムリ朝へ
    1. ヤラベアムの死/p97
    2. バアシャの最期/p103
    3. 王を僭称したジムリの最期/オムリの治世/p104
  54. ※ アハブとイゼベル/再びテュロスの属国に
    1. イスラエル人の王アハブ、歴代の王の無法を見習う/p106
    2. メナンドロスによる旱魃の記録/p108
  55. ※ ダマスコの王との確執
    1. ダマスコの王ベネ・ハダデ、アハブをサマリヤで包囲/p121
    2. アハブ、ハダデの軍勢に勝つ/p125
    3. ハダデの二回目の遠征と敗北/ハダデ、アハブの好遇を受け帰国する/p126
    4. アハブの敗北と死/p136
  56. 第Ⅸ巻
  57. 第一章 ユダ、イスラエル王国通史
  58. ※ テュロス帝国下の支配からアッシリア帝国の支配下へ
    1. ヨシャパテ王の改革/p141
    2. ヨシャパテの信望と、イスラエル人の王との友好関係/p145
    3. ヨラムの治世/預言者エリヤの最期/p150
    4. ヨラム、ヨシャパテの後継者になる/p155
    5. エリシャ、家僕ハザエルにベネ・ハダデの死を告げ、ハザエルの後継を預言/p169
    6. ヨラムの悪事と王妃アタルヤ/p171
  59. ※ 売国奴エヒウの王位簒奪とアッシリア帝国の奴隷へ
    1. ヨラムの負傷/エリシャ、弟子の一人を遣わし、エヒウに油を注ぐ/p174~
    2. 軍隊、エヒウを王に宣言/p175
    3. エヒウ、イゼベルを殺す/p178
    4. エヒウ、サマリアの指導者たちに書簡を送り、アハブの息子たちの処刑を命じる/p179~181
  60. ※ バアル信仰(メルカルト信仰)の禁止と「金の牛」崇拝の許可
    1. エヒウ、バアルの神殿を大掃除する/p182~
    2. アタリヤの復讐/アハジヤの子ヨアシ助けられる/p184
    3. 大祭司エホヤダ、アタリヤ打倒の陰謀をめぐらす/p184~
    4. エホヤダ、アタリヤを処刑する/p186
    5. エホヤダ、人びとに王への忠誠を誓わせ、王にも誓約させる/p187
    6. ヨアシ王の統治/p188~
  61. ※ シリア・パレスティナの民族英雄アラム王ハザエル
    1. 南ユダ王国=エルサレムでは
    2. シリア人の王ハザエルの侵入/エヒウの死/p188~
    3. エホヤダの死/ヨアシ、悪事に走る/エホヤダの子ゼカリヤ、処刑される/p190~
    4. ハザエルの侵入とヨアシの贈り物/ヨアシの死/p192~
    5. 北イスラエルでは
    6. イスラエルの王エホアハズ、シリア人に敗れる/p192~
    7. ヨアシ、父エホアハズの後継者となる/エリシャの預言/p193~
    8. エリシャの死と盛大な埋葬式/p195~
    9. ヨアシ、シリア人のベネ・ハダデを破る/ヨアシの死と後継者/p196
    10. 南ユダ王国では
    11. アマジヤ、ユダ部族の王となる/p196~
    12. ヨアシ、エルサレムを占拠/p200
  62. シリア・ダマスコ王国の実態
  63. ※ 第二のヤラベアムの正体とテュロス帝国の後ろ盾失いイスラエル滅亡
    1. イスラエルの王ヤラベアムの悪事/ヨナの勧告とヤラベアムの遠征/p201~
    2. ヨナ物語/p202
    3. ヤラベアムの後継者とアマジヤの後継者/p204
    4. シャルム、ゼカリヤを殺す/メナヘム、シャルムを殺す/p207~
    5. メナヘム、アッシリアの王に金を払う/p208
    6. イスラエルの王ペカヒヤの在位とレマリヤの子ペカの奸計/p208
    7. ペカの死と後継者ホセア/p215~
  64. ※ ユダ王国のアハズ王
    1. ヨタムの後継者アハズの罪/p211
    2. アハズ、アッシリアの王を同盟者とし、シリアとイスラエルを攻撃/p213
    3. アハズの偶像崇拝/その死と後継者/p214
  65. ※ ヒゼキヤという「善王」と言う名の木偶捏造
    1. ヒゼキヤ王、過ぎ越しの祭と種入れぬパンの祭を祝う/p218
    2. ヒゼキヤの改革/p219~
    3. ヒゼキヤ、ペリシテ人を打ち破る/p219~正しい情報を得ていた?!
  66. ※ ガザの歴史(英語版Wikipedia)/ヒゼキヤのガザ征服はハスモン朝の投影
  67. 第二章 サマリアの陥落とイスラエル王国の終焉
    1. イスラエル王国の終焉/p221
  68. ※ テュロスのアッシリア支配の史料
    1. 古記録に見るアッシリア人の侵入について/p222~
  69. メナンドロス OCDのp931、エフェソスのメナンドロス(生年未詳)
    1. サマリアのクタ人について/p224
  70. 第Ⅹ巻
  71. 第一章 ユダ王国史(その一)
  72. ※ ヒゼキヤのアッシリア撃退の茶番
    1. ヒゼキヤ、アッシリアの王センナケリブに降伏/p229~
    2. アッシリア軍の指揮官、エルサレム人の降伏を要求/p230~
    3. 預言者イザヤ、アッシリアの敗北を預言/p232~
    4. ヒゼキヤ、アッシリア王の挑戦を無視/p233~
    5. セナケリブ王、エジプト攻略に失敗/ヘーロドトスの記述とベーローソスの証言/p234~
    6. アッシリアを見舞った悪疫/p235~
    7. セナケリブ、二人の息子に殺される/p235~
  73. ※ 「ユダヤ教原理主義者」の捏造善王ヨシヤ
    1. ヨシヤの偶像破壊と神殿修復/p244~
    2. ヨシヤ王、偽預言者たちの骨を焼き払う/p247~
    3. ヨシヤ王の死/p249~
    4. ネブカドネザル、ネコを打ち破る/エホヤキム、ネブカドネザルに貢納する/p252~
    5. エレミヤ、エジプトとの同盟に反対し投獄される/p253~
    6. エホヤキム殺される/エホヤキン、後継者とされる/有力者たち、バビロンへ拉致される/p255~
  74. 第二章 ユダ王国史(そのニ)ーバビロン捕囚とエレミヤの警告
  75. ※ ゼデキヤ王とエレミヤの関係性は?
    1. ネブカドネザル、エホヤキンを包囲し、拉致/p256~
    2. ネブカドネザル、ゼデキヤを王にする/p257~
    3. ゼデキヤ、エジプトと同盟を結ぶ/p259~
    4. エレミヤ投獄される/p260~
    5. ネブカドネザル、再びエルサレムを包囲/p261~
    6. ゼデキヤ王、エレミヤの身を自由にする/p262~
    7. エレミヤ、ゼデキヤに都の明け渡しを勧告/p263~
  76. 第三章 エルサレム陥落とユダ王国の終焉
    1. バビロニア人、エルサレムを一八か月包囲する/p267~
    2. エルサレムの陥落/p268~
    3. ゼデキヤ、捕えられてバビロンに引かれる/p269~
    4. エルサレムの都の破壊/神殿の炎上/p271~
    5. 三回目の捕囚/p272~
    6. 大祭司のリスト/p272~
    7. ゼデキヤ、バビロンで死ぬ/p273~
    8. ゲダリヤ、ユダヤの知事に任命される/p273~
    9. エレミヤ、バビロン行きを拒否/p274~
    10. 逃亡者たち、ゲダリヤのもとに集る/p275~
    11. ヨハナン、エレミヤとバルクを連れてエジプトに向かう/p279~
  77. 第四章 ダニエル物語
    1. ネブカデネザルの宮廷でのダニエルと三人の若者たち/p283~
    2. ネブカデネザルの見た夢/p286~
    3. 神、ダニエルに夢の解き明かしを教える/p287~
    4. ダニエル、ネブカデネザルの夢を解き明かす/p288~
  78. ※ ベロッソス『カルデヤ史』のネブカドネザル
    1. ネブカデネザルの死/ベーローソスの証言/p293~
  79. ※ バビロニア王朝史の史実とのちがい
    1. エビルメロダク、ネブカデネザルの継承者となり、エルサレムの王エホヤキンを釈放/p295~
    2. エビルメロダク死後の王権の行方/p296~
    3. ベルシャザル、宴席で幻影を見る/マギら、その解き明かしに失敗/p296~
    4. ダニエル、ベルシャザルの幻影の意味を明かす/p298~
    5. ベルシャザル、ダニエルに数かずの贈り物をする/p300~
  80. ※ ペルシアのダリウスによって原理主義的なペルシアの二元論宗教が導入
    1. ダリヨス、バビロン帝国を滅ぼす/p301~
  81. ダレイオスが、原理主義的ユダヤ教の神を唯一の神と宣言!
    1. ダリヨス、ダニエルに高い名誉を与える/p304~
  82. 第Ⅺ巻
  83. 第一章 バビロン捕囚からの帰還と神殿再建
  84. ※ ペルシア帝国との関係
    1. クロス王、バビロン捕囚を終わらせる/p313
    2. クロス王、預言者イザヤの書を読み、ユダヤ人たちに祖国への帰還と神殿再建を許す/p314
  85. ※ サマリア人との関係、カンビュセス悪者扱い
    1. サマリア人、神殿建設の取りやめを要求/p317
    2. サマリアの住民、カムビセス王に書簡を送り直訴する/p318~
  86. ※ エズラとクセルクセス王、原理主義者エズラ
    1. クセルクセスと友人のエズラ/p342~
    2. エズラ、同胞たちの雑婚を知る/p347
    3. 異邦の女たちの追放/p348~
  87. 第二章 エステル物語
    1. アルタクセルクセスの招宴/p359
    2. ユダヤ人孤児エステルとおじのモルデカイ/p362~
    3. アルタクセルクセス、エステルを正妻にする/p363~
    4. 王の腹心ハマン、モルデカイとユダヤ人を憎む/p365
    5. エステル、ハマンを王に告発/p378~
    6. ハマン、十字架に架けられる/p380~
    7. ユダヤ人、敵を次つぎに襲撃して復讐する/p385~
  88. 目次
  89. Ⅻ はじめに
  90. ※ プトレマイオスによるエルサレム占領(前300年頃)
    1. ユダヤ人のエジプトのコミュニティの始まり(前300年ごろ)
    2. ※ エルサレム人とサマリア人のエジプト移住/p14-16
    3. ※ エジプトでのエルサレム人とサマリア人のお布施争奪戦/p16
  91. 第1章 アレクサンドリアにおける聖書の翻訳ー七十人訳聖書成立の伝承
    1. ※ プトレマイオス二世の律法翻訳、ファレロンのデメトリオスの勧告で
    2. プトレマイオス・フィラデルフォス、ユダヤ人の律法の翻訳をのぞむ/p17~18
  92. ※ フェニキア人、シリア人、ユダヤ人奴隷の解放の実情
    1. アリスタイオス、王にユダヤ人捕虜の釈放を請願/p19~20
    2. プトレマイオス王の法令/p20~
  93. ※ 70人訳聖書の翻訳の経緯
    1. デメトリオスより王への覚え書/p23~
    2. 七〇名の長老たちの派遣/p29
    3. アレキサンドリアにおける長老たちの受入れ/p35~
    4. 律法の翻訳/p38~
  94. 第2章 エジプトとシリアのはざまで
    1. ヨセポスの子ヒュルカノス伝説/p60
    2. ヒュルカノスの末路/p70~
  95. 第3章 マッカバイオス戦争(その一)ーアサモナイオス一族の反乱とユダスの死
  96. ※ アンティオコス四世エピファネス登場
  97. ①ユダヤ教の禁止と割礼の禁止
    1. 第一回のエルサレム占領/p75~
    2. 第二回のエルサレム占領とユダヤ教の禁止/p76~
  98. ②サマリア人、離反
    1. ゼウス・ヘレニオスに捧げられたサマリア人の神殿/p78~
  99. ※ ハスモン朝の原点は、ヘシュモン村出身のマタティア
    1. マッティアスとその息子たち/p81~
    2. マッティアスの抵抗とその成功/p82~
  100. ※ ユダス・マッカバイオスの後継とアンティオコス・エピファネスとの死闘
    1. マッティアスの死/ユダ・マッカバイオス、その後継者となる/p84~
    2. ユダス、アポロニオスとセロンを破る/p87~
    3. リュシアス政務を代行/ユダス、エマウスにて勝つ/p88~
    4. 神殿における聖なる奉仕の再開/光の祭の決定/p94~
    5. イドマヤ人とアムマン人への戦い/p96~
    6. シモンのガリラヤ遠征/p97~
    7. ヤムネイアでの敗戦/p101~
  101. ③アンティオコス・エピファネスの死
    1. アンティオコス・エピファネスの死とアンティオコス・エウパトルの即位/p102~
  102. ※ セレウコス朝シリアのお家騒動の陰で
    1. アンティオコス、ユダヤ人と講和/p109~
    2. デメトリオス、王位に就く/バッキデスの戦略/p110~
    3. ユダスとアルキモスの戦い/p113~
    4. 二カノルの遠征とアダサ会議/p114~
    5. アルキモスの死/ユダス大祭司となり、ローマと協定を結ぶ/p116~
    6. バッキデスとの戦闘再開/p119~
    7. ベルゼトの会戦/ユダス・マッカバイオスの敗戦と死/p120~
  103. ⅩⅢ
  104. マッカバイオス戦争(そのニ)
  105. ※ 弟ヨナテス、ユダスを後継、セレウコスのお家騒動利用してエルサレムに帰還
    1. ヨナテス、ユダヤ人の指導者となる/p125~
    2. ヨナテス、荒野へ退く/兄弟ヨアンネスの死/p126~
    3. ヨルダン川の戦闘/バッキデス、多数の町を要塞化/p127~
    4. ヨナテス、バッキデスと協定を結ぶ/p131~
    5. アレクサンドロスの侵入/ヨナテス、大祭司となる/二人の王位請求者のユダヤ人への譲歩
    6. デメトリオスの敗戦とその死/p138~
  106. ※ エジプトにユダヤ人の拠点づくり
    1. オニアス、エルサレムのレオントン・ポリスに神殿を造営/p139~
    2. アレキサンドリア在住のユダヤ人とサマリア人の争い/p143
  107. ※ ヨナタスとプトレマイオス六世、アレクサンドロス・バラスの蜜月時代
    1. アレクサンドロス、エジプト王の娘を娶る/p144~
    2. ヨナテス、数かずの栄誉を受ける/p145~
  108. ※ アシドドのダゴン神殿焼き討ちとアスカロンとの友好のなぞ
    1. デメトリオス・ニカトルの侵入/アポロニオスをアシドドで破る/p146~
  109. ※ シリアがプトレマイオス六世とバラスの戦争を通して、デメトリオス二世ニカトルの手に
    1. プトレマイオス・二カトルのシリア占領/p150~
    2. アレクサンドロス・バラスの死と、プトレマイオス・フィロメテルの死/p153~
    3. 王デメトリオスと、ユダヤ人に宛てた書簡/p154~
  110. ※ ペリシテのガザを攻略のなぞ
    1. トリュフォンの陰謀/p157~
    2. ヨナテス、デメトリオスを援助/デメトリオス、トリュフォンに敗れる/p158~
    3. ヨナテス、アンティオコスと同盟/p161
  111. ヨナテス、ガザを占領しベツズルを攻略/p161~
    1. ヨナテス、デメトリオス軍を破る/p164~
  112. ※ スパルタとの「縁戚関係」とは?!
    1. ローマ人との同盟の再確認とスパルタとの親善/p165~
  113. ※ ヨセフスの引用した書簡の写し
  114. ※ ユダヤ人の中の三つの宗派/p168~
    1. ※ ユダヤ人の中の三つの宗派/p168~
  115. 第1章 ユダヤ独立とアサモナイオス朝(その一)ーシモンの支配(前144-136年)
    1. ヨナテス、トリュフォンの策に陥る/p173
    2. シモン、ユダヤ人の指導者となる/p175
    3. ヨナテスの死/p180~
    4. シモン大祭司となる/エルサレムの要塞を占領/p181~
    5. シモンの死/p186
  116. 第2章 アサモナイオス朝(そのニ)ーヒュルカノス一世の支配(前136-105年)
  117. ※ ヒュルカノスのセレウコス朝内乱時代に野盗集団として大暴れ時代
    1. ヒュルカノスの登場/その義兄弟プトレマイオスとの戦い/p187~
    2. アンティオコス・シデテスによるエルサレム占領/p189
    3. ヒュルカノス、パルティア遠征に同行/p192~
    4. ヒュルカノス各地に遠征/p193
  118. ※ セレウコス朝シリアの内乱
    1. デメトリオス二世の死/p196~
    2. アンティオコス・グリュポスとアンティオコス・キュズィケノスの争い/p197~
  119. ※セレウコス朝シリアの系譜
  120. ※ パリサイ人とサドカイ人
    1. ヒュルカノスとパリサイ人との軋轢/p202~
    2. ヒュルカノスの死/p206
  121. 第3章 アサモナイオス朝(その三)ーアリストブロスの支配(前105-104年)
    1. 大祭司アリストブロス、王位に就く/その肉親への苛酷な扱い/p207~
  122. 第4章 アサモナイオス朝(その四)ーアレクサンドロス・ヤンナイオスの支配(前104-78年)
  123. ①ガザを焼き討ち・大殺戮
    1. アレクサンドロス・ヤンナイオス、王となる/p213~
    2. プトレマイオスとクレオパトラとの戦い/p220~
    3. アレクサンドロス、ガザを攻撃/p222~
  124. ②ユダヤ人の反抗
    1. アレクサンドロスにたいするユダヤ人の反抗/p226~
    2. シケムにおけるアレクサンドロスの敗戦/p227~
    3. アレクサンドロスの残虐な復讐/p228~
    4. アレクサンドロスの死とその遺言/p234~
  125. 第5章 アサモナイオス朝(その五)ーサロメ・アレクサンドラの支配(前78-69年)
    1. アレクサンドラの即位と二人の息子/p238~
    2. パリサイ人の支配とその行きすぎ/p239~
    3. アリストブロスの反抗とアレクサンドラの死/p244~
  126. ⅩⅣ
  127. 第1章 アリストブロス二世による統治(前67-63年)
  128. ①ハスモン王家の兄弟の内戦
    1. ヒュルカノス二世とアリストブロス二世との内戦/p252~
  129. ②アンティパトロスとアレタスがヒュルカノス担いで参戦
    1. イドメヤ人アンティパトロスの策謀/p252~
  130. ③ローマ人、ポンペイウス参戦、木偶ヒュルカノスを奪ってエルサレム占領
    1. アレタス王、ヒュルカノスを支援してユダヤ侵入、神殿内のアリストブロスを包囲/p256~
    2. ポンペイオス麾下のスカウロス、アリストブロスを援けてアレタスの包囲を解く/p258~
    3. ポンペイオス、アリストブロスを監禁/p265~
    4. 神殿の占拠/ポンペイオス、ユダヤ人を支配/p268~
  131. 第2章 ヒュルカノス二世による統治(前63-40年)
  132. ※ ローマ人によって、ヒュルカノスの木偶が担がれる
    1. アレタス王、スカウロスに屈服/p274~
    2. アリストブロスの子アレクサンドロスの抵抗と挫折/ガビニオスによるユダヤの再編成/p275~
    3. アリストブロスの抵抗と敗北/p277~
    4. クラッソスの神殿における盗賊行為/p281~
    5. クラッソスの戦死とカッシオスのユダヤ侵入/p285~
    6. アリストブロスとアレクサンドロスの死/p286~
  133. ※ アンティパトロスとカエサルの蜜月はじまる
    1. アンティパトロスとユダヤ人、エルサレムのカイサル支援に活躍/p287~
    2. ローマ人およびアテナイ人の、大祭司ヒュルカノスヘの感謝決議/p292~
    3. アンティパトロスと二人の息子たちの声望/p296~
    4. ヘロデにたいする裁判と彼の逆襲/p298~
    5. アンティパトロスの死/p331~
    6. マリコスにたいするヘロデの復讐/p333~
    7. シリアにおけるアントニオス、ユダヤ人代表団を処罰/p344
    8. ヘロデ、逃亡に成功/P350~
    9. ヒュルカノス不具とされ、ファサエロス、自らの生命を断つ/p354~
  134. 第3章 アンティゴノス二世による統治(前40-37年)
    1. ヘロデを敬遠したマルコス/p357~
    2. ヘロデ、エジプトよりローマに急ぐ/p358~
    3. 元老院の承認を受け、ヘロデ王となる/p360~
    4. ヘロデの第一回エルサレム攻撃とシロンの不協力/エリコ占拠/p365~
    5. ガリラヤ征服と洞穴での戦い/p369~
    6. ヘロデのエルサレム包囲/p381~
  135. 第4章 ソッシオスとヘロデによるエルサレム包囲と占領ーアサモナイオス朝の終焉
    1. ソッシオスとヘロデによるエルサレムの包囲と占領/アサモナイオス王朝の終焉/p383
  136. 5巻 目次
  137. ⅩⅤ
  138. 第一章 ヘロデによる統治(前37ー25年)ー権力確立のための時期
  139. ※ ハスモン朝の家族内残党への戦い
    1. ヘロデの強欲ぶり/アンティゴノスの処刑/p14~
    2. ヒュルカノス、エルサレムへ帰る/p16
    3. アナネロス、大祭司となる/p19~
    4. アレクサンドラの策謀/p20~
  140. ヘロデとアレキサンドリアの和解/p22~
    1. アレクサンドラ、再び策謀/p25~
    2. 若いアリストブロスの横死/p28~
    3. クレオパトラの追求とヘロデの釈明/p31~
    4. マリアムメにたいする疑惑とヨセポスの処刑/p41~
  141. ヘロデのハスモン朝殲滅計画
  142. ※ アラブ王国=ナバテア王国との確執と吸収
    1. ヘロデとアラブ王との紛争/p43~
    2. ヘロデとアラブ王マルコスとの戦争/カナタにおけるヘロデ軍の大敗/p44
    3. 新たな戦争/フィラデルフェイアにおける勝利/p49~
  143. ※ナバテア人とは?
  144. ナバテア人=アラブ人の一つ
  145. ※ ヘロデ、アントニウスについでオクタヴィアヌスも垂らし込む
    1. アクティウムの戦いとヘロデの危機/ヘロデ、ヒュルカノスを殺す/p59~
    2. ヘロデ、カイサルの好意を確保/p65~
      1. ①弟フェロラスと母キュプロスにもしもの時の政権を託す
      2. ②アントニウスへの忠義をアピールしてオクタヴィアヌスを垂らし込む
  146. ※ ハスモン朝の最期の残党妻マリアムネと姑アレクサンドラの処刑
    1. ヘロデとマリアムメの不仲/p71~
    2. マリアムメとソアイモスの処刑/p76~
  147. 第二章 ヘロデによる統治(前25ー13年)ー全盛時代
  148. ※ 友愛的汎神論者ヘロデ大王の民生政策
    1. ヘロデによるエルサレムの俗化/p89~
    2. 大飢饉と悪疫の猖獗/ヘロデの気前よさ/p98~
  149. ※ アレクサンドリア人ボエトスの子シモンの娘マリアムネとの結婚と外人好き
    1. ヘロデの宮殿建設/ヘロデのマリアムメ二世との結婚/p102~
    2. ヘロデ、アグリッパと会見/アラブ人の策動/p111~
    3. ヘロデとエッセネ派の人びと/マナエモスの預言/p117~
  150. ※ ヘロデの神殿改築
    1. ヘロデ、神殿の再建を企画/p120~
    2. 神殿とその周辺の強化/p123~
  151. ⅩⅥ
  152. 第一章 ヘロデによる統治
    1. 王ヘロデの強引な統治/p133~
    2. ヘロデの息子たちローマより帰る/彼らへのサロメたちの中傷/彼らの結婚/p134~
  153. 第二章 ヘロデ家の内紛
    1. ヘロデと二人の息子、アレクサンドロスとアリストブロスの反目/p152~
    2. ヘロデ、アンティパトロスを優遇/アグリッパス、彼をローマに伴う/p155~
    3. ヘロデ、二人の息子をカイサルに告発/p158~
    4. ヘロデ、ユダヤへ帰り、王位継承の順位を定める/p170~
  154. 第三章 ヘロデの建造物その他
  155. ヘロデのつくったパレスチナ各地の建造物/p175~
    1. ヘロデ、ダビデの墓をあばく/p187~
  156. 第四章 宮廷内の軋轢の深刻化
    1. ヘロデの宮廷内の軋轢の深刻化/p190~
    2. 兄弟たちにたいするアンティパトロスの策謀/p201~
    3. アレクサンドロス、カッパドキアのアルケラオスの仲介で父と和解する/p208~
  157. 第五章 ヘロデの息子たちの最期
    1. ヘロデ、息子たちを調べる/p225~
    2. ヘロデ、息子たちを裁くためベリュトスで会議を開く/p238~
    3. 二人の兄弟の最期/p248~
  158. ⅩⅦ
  159. 第一章 アンティパトロスの策謀
    1. ヘロデの妻と子供たち/p260~
  160. 相続人たちの出自
  161. 第二章 ヘロデの死(前4年)
    1. ヘロデの病気と遺言状/p300~
    2. ユダスとアッティアスの反乱とその鎮圧/p301~
    3. ヘロデの病状悪化と、彼の大虐殺計画/p306~
    4. カイサルの命令とアンティパトロスの処刑/p311~
    5. ヘロデの最後の遺言状とその死/p313~
  162. ※ 新王アルケラオス
    1. アルケラオスの登場/p314~
  163. 第三章 ヘロデの死後の混乱
    1. エルサレムにおける反乱の鎮圧/サビノス、エルサレムへ赴任する/p319~
    2. アンティパス、アルケラオスと王権を争う/p324~
    3. カイサル、決定を保留/p326~
    4. サビノスの挑戦とユダヤ人の抵抗/p333~
    5. ユダヤ各地の騒乱/p338~
    6. ウァロス、サビノスを救援して反乱を鎮圧/p343~
    7. ユダヤ人、カイサルに統治形態の変更を要求/p346~
    8. アルケラオスの統治/p357~
    9. アルケラオスにたいする新たな告発/p358~
    10. ユダヤ、シリアの1州となる/p362~
  164. ※イエス誕生前夜のユダヤとガリラヤ
  165. 第6巻目次
  166. ⅩⅧ
  167. 第一章 ユダヤ、ローマの属州となる(後六年ー)
  168. ※ ユダヤ属州化(後6年~)とピラトス登場
    1. キュリニオス、諸民族統治のため、シリアに着任/総督コポニオス、ユダヤに着任/大祭司ヨアザロス、ユダヤ人に服従を説得/p13
    2. ユダスとその一味/p20~
    3. サロメの死/p22~
    4. ティベリアスの建設/p24~
    5. ユダヤ人、ピラトスに抵抗/p31~
  169. 第二章 ヨセフスのいわゆる「キリスト証言」
  170. ※ 「ユダヤ教原理主義者」VSヘロデ朝とローマ帝国
    1. イエスス・クリストスの生と死と復活/p34~
    2. ユダヤ人、首都ローマから追放される/p39~
    3. ピラトス、サマリア人を虐殺/ウィテリオス、ピラトスをローマへ召還/p40~
    4. ウィテリオス、大祭司の式服の保管を祭司たちの手に戻す/p42~
    5. 領主ヘロデ、義父アレタスに敗れ、ティべりオス帝に援助を願い出る/p48~
    6. 洗礼者ヨアンネスの物語/p50~
  171. ※ ハスモン朝とヘロデ朝のハーフのアグリッパスがカリグラの支持で王に
    1. アグリッパス、ユダヤに帰る/ここでも食いつめ再びイタリアへ/p57~
    2. ティベリオス、アグリッパスの帰還を喜ぶ/ついで投獄/p61
    3. ガイオス、ヘロデとヘロディアをガリアへ追放し、彼らの領地をアグリッパスに与える/p87~
  172. ※ ユダヤ人への風当りが増す、ユダヤ人暴徒化
    1. アピオーン、ユダヤ人を告訴/p90~
    2. ガイオス、フィローンを斥け、ユダヤ人にたいする立腹ぶりを示す/p91~
    3. 二人の兄弟アシナイオスとアニライオスの繁栄物語/p109~
    4. アニライオスのスキャンダルとアシナイオスの死/p117~
    5. アニライオス、ミトリダテスを捕え、ついで釈放する/p121~
    6. アニライオスの死/p123~
    7. セレウケイアのユダヤ人/p127~
  173. ⅩⅨ
  174. 第三章 アグリッパス一世の支配(四一ー四四年)
    1. クラウディオス、アグリッパスの統治権を確認し、加領する/p212~
    2. ドラの若者たち、カイサルの像を建てる/p218
    3. アグリッパスの性格/p225~
    4. カイサレイアの劇場内での出来事とアグリッパスの最期/p229
  175. ※ ヘロデ大王の後継者たち 総括
    1. アグリッパスの遺児/p232~
  176. ⅩⅩ
  177. 第二章 アディアベネ王家の改宗物語
    1. アディアベネ王家の改宗物語/p244~
    2. ヘレネのエルサレム巡礼と、飢餓下の善行/p252
    3. イザテスとヘレネの死/エルサレムにつくられた彼らの墓/p263~
  178. 第三章 ローマ総督支配下のユダヤ(その二)
    1. カルキスの王ヘロデの死と、その後継者アグリッパス二世/p267~
  179. 第四章 大祭司制
    1. 連綿とつづいてきた大祭司制について/p298~
  180. 第五章 ローマ総督支配下のユダヤ(その三)ー破滅への道

目次

『ユダヤ古代誌』1(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ)/p3-31

『ユダヤ古代誌』2(Ⅴ、Ⅵ、Ⅶ)

『ユダヤ古代誌』3(Ⅷ、Ⅸ、Ⅹ、Ⅺ)

『ユダヤ古代誌』4(Ⅻ、ⅩⅢ、ⅩⅣ)

『ユダヤ古代誌』5(ⅩⅤ、ⅩⅥ、ⅩⅦ)

『ユダヤ古代誌』6(ⅩⅧ、ⅩⅨ、ⅩⅩ)

『ユダヤ古代誌』1 目次

第Ⅰ巻

はじめに

第一章 天地と人間の創造

第二章 人類の堕落/神の処罰と和解

第三章 アブラハム物語

第四章 イサクとヤコブ物語

第Ⅱ巻

第一章 ヨセフ物語

第二章 エジプトでのイスラエル人とモーセの誕生

第三章 エジプトがこうむった九つの災禍

第四章 出エジプトと紅海の奇蹟

第Ⅲ巻

第一章 シナイ山への行進

第二章 シナイ山での出来事ー十戒の授与

第三章 幕屋の聖所の造営

第四章 大祭司が選ばれ、律法が与えられる

第五章 シナイ山を出発、カナンへ

第4巻

第一章 荒野における試練と前進

第二章 モーセの律法と統治原理

第三章 モーセの最期

第Ⅰ巻/第1章 天地と人間の創造

天地創造

「そして第七日、神は仕事の手をとめて休息をとられた。このため、わたしたちもこの日は労働を離れて休息をとり、その日とサバタと呼んでいるが、それはヘブル語で「休息」という意味である。」/p33

カインと腐敗堕落した子孫たち

「さらに、彼は度量衡の器具を考え出して、それまで人間たちが送っていた素朴な生活に終止符を打ってしまった。」/p41

「さらに、彼は土地に境界を定め、町をつくり、それに城壁をめぐらして要塞化し、その一族一門を強制的に一箇所に集めた最初の人間でもある。彼はこの町を長男のエノクにちなんでアノーカと呼んだ。」/p42

「同じ母から生れたユバルは音楽を学び、ハープとリュートを考案した。」

「またもう一人の母の子供の一人トバルカインは、その力が衆人に勝り、戦いの術にもたけていた。また彼は金属を鍛える方法を最初に考案した人物である。」/p42

第Ⅰ巻/第2章 人類の堕落/神の処罰と和解

ニムロデとバベルの塔/言葉の混乱

「神にたいしてこのような思い上がった侮辱的な行為に出るよう彼らを煽動したのは、ノアの子ハムの孫で、強壮な体力を誇る鉄面皮人のニムロデだった。」/p56

「そして神への畏れから人間を解き放す唯一の方法は、たえず彼らを彼自身の力に頼らせることであると考え、しだいに事態を専制的な方向へもっていった。

人びとは、神にしたがうことは奴隷になることだと考えて、ニムロデの勧告を熱心に実行し、疲れも忘れて塔の建設に懸命に取り組んだ。」/56-57

ヤペテの子孫

①ヤペテの7子
「ノアの子ヤペテには七人の息子がいた。最初、彼らはタウロス山やアマノス山に居住し、ついでアジアに進出してタナイス川(ドン川)にいたるまでの土地に住んだが、エウローペーでは、彼らがたまたま手に入れたガデイラ(カディス)の地にまで住むにいたった。」/p60

「そこで、今日ギリシア人がガラテア人と呼んでいる者たちは、そのときゴメルの子らと名づけられたが、それはゴメルが創建者だったからである。」/p60

「マゴグはマゴグ人を植民させた。その民族名は彼の名にちなんでいるが、彼らは現在ギリシア人によりスキュタイ人と呼ばれている。」/p60

「ヤペテの他の二人の息子たち、すなわちマダイからマダイ人ーギリシア人たちはメードイと呼んでいるーが生まれ、ヤワンからイオニアと全ギリシア人が生まれた。」/p60

「トバルは現在イベレスと呼ばれているトバル人を植民させた」/p60

「メセクが植民したメセク人は、現在カッパドキア人と呼ばれているが、・・・」/p60

「テラスは、その統治民をテラス人と呼んだが、ギリシア人はトラキア人と改めた。」/p60-61

ヤペテの7子:ゴメル(ガラテア人)、マゴグ(マゴグ人→スキュタイ人)、
マダイ(マダイ人=メードイ)、ヤワン(イオニア人と全ギリシア人)、トバル(トバル人)、メセク(メセク人→カッパドキア人)、テラス(テラス人→トラキア人)

②ゴメルの3子
「ゴメルには三人の息子たちがいた。その一人アシケナズは、ギリシア人が今日レギネス人(未詳)と呼んでいるアシケナズ人を、またリパテはパフラゴニア人(黒海南岸の民)と現在呼ばれているリパテ人を、トガルマは、ギリシア人がフリュゲス(フリュギア人)と名づけるのを適切としたトガルマ人をそれぞれ植民した。

ゴメルの3子:アシケナズ人、パフラゴニア人、フリュギア人

③ヤワンの3子
「ヤペテの子ヤワンにも三人の子がいた。そのうちエリシヤは、彼の治めた民をエリシヤ人ー現在アイオリス人と呼ばれているーと呼び、タルシシはその治めた民をタルシシ人と呼んだが、後者はキリキアの古代名である。キッテムはケティマ島ー今はキュプロスと呼ばれているーを取得した。そのためにヘブル人はすべての島々と沿岸諸国の大半をケティムと名づけている。古代の呼称を保持してきたキュプロス島の都市の一つは、わたしの言葉を裏づけてくれる。なぜなら、キテウム(前九ー八世紀のフェニキアの植民地キティオン(現在のラルナカ)に由来)とギリシア語化されて呼ばれるその都市の名は、キッテムという名からあまりかけ離れていないからである。」/p61

ヤワンの3子:
エリシア人=アイオリス人
タルシシ人=キリキア人
キッテム人=キティオン人

「キッテムはケティマ島ー今はキュプロスと呼ばれているーを取得した。そのためにヘブル人はすべての島々と沿岸諸国の大半をケティムと名づけている。」は、意味深長である。フェニキア人から資料を取ったヘブル人が、「すべての島々と沿岸諸国の大半」をケティムと名づけているということは、ケティム=キティオンを建設した人物が、かなり広範囲の植民を行ったということを反映している。
キティオンを建設したフェニキア王=テュロス王こそプマイヤトン=ピュグマリオーンである。そして彼こそが、真のカルタゴの建設者である。つまり、ヘブル語のケティム(島嶼と沿岸のエンポリオン)という言葉は、フェニキア語ではカルト=ハダシュト(カルケドン=新都市)という意味だったのだろう。
それとともに、キュプロス島が、西地中海植民の橋頭堡であったということも示唆している。

ハムの子孫

①ハムの4子
「ハムの四人のこのうちのクシの名は、今日までそのままのかたちで残っている。彼が収めたエチオピア人は今日にいたるも、彼ら自身によって、またアシアの全ての人々によって、クシ人と呼ばれている。」/p62

「ミツライムもその名に本来の形を留めている。というのは、わたしたちはみなエジプトをメルセー、エジプト人をミツライム人と呼んでいるからである。」/p63

「プテはリビアを創建し、自分の名にちなんでその土地に住む者をプテ人と呼んだ。」/p63

「ハムの四番目の子カナンは現在ユダヤと呼ばれている土地に定住し、彼の名にちなんでカナンと名づけた。」/p63

ハムの4子:クシ(クシ人=エチオピア人)、ミツライム(ミツライム人=エジプト人)、プテ(プテ人=リビア人)、カナン(カナン人=フェニキア人)

ハムの子孫をニグロイドといいたのだろうが、
カナン人は、正真正銘のセム語系コーカソイドである。
またエジプト人も、リビュア人も、紀元前はコーカソイドである。

②クシの6子
「クシの六番目の息子ニムロデはバビロニア人のもとにとどまり、既述のように、その地で勢力をふるった。」/p63-64

バベルの塔を建設したニムロデが、ハムの孫で、エチオピア人のクシュ人で、外国人の居留者でありながら、リーダーになったとするのは、実におかしい。

ニムロデは、ユダヤ人捏造班が聖書を捏造した時期、たいへんな権勢を誇っていた新アッシリアが特に崇拝していたニヌルタ神から創られた英雄である。

③ミツライムの8子
「ミツライムには八人の子があった。そのすべての者がガザからエジプトにいたる土地を占領したが、ペリシテ人の土地だけが名祖の名を保持している。ギリシア人がペリシテ人の土地を現在パレスチナと呼んでいるからである。」/64

ペリシテ人は、ミツライム人=エジプト人の子孫ではない。あえていうならヤワン=イオニア人の系統で、ギリシア本土、クレタ島、キュプロスと逆に「里帰り植民」したテーバイ帝室系であろう。

④カナンの多数の子たち!
「カナンにも子がいた。そのうちのシドンは、彼の名を冠したフェニキアの都市ーギリシア人が現在でもシドンと呼んでいるーを創建した。」/p64

「ハマテはハマテ人を植民した。(現在のハマー)」/p64

「アルワデはアラドス島を手に入れた。」/p64

「アルキはレバノンのアルケーを占領した。」/p64

「他の七人の子、すなわちヒビ、ヘテ、エブス、アモリ、ギルガシ、セニおよびゼマリについては、その名以外には何の記録も聖なる文書に残っていない。というのもヘブル人がその名の都市を破壊したからであるが、この災禍は、次のことが原因で発生したのである。」/p64-65

カナンの子は、残っている4人の末裔の都市と、滅ぼされた7人の末裔の都市を列挙している。

シドンは、言わずと知れたフェニキア人=セム語系コーカソイドの都市である。
ハマテ=ハマトは、前3000年紀より、ハレブーエブラーハマーークァトナーーホムスーダマスコに至る街道沿いの都市として繁栄してきたセム語系コーカソイドの都市である。

アルワデ=アルワドは、フェニキア語でアルワド島、ギリシア語でアラドス島といい、前3000年紀から栄え、初めて共和制を布いた島の都市であり、テュロスに海中から真水を採取する方法を教えた大文明都市である。セム語系コーカソイドである。

ヒビは、ヒッタイト人からアヒヤワ、カナン人からヒヤワ、エジプト人からタナヤ、ギリシア人はダナオイ人と呼んだ、「前1200年のカタストロフ」以前ギリシア本土を支配していたテーバイ帝室系がアルゴス地方のミュケーナイに遷都していた時代の原ギリシア人が、アナトリアに「里帰り植民」し、キリキアに建てた新ヒッタイト都市の住民であろう。

ヘテは、旧ヒッタイト帝国人で、「前1200年のカタストロフ」以降、新ヒッタイト人としてシリア・パレスティナに移住した人びとである。

エブス人は、テーバイ帝室系のヘーラクレース帝国がイベリア半島の入口に建てたイビサ島の冶金産業拠点の商人集団で、「前1200年のカタストロフ」で、「里帰り植民」し、ウルサレムというエジプト人の領域で、フリ人の総督が占拠していた都市を、再建して居住し、福祉国家を経営していたフェニキア人で、セム語系コーカソイド、ヘブル人、当時アペルとかハピルとか呼ばれていた無産者階級がダビデという族長を頭にしたビート・ダビデという野盗集団に破壊された住民であろう。その一部は、航海して、列島に来て、蛭子様に投影された渡来人集団となったと推定される。

アモリは、言わずと知れたセム語系コーカソイドで、シャムシ・アダドの古アッシリアや、ハンムラビの古バビロニアを建設した人びとをも輩出した大帝国の建設者である。アムル人。セム語系コーカソイド。

セムの子孫

①セムの4子
「セムーノアの三番目の息子ーには五人の子があった。彼らはユウフラテス川からインド洋にいたるアシアに居住した。」/65

「エラムはペルシア人の始祖であるエラム人を子孫に残した。」/p66

「アシュルはニネベの町を建て、配下の者たちをアシュル人と名づけた。彼らは非常に繁栄した。」/p66

「アルパクサデは、統治した者をアルパクサデ人と呼んだが、彼らは現在カルデヤ人と呼ばれている。」/p66

「アラムはギリシア人がシリア人と名づけたアラム人を治めた。」/p66

「また、ギリシア人が現在リュディア人と呼んでいる者たちは、ルデが創建した当時のルデ人の子孫である。」/p66

つまり、セムの子が支配者となって、いろいろな民族のジモティーを支配したってか。いずれにせよ、世迷い事である。
つまり、アッシリア人は、セムの子アシュルの子孫ではないが、被支配民であり、今やそのかつての被支配民によって支配されているというわけか。
ユダヤ教の原理主義者の捏造班の、フェニキア人の繁栄をねたんで、彼ら創り出した文明を心のそこでは評価しつつも、自分達が創ったと捏造した功績泥棒としか思われない。

②アラムの4子
「アラムの四人の子のうち、ウズはトラコニティスとダマスコー後者はパレスチナとコイレ・シリアの間にあるーを、またホルはアルメニアを創建し、ゲテルはバクトリア人を、またマシは現在スパシヌー・カラックスと呼ばれている地方にマシ人をそれぞれ植民させた」/p66

ウズ:ダマスクスを統治。
ホル:アルメニアを創建
ゲテル:バクトリア人の祖?
マシ:カラクスはペルシア湾岸のエリドゥやウルの近郊の都市。

③アルパクサデの孫エベルが「ヘブル人」の語源?
「シラはアルパクサデの子で、シラの子は、エベルである。ユダヤ人はエベルの名にちなんで、古代からヘブル人と呼ばれていた。」/p66

セムの子アルパクサデなるものが、カルデア人の主人だったと僭称している。そのアルパクサデなる馬の骨は、どんな馬の骨だ。
カルデア人は占星術を継承しているので、古代のウル第三王国の子孫にして、テーバイ帝室系ギリシア人が「里帰り植民」したフェニキア人の一分枝であろう。
馬の骨アルパクサデの孫が、エベルで、ヘブル人の名祖だという。
一般的には、アピルとかハピルとか呼ばれた奴隷上がりのエジプトからの移民の野盗集団とされているが。
実際は、ヨセフス時代のユダヤ人の祖は、大部分がフェニキア人を初めとするカナン人であることは、容易に想像できる。そないに謙遜せずとも、堂々と、アルファベットを始め建築術やあらゆる技術の生みの親であるフェニキア人の子孫であると名乗るべきなのではないかと思うが。

ヘブル人の起源

「さて、次にヘブル人の起源について語ろう(創世記11、18以下参照)。」/p67

「エベルの子ペレグには息子リウが誕生した。リウからはセルグが、セルグからは息子ナホルが、またナホルからはテラが生まれた。そしてテラはアブラハムの父である。」/p67

ヘブル人の祖はエベル。そのエベルの子孫がアブラハムの父テラである。
このテラ(תרח)とテラ島(Θήρα)の名祖のスパルタの二王家の祖の双子の伯父テーラースと何か関係があるのだろうか。

アブラハムとその家族

「アブラハムには兄弟ナホルとハランがいた。二人のうち、ハランは息子ロトと娘サラとミルカを残してカルデヤ人の地で死んだ。そこは「カルデヤ人のウル」と呼ばれている都市で、今でも彼の墓が残っている。」/p68

①ハランはサラの父の名である。
ハランの名前は、おそらく、移住する先の月神シンの都市ハッラーンから取って来たのだろう。ウルに次ぐ第二の月神のメッカである。その神殿は、フェニキア系を母方にもったと想定される新アッシリア王アッシュル・バニパルや新バビロニア王ナボニドゥスによって再建されている。
住民の月神・星辰信者は、サービア教徒となる。

②「カルデアのウル」のウルの矛盾
時代的には、エジプト移住前なので、ウル第三王国のウルを想定していないといけないが、「カルデアのウル」ということは、この捏造班が捏造したとき、すでに「カルデアのウル」といわれていたということである。

実は、聖書に資料を提供したバビロンの記録所の記録を書いた人々は、恐らく水神ナブーや月神シンの神官たちだったであろう。

テラやアブラハムは、ウルのカルデア人でハッラーン人になった住民であったと想定することもできてしまう。
いつまでも、ユダヤ人が「新月祭」を行っていたという預言者の非難が、その傍証を提供していないか。

第Ⅰ巻/第三章 アブラハム物語

アブラハム、メルキセデク王の出迎えを受ける

「ソドム人の王は「王の平原」と呼ばれている土地で彼を迎えた。サレムの王メルキセデクもそこで彼を出迎えた。この王の名は正義の王という意味であり、彼がその名にふさわしい王であることは万人が認めていたので神の祭司とされた。」/p77

サレムの王の「サレム」とは「エルサレム」の古名である。
メルキセデクのメルキ=メルは「王」「主人」の意味であり、「セデク」「ツァデク」はサドカイ派の語源の祭司集団に使われているように「正義」の意味である。
後に、地獄行きの烙印を押す退廃の大都市ソドムの王が、正義の人であったというわけである。
これは事実を洩らしていると推定される。

モアブとアンモン

「ロトの処女の娘たちは全人類が絶滅したと思い込み、人目を心配せず父と交わった。・・・上の娘からはモアブーこの名は「父から」を意味するーが生まれ、下の娘からはアンモンが生まれた。この名は「一族の子」という意味である。」/p85

そんなバナナ。アンモンはアンモン神からだろ!
「全人類が絶滅」ってたいがいにしろ。このころ領域国家のモアブもアンモンも成立していない。「前1200年のカタストロフ」以後にパレスティナにあったヘブライ人の敵の大国モアブとアンモンを誹謗中傷しているだけである。
アンモン人は、エジプトのアメン神信者になったセム語系コーカソイド=「広義のフェニキア人」がパレスティナに「里帰り植民」した集団の一つである。彼らは、エジプトに入った時「郷に入れば郷に従え」の「広義のフェニキア人」の一分枝である列島人の諺を信条としていたので、自分たちの主神バアルを土地の主神と習合させて、わたしたちの神さん、バアルさん、実はアダドという嵐の神、ネルガルという地下帝王の神、ニヌルタという灌漑農業の神を習合させた最高神、ヘーラクレースさんともいいますが、太古のアトランティスの主神ポセイドーンさんや神々の父エル・クロノスさんとも同じ神さんですよ、元々はセト神と習合させたと記憶していますがね、ヘラクレオポリスを建設してお邪魔したときは、ヘリシェフとして持ち込んだけれど、後にはラシャプ=レシェフという疫癘神としてもちこんだでしょ。悪い神さんではないですよ。私たちと同じように長髪で髭の男性の姿をしているでしょ。そのトーテムは火の鳥です。だからギリシア文明を築いたとき、自称として名乗ったポイニクス=フェニキア人が、私たちの他称ともなったのです。火の鳥=ポイニクスは、あなたがたの知恵の神トトのトキだったり、再生の鳥ベヌウだったりしますが、中国では朱雀、鳳凰と呼ばれています。再生をもたらす「風」のエレメントのシンボルでもあります。友愛的通商国家を建設し、商業と司り、未来には通信=インターネットを司る神さんと思ってくれてもよい。いつも私たちは、水神信者であった「前1200年のカタストロフ」以前は、蛇や亀、魚など水棲生物をトーテムとしてきましたが、「前1200年のカタストロフ」以降は、この種の平和的な鳥をトーテムとしています。列島には「鶴」という鳥として導入しました。「鶴」は、私たちの母国の一つ、テュロス=テュルのことである。テュロス人は、ギリシア人の祖でもあり、列島人の祖でもあるというわけです。

サラの死とヘブロンでの埋葬

「その後ほどなくしてサラが死んだ。
彼らは彼女をヘブロンに葬った。その土地は、カナン人が埋葬用の土地として公共の費用で提供したものだったが、アブラハムはヘブロンの住人のエフロンに四〇〇シケルの代価を払ってそこを買い上げた。そしてアブラハムとその子孫はその地に自分たちの墓をたてた。」/p96

ヘブライ人=ハピル人が拠点にしたからヘブロンとよんだのであろう。

第Ⅰ巻/第四章 イサクとヤコブ物語

ヤコブ、ラケルを見つける

「ヤコブはメソポタミアへの旅を続け、つにハランに到着した。」/p113

ラケルはハッラーン在住の叔父の一族であるが、おそらくハッラーン人=月神シン信者のカナン人=フェニキア人を投影していると推定される。

ヤコブの子ら

「ところで二人の姉妹には、それぞれ父から与えられた侍女ーレアにはジルパ、ラケルにはビルハーがいたが、もちろん彼女たちは奴隷女ではなく従者だった。」/p118

①レアの子:ルベン、シメオン、レビ、ユダである。

「やがてレアに男子が誕生した。彼女はその子が神の憐れみによって授けられたのでルベンと名づけた。後に彼女にはさらに三人の男子が生まれた。すなわちシメオンーこの名は「神がわたしの願いを聞き入れられた」を意味するー、レビー「交わりの保証」を意味するー、そしてユダーこれは「神への感謝」を意味するーである。」/p118-119

このレアとラケルもハッラーン人である。つまり、ジモティーの「広義のフェニキア人」と混血したことを投影していると推定される。レアはゼウスの母から来ているのか。
美人の妹と結婚したければ、不細工の姉も娶らんかいと言われる神話は、列島にもある。
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの神話であるが、こっちではイワナガヒメを拒否するのではあるが。
レアの子ルベンは、ヨルダン川東岸、ユダは西岸、ユダ領域の中にシメオンの領域があり、レビ族は領域をもたない。つまり、レアの子孫は、南ユダ王国になる実際のヘブライ人の領域を支配したと述べているわけだ。
レビの子孫は祭司一族に、ユダの子孫が実際のヘブライ人を投影したヘブロンを首都とするユダ王国の住民になる。

②ビルハの子:ダン、ナフタリである。

「ラケルは・・・自分の侍女ビルハをヤコブと同衾させた。そして女から男の子ダンが生まれた。その名はギリシア語に訳せばセオクリストス(神に裁かれた)となろうか。その後彼女は再び男子を生んだ。それはナフタリと名づけられたが、ラケルが姉に対抗したことから、「機知に富む」という意味であった。」/p119

ダンは海岸地帯で、ダナオイ人=エジプトからタナヤと呼ばれたギリシア系フェニキア人であるテーバイ帝室系の植民地領域である。
ダンから生まれるのが、士師の一人英雄サムソンである。サムソンも夢中になるデリラもともに「広義のフェニキア人」であろう。つまりペリシテ人である。
ナフタリは、ガリラヤ湖の東岸のパレスティナの最北で、隣のアセルと並んでフェニキア地方と至近距離にある。
イエスの実の故郷であると推定される。ここの住人ももちろんフェニキア人である。

③ジルハの子:ガド、アセルである。
④さらにレアが、ゼブルンを生み、
⑤最後にラケルがヨセフを生む。

ガドの領域は東ヨルダンのルベンの北である。アセルは、フェニキア地方の至近距離の最北にあり、ともに北イスラエルの領域で、端からヘブライ人とは関係ない。「広義のフェニキア人」である。ゼブルンは、ナフタリとアセルの南にある。

最初は、ラケルの子ヨセフが家督を継ぐが、その子孫は、あきらかにヘブライ人ではない「広義のフェニキア人」の北イスラエルの初代王ヤロブアム1世であり、そののち系図は途絶える。
一方、レアの子ユダの子孫から、ダビデ、ソロモン、南王国創始者のレハブアム、ヨセフ、イエスが生まれることになっている。
ラケルもレアも「広義のフェニキア人」であったことに注意を要する。
王というのは、メレク=マルクスで、カバラのマルクート、地水火風からなる物質世界を意味し、フェニキア系の世俗王(ライシテ王)を意味する。
独善的一神教である原理主義的ユダヤ教のラビたちが、常に世俗的で、バアルを始め列島の八百万の神、ヒッタイトの千の神々と同じフェニキア系の神々を祀る王権と対立してきたことは明らかである。「広義のフェニキア人」は友愛的汎神論である。

ラケルの死

「そこでラケルが難産で死んだため、その地に彼女を葬った。そのため、彼女はヘブロンで葬られる名誉をもたないただ一人の家族となった。」/p131

「彼女の死をひどく悲しんだヤコブは、彼女から生まれた子に、母に苦しみを与えたという理由で、ベニヤミンと名づけた。」/p131

ラケルがヘブライ人の共同墓地に埋葬されなかったことは意味深である。ラケルはもともと、ヘブライ人ではなかったと推定される。

第Ⅲ巻/第一章 シナイ山への行進と到着

アマレク人、戦いの準備をする

「今やヘブル人の名はあまねく喧伝され、いたる所で話題になったが、それは土地の者たちに少なからざる脅威を与えることになった。彼らは互いに使節を派遣し合い、誘い合って、この成り上がり者たちを撃退して滅ぼそうと考えた。」/p256

「この動きの煽動者は、アマレク人と呼ばれるゲバル(死海南部の山岳地帯)とペトラ(ナバテア人の首都。ここでは、後の時代の名称が用いられている)に住む者たちで、この地方ではもっとも好戦的な連中であった。」/p256

ヘブライ人=野盗集団ハピル人現る!

「前1200年のカタストロフ」以前は、凶悪な野盗集団、普段は遊牧民で、時々雇われ傭兵団となる「ハピル人」の子孫がヘブロンの土地に寄留して、各地に暴れ回ったと推定される。

①ここでのヘブル人は何者か?
喧伝されていたというのは「アピル」とか「ハピル」とかいう名でか?

②アマレク人は何者か。
死海南部の山岳地帯が「ゲバル」であり、その現在の「紅海」沿岸の都市がエツィオン・ゲバルであるから、後のエドム人の領域である。

アマレク人は何者か

死海南部の山岳地帯が「ゲバル」であり、その現在の「紅海」沿岸の都市がエツィオン・ゲバルであるから、後のエドム人の領域である。
つまり、後にはエドム人と呼ばれる「広義のフェニキア人」であるセム語系コーカソイドと推定される。

アマレク人の言及
1、『創世記』36にエサウの子に「アマレク」がある。
2、シナイ半島からパレスチナに入って最初に遭遇した敵、ヨシュアが撃退
3、『サムエル記』上15で、サウル王が、アマレク人の王アガクを、美しさのゆえに助命する。
4、『エステル記』のハマンがアマレク人とされている。

ここから、
①エサウの子=インド・ヨーロッパ語族コーカソイドであり、
②原ギリシア人としてバルカン半島に南下し、そこで、カドモス一党のテーバイ帝室系と混血通婚したヘラスとなり、テーバイ帝室系と通婚してヘーラクレース帝国の一員となり
③ヘーラクレース帝国としてエジプトに移住して、自分たちの神をあんから、①エサウの子=インド・ヨーロッパ語族コーカソイドであり、②原ギリシア人としてバルカン半島に南下し、そこで、カドモス一党のテーバイ帝室系と混血通婚したヘラスとなり、テーバイ帝室系と通婚してヘーラクレース帝国の一員となり③ヘーラクレース帝国としてエジプトに移住して、自分たちの神をアンモン神=アメン神と習合させ、東ヨルダンに、南からエドム王国、モアブ王国、アンモン王国を建設したエドム人、モアブ人、アンモン人の一つとなる。
④同じ「広義のフェニキア人」のサウル王は、同族で体格がよく美貌のセム語系コーカソイドであったアマレク人の王アガクを助命したりする。
⑤テュロス王ヒラムとともに、エツィオン・ゲバルで、鉄鋼業を大々的に経営した。ビジネスパートナーであった。
⑥ユダヤ教原理主義のハスモン王朝を簒奪したエドム人のヘロデ王を輩出する。ユリウス・カエサル、アントニウス、アウグストゥスを篭絡し、エルサレムのしょぼい第二神殿を壮麗に改築した。

ヘブル人、戦いの準備をする

「そこでモーセは、人びとの中から戦闘能力のある者をすべて選び、ヨシュアを彼らの長とした。
彼はエフライム部族のヌンの子で、その勇気は抜群であり・・・」/p259

ヨシュアの正体
ヨシュアは、エフライムの孫とある。
エフライムとは、ヨセフがエジプトでつくった2人の子の弟で、オン(ヘリオポリス)の祭司の娘との間の子。つまり、エジプト人とのハーフの家系。
ヨシュア、サムエル、北イスラエル王国のヤロブアム1世を輩出するが、すべて子孫は絶えている。ヤロブアムはヨルダンに亡命。
最初はラケル筋が優勢だったが、のちは、ダビデ、イエスなどを輩出するレア筋が優勢となったもよう。

もともと、アブラハムは、ウル第三王国の民衆でウル人=シュメル人であったと推定される。
シュメル人は、黒髪で短躰の列島人とドラヴィダ人の混血であったと推定される。
ハッラーン人のラケル、おそらくコーカソイドと混血し、
エジプトで、エジプトの王族=ヒクソス王族のフェニキア系と混血したとすると、
エフライム人はかなりコーカソイド色が強いことになる。

ヘブル人の勝利と大量の戦利品

「また、この戦争における成功は、そのときのみならず、あとあとまで彼らに幸福をもたらす源泉にもなった。彼らはこのとき敵の身体だけでなくその精神をも奴隷としたからであり、敵を打ち破ってからは、近隣の民族にとって恐ろしい存在となり大量の富さえかき集めえたからである。」/p261

パリサイ人の野盗思想
ヨセフスは、パリサイ派のユダヤ人であるが、パリサイ派は異教徒を殺すことを徳と考えている。だから友愛思想のイエスから徹底的に批判されているわけだ。
パリサイ派こそ「ユダヤ教原理主義者」の母胎である。

この記述には2つの嘘があると推定される。
一つは、「敵の身体だけでなくその精神をも奴隷とした」である。エドム人は、一人一人が王であり自由人であるとする「広義のフェニキア人」の一つエドム人である。後に彼らがその美貌と堂々たる体躯を生かして、勝ち組として、パレスティナのピッツバーグであるエツィオン・ゲバルの鉄鋼業を経営して大儲けしたり、ヘロデ王を輩出して、ヘブライ人どもを逆に奴隷にしたことは、歴史が表明している。
こういうユダヤ人のメンタリティは、ニーチェによって「ルサンチマン」と表現されている。童話のシンデレラの原作は、継母たちに虐待された先妻の娘の白昼夢である。その残虐で下劣な復讐は、実は実際はかなわなかった負け犬の捏造である。
ヘブライ人=ハピル人は、実は弱小で負け犬であったと推定される。
もう一つの嘘は、「大量の富さえかき集めえた」である。残念ながら、後にソロモンの栄華を築いたような経済的成功を離散までのヘブライ人は一度も経験したことがなかったと推定される。
その栄華は、敵の、すなわち「広義のフェニキア人」のものであったと推定される。

第Ⅲ巻/第三章 幕屋の聖所の造営

幕屋の聖所造営のための資材

①ぜいたくな「幕屋の聖所」造営
「・・・幕屋造営のためにできるかぎりの努力を傾注した(出エジプト記二五2以下、三五5以下参照)」/p275

「彼らはそれぞれが銀、金、青銅、朽ちることのない良質の材木、やぎの毛糸、羊の皮等を携えてきた。
また彼らは、前述の青や深紅色に染めた羊毛、極上の亜麻布、細工された宝石ーそれは人が金とともにはめこんで装飾として使用する類のものであるー、および大量の薫香をもってやって来た。」/p275

「モーセは、このような資材で幕屋の聖所を建設したが、それはまさに携帯用、巡回用の神殿とでも言うべきものであった。」/p275

②建築の棟梁選出
「モーセは神の指図にしたがい、仕事にあたる棟梁を任命した。
彼らの名は聖なる文書にも記載されているが、それは指揮官モーセの姉ミリアムの孫ベザレルーこれはユダ部族のホルの子であるーとダン部族のアヒサマクの子ホリアブである。」/p276

1、贅沢を肯定
フェニキア人の使うぜいたく品を使って「幕屋の聖所」を造営する。

2、携帯用、巡回用の神殿
「神殿」の建築を肯定

後の「ユダヤ教原理主義者」はこのような贅沢やサドカイ的儀礼主義を否定していく。
この時代、ぜいたくな神殿を建造できるほどの富を、敵からかきあつめ得たというのは、嘘である。

幕屋の聖所をかこむ庭

①幕屋の前庭の寸法
「彼はまず横五〇ペークス(一ペークスは約四五センチ)、縦一〇〇ペークスの庭の測量からはじめた(出エジプト記二七9以下参照)

次に縦の両側に高さ五〇ペークスの青銅の柱をそれぞれ二〇本、背面の横に一〇本立てた。
それぞれの柱には環がはめられた・・・・。柱頭は銀製で、槍の穂先のような金箔の台座は青銅製で、土中にしっかりと打ち込まれた。」/p277

「そして、この上なく美しい色とりどりの糸で織られた布幕が、各柱の間に張りめぐらされた。それは柱頭から台座までたっぷりあり、まるで壁と同じような印象を与えた。」/p277

「残る第四の部分は長さ五〇ペークスで全造営物の正面にあった(出エジプト記二七12、13参照)。中央の二〇ペークスの部分は門のように開かれ、両端には塔門を模した二本の柱が立てられ、門を支える側柱と固く連結されていた。」/p277

「また門の内部には、青銅の台にのせられた同じく青銅製の洗盤が置かれ、祭司たちが手を洗い清めたりできるようになっていた。
以上が外庭の造営であった。」/p277-278

幕屋の庭は、横が225cm、縦が450cmの長方形で、柱は、225cmの高さであった。ぜいたくな布幕が壁のかわりに風よけになっていた。
幕屋の前に長方形と正方形の前庭が造られたことになる。

幕屋の聖所について

太陽が昇ると、最初の曙光が射し込むようにしたのである。」/p278

「幕屋の縦の長さは三〇ペークス、南側と北側は壁で背後が西だった。また高さは横幅と一致していた(出エジプト記二六15以下、三六20以下参照)。」/p278

①東向き
幕屋の聖所自体の向きは、東向きであった。太陽信仰か?!

②幕屋の寸法
横は10ペークス、縦は30ペークス。225cm✕675cmである。

聖所内部の造営について

「幕屋の聖所内は縦に三つに仕切られ、モーセが最奥の所から計測して一〇ペークスの所に四本の柱を立てた。」/279

「これらの柱の奥の部分が至聖所で、祭司も幕屋の他の部分には入ることが許されたが、そこだけは入場を禁じられた。」/p279

「ところで、幕屋の聖所内をこのように仕切ったのは、宇宙の姿を模したからである。すなわち祭司も近づけない四本の柱の奥の部分は神に捧げられた天空をあらわし、他の二〇ペークスの部分は人が近づくことのできる陸や海で、祭司だけが入れたのである。」/p279-280

聖所の内部
三分割で、至聖所は天を表す。
至聖所は祭司も禁足区域

神の箱について

「幕屋の聖所内には神の箱が置かれ、それは朽ちることのない丈夫な木材でつくられていた(出エジプト記二五10以下、三七1以下参照)」/p282

「箱の長いほうの側面のそれぞれのすみには、木製部に食い込む二つの黄金の環が取り付けられ、日本の金箔棒がそれぞれの側面に沿って走り環にさし入れられていた。この二本の棒は、この箱を運搬するときのものである。駄獣が曳くのではなく、祭司たちが肩にかついで運ぶからであった。」

「箱の蓋には、ヘブル人がケルビムと呼ぶ二つの浮き彫りが施されていた(出エジプト記二五18以下参照)。
それは翼をもった生き物で、人間がいまだかつて見たことのない姿をしていた。もっともモーセは、神の座にそれが浮き彫りにされているのを見たと言っているが・・・」/p282

ケルビムの語源と正体!

1、アッシリア学者フリートリッヒ・デリッチュ(Delitzsh)説
『アッシリア手話集』によれば、「「ケルブという名前がアッシリア語のキルブ(シェドゥまたはラマッスの名前)およびカラブ(偉大な・力強い)と関連付けられています」。(Wikipedia)

2、フランスのアッシリア学者エドアルド・ドルム(Dhorme)説
「ヘブライ語の名前をアッシリア語のkāribu(小文字kurību)と結び付けました。これは、人類に代わって神に嘆願する仲介者(およびそのような存在の像)を指す用語です。」

以上に鑑みるに、翼をもった空想動物という見た目は、新アッシリア時代に流行した「有翼の精霊」アプカルルをヒントに考案したと想定される。
蓋し、モーセが見たなどと捏造したその「ケルビム」は、アッシリア王かペルシア王の玉座で見たものに違いない。
さらにその「ケルビム」という呼び名は、「海の民」テーバイ帝室が逆輸入したカベイロイの密儀のフェニキア語の「quabilim(カビリーム、強力なもの)」に由来すると想定される。

3、天使という概念は、ペルシアの宗教由来である。
当時のユダヤ州のラビたちが、神々、すなわちフェニキア人、アッシリア人、ペルシア人の文化の中から捏造した「空想動物」、それが「ケルビム」であったと想定できる。

燭台について

「黄金の燭台が南の壁近くに、供えのパンの机と向かい合って置かれた。」/p284

「燭台は、蕾、百合、ざくろ、ともしび皿等、台座から上端にかけて七〇の部分からつくられていた。
それは燭台が太陽と惑星の活動領域の数を構成するようにつくられていたからである。」/p284

「燭台の支柱には等間隔の七本の枝に、惑星の数を想起させる七つの燭がついており、燭台が斜めに置かれていたので、七つの燭は南東に向いていた。」/p284

メノーラの正体!

聖書には、「アーモンドのガクと節と花弁」などをつけたとしか書かれておらず、この七本が何を象徴しているかわかりづらい。

しかしこのヨセフスの記述は、ソロモンの神殿=ヒラム王のメルカルト神殿にも置かれていたらしいこの燭台が、明らかに七つの天体を象徴していることがわかる。

つまりバビロニア占星術由来のものであり、ユダヤの原理主義とは縁もゆかりもないものであるようだ。

後に、主枝をサバト(安息日=土曜日!)として、七曜日になぞらえられるようになったと想定される。

七惑星、七曜日、そして生命の木に発展したと想定できる。
真中の円い蕾が後にスフィアに発展していったのであろう。

これは、列島に来たフェニキア人が、桐の紋やえびす神社の紋などに含まれる七枝のモチーフに発展していったと想定されるから、意味深長である。
ユダヤ教原理主義ではなく、バビロニア占星術と関連の深いモチーフである。

カバラは、「広義のフェニキア人」の秘教であったと想定される。
ハッラーンで継承された「セフィロトの木」=「生命の木」には、現在、10個スフィアが設定されている。
最初の七惑星は、中央のサバト=土曜日を示す土星を中心に、ヤキンの柱(慈悲の柱)=男性原理に木星と金星、ボアズの柱(峻厳の柱)=女性原理に火星と水星がついていたと推定される。
紀元後になると、月神=最高神時代から太陽神=最高神時代へ、つまりホツマツタヱの5要素「ウツホ・カゼ・ホ・ミヅ・ハニ」でいうと、上から順に振動数の高い微細なエネルギーが下ってきて、ハニ=マルクトで、グラウンディングして、大地を蹴って上昇するという過程の繰り返しが人類進化のメカニズムと推定されるから、この5要素は、セフィロトの木に当てはめると、中央の柱である中庸の柱を表し、上からケテル=ウツホ、カゼ=ビナー、ホ=ティファレット、ミヅ=イエソド、ハニ=マルクトであり、惑星は、海王星、土星、太陽、月、地球である。
古い時代は7惑星しか観測できず、海王星・冥王星・天王星は発見されていなかったから、
土星をダートの位置に持ってきてできる形が、メノーラーであると推定される。
「広義のフェニキア人」の神を当てはめると、ウツホ=天神アン、アトランティスの主神ポセイドーン、カゼ=風神バアル、ハダド、ホ=太陽神シャマシュ、ミトラ、イエス、ミヅ=水神エンキ、月神シン、ハニ=埴輪、冗談、生得の人権をもったすべての人類=王たちとなる。

大祭司の祭服について

大祭司のエフォーデースとエッセーン

「大祭司はこれらの上に、もう一枚、エフォーデースというものをつける(出エジプト記二八6以下参照)
それはギリシア人がエポーミスと呼ぶものに似ており、金や色とりどりの糸で刺繍した、丈一ペークスの織布に袖をつけたもので、胸のまん中あたりがあいていた、大体は祭服に似ている。」/p288

「ところが、この服のあいた部分には、金糸やエフォーデースと同じ色の糸で詩集した一スピタメーの寸法の布片がつき、エッセーンと呼ばれている(出エジプト記二八15以下参照)。」/p288

「エッセーンにもきわだって大きな美しい一二個の宝石が取り付けられている(出エジプト記二八17以下参照)。

一列目の三つの石はまずサルドニュクス(縞めのう)、次にトパゾス(トパーズ)、そしてスマラグドス(エメラルド)、二列目はアントラックス(カーバンクル)、ヤスピス(碧玉)、サプフェイロス(サファイア)、三列目はリビュロス(風信子石)、アメテュソス(紫水晶)、そして全体で九番目の石になるアカテース(めのう)がはめ込まれている。四列目はクリュソリトス(かんらん石)、オニュックス(オニキス)、ベーリュソス(緑柱石)がはめ込まれている。」/p289

聖書の「出エジプト記28の17-20」の胸当ての宝石とは少し違う。
いずれにしても、前12世紀ごろの幕屋生活をして定住前の野盗集団が、こんな手の込んだ「宮殿テント」をつくったとはとうてい考えられない。

なぜなら、野盗活動で分捕ったものは、すぐに奪還されてしまうであろうから。城壁も築くことなしに。砂嵐もあるだろうし。誰が信じる、こんな世迷い言。

これはテュロス帝国の帝王ヒラムや、エトバアルや、プマイヤトン=ピュグマリオーンなどのメルカルト神の神官王の衣裳だったと推定される。

幕屋の聖所と祭服が象徴するものについて

「たとえば、幕屋の聖所は長さ三〇ペークスで、三つに分けられ、そのうち二つは祭司などだれでも足を踏み入れてかまわないがーモーセはこの場所を大地と海を表わすものとしたー、それはその二つがすべての人に近づくことを許しているからである。モーセは三番目の場所を、人間が天に足を踏み入れることができないように、ただ神だけのものとした。」/p292

「またモーセがテーブルに一二個のパンを置いたのは、一年が一二か月に分かれていることをしめすためである。」/p292

「また、彼が燭台を七〇の部分と七つの燭でつくりあげたのは、惑星の一〇度の領域と七つの惑星の軌道から暗示されたことを示している。」/p292

「そして四色の糸でおられたものは、自然界の四元素がどのようなものであるかを示す。すなわち、亜麻布の色は大地をー亜麻は大地に自生するー、紫は海をー海は魚の鮮血に染まるー、青は大気を、深紅は火を表している。」/p292

四元素の考え方は、地水火風で、仏教のテーラワーダの教学は、物質の粒子を成立させる四つの働きに当てはめた。ホツマツタヱは、粒子から波動への振動数の違いで、下から地水火風とした。
カバラの現代のマルクトを構成する地水火風の色は、「黒・オリーブ・ラスト・レモン」とした。大地はエジプトでもケメトというように肥えた土で黒、オリーブは、やはり肥えた土を含んだボルドー川のような茶色、火はラスト=錆びた色(ホ=火の要素は、火と太陽とがあるが、太陽は黄色・金色・白といったとこだ)、風はレモン(インターネットはレモン色なのか?)。
上のヘブライの四色を地水火風に当てはめるのは、実にこじつけがましい。
だいたい、亜麻が自生するから大地が亜麻色だとは、冗談もたいがいにしろ、である。

第Ⅲ巻/第四章 大祭司が選ばれ、律法が与えられる

潔めのための香料

「次にモーセは、幕屋の聖所と祭司たちの潔めのために、次の方法で彼らを聖化した(出エジプト記三〇22以下参照)」/p296

「すなわち、まず彼の命令にしたがって、上質の没薬五〇〇シケル、同量のイリス、二五〇シケルのキンナモーモン(肉桂)とカラモス(未詳)ーこれも一種の薫香であるーを砕き、それを一ヘインー一ヘインは土地の者が使う液量単位で、ニアッティカ・クースに相当するーのオリーブ油を混ぜた後、最高のかおりの軟膏をつくるときに用いる調合者の技術を利用して煮詰めた。」/p296

シケル=シェケルは、フェニキア人の単位でもある。
ヘインという液量単位は、カナン人の、ジモティーの、すなわちフェニキア人とアラム人の単位であったということだ。

つまり、このような香料は、香料交易を独占していたテュロスの王室の所有であり、調合技術者=アロマテラピストは、フェニキア人のテュロス王家に使える専門職であったと想定される。

アロマテラピーは、フェニキアやカルタゴ滅亡後、彼らの末裔が居住したアレクサンドリアを通じて、アラブ世界のハッラーンに保存されて、ルネサンスで逆輸入された。

マグダラのマリアやイエスが香料を使ったのは、彼らがフェニキア人の比較的裕福な家の出身であったからであろう。

幕屋の聖所の奉献

「今やすべてのものが完了した。人びとがもっとも優秀な職人と認めたのは、ベザレルとアホリアブだった。・・・これらの仕事に費やされた全日数は七か月であった。終ったのは、ちょうど彼らのエジプト出発後の一年目にあたっていた。」/p297

奴隷上がりが、食うにも困る遊牧民であって、1年でこれほどの贅沢で爛熟した文化を築けるはずもなく、そんな金があったら、パンよこせとならないのが不思議である。これは市民もすべてが裕福な通商国家テュロスの話であるとみるのが、合理的解釈である。

第五章 シナイ山を出発、カナンへ

一二人の探索隊の報告

「そして各部族からもっとも著名な人物を一名ずつ選択し、一二人の探索隊を編制した(民数記一三3以下参照)。

探索隊はエジプト側の国境から出発して、カナン地方を端から端まで縦断し、ハマテ(オロンテス川畔の町)の町とレバノン山まで足を伸ばし、その土地と住民を徹底的に調べ上げて帰って来た。」/p326

ヨシュアとカレブ

「しかし、こうした緊迫した状態に恐怖を覚えた二人の探索隊員ーそれはエフライム族のヌンの子ヨシュアと、ユダ族のカレブだったーは、人びとを鎮めようと彼らの中へ入り、こう説いた(民数記一四6以下参照)。」/p327

第Ⅳ巻/第一章 荒野における試練と前進

アロンの奇蹟の杖/人心ようやく鎮まる

「アロンの杖だけは、新芽と若枝が生え出しているのが見られ、成熟した果実によってそれがアーモンドであることが分かった。事実、彼の杖はアーモンドの木からつくられていたのである。」/p354

レビ人の町と十分の一税

「土地からあがるその年の収穫物の一〇分の一をレビ人と祭司たちに治めることも規定した。」/p355

土地を所有せず、公費で養われる神官家系レビ族は、エジプト出身のモーセとアロンに率いられてきた人々であっただろう。
現地のハピル人と合流した時、彼らは貴族階級を形成したと推定される。

エドム人の王、モーセの領内通過を拒否

「神が開戦を勧められなかったので、砂漠の中を回って道を求めながら軍隊を引き上げた。」/p357

エジプトから侵入すれば、最初に対峙すべきはエドム人であるので、実際、そういう行軍はなかったため、捏造の都合上、エドム人を迂回して北方へ軍を進めたことにしたと想定されるエピソードである。
エジプトから移住したモーセの集団は、平和的にアテン教を広めるために来たのであり、戦争をするはずもない。

アロンの死

「軍を率いて砂漠を横断し、かつてはアルケーと呼ばれ現在はペトラと改名されたアラビア人の首都のあるアラビアの土地へやって来た(民数記二〇22以下参照)。」/p358

「アロンはその地を囲む高い山の一つに登って行った。・・・そして彼は多くの人びとに見守られながら死んだ。」/p358

モーセの軍は、エドム人の領域を迂回し、アカバ湾と死海のちょうど中間地点で、ヨルダン側にある都市ペトラに来た。
このペトラは、「前1200年のカタストロフ」以来、テーバイ帝室系のギリシア人であるエドム人が植民していたが、おそらく、ギリシア語でアルケーと呼ばれていたのかもしれない、前一世紀ごろからナバテア人が居住し、立派な建造物を建てる。

アモリ人の王シホン、モーセ軍の領内通過を拒否

「アルノン川に至った。その川はアラビア連山に水源をもち、全くの砂漠の中を横切ってアスファルティティス湖(死海)に水を注ぎ、モアブとアモリ人の国境にもなっていた。後者の土地は肥沃で、その豊富な産物は多くの人間を養うことができた。」/p359

アモリ人とはアムル人であり、帝国建設者の二大英雄シャムシ・アダド一世とハンムラビ王がいる。
しかしアムル王国という王国は、前15世紀末、レバノン北部のシリア山岳部に、アブディ・アシルタを族長とする王国を建設し、アピル人=ハピル人(ヘブル人の語源の呼び声高い無産者階級)を野盗として部下に雇い入れ、ゲブラを乗っ取った王国である。ヒッタイトの庇護下に収まった。
「前1200年のカタストロフ」で「海の民」の来襲とともに、ゲブラーもテーバイ帝室系が支配する都市となったと想定される。
この時代カナン地方にいたのは、テーバイ帝室系のフェニキア人で、ギリシア語話者からフェニキア語話者に戻って、さらにレバノン山脈を越えて、アラム語話者になっていたカナン人たちであろう。

アモリ人の敗北とその国の占領

「こうして大殺戮が展開された。・・・彼らの王シホンも戦死した。」/p361

オグ王の敗北

「王は友人でもあったシホンの同盟者として戦うために、軍勢の先頭に立って急いでかけつけた。・・・王は戦闘の最中に戦死し、・・・
彼の剛力と長身は、アンモン人の首都ラバで寝台が捕獲されたときに立証された。それは鉄でつくられ、幅は四ペークス、縦はその二倍よりさらに一ペークス長かったのである。」/p362-363

東ヨルダンには、南からエドム人=イドマヤ人、モアブ人、アンモン人=アモリ人という同族の王国が栄えていた。
ギリシア系フェニキア人で、フェニキアの豊穣系の神を信仰していた。
このような堂々たる体躯と美しい顔をもったコーカソイドが、ハピル人=ヘブライ人集団に簡単に征服されるとは考えられない。
彼らは富裕で、鉄の武具の装備もあったであろうし、人を雇う財力もあったのである。
ヘブライ人のこの作り話は、今でいうならゲームのラ・ラ・ランドの白昼夢であろう。

第Ⅳ巻/第二章 モーセの律法と統治原理

瀆神に関する規定

石打ちによる死刑

瀆神罪は、残虐死刑。
これだけで、このヘブライ人=独善的一神教の律法の邪見性を証明するに充分である。

この刑罰こそ、アドリアン・デュポールがフランス革命を企画して撤廃し、憲法への叛逆をそれに代えることに尽力し、現在のフランス共和国の「ライシテ主義」の基礎を築いたターゲットであった。

結婚に関する規定

結婚まで処女の純潔を守らなかった者は、普通の娘は石打で、祭司の娘は焼き殺す。

ユダヤ教は、男尊女卑・一夫多妻の野蛮な宗教であり、イエスがそれに真っ向から対決したことは明白である。イエスはユダヤ教の継承者ではなく、改革者ですらなく、アテン教の継承者であり、反対者であったと推定される。ユダヤ教の継承者は、カトリックとイスラームである。


第Ⅳ巻/第三章 モーセの最期

モーセ、石板と幕屋を祭司に引き渡す/祝福と呪詛

「モーセはこれらの書を、一〇の言葉(十戒)を書き記した二枚の石板を納めた箱や神の幕屋とともに、祭司たちに引き渡した後、民に次のように勧告した(申命記三一9、24、25参照)。/p422

「そして、おまえたちがカナン人の土地を完全に征服し、全住民を殺し尽したならば、右手のゲリジム山(次のエバル山のすぐ南に並ぶサマリアの山(現在のジェベル・エト・トル)。この二つの山の間にシケルとナブルスがある。)、左手のエバル(ゲリジム山と向かい合う山(現在のジェベル・エスラーミーエ)と呼ばれる二つの山の間の、シケムの町から遠くない所で、太陽の昇方向に向かって祭壇を一つ建てる。」/p423

地上におけるモーセの最後と人びとの感動

「彼ら一行がアバレイスと呼ばれる山(モアブの高台地を構成する連山の一つ、ジェベル・エン・ネバと同定されている。)に到着すると、モーセはゲルーシアの長老たちを帰らせた。その山はエリコに面して聳え立つ高い山で、山頂からはカナン人の土地の大部分を見下ろすことができた。」/p429

死海の東北のヨルダン側に聳える山で、ネボ山とされている。

シケム:ヨルダン川西岸の土地。現ナーブルース付近とされる。

『ユダヤ古代誌』2 目次

第Ⅴ巻

第一章 カナン侵入と征服

第二章 士師時代

第三章 サムソン物語

第四章 ルツ物語

第五章 サムエル物語(前半)

第Ⅵ巻

第一章 サムエル物語(後半)

第二章 サウル物語ーサウル、イスラエルの初代の王となる

第三章 サウルとダビデ

第Ⅷ巻

第一章 ダビデ、ユダ部族の王となる

第二章 ダビデ、イスラエル統一王国の王となる

第三章 ソロモンの即位

第Ⅴ巻/第一章 カナン侵入と征服

※ヨシュアがした「ヨルダン渡河」と「エリコ攻略」の真実

ヨシュア間諜をエリコに送り、ヨルダン渡河を準備する/p11

「彼はまた、ルベン部族の指導者たちや、ガド部族とマナセ部族の代表たちを集めーマナセ部族の半数も、カナン人の七番目の土地であったアモリの土地に住むことを許されていたー、自分たちがモーセにした約束を想起するように言った(ヨシュア記一12、13参照)。/p11

※ ヨルダン川東岸のモアブの土地の北部にヘブル人を残したか?
「モーセが、カナン人のアモリから奪って、ルベン部族、ガド部族、マナセ部族の半部族に割り当てた。」と捏造されている。

この時、ルベン族、ガド族、マナセ族を残したが、戦士はカナン征服戦争に参加させたというのはいかにもいびつである。遊牧民として、トランスヨルダンを放棄して移住したと見るべきである。

ヨルダン川の徒渉/p15

①ヨルダン渡河は捏造
「ヨシュア記三」と照合。
神の力で川を浅瀬にする奇蹟:スネフェル神話焼き直し。

エリコ攻略の準備/p16-

※エリコ攻略とは?
エリコは、死海のすぐ北のヨルダン川西岸の遺跡。
「ヨシュア記六」と照合。
エリコ城壁を六回「契約の箱」をかついで城壁を7日間まわるだけで、城壁が崩壊する奇蹟。全員無差別殺戮。
シュロモー・サンズさんの最高のイロニーの場面。
シュロモー・サンズさんの分析通り、城壁が「契約の箱」をかついで7回まわるだけで崩れた「世迷い話」は、捏造で、そもそも、それで城壁を崩せるなら攻城兵器は必要ない。支配したというのは城壁外の地域であり、それも実にあやしい。また、幕屋を造営できる高度な建築技術があれば、攻城兵器も建造できたはずである。

※ヨシュアなる者の正体

シロに幕屋を建て、シケムに祭壇を築く/p28

「こうして五年目が過ぎた。堅固な城壁のおかげで逃げられた少数の者を除けば、その国にはもはや一人のカナン人も残っていなかった。」/p28

「そこでヨシュアは設営地をギルガルから山地へ移し、シロの町(ベテルの北東約九マイル、現在のキルベート・セイレーン)に聖なる幕屋を造営した。

①なぜシロとシケムの二つの拠点が挙げられているのか?
ヨシュアの本拠地は、シロの幕屋とシケムの祭壇である。
あの豪壮な幕屋を解体して移動させ、シロにつくったといいたいのか。うそであろう。豪壮な幕屋が、過疎の山地にぽつんと立っている様は、マンガである。

シケムはシケム=シェケムは、ヨルダン西岸のマナセ族の領域にあり、実はヨシュアの拠点でなかった可能性がある。
なぜなら、シケムは平地にある都市だからである。
一方シロは、まさにヨシュアの出身地エフライムの領域の山地にある。
ベテルは、アブラハムの昔から都市であり、エフライムの領域の南の平地にある都市である。
つまり、平地の民と共存できない無頼の山賊であったわけだ、ヨシュアに投影されたイスラエルの第二の指導者は。
つまり、ヨシュアは、シケムの町とべテムの町を押えていないと想定される。
キングダムのオルドのように、平地の民でありながら、北の50の山岳族を従えるということはあり得るが、逆は考えられない。

②ラケルの末裔であるエフライム人
第1巻でヨシュアは、「エフライム族のヌンの子ヨシュア」とされており、系図的には、ヤコブの嫡子ヨセフの末裔である。
ヨセフは、ラケルの子孫であり、ラケルは唯一、ヘブル人の墓所ヘブロンに墓をもたない。もちろん、ヘブロン(חֶבְרוֹן)が、ヘブル人(עברים)とは違う。最初の母音が違う。しかし、ヘブル人がハピル=アピル=ハビルという仮説が強力である。
ヘブロンの墓所は、後に出てくるようにユダ族の拠点であるため、アブラハム時代に正当に買い入れたというのが捏造である。
モーセとともにエジプトから移住したヘブル人の末裔ではない。
前15世紀、アムル王の配下となって、ビュブロスを占領したハピル人の末裔であろう。

いずれにせよヨセフのこれまた不正で嫡子の座を手にいれたエフライムの孫に「接ぎ木」されているヨシュアは、相当悪名を馳せたのかもしれない。
「彼の遺体はエフライム部族のテムナテ・セテの町に葬られた(現在のキルベート・ティプネ)。」/p41と後に出てくるように、ヨシュアの故郷が、エジプトからモーセに従ってきた人々とは別で、もともとエフライムの分配地、つまりカナンに居住していたのではないかと想定される。

実際は、モーセ集団のカナン拡散も、バラバラで、前14世紀のトトメス王子=第一モーセであるアテン教祭司に率いられて、ホルエンヘブの迫害を逃れて移住を始めた集団ー彼らは早くにガリラヤ湖周辺の北部まで移住したと思われ、その子孫がイエスらアテン教徒であったのだろう。
エジプトで第19王朝の追撃からも三々五々と移住を続けたのであろうが、
ハピル人の中核は、おそらく、「ギリシア本土のトロイア戦争」に敗北したアカイア人と僭称ダナオイ人(原アテーナイ人)がエジプトに移住し、ラメセス三世によって奴隷にされて、逃亡し、もともと前15世紀からカナンの土地におり、ビュブロスをアムル人の首長の傭兵として乗っ取ったヒッタイト臣民に合流したのであろう。

いずれにせよ、ヨシュアが大虐殺者であったならば、奴隷あがりのハピル人の子孫で、モーセ集団の移住以前に、カナンの地に居住していた「エフライム人」だったということが想定できる。

ちなみにエフライムの領域出身者は、この極悪の大殺戮者ヨシュアと極悪の大殺戮者の大祭司サムエル、そして北イスラエルとして独立するヤロブアム1世がいる。
ヤロブアム1世は、エフライムのジモティー出身であることは間違いなかろうが、ヘブル人だったかは疑問である。
北の10支族に推戴されて王になるヤロブアムは、カナン人であろう。
このエフライムの大都市シケム=シェケムを再建していること、古都ベテルとダンに金の子牛像を置いたということからも、アテン信者の末裔が想定される。

※トランスヨルダン後の九部族半の割り当て見るヘブル人の領域

九部族半への土地の割り当て

①時代はヨシュアと大祭司エレアザル統治下
「ヨシュアは大祭司エレアザルとゲルーシアの長老たちを呼びよせ、部族長たちも交えて、九部族とマナセの半部族の者たちへの土地の割り当てを、各部族の大きさを勘案しながら行なった(ヨシュア記一五1参照)。」/p31

この時代の実際の領域は、幕屋を移したシロとシケムを含むエフライムの領域だけだったと想定できる。集団は、遊牧民で無産者階級で、ヨルダン東岸を棄てて、ヨルダン川を越えてここに拠点を定めた。

もしくは、東ヨルダンには足を踏み入れたこともないパレスティナに残留していたハピル人であり、ラメセス2世の追撃から逃れてきたハピル人と合流して、エフライムの領域の山岳地帯に拠点を据えた人々と推定される。

エフライム族の領域

残留ハピル人の子孫ヨシュアの支配する山岳地帯のシロのみ。
なぜシロとシケムの二つの拠点が挙げられているのか?
ヨシュアの本拠地は、シロの幕屋とシケムの祭壇である。
あの豪壮な幕屋を解体して移動させ、シロにつくったといいたいのか。うそであろう。豪壮な幕屋が、過疎の山地にぽつんと立っている様は、マンガである。

シケムはシケム=シェケムは、ヨルダン西岸のマナセ族の領域にあり、実はヨシュアの拠点でなかった可能性がある。
なぜなら、シケムは平地にある都市だからである。
一方シロは、まさにヨシュアの出身地エフライムの領域の山地にある。
ベテルは、アブラハムの昔から都市であり、エフライムの領域の南の平地にある都市である。
つまり、平地の民と共存できない無頼の山賊であったわけだ、ヨシュアに投影されたイスラエルの第二の指導者は。
つまり、ヨシュアは、シケムの町とべテムの町を押えていないと想定される。
キングダムのオルドのように、平地の民でありながら、北の50の山岳族を従えるということはあり得るが、逆は考えられない。

ユダ族の領域

②ユダ族への割り当て
「ユダの部族に割り当てられた土地はエルサレムと、横の広がりがソドミティス湖(死海)におよぶイドメヤの上部一帯の土地で、そこにはアシケロンとガザの町も含まれていた。」/p31

ユダ族の領域とヨシュアの領域

①アシケロンとガザをユダ族が占領したか?
「ユダ部族(士師記一9・17以下参照)とシメオン部族は、カナンの丘陵地帯の町々や、平原および海辺のアシケロンとアシドドを占領した。しかし、ガザとエクロンの攻略には失敗した。この二つの町は平原にあったうえ、大量の戦車を擁し、それによって侵入者を痛めつけたからである。
こうして、ともかくユダとシメオンの両部族は、この戦争で大きな利益をあげ、それぞれの町へ引き上げて武器をおさめた。」/p44とあとの士師記時代にあるように、ペリシテのペンタポリスは皆、頑丈な城壁に囲まれ、戦車を所有していたため、その一つとしてヘブル人は占領できなかったと見るのが自然である。

②エルサレムはユダ族の領域か?
後のベニヤミン族の領域にも含まれていることと矛盾する。このエルサレムの下町もユダ族の領域ではなかっただろう。

したがって、ヨシュアの領域に、平地の城壁都市シケムとベテルは含まれず、山岳地帯のシロの幕屋のみであっただろう。
ユダ族の領域に、ペリシテ人の大都市ガザとアシュケロンは含まれず、海に面していなかったと100%推定できる。
ユダ族の領域は、ヘブロンの墓所の周りのみであったと推定される。

シメオン族への割り当て

「次に割り当てられたシメオンの部族の領地は、イドメヤの、エジプトとアラビアに接する土地であった(ヨシュア記一九1以下参照)。」/31

シメオン族の取り分は、ユダ族の南部である。
ユダ族に吸収されたとされ、不遇な扱いである。

ベニヤミン族への割り当て

「ベニヤミン人に割り当てられた土地は、縦がヨルダン川から海まで、幅エルサレムからベテルにおよぶ地帯で、領域としてはこれが最小の割り当てであった。(ヨシュア記一八11以下参照)。土地が肥沃であり、エリコやエルサレム人の町が含まれていたからである。」/p31

※ベニヤミン族の正体
ベニヤミン族は、ラケルの二人の息子ヨセフとベニヤミンのベニヤミンの末裔とされている。
ラケル自身が、ハッラーンの出身で、ヘブロンに墓を持たないため、異民族的な匂いがする人物である。ハッラーンから父ラバンの神像を持ち出してもいる。ラケルが持ち出した神像は、月神シンの神像ではなかったか。
ベニヤミンの末裔は、嫡子ヨセフの末裔よりも扱いが雑である。
後には、ヘブル人の強姦魔の末裔を生むし、唯一の英雄サウル王は、神とサムエルに否認される。

しかし、ヘブル人の中核地シロとシェケルを含むエフライムの領域から南に位置するため、ヘブル語で「ヤーミーン」が「南」を意味するように、豊穣な南の都市国家であったことが濃厚である。

そもそも古代遺跡エリコと、古くからの都市、エルサレムを含むのである。
エルサレムは、エジプトの総督が支配しており、この時代は、エブス人=イビサ島のフェニキア人が支配していたと想定される。

ベニヤミン族の正体は、フェニキア人であったと想定される。
サウルは、ケルト系の容姿を持った堂々たる英雄である。

エフライム部族への割り当て

「エフライム部族に割り当てられた土地は、縦がヨルダン川からゲゼル(エルサレムの北西約一八マイル、現在のテル・ジェ・ザル)までと、幅がベテル(エルサレムの南西約六マイル、現在のキルベート・エル・エフード)から大平原(エスドライロンの平原)までの地帯であった(ヨシュア記一六5以下参照)」/p31

実際はフェニキア系の領域/ヨシュアは山地のシロのみ

大都市ベテルを擁するエフライム族は、山地にはヨシュアやサムエルなどのハピル人の末裔もひそんでいるが、後のヤロブアム一世を輩出しているように、友愛的太陽信仰のアテン信者の末裔が暮らす多神教のカナン人の領域であったと想定される。
ヨシュアが死ぬと、ヘブル人は、ユダの領域に移住したと想定される。

マナセの半部族への割り当て

「マナセの半部族に割り当てられた土地は、ヨルダンからドル(カルメルの南約一六マイル、現在のタントゥーラ)の町までで、幅は現在のスキュトポリスと呼ばれているベテシャン(ギルボア山とヨルダン川の間、現在のベイサン)の町まで達していた(ヨシュア記一七1以下参照。」/p31

イッサカルの領地

「イッサカルの領地は、縦がカルメル山とヨルダン川を国境とし、横がタボル山(ナザレの南東約五マイル)までのびていた(ヨシュア記一九17以下参照)。」/p31

ゼブルン人の領地

「またゼブルン人の得た土地は、ゲネーサリス湖(ガリラヤ湖)に達する土地で、カルメル山から海辺までおよんでいた(ヨシュア記一九10以下参照)。」/31-32

アセル人の領地

「カルメル山にはじまる、渓谷とよばれる地域は、アセル人に割り当てられ、シドンの町(ツロの北方二十マイル、地中海に突き出た丘の上にある)の方向に面していた(ヨシュア記一九24以下参照)。アクジブ(カルメル山とツロの間の町)とも呼ばれたアルケーの町も彼らのものとなった。」/p32

ナフタリの子孫の領地

「ダマスコの町にいたるまでの東部の地域は、上ガリラヤを含め、レバノン山と、その山にはじまるヨルダンの水源地帯まで含めて、ナフタリの子孫の占めるところとなった(ヨシュア記一九32参照)。/32

ヘブル人の領域は、「ユダ族とシメオン族」の領域、すなわちエルサレムより南の領域のみである。

ベニヤミンの領域、ダン族の領域以北は、カナン人=フェニキア人の領域であり続けたと想定される。

レアの子であるイッサカルとゼブルンは正室の子孫となっているが、
レアの侍女ジルパの子であるガドとアシェル、ラケルの侍女ビルハの子であるダンとナフタリに「接ぎ木」されている6部族は、おそらくヘブル人とは縁もゆかりもないだろう。イエス様の生誕地ナザレは、ゼブルンとナフタリの地域にある。

ダン

「ダンの子孫に割り当てられた土地は、渓谷と呼ばれる土地のうちの日の没する方向で、アシドド(ガザとヨッパの中間で沿岸から約ニ・八マイル内陸のエスドット)とドラに接していた(ヨシュア記一九40以下参照)。彼らの土地はまた全ヤブネル、ガテ、エクロン(ゲゼルの西約五マイル、現在のアーキル)からユダ部族の占める山岳地帯におよんでいた。」/p32

ダン族は、タナヤ=ダナオイ人から取られており、蛇がトーテムのため、テーバイ帝室系であり、しかも海岸に面し南をペリシテのペンタポリスと接しているため、ますます、テーバイ帝室系である。
ダン族の末裔にサムソンがおり、彼は、実はヘブル人ではなかった可能性が高い。サムソンとデリラの以前にも、彼はもともとヘブル人の小柄で色黒のヘブル人をきらい、自分と同様長身で美しいペリシテ人の妻を娶っている。しかも恋愛結婚で。彼はケルト系の血の濃いテーバイ帝室系であったのだろう。
「浦島伝説」同様、浦の嶋子=浦島太郎は、実は温羅の嶋子であり、乙姫=温羅人の出雲系の姫と同族であったのが別陣営に捏造されているのに類する捏造神話であろう。

土地の割り当て終る

「こうしてヨシュアは、カナンの子らを名のる六民族の土地を分け、その土地をイスラエルの九部族と半部族に与えて、彼らに所有させた。同じく、カナンの子ら一人の名にちなんでつけられたアモリ人の土地は、すでにモーセに攻略され、既述のように、二部族と半部族に分け与えられていた。ただし、シドンの子孫の土地と、アルキ人、ハマテ人、アルワテ人の土地は割り当てずに残された。」/p32

もちろん、フェニキア地方や北シリアはノータッチである。

ヨシュアとエレアザルの死

「彼の遺体はエフライム部族のテムナテ・セテの町に葬られた(現在のキルベート・ティプネ)。」/41

ユダヤ人ラビの捏造班、祭司政治=神権政治を理想としているため、王権に敵対的で、ローマ法王のような大祭司がセットでついてくる。
エレアザルは、アロンの第3子でレビ族。エリシェバを母とする。アロンの末裔レビ族の大祭司の地位は、第3子エレアザルに継承されたが、後別系統となり、ダビデ王の時代にエレアザルの子孫ツァドクにもどる。
バビロン捕囚の大祭司は、ツァドク家だったため、エレアザルの血筋を正当としている。

つまり、例外的に祭司と一枚岩であったヨシュアはヘブル人陣営である。すなわち、シロの砦の主であろう。

第Ⅴ巻/第二章 士師時代

※ユダ部族の本拠地ヘブロン

ユダとシメオンの部族に与えられた使命

「さて、ピネハスは、これら二人の指導者たちが死んだ後、神の意志にしたがって、カナンの種族の殲滅にはユダ部族が中心となるべきであると宣言した(士師記一2参照)」/p42

「中心となるべき」も何も、この時代のヘブル人は、「ユダ族とシメオン族」のみであった証左である。

アドニベゼクの敗北とエルサレムの攻撃

「しかし、当時全盛を誇っていたカナン人は、軍の指揮をベゼク人の王アドニベゼクーこの名はアドニがヘブル語の「主」に相当するからベゼク人の主を意味するーに委ね、ヨシュアを失ったイスラエル人を討とうと、ベゼクで大軍をもって彼らを待ち受けた(士師記一14以下参照)。」/p42-43

「ついにアドニベゼクを捕虜にしたのである。捕らえられた王は手足を切断されるとこう叫んだ。
イスラエル人は、彼を生きたままエルサレムに連行し、彼が死ぬとその地に埋葬した。」/p43

「次に彼らは各地を蹂躙して町々を攻略し、その大半を占領するとエルサレムの包囲攻撃にうつった。下町は間もなく占領して全住民を殺戮したが、上町は堅固な城壁と自然の障害のために、占領は困難であった。」/p43

①アドニ・ベゼク
カナン人の王で、彼が「手足切断」をしていたというのは、聖書の捏造だろうが、聖書を書いたラビどもが、敵の「手足切断」や「全住民を殺戮」を称賛する、第一モーセの十戒の「殺すなかれ」を冒瀆する連中であったことはわかる。

②カナン人の建築技術
カナン人は、高度な建築技術を持ち、ヘブル人は、高度な技術を持たなかったということがわかる。都市は一つも攻城できなかったというのが事実だろう。そして、このころ領域支配という概念はなかった。都市が領域であり、あとは農地であった。

ヘブロンの占領と土地の再分配/p43

「そこで彼らは、幕舎をヘブロンにうつして町を占領し、住民全員を虐殺した(士師記一10参照)。」/43

「ところで、この地にはまだ巨人族の種族が残っていた。彼らは常人と全く異なる巨大な体格と魁偉な容貌をもち、見る者を仰天させたばかりか、その噂だけでも聞く者を震え上がらせた。」/p43

「この町は、二〇〇〇ペークスの土地とともに特別の恩恵としてレビ人に与えられた。しかし、残りの土地は、モーセの命令にしたがって、カレブに贈られた(士師記一20参照)。彼はモーセがカナンに送り込んだ間諜の一人である。」/43

「モーセの義父ミデヤン人のエテロの子孫にも居住地が贈られた(士師記一16)。彼らは生まれた土地を後にしてヘブル人と一緒に行動し、荒野における生活をもとにしていたからである。」/p44

やはり、ヘブル人はハピル人から来ており、ヘブロン人から来ているという仮説が現実味を帯びてきた。
ヘブロンをアブラハムが400シェケルで正当に買い取ったという伝説は、捏造の色が濃くなった。
そもそも、ユダ族の領域の中央に位置するヘブロンは、ヘブル人の墓所があり、バビロンで聖書を「創造」した原理主義的ラビたちの捕囚以前の拠点であったと想定されるからである。

②カナン一帯には、「巨人族」が残っていたのではなく、「巨人族」ケルト系のインド・ヨーロッパ語族系のテッサリア人=アイオリス人の血を色濃く含む「海の民」がテーバイ帝室系の指導者・王族に率いられて多数移住していたであろうから。
ヘブル人のラビどもが、「巨人族」を「常人と全く異なる巨大な体格と魁偉な容貌をもち」と形容していることから逆算すれば、ヘブル人は「小柄で、コーカソイドの鬼や天狗と形容される容貌とは異なっていた」ということがわかる。
ヘブル人は、エジプトからの移住者で、おそらくニグロイドを若干でも含む民族であったと想定されるからだ。
「美しく」「巨大な体格」をもつダン族のサムソンや、ベニヤミン族のサウル王は、実はジモティーのカナン人であったと想定されるのだ。
ダビデは、ゴリアテとの比較によっても、サウルとの比較によっても、ヘブル人だったと想定される。ラビどもが、ダビデを偏愛しているし、小柄であるからだ。

③ヘブル人の正体は?
したがって、前12-11世紀のヘブル人の正体は、ジークムント・フロイトがいうように、アテン教徒の第一モーセとアテン教徒たちを虐殺した第二モーセと第二モーセの妻チッポラはミディヤン人である。
「ユダ族のカレブ」というように、士師の時代の幕開けを指導したのはこのユダ族のカレブだったかもしれない。
第二モーセによって、アテン教徒は殲滅され、その処女はヘブル人の男性に分配され子を産むことを強制されている(女性は子を産む奴隷か、アテーナイ人とヘブル人の間ではそうである、したがって、原理主義的一神教徒としてこの二つの集団には類似性がある。原アテーナイ人がヘブル人に混入しているという私説を支持するファクトである。)。
ヘブル人の中核は、民族的には、エジプト出身のニグロイドを含むセム語系コーカソイドのハピル人とミディヤン人(これもハピル人の一分枝だろう。ハピル人は、前15世紀よりカナンの地に存在した。しかし、カナンの地は、ペルシア人の支配まで、セム語系コーカソイドのカナン人の高度で豊かな都市国家が分立していた)の混血による、ミディヤン人の宗教によって独善的排他的に変容したアテン教徒(太陽信仰の一神教)であったと想定できる。

二部族の占領地/p44

「ユダ部族(士師記一9・17以下参照)とシメオン部族は、カナンの丘陵地帯の町々や、平原および海辺のアシケロンとアシドドを占領した。しかし、ガザとエクロンの攻略には失敗した。この二つの町は平原にあったうえ、大量の戦車を擁し、それによって侵入者を痛めつけたからである。
こうして、ともかくユダとシメオンの両部族は、この戦争で大きな利益をあげ、それぞれの町へ引き上げて武器をおさめた。」/p44

ペリシテのペンタポリスたる海辺の高名な五大都市を、野盗軍団のヘブル人とミディヤン人の連合集団は、制圧できたとはとても思われない。
「ユダとシメオンの両部族」すなわちヘブル人は、山岳地の「それぞれの町へ引き上げて武器をおさめた」とある。「それぞれの町」って、どの町だ、名前を上げられるなら言ってみろ!さぞかしケチな町だっただろう。100歩譲ってほんとうに、ヘブル人が、ユダとシメオンの領域を支配していたなら、両領域は、2つの領域であり、ユダの拠点はヘブロン、シメオンの拠点はベールシェバであったと推定される。

しかし、その実、城郭都市を建設できたのは、ヘーラクレース帝国人だけであったと推定される。ベールシェバは、銅器時代からの繁栄した都市であり、ヘブロンとならんで、この士師時代を通じて、カナン人=ヘーラクレース帝国人の「鬼ども」=インド・ヨーロッパ語族コーカソイドとなったテーバイ帝室系ギリシア人が「里帰り植民」して、急速にもとのセム語系コーカソイドに戻ったが容姿は純コーカソイドの血もりもりの「巨大な体格と魁偉な容貌」をもったの支配であったと推定される。『キングダム』の司馬尚のような感じに映ったと推定される。
司馬尚の子は、殷の故地を与えられているから、殷=商の末裔かもしれない。後には傍系が晋王族を出している。秦も殷の王族の傍系と推定されるため、原先生が、司馬尚をコーカソイドとして描いたのは的を得ているかもしれない。
ベールシェバについていえば、彼らは、アッシリア帝国のセンナケリブの襲撃で初めて都市を壊滅させられた。

※アシュケロン

その名は、「š-ql (「量る」、セム語の語根ṯ-qlに由来」(Wikipedia)する。
またフェニキア語とカルタゴ語で、「ŠQLN ( 𐤔𐤒𐤋𐤍 ) およびʾŠQLN ( 𐤀𐤔𐤒𐤋𐤍 )」(Wikipedia)と表記する。
これこそは、この都市が、フェニキア人やカルタゴ人であるテーバイ帝室系ギリシア人のペリシテ人が、すなわちヘーラクレース帝国が、建設した都市の一つであることを証明している。
おそらく、ヘブル人に支配されたことは一度もなく、カナン人の時代からフェニキア系によって居住され、十字軍時代から現代まで変わらず大都市であり続けた。
滅亡などしていないことは明らかである。

カナン人との平和/p44

「エルサレムを居住地として割り当てられたベニヤミン人は、そこの住民に貢納を承知させた。前者は殺戮から、後者は危険から解放されて、すべての者が悠々と土地を耕作した。
他の部族の者もベニヤミン部族の例にならって同じようにした。彼らはカナン人が納める貢で満足したので、以後、戦争を仕かけることをしなかった(士師記一21参照)。」/p44-45

※ベニヤミン族の正体
ベニヤミン族は、ラケルの二人の息子ヨセフとベニヤミンのベニヤミンの末裔とされている。
ラケル自身が、ハッラーンの出身で、ヘブロンに墓を持たないため、異民族的な匂いがする人物である。ハッラーンから父ラバンの神像を持ち出してもいる。
ベニヤミンの末裔は、嫡子ヨセフの末裔よりも扱いが雑である。
後には、ヘブル人の強姦魔の末裔を生むし、唯一の英雄サウル王は、神とサムエルに否認される。
しかし、ヘブル人の中核地シロとシェケルを含むエフライムの領域から南に位置するため、ヘブル語で「ヤーミーン」が「南」を意味するように、豊穣な南の都市国家であったことが濃厚である。
そもそも古代遺跡エリコと、古くからの都市、エルサレムを含むのである。
エルサレムは、エジプトの総督が支配しており、この時代は、エブス人=イビサ島のフェニキア人が支配していたと想定される。ベニヤミン族の正体は、フェニキア人であったと想定される。
サウルは、ケルト系の容姿を持った堂々たる英雄である。

つまり、ヘブライ人は、かつてカナン地方を統一したことはなかった。「前一二〇〇年のカタストロフ」以来、北イスラエル王国の誕生まで、パレスティナは、中国の戦国時代のような10程度の諸領域が独立していたと推定される。すべてカナン人=アムル人のジモティーとヘーラクレース帝国の移住者、「広義のフェニキア人」であるゆえに友愛=兄弟愛によって、各邦の独立を保ったまま連邦するコンフェデレーションの形態で、独立していたと推定される。
それが北イスラエル王国に集約され、南ユダ王国が成立したのは、テュロス王国(ヒラム王朝とエトバアル王朝)が宗主として、娘を女王=総督として覇権して支配していたから、テュロス王国の属国としての二大王国であったと推定される。

エフライム部族、ベテルを占領/p45

「エフライム部族は、ベテルの町を攻撃したが、包囲攻撃に費やした長い日数と莫大な労力にもかかわらず、少しも効果が上がらず、苛立つばかりであった。
・・・こうして彼らは全住民を虐殺し、町の占領に成功した(士師記一22ー26参照)」/p45

ベテルの町は、一度もヘブル人に占領されたこともなければ、全住民が虐殺されて廃墟になったこともなかったであろう。

エフライムの嗣業の地のレビ人とその妻、暴行をうける/p46

「エフライムの嗣業の地に住む下級のレビ人の男が、ユダ部族の土地に属するベツレヘムの女と結婚した(士師記一九1以下参照)。」/46

「しかし、このレビ人はよそ者のところに泊まるのを好まずー町(エブス=エルサレム)はカナン人の手中にあったー、さらに二〇スタディオンほど進んだヘブル人の町に泊まろうとした。彼は結局、我意を押しとおし、ベニヤミン部族のギベアの町に着いた。」/p47

このヨセフスの話は、『旧約聖書』とはずいぶん違う。
まず『旧約聖書』は、レビ人の連れは、妻ではなく側女である。
治安のよいエブス=エルサレムで泊まらず、ベニヤミン族の町ギベアで泊まるのは同じ。ヨセフスでは、妻の美貌を日中見ていたベニヤミン人の若者が、妻を強姦しようと押しかける。
しかし、『旧約聖書』は、まさにソドムとゴモラの話の焼き直しである!
ベニヤミンの若者は、ホモで、レビ人の男を強姦しようと押しかけるのである!
ベニヤミン人やソドムは、同性愛志向の強いテーバイ帝室系ギリシア人を想定しているのではないか?
宿の老人が、レビ人もしくはその妻を守るために自分の娘を差し出すのは、ソドムとゴモラの話とそっくりである。
女性を物や奴隷としか考えない強烈な男尊女卑のアテーナイ人やユダヤ教原理主義者の価値観である。
ヨセフスでは、妻は若者たちに奪われ強姦されて死ぬのであるが、『旧約聖書』はなんと、レビ人が側女の自分の身代わりに外に出す。
そのあとその側女を、レビ人自身が殺して、12部分に分けイスラエル全土に送りつける。

この「レビ人強姦事件」は、聖書が性書と揶揄される一環の挿話であろう。
独善的一神教の倫理観がどれほど下劣なものかを証明している反吐のでるような話である。
これが、男尊女卑で一夫多妻を推奨する「独善的ユダヤ一神教」と「独善的アテーナー一神教」の倫理観である。


※ヘブル人の被支配と解放のくり返し

イスラエル人、アッシリア人に支配される/p57

「すなわち、アッシリア人の王クシャン・リシャタイムが彼らのもとに遠征して来たのである。」/p57

クシャン・リシャタイムの正体は!

クシャン・リシャタイム=「二重悪のクシャン」などというアッシリア王はいない。
クシャンという名前で想起するものは、クシャーナ王朝である。
「月氏」
クシャーナ王朝の起源は、中央アジアの遊牧民族の「月氏」である。東アジアの羌族の一分枝であったようだ。殷王朝、秦王朝と同じ系統の民族であったと推定される。
「広義のフェニキア人」で、モンゴロイドとコーカソイドの混血であり、ソグド人商人の遊牧民バージョンというイメージだ。
「月氏」は匈奴に押されて、西遷し、つまり「里帰り植民」し、「大月氏」となった。

「大月氏」紀元前2世紀頃
月氏が西遷して落ち着いた先は、「ソグディアナ」である。ソグド人と習合したと推定される。
匈奴に殺された王の夫人が女王として統治していた「大月氏」は、漢の武帝(前141-87)の匈奴挟撃の提案を、復讐より平和を選択して退ける。
「五翕侯」という諸侯の官職を設置して分割統治した。

「貴霜(クシャン)翕侯」ヘライオス
貴霜翕侯の存在を示す最も古い証拠はヘライオス(英語:Heraios)と言う名の支配者が発行したコインである。これには「クシャーナ」の名と共に彼の名前が刻まれている。しかし年代の確定や解釈などについては諸説紛々たる状態であり、このクシャーナ「最初」の支配者についての具体像は全くわかっていない。(Wikipedia「月氏」)
ところが、彼にはれっきとしたファクトがある!ヘライオスのコイン。表には彼の横顔が描かれ、裏にはギリシャ文字で“ΤΥΡΑΝΝΟΥΟΤΟΣ ΗΛΟΥ – ΣΑΝΑΒ ΚΟϷϷΑΝΟΥ”「僭主ヘライオス、コシャンのサナブ」とある。それを見ると、若干コーカソイドが混じっているようなモンゴロイドである。
顔はモンゴロイドだが、ギリシア文化圏に返って来ており、その名前は、テーバイ帝室の主神ヘーラーに因むへライオスである!

「クシャン朝」
「五翕侯」の一つ貴霜(クシャン)翕侯である丘就卻(きゅうしゅうきゃく)が他の四翕侯を滅ぼして、自立して王となり、貴霜王と号した。この政権はクシャーナ朝を指すものであり、丘就卻はクジュラ・カドフィセス、閻膏珍はヴィマ・タクトに比定される。しかし中国ではそのまま大月氏と呼び続けた。(Wikipedia「月氏」)
漢字名丘就卻(きゅうしゅうきゃく)、本名クジュラ・カドフィセスは、紀元またがりの人物(前1世紀~1世紀)に生きた人物である。コインを発行しているので、ファクトからその容貌を推定できる。完全なコーカソイドである!
つまり、彼は、東遷して羌族となっていた先祖が「里帰り植民」して、セレウコス朝シリアの領域で、再びコーカソイドと混血して、コーカソイドの血が濃くなった存在であると推定される。
セレウコス朝シリアの末裔のギリシア人が支配していたグレコ・バクトリアを制覇し、インド・パルティの支配していた北インドのガンダーラ地方へ拡大した。
クジュラ・カドフィセスの孫がカニシカ王である。
カニシカ王が帰依した仏教は、ブッダのテーラワーダから分派派生した、説一切有部であったようだ。

「親魏大月氏王」ヴァースデーヴァ1世(182~230頃)
229年、カニシカ王の孫ヴァースデーヴァ1世は、曹操の創建した魏の第三代曹叡(明帝)より、金印を賜った。235年、邪馬台国の女王卑弥呼が「親魏倭王」の金印を賜った。
これで、邪馬台国が倭国(ヤマト国)と読むべきであることがわかる。
ギリシア人と倭人、「広義のフェニキア人」西方と東方の王が、曹操の魏から、おそらく同族の印として金印を賜っている。両国とも、中華に君臨する魏とは並ぶべきもない弱小国である。しかしおそらく同格の扱いを受けている。
実は曹操の父曹嵩は、宦官の養子となったが、実の家系は、夏候氏の出身である。
夏候氏とは、漢民族ではない。伝説の夏の禹王の子孫である。禹の父は鯀(こん)であり、治水事業に失敗して、堯によって、「四罪」とされる。鯀(こん)の五世の祖は、天地の通路断絶事件を引き起こしたとされる顓頊(せんぎょく)である。この一族は、水神系であろうと推定される。

クシャン・リシャタイムとは、すなわち、パレスティナに居住していた「広義のフェニキア人」を投影していると推定される。

ケナズによる解放/p57

「ケナズという名の男がユダの部族にいた(士師記三9-11参照)。」/p57

ユダ族の男がアッシリア軍を撃退したなど、聞いたこともない。前11世紀は、アッシリアも逼塞していた。

モアブ王エグロン支配下のイスラエル人/p58

エホデ、エグロンを殺害/p59

イスラエル人、カナンの王ヤビンの圧制に苦しむ/p61

デボラとバラクの登場/p61

「彼らもようやく自分たちの災禍の原因が律法の軽視にあったと悟ると、女預言者デボラーこの名はヘブル語で「蜂」を意味するーに、神が自分たちに憐れみをかけ、カナン人に絶滅されることがないよう祈願してくれ、と頼んだ。彼女が祈願すると神は彼らの救済を約束し、ナフタリ部族のバラクを指揮官に選ばれた。バラクはヘブル語で「雷光」を意味する。」/p62

ナフタリ人は、テーバイ帝室系のようだ。蜂と雷光は、テーバイ帝室系と係わりの強いトーテムである。
女性預言者というのも、ユダヤ的ではない。

ミデヤン人の侵入/p64

ギデオンに使命下る/p65

「さて、マナセ部族の主だった者の一人ヨアシの子ギデオンは、いつも穀物の束を運び出してぶどうしぼりの大桶の中で脱穀していた(士師記六11、12参照)

士師としてのギデオン/p70

「その後、ギデオンは指導者の地位を退こうとしたが押しとどめられ、士師として、それから四〇年間イスラエル人を統治した(士師記八22-28参照)。」/p70

僭主アビメレク/p70

「ギデオンには、七〇人の正嫡の息子ー彼は多数の女と結婚していたーと、ドルーマと呼ばれる妾の生んだアビメレクという庶子があった(士師記八30、九1以下)。」/70

アビメレクのシケム攻撃と大虐殺/p73

「シケム人はこうして絶滅した。」/p74

第三章 サムソン物語

天のみ使い、マノアの妻の男子の誕生を告げる/p82

「マノアという男がいた(士師記一三2-5参照)。ダン人の中でもっとも有名であり、もちろん故郷ではだれからも最高の人物と見られていた。彼には、器量のよさでは当時どんな女にもひけをとらない妻がいたが、二人の悩みは子に恵まれてないことであった。」/p82

「ある日、彼の妻が一人でいるところに背の高い好青年の姿をした幽霊が神のみ使いとして現われ、神の心遣いにより彼女に男の子が生まれ、その子が立派なたくましい青年になってペリシテ人を苦しめるだろうという吉報をもたらした。」/p83

①サムソンはダン人、テーバイ帝室系である。
②イエスの受胎告知は、このサムソンの受胎告知から「借用」されたものである。

サムソン、ライオンを殺す/p85

「あるとき、若者は両親とともにペリシテ人の町テムナにやって来た(士師記一四1/6参照)。若者はそこで一人の土地の娘と恋におち、彼女を妻にしたいから二人を結婚させてくれ、と自分の両親に願い出た。しかし両親は、自分たちと彼女とは民族がちがうから、とそれを許さなかった。ところが、神がヘブル人の利益のためにこの結婚を計画されていたために、彼の愛もついに成就した。」/p85

①結婚はフェニキア人の習慣、しかも恋愛結婚は。
②サムソンがヘブル人でなかったからダン人とペリシテ人は同族のため、この結婚は自然であった。

サムソンの謎/p85

「彼は結婚を解消した。娘は彼の碇を嘲り、結婚式で彼の付き添いをした彼の友人と一緒になった。」/p87

①自分らの意思で離婚があり得るのは、フェニキア人。ヘブル人にはありえない。
②付き添いを伴う結婚式と、ダン族の夫の友人と再婚するのは、まさに現代人である。ダン族、ペリシテ人は、フェニキア人であった証左であろう。

デリラ、ペリシテ人にサムソンを引き渡す/p90

「ところで、サムソンはすでに父祖たちの律法を犯し、外国人の慣習にそまって自らの品性を貶めていたが、実は、このことから彼の不幸がはじまったのである(士師記一六4以下参照)。
彼はデリラというペリシテ人の商売女に夢中になり、ついに彼女と同棲するにいたった。」/p90

サムソンという英雄も、デリラに投影されたペリシテ人の女性指導者も、ともにモデルは、フェニキア人であったと思われる。

第五章 サムエル物語(前半)

※ 大祭司の家の物語

エリ、ハンナに男子の出生を告げる/p100

「エフライム部族の土地の、ラマタイム・ゾピムの町に住む中流のレビ人であったエルカナには、ハンナとペニンナという二人の妻がいた。二人の妻のうち、ペニンナには子供があったが、夫の愛情は変わらなかったものの、ハンナには子供ができなかった。」/p100

「あるときエルカナは二人の妻を連れて、供儀のためにシロの町ーすでに述べたように、神の幕屋がそこに置かれていたーにやって来た。」/p100

①サムエルは、中流のエフライムにあるレビ人の家系に生まれた。
②神の幕屋は、やはりエフライムの山地のシロにあった。

サムエルの誕生と神への奉仕/p101

「彼らはその子をサムエルと呼んだ。「神に願いを求めた者」という意味と考えればよい。」/p101

サムエルとは、「神に願いを求めた者」、つまり神=エルである。

イスラエル、惨敗を重ね、契約の箱を奪われる/p104

「完敗を恐れたヘブル人は、ゲルーシアの長老たちと大祭司に使いを出し、神の契約の箱を持って来るように言った(サムエル記上四3以下)。」/p104

「契約の箱が到着した。
いっぽう、敵はイスラエル人に契約の箱が出現したのを恐れ、狼狽した。」/p104

「契約の箱」が不思議な力をもつイメージは『旧約聖書』からである。

大祭司の後継者/p106

「エリは、アロンの二番目の子イタマルの家を大祭司になって治めた最初の者である。大祭司職は本来エレアザル家に帰属し、その名誉は父から子へと継承されていた。すなわち、エレアザルは大祭司職を息子のピネハスに引き継がせた。・・・

そして、その後継者として、既述のエリが大祭司職についたのであるが、以後ソロモンの治世にいたるまで彼の子孫が大祭司職を独占した。そしてそのあと、エレアザルの子孫たちが再びそれを手にしたのである(列王記上ニ27-35参照)。/p106

第Ⅵ巻

第一章 サムエル物語(後半)

※「契約の箱」物語

ペリシテ人、契約の箱のため災禍に苦しむ

「既述のように、敵から契約の箱を奪い取ったペリシテ人は、それをアシドドの町に運び込み、戦勝記念碑としてダゴンと呼ぶ彼らの神の傍らにおいた(サムエル記上五1以下参照)。

ところが、翌朝、町の住民のすべてが神に跪拝するために神殿に入ると、ダゴンの神が、同じように契約の箱に跪拝していた。」/p109

第二章 サウル物語ーサウル、イスラエルの初代の王となる

サウル、父のろばを探しに出てサムエルに会う/p125

「ベニヤミン部族に素性の正しい、有徳のキシという人物がいた(サムエル記上九1以下参照)。彼には一人息子がおり、その名をサウルといった。彼は容姿端麗で背が高く、またそうした容貌をしのぐ立派な精神もそなえていた。」/p125

ベニヤミン族は、テーバイ帝室系、サウルはケルト系の血の勝ったコーカソイドであったため、容姿端麗と長身が特筆されている。

サウル、アマレク人を破るも、命令に背いて王を殺さず/p152

「しかしその彼も、敵の王アガグを捕虜にしたときは、その美しさと背丈に讃嘆し、これは救うに値する人物だと思い込んでしまった。」/p153

セム語系コーカソイドのサウルが美しいと讃嘆したアマレク人の王アガグとは、エサウの末裔のコーカソイドで、ケルト系であったと思われる。

サウルはフェニキア系であったようで、よりケルトの血の濃いアガグに惚れたと想像できる。テーバイ帝室系男色傾向が強い。ヘーラクレースを見ればわかる。

第三章 サウルとダビデ

ダビデ、ゴリアテと戦う

「これを聞いたサウルは、この若者の熱意と豪胆さが報われ、同じような戦果が神から与えられるように祈った後、・・・。王はダビデに自分の胸当てを着けさせ、剣を腰に帯びさせ、さらに頭にはかぶとをかぶって送り出した。
ところが、ダビデにはこれらの武具は重すぎた。彼はそれまで、こうした武具をつける訓練を受けたことも教えられたこともなかったのである。そこで彼は言った。「王さま。この立派な武具はお返しします。王さまはそれを身につけることができる方ですが、従者のわたしは自分の流儀で戦わせていただきます。」/p168-169

明らかにサウルとダビデは民族がちがう。サウルやゴリアテは、コーカソイドであり、ダビデは奴隷あがりのハピル人の末裔でニグロイドやモンゴロイドが混じっていたと想定される。

占い女への頌詞とサウルへの賛辞/p219

「彼女がそうしたのは、親切を受けた礼からでも、好意を期待したからでもなかった。彼女は王がやがて死ぬ運命にあることを知っていたのである。
この世には、それ以上に高貴で人間らしい行為はない。」/p219

めずらしくヨセフスが、個人的な賛辞を述べている場面である。

「いっぽう、胸中に勝利の希望が全くなく、それどころか、自分が死なねばならぬこと、あるいは戦ってしなねばならぬことをあらかじめ知っていて、この冷酷な運命を恐れることなく平然と受けとめ、その結果を熟知した上でそれに立ち向かうならば、その者は真の勇気の保持者だと思う。サウルは、こうした行動によって死後に名声を残したいと望む者に、どうすればその目的を達せられるかを、とくに王たちに示した。
サウルと彼の勇気についてはーそれに関する材料は十分手もとにあるーさらに言いたいこともあるが、彼への賛辞をこれ以上続ければ、わたし自身の嗜好に淫すると叱られかねないので、この辺りで本来の話に戻りたい。」/p221

神に逆らったサウルを悪者扱いする『旧約聖書』であるが、ヨセフスは、サウルに共感的である。

第Ⅷ巻

第一章 ダビデ、ユダ部族の王となる

ダビデ、妻のミカルを取り戻す/p240

「そこでアブネルは、ミカルと凝らしていたバルテエルから彼女を引き離し、ダビデのもとに送り返した。」

サウル王の娘ミカルは、明らかなダビデの正妻であり、夫婦仲はよかったようである。
それとともに、ミカルの婿であるということが、正当なサウルの後継者であると納得させる要件であったかと思われる。

全部族、ヘブロンでダビデの王位を承認/p249

「こうしてこの事件が落着すると、ヘブロンにいるダビデの所へ、ヘブル人の中の主だった者や千人隊長や指導者たちがやって来た(サムエル記下語五1以下、歴代誌上一一1以下参照)。」/p249

「その結果、ユダ部族からは、長い盾と矢じりのついた槍を手にした約六八〇〇の武装兵が一団となってやって来た。」

「シメオン部族から七一〇〇の兵士が、レビ部族からエホヤダ麾下の四七〇〇の武装兵が送られてきた。」

「大祭司ザドクと近親者であるニニ人の指揮官たちも彼らと一緒にやって来た。」

「ベニヤミン部族からは四〇〇〇の武装兵が来たが、この部族の他の者は、サウル一族の者が王になることを期待していぜんとしてサウル一族に忠誠を尽していた。」

「エフライム部族からは・・・」

「イッサカルの部族からは・・・」

「ゼブルン部族からは・・・」

「ナフタリ部族からは・・・」

「ダン部族からは・・・」

①ガド、ルベンを除く10部族の軍団集結
まず、ヨルダン渡河の時、トランスヨルダンの東岸を放棄してきたことがわかる。

②10部族が集結するのは不自然
もし事実ならサウル王が統一王国の土台を完成していたことになる。

③ベニヤミン部族
ヘブル人とは思えない。サウル一族と王統として推戴希望。

第二章 ダビデ、イスラエル統一王国の王となる

※エルサレムとエブス人の謎、メルキゼデクの正体

ダビデ、エルサレムの町を占拠/p252

「エルサレムの町に住むエブス人はー彼らはカナン人であるー、ダビデの軍にたいして城門を閉ざし、城壁には王を愚弄するために、めくらやちんばやその他のかたわ者たちを配置した(サムエル記下五6以下、歴代誌上一一4以下参照)。」

「この侮辱に激怒したダビデは、さっそくエルサレムの包囲攻撃を開始した。
そして、下町を強行占拠することに成功したが、アクラはいぜんとして微動だにしなかった。」

「そこで、王は、兵たちに名誉と報酬を約束して彼らの攻撃意欲をかきたてようと考え、谷底からアクラに登ってそこを占拠した者には、すべての者の指揮権を与える、と約束した。」

「他を断然引き離したのはゼルヤの子ヨアブであった。彼はアクラに登ると、大声で指揮官の地位を王に要求した。」

①エブス人は生活権をもっていた
「めくらやちんばその他のかたわ者たち」つまり身体障がい者にも、生活の糧を自分で稼ぐ役割を与えるといった姿勢は、シュメル人の人類創造神話にでてくる「ウルウル」に建築家の職を与えたエンキ神の例を挙げうる。
エンキは、身体がまったくきかない「ウルウル」に、頭脳労働を与えたのである!

②ベス神はフェニキア人の民間で人気の神
ベスは民間信仰的な守護の神で、ユーモラスな外見をしている。「前1200年のカタストロフ」でフェニキア地方やシリア・パレスティナに「里帰り植民」したヘーラクレース帝国人=テーバイ帝室系の建てた「新ヒッタイト」と(ジモティーの美術様式を受容したため)呼ばれている都市も、このベスの姿は多く見られる。

③イビサ島はフェニキア人・カルタゴ人の一大拠点

④蛭子とヒルコの同一視とヒルコとウルウルの極似

ヘブル人は、身体障がい者、女性、同性愛者と差別するが、フェニキア人は差別しない。

ダビデ、エルサレムを王都と定める/ヒラム、ダビデに同盟を提案/p253

「ダビデはエブス人をアクラから追い出し、自らエルサレムを再建してそれをダビデの都と呼んだ(サムエル記五9以下、歴代誌上一一7以下参照)。」

「それ以後彼は王としての治世中、この都から出ることはなかった。」

「彼がヘブロンでユダ族だけを支配していた期間は七年と六か月である。」

「ツロ人の王ヒラムは、彼のもとに書簡を送って友好と同盟を提案し、そのうえ、贈物として香柏の木材や、エルサレムで王宮建設に従事する技術者や大工たちを送ってよこした。」

「こうしてダビデはエルサレムからエブス人を追放した最初の人物となり、その都には自分の名が冠せられたのである。」

「わたしはここで、富裕なエブス人のアラウナの名をあげておきたい。彼はエルサレムの攻城戦でダビデに殺されなかった。それはヘブル人にたいする友好的な態度とダビデ個人にたいする親切と献身によるが、それについては、少し先にすすんでから適当な所で明らかにしようと思う。

①エブス人を殲滅しておらず、追放しているのはなぜか?
実際、エブス=エルサレムを支配していないからである。ヘブル人の流儀では、必ず殲滅する。カナン人殲滅は「神」の命令だからである。

②ダビデに関する「考古資料」が一つもエルサレムから出していない
ダビデは、ケチなユダ族の族長に過ぎず、捏造人物だからである。

③ダビデはテュロス王ヒラムの代官の投影である。
カナン人を殲滅するといっている大殺戮者ヘブル人と、カナン人の宗主であるテュロス王が友好をするなどあり得ない。片や独善的一神教者で、自ら生産せず、異民族に生存を許さず、奴隷として使用し、虐殺・盗み・強姦の限りを尽すヘブル人と、すべての友好的な異国人と友愛的な通商関係を結ぶ共存共栄の友愛的汎神論者のフェニキア人が友好することはあり得ない。民主主義を防衛するためにフェニキア人は、尽力するであろう。ヘブル人によって侵攻されているなら、カナン人防衛のために派兵すると思うのが合理的解釈である。
実際、アッシリア帝国などの侵攻に、フェニキアとシリア・パレスティナの諸都市国家は連合して対処している。
カルカルの戦いの時のイスラエル軍の総帥は、ヒラムの王朝を倒して簒奪したテュロス王エトバアルの娘でイスラエル総督のイゼベルとその婿でイスラエル王のアハブである。

④ダビデの都市とは一度も呼ばれていない。
前15世紀は、「ウルサレム」であり、それから「エブス」、そして「エルサレム」に戻ったと想定される。名前が冠せられたとするなら、えびすさんの名前であろう。

⑤エブス人アラウナはキーパーソンである。
アラウナは、「サムエル記下24」に登場し、ダビデが人口調査を行った罪で起きた疫病が止まった「エブス人アラウナの麦打ち場」を買い取ってそこに祭壇を築く。
ここが後にソロモン神殿が建てられるエルサレムの町の高台というわけである。
明らかに、アラウナとはエブス人の王で祭司のようである。

⑥「ダビデによるアラウナの脱穀場の買い上げ」と「アブラハムによるマクベラの洞穴の買い上げ」の並行関係

「創世記23」に「アブラハムによるマクベラの洞穴の買い上げ」の話がある。この場所は、後のユダ部族の領域のヘブロンに位置し、ユダ部族の実は拠点であり首都である。ヨシュアの時代は、ヨシュアがエフライム部族だったため、シロに拠点があった。ヨシュアの死後、ヘブル人人は、ユダ部族の拠点ヘブロンに移動した。というより、ユダ部族はもともとヘブロンの「ヘブル人」であったという仮説が強烈に成立する!!!

この「アブラハムによるマクベラの洞穴の買い上げ」によってヘト人(ヒッタイト系新ヒッタイト人)から、400シェケルで買い取ったのが、「ヘブル人の埋葬所」すなわち「ヘブロンの墓地」である。

つまりヘブル人は、ヘト人のヘブロンを買い取りそこを拠点にしていた小部族であったと想定される。

それがダビデの家がヘブル人の首領になると、エブス人の王「アラウナ」から高台を買い取り、そこに寄留したのではあるまいか。

ユダ王国が成立するまで、エルサレムはエブス人の都市であった可能性がある。

⑦メルキゼデクとの並行性
エルサレムはもとは、ウルサレムといい、サレム=シャローム=平安という名の都市であったらしい。そしてこのサレム=エルサレムの王として初めて登場する人物が、「サレムの王メルキゼデク」である。
「創世記14-17」。ソドムの王は、ソドムとゴモラの壊滅から、アスファルトの穴に落っこちながらも命からがら生還したのか、アブラムが敵の王たちを打ち破って帰ってきたときシャベの谷=王の谷で、アブラムを出迎える。
「いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデク」も、パンとぶどう酒を持って来た。メルキゼデクは、アブラムを祝福し、アブラムはメルキゼデクに十分の一を送る、すなわち十分の一税を支払ったのである!
つまり、アブラハム時代のサレムの王は祭司を兼ねる祭司王であり、アブラムが10分の1税を支払うべき大祭司ということになる。
その祭司メルキゼデクが仲裁する条約において、ソドムの王は、アブラムに財産を送ろうとする。しかしアブラムは、財産を無償でもらうことを拒否する。ヘブロンの墓地も400シェケルで買い取っているし、強奪したと思われたくないという意図が見える。

※メルキゼデクの正体
サレムの王であるメルキゼデクは、その名前からメル=マリク=王、ゼデク=ツェデク=正義、すなわち「正義の王」である。
ゼデクは、エルサレムの正義の神であると推定されている。これはハンムラビ時代のシャマシュ、太陽神というより「正義の神」「法の神」である。
これが、後に太陽神ミトラや大天使ミカエルなどと同一視されていくようになる。

つまり、真のエルサレムの神官王は、ダビデではなく、アウラナ=メルキゼデクであった。エブス人=フェニキア人の王であったといえよう。

※ 「契約の箱物語」後編

ダビデ、ペリシテ人を打ち破る/p255

「真実は、全シリア、フェニキアからの兵や、その他多くの好戦的な民族が遠征に参加し、ともに戦ったのである。」/p256

たしかに野盗ダビデがペリシテ人の都市を襲撃したとあれば、フェニキア、シリア・パレスティナは一致団結して野盗を掃討するであろうが、それは事実ではない。フェニキアの宗主国テュロスと友好しながら、ペリシテ人やその他の全シリア、フェニキアを敵にまわすことほど矛盾はない。

契約の箱、エルサレムに向かう/257

(サムエル記下六1以下、歴代誌上一三1以下参照)。

①仮説1:作り話説
ダビデ中心に、ヘブル人は、ペリシテ人から「契約の箱」を奪還したというが、「契約の箱」を見た者はいない。大祭司しか幕屋の至聖所に入ることはできないのであるから。
バビロンで原理主義者のラビどもが『旧約聖書』を捏造した時に、「契約の箱」という魔法のチート武器は発明されたと見るのが妥当であろう。

②仮説2:石板自体は作り話だが、契約の箱は日本に運ばれた
神輿が契約の箱のレプリカであるならば、日本に来ているかもしれないが、いずれにせよ、そんなチート武器ではありえない。祭司どもが、人びとをおどして支配するための「こけおどし」の可能性が高いであろう。

ウザ、契約の箱にふれて死ぬ/p258

「・・・神は祭司でもない者が契約の箱にふれたとして彼に死を与えたからである。」/p258
***************
このような作り話こそ、祭司どもが、無知な民衆をおどして支配し、私腹を肥やすための作り話の証拠である。なぜなら大祭司は、宝石ジャラジャラの衣服を着ているのであるから。

※ ウリヤを殺しバテシバを奪う

ダビデ、ウリヤの妻バテシバの美貌に脳殺され罪を犯す/p272

「ある日の夕方おそく、彼は王宮の屋上からー彼は、その時刻によくそこを逍遥していたー、一人の女が冷水浴をしているのを見た。」

「人をやって彼女を連れて来させると、彼女と寝床をともにした。彼女の名はバテシバと言った。」

「女は妊娠する王のもとへ人を遣わし、父祖の律法では、自分は当然姦婦として処刑されねばならないから、罪を秘す手だてを考えてほしいと要求してきた。」

ダビデもダビデでだが、バテシバは、おおっぴらに水浴できる民族の女であった。つまりヘト人=新ヒッタイト人であったのだ。
しかも、相当の尻軽女である。

ダビデ、陰謀を企てる/pp273

「ウリヤとともにいた兵をそれを見て、全員ヨアブの指示どおり後方に退いた。敵にたいして踏み留まったのは、戦列を離れて潰走するのを恥じたウリヤただ一人であった。彼は孤軍奮闘し、最後には包囲されて捕らえられ、殺された」

***************
当然神は怒るが、徹底的に処罰しないご都合主義。

※ 人口調査と神の疫病

ダビデ、人口調査をする/p329

「王ダビデは、民の数がいったい何十万人に達しているかを知りたいと思うようになったが(サムエル記下ニ四1以下、歴代誌上ニ1以下参照)、人口調査をする場合には、一人頭につき半シケルを神に納めよというモーセの規定(出エジプト記三〇12以下参照)をすっかり忘れていた。」

神、預言者ガドを遣わし、災禍の選択をダビデに迫る/p329

「神が怒っている、と預言者たちがダビデに告げた(サムエル記下ニ四10以下、歴代誌上ニ一7以下参照)。」

ダビデ、悪疫を選ぶ/p330

悪疫の猛威とダビデの悲嘆/p331

※ 「ソロモン神殿」の建設地の謎解き

悪疫の消滅/ダビデ、打穀場を買い上げて神殿建設用地にする/p332

「ついに神は、ダビデの歎願を聞いて悪疫をおさめ、預言者ガドを遣わした(サムエル記下ニ四18以下、歴代誌上ニ一18以下参照)。」

「そしてダビデに、即刻エブス人のアラウナの打穀場に上り、そこに祭壇をもうけて神への犠牲を捧げるように命じた。」

「そのときアラウナは穀物を打っていたが、王が召使いたち全員を引き連れて近づいてくるのを見ると、王のもとに走りより、平伏して挨拶した。彼はエブス人の一族であったが、ダビデの親友の一人でもあった。」

「ダビデはアラウナから「ご主人様、なぜあなたはしもべの所にやって来られたのですか?」と尋ねられると、「おまえの打穀場を買い上げ、そこに神のために祭壇を築いて、犠牲を捧げたいのだ」と答えた。」

「「代金は受けとってほしい。ただで手に入れたものを犠牲として捧げるわけにはいかないからだ」と言った。」

「王は彼に五〇シケルを払って打穀場を買い取った。そしてそこに祭壇を築いてそれを清め、燔祭と酬恩祭を捧げた。」

「この場所はかつてアブラハムが燔祭として神に捧げるために息子のイサクを伴って来た所であった。」

「ダビデは、・・・その場所全体を「全人民のための祭壇」と名づけ、神のための神殿を建てる決意を固めた。・・・彼の王国を継承する息子がそこに神殿を建てると語られたからである。」

①エブス人アラウナ=サリムの祭司王メルキゼデク
エルサレムの真の王はエブス人=フェニキア人の祭司王であったこと。

②なぜ打穀場あとに神殿を?
ダビデの家の小族長ダビデが、エルサレムの城壁内の打穀場に祭壇を築かせてもらったこと。

③その土地は50シェケルで購入したこと

④神殿というたいそうな建造物は建設できなかったこと

第三章 ソロモンの即位

※ ダビデの家「ビート・ダビデ」が滅亡したなぞを隠匿

アドニヤ、王位をねらう/ナタンの勧告を受け入れたバテシバ、ダビデに訴え出る/p337

「ダビデの四番目の息子は、妻のハギテとの間に生まれた背の高い立派な青年で、名をアドニヤといった(列王記一5以下参照)。彼もアブサロムと同じような考えにとりつかれ、王になろうと野心を燃やした。」

「さて、アドニヤは市の郊外の、王の庭園の泉の傍らで昼食会を開き、ソロモンを除く兄弟のすべてを招待した。彼は指揮官ヨアブや、大祭司アビヤタル、ユダ部族の指導者たちなどと連れだって出席した。
大祭司ザドクや預言者ナタン、護衛長ベナヤ、および、他の反対派の者たちは宴席に呼ばれなかった。」

「預言者ナタンは、ソロモンの母バテシバにこの件を報告して言った。「アドニヤはすでに王であり、知らないのはダビデだけです」と。」

①アドニヤはアドーン(主)から捏造した架空の人物

②大祭司アビヤタルと大祭司ザドク
大祭司アビヤタルは、アロンの第2子のエリの家系の最後の大祭司でソロモンによって罷免されている。
大祭司ザドク=ツァドクは、アロンの第3子で末子のエレアザルの子孫であり、ソロモンの時代に、アロンの次代を末子相続に則り相続したエレアザルの家系に大祭司職がもどったとされる。

実は、このザドク=ツァドクの子孫が、バビロン捕囚からの帰還を指導したヨシュアとエズラであるとされている。

実はソロモン=テュロス王ヒラムであるから、この時代、ヒラム王は、エルサレムの代官であった「ダビデの家」のダビデの一族を罷免してエルサレムを直轄都市としたと想定される。

大祭司ザドク=ツァドクは、メルキゼデクの投影であり、エブス人の王であろう。
エブス人の都市を、強大になったフェニキア人の宗主テュロスの王ヒラムが、代官として貢納を要求したのかもしれない。

「ダビデの家」はユダ部族の族長として大都市エルサレムに小さな土地を獲得し、祭壇を設けていたが、ユダ部族のジモティーと連合して、エルサレムやテュロス王ヒラムからの独立を企てたという仮定が成り立つ。

その企ては失敗し、ヘブル人のユダの領域における勢力も後退したであろう。

この時の大祭司ザドク=ツァデクは、フェニキア人のテュロスの代官であったと想定されるが、ユダヤ教原理主義のラビたちが、バビロンで『旧約聖書』を作成するときに、このフェニキア人に、自分たちを「接ぎ木」したのであると仮説が成り立つ。

人びと、ソロモンの即位を祝う/p347

「人びとは改めてソロモンに聖なる油を注いで王と宣言し、ザドクを全人民の大祭司とした。」

***************
ここで、パレスティナ全域が、テュロス王ヒラム=ソロモンの宗主権下に置かれたと思ってよい。

『ユダヤ古代誌』3 目次

第Ⅷ巻

第一章 ソロモン物語

第二章 ソロモンの神殿と王宮

第三章 分裂王国時代

第Ⅸ巻

第一章 ユダ、イスラエル王国通史

第二章 サマリアの陥落とイスラエル王国の終焉

第Ⅹ巻

第一章 ユダ王国史(その一)

第二章 ユダ王国史(そのニ)ーバビロン捕囚とエレミヤの警告

第三章 エルサレム陥落とユダ王国の終焉

第四章 ダニエル物語

第Ⅺ巻

第一章 バビロン捕囚からの帰還と神殿再建

第二章 エステル物語

第三章 アレクサンドロス大王とユダヤ人

第Ⅷ巻 

第一章 ソロモン物語

※ テュロス王ヒラム、「ビード・ダビデ」を粛清する

アドニヤ、アビシャクとの結婚を志望/バテシバ、仲介の労をとる/p14-15

「さて、父の存命中に王権をわが物にしようと画策したアドニヤは、王の母バテシバの所に赴いた(列王記上ニ13以下参照)。」

「それにたいしてバテシバは、彼のためなら一肌脱ぐこと、そして王も彼に好意を示したいであろうし、自分も熱心に頼んでみるつもりだからと言って、その結婚の実現を約束した。」

「いっぽう、ソロモンの母は息子の所に急いだ。」

バテシバが、ソロモンの母であったならば、自分たち母子の命を脅かしたアドニヤに王権を与えるような願いを取り次ぐのはいかにもおかしい。バテシバが「ビード・ダビデ」の族長ダビデの妻で、アドニヤこそが彼女とダビデの間の子であったと仮定するなら、辻褄があう。


ソロモン、アドニヤの処刑をベナヤに命じる/アビヤタル、大祭司職を追放される/p15

「王は母の歎願に立腹し、次のように言って彼女を追い返した(列王記上ニ22以下参照)。すなわち、アドニヤは野心を抱いている。アビシャグとアドニヤを結婚させるというのであれば、彼が兄であり、また彼には指揮官ヨアブと大祭司アビヤタルという有力な友人が控えているのだから、それを理由に王権をも兄に引き渡すよう彼女が歎願しなかったのが不思議なくらいだ、と。」

「ソロモンは、衛兵長のベナヤを呼びつけると、兄アドニヤの処刑を命じた。
そして大祭司アビヤタルを呼び出すと、こう言った。」

「この結果、イタマルの一族から大祭司職が奪われた。それは神がアビヤタルの祖父のエリになされた預言が成就したのである。
大祭司職はピネハスの一族ザドクのものになった。ピネハスの一族は、大祭司職がイタマル一族のものにって以来ーこの一族で最初にその地位についたのはエリであるー、平民として暮らしていた。一族の系譜は、次のとおりである。・・・アヒトブの子はザドクで、この人物がダビデの治世中ピネハス一族の中で最初の大祭司になった。」

①バトシバが要求したのは、王の娘と結婚することで、その婿が王になるという女系の相続を利用して、アドニヤを王位につけようというものである。
つまり、あたかもソロモンも、アドニヤも王の息子でないかのようである。

これは「ビート・ダビデ」の後家バトシバが、自分の息子アドニヤに、ユダ部族の領域のヘブル人の宗主の地位を、(もちろん首都はヘブロンである)テュロス王ヒラムか、その代官大祭司ザドク=ツァデクに願い出たことを投影していると想定される。

ヒラムは、その勢力を全パレスティナに伸ばし、エルサレムを直接支配し、ユダの領域も直接支配して、南のエイラト港を擁するエドム人と共闘して、インド洋交易に乗り出す意図であったため、それを却下し、ヘブル人からユダの領域を取り上げたと想定される。

②祭司職がエレアザルの家系にもどる
おそらくこのソロモン=ヒラムの時期の祭司ザドク=ツァデクは、第一モーセとアロンの血筋でエジプト人の血統であり、アテン教徒の祭司であっただろう。アテン教は友愛的太陽信仰であり、ツァデクの起源は、エルサレムの「正義の神」=メルキゼデクであり、バビロニアの太陽神シャマシュであったから。

ヨアブ、ソロモンの命令で処刑される/p17

「指揮官ヨアブは、アドニヤが処刑されたことを聞くと、大きな不安に見舞われた。彼は王ソロモンの友人であったが、それ以上にアドニヤの友人であったからである。」

「そこでソロモンは、ヨアブの願いどおりにその場所で斬首して・・・」

ヨアブは、「ビード・ダビデ」の指揮官であり、ダビデが人口調査を企てたとき反対している。神は人口調査に反対であるからだ。ダビデはケチな族長であるため、人口調査など企てようがないが、おそらく、テュロスの人口調査命令に、民族自決が失われると予想して、反対したのであろう。

ソロモン=ヒラムは、ダビデの家の祭壇などまったく気に掛けず、そこで斬首している。

ソロモンの結婚と統治/p19

「ソロモンの王国は今や盤石のものになった(列王記上三)。彼は敵対する者の処罰も終ったので、エジプトのファラオの娘と結婚した。」

このファラオの娘については、テュロス王ヒラムに嫁いだ妻と想定される。
ヒラム王は、前969-936の在位と推定されている。
第21王朝のサアメンあたりの娘と想定されている。

※ 知者ソロモン

生まれた子をめぐる二人の遊女の争い/ソロモンの裁き/p20

「列王記上三16以下」。ブレヒトの戯曲「コーカサスの白墨の輪」など、いろいろなところの話の元ネタである。
テュロス王ヒラムはフリーメイソンのグランドマイスターであり、メルカルトの密儀の創始者であるので知恵があったと思われる。

ソロモンの知恵/ソロモンの歌と箴言/悪魔払いの秘技と応用について/p25

「彼は頌詩や歌を一〇〇五巻の本に、箴言を三〇〇〇巻の本にまとめた。」

「あらゆる草木について箴言で語り、それはヒュッソポスから香柏にまでおよんだ。鳥や地上のあらゆる種類の獣、魚、空を飛ぶものなどについても同様である。自然界には無知のために調査を怠ったものは一つもなく、すべてを哲学的に考究し、それぞれの固有の性質を完璧に解明した。」

「神がソロモンに悪鬼を追い出す秘技を授けたので、大ぜいの人間が治癒されて恩恵を受けた。」

『旧約聖書』の「雅歌」や「箴言」はソロモン、すなわちヒラム王が編集したものである。また自然科学も奨励した。

※ パレスティナを領域支配、中央集権制へ

ソロモンの任命した指揮官と知事/人びとの繁栄/p23

「イスラエルの全地に置かれたソロモンの指揮官と知事は次のとおりである(列王記上四7以下参照)」

「エフライムの領地にはベンホル、ベテシメシの土地にはベンデケル、ドルと海沿いの土地にはソロモンの娘と結婚したベン・アビナダブが置かれた。」

「大平原はアヒルデの子バアナの管轄下に置かれたが、彼はまたヨルダンまでの全地も治めた。」

「レバノン山にいたるギレアデとガウラニティス地方はベンゲベルが治めたが、その管轄下には要害堅固な六〇の大きな町があった。」

「アヒナダブはシドンにいたる全ガリラヤの知事にされた。彼もまたソロモンの娘バスマテと結婚した。」

「アケーの近くの海沿いの土地はバアナが治め、タボル山、カルメル山およびヨルダン川にいたるまでの下ガリラヤの全地はヨシャパテに託された。」

「シメイにはベニヤミンの領地が、ゲベルにはヨルダン向こう側の土地が与えられた。」

「さらにこの者たちを監督する一人のアルコーンも任命された。」

「ヘブル人とユダ部族は農事に専念し、土地をよく管理したので、その富は驚くほど増大した。」

「戦争も騒乱もなかったおかげで、彼らは平和を享受し、希求してやまなかった自由を満喫できたので、だれもが自分の土地の収入を増やして豊かになろうと懸命に働いたからである。」

テュロス王は、娘婿を総督として、パレスティナに派遣して、属国の宗主から直轄支配へ切り換えた。監督官として、アルコーンを付けた。
友愛主義のフェニキア人王によって、はじめてパレスティナは統一され、戦争がなくなったのである。

つまり、パレスティナ全土が、テュロス市国の王、帝王というべきか、ソロモン=テュロス王ヒラムの属国となったのである。
イスラエルの12部族支配は、幻である。実際は、テュロス人のパレスティナ統一である。

※一人二役、ソロモンとヒラムの往復書簡

ヒラム、祝賀の使節をソロモンのもとへ派遣/ソロモンのヒラム宛ての書簡/p27

ヒラム王のソロモン宛て返書/p28

ツロ人、ヒラムとソロモン両王の書簡を保存/p29

「これらの書簡の写しは現在、わたしたちの著作物の中ばかりか、ツロ人のもとにも保存されている。その書簡を読んで正確なことを知りたいと思う人は、ツロ人の古文書を保存する役人に尋ねてみられるがよい。双方の記録は符節の一致を見るはずである。」

実は、独善的一神教を創始した「ユダヤ教原理主義者」のラビたちは、前六世紀に、バビロンとテュロスに保存されていた膨大の文書を参考に、書き換えて捏造したと推定される。
ヒラムの王朝がクーデタによって倒されると、パレスティナは、つかの間のテュロス支配からの自由を得たであろう。
だがすぐに、それを倒したエト・バアルのテュロス王朝によって属国とされるのである。

第二章 ソロモンの神殿と王宮

※ ソロモン神殿の概要

神殿建設の着手の年について/p31

神殿の高さ/p32

「神殿は矢ねの所まで白色石灰石でつくられ、高さ六〇ペークス、長さも同じ六〇ペークス、幅二〇ペークスであった。同じ大きさの建造物が上につくられたために、神殿の高さは結局、一二〇ペークスになった。神殿は東向きであった。」

駆使された高度の技術/p33

「神殿の建設には、高度の技術がすみずみまで駆使された。切整えられた石は隙間なく積み上げられていたために、見る者の目には、鎚やその他の工具を用いた痕跡が認められないほどであった。」

至聖所と二つのケルビム/p34

「神殿は二つの部分に仕切られ、長さ二〇ペークスの奥殿は至聖所、四〇ペークスの室は聖なる拝殿とされた。」

「至聖所と拝殿を仕切る中の壁はくりぬかれ、そこに香柏の扉が取り付けられた。扉には大量の金がかぶせられ、浮彫り細工されていた。」

「そして扉にはしなやかで艶やかな亜麻布の垂れ幕がたらされ、それは青や、紫、緋などの明るい色彩の糸でつくられていた(列王記上六16)

四元素とその色

亜麻のきなり(白)、青、紫、緋の四色は、火=日、風=空気、水、土の四元素を表している。土は、アダマで赤色とある。水が紫なのは、カバラの生命の木でも同様で、土の緋色と空気の青色の混色である。

地:カバラではエジプトのケメトで黒、パレスティナではアダマの赤、中国は黄土の黄色。
水:カバラではオリーブ色(ボルドー川をみよ)、パレスティナでは紫、中国は黒
火:カバラでは鉄錆色(ラスト)、パレスティナでは日であり白、中国は五行で火=赤、日=白
風:カバラではレモン色、パレスティナでは青、中国では青(東夷になった風神信者)

ツロ人の職人ヒラム/p35

「ソロモンはツロのヒラムの宮廷から、職人のヒラムを呼びよせた(列王記上七13以下参照)。彼の母方はナフタリ種族でー母親はこの部族出身者であったー、一方父親のウリヤはイスラエル人の種族であった。」

ナフタリ種族が、イスラエル人とすれば、上記のヨセフスの記述は矛盾する。
つまりナフタリ種族≠イスラエル人である。この時代、のちのユダヤ人になるのは、ユダ部族とシメオン部族のみである。その首都はヘブロンであった。しかし、ここもソロモン=テュロス王ヒラムによって接収されてしまっている。
一方、北イスラエルにあたる部分の領域は、フェニキア系多神教徒であり、ナフタリ種族も一括してカナン人といわれる人びと=ヘブル人の敵に当たると想定される。

一方、『旧約聖書』の記述をみると、母はナフタリ族出身のやもめで、父はテュロス人の青銅工芸の職人であったとある!
母はナフタリ族=カナン人、父はテュロス人である。
テュロス人=フェニキア人とナフタリ族=ヘブル人と言いたいのだろうが、ナフタリ族=カナン人である。
そして、ここが肝要だが、テュロス人=イスラエル人である!
ヘブル人≠イスラエル人である。このソロモン時代、イスラエル人とは、「神と闘う人」である。ヤコブが神=天使と相撲を取ったから、その神に授けられた名ということになっているが、意味的には、神に挑戦する人というニュアンスで、まさにバベルの塔を建設しようと企画したニムロド=ニムロデのような人びとを指すように思われる。
実は、イスラエル人=テュロス人であったと想定できる。

ところで、ソロモン王、ヒラム王、この青銅職人マイスターのヒラムの三人が、フリーメイソンの初代グランドマスターの扱いを受けているが、ソロモンも職人ヒラムもテュロス王ヒラムのドッペルゲンガーで、たんなる影であろう。

二本の柱、ヤキンとボアズ/p35

「中が空洞の青銅の柱二本をつくったのはこのヒラムである。それは厚さ指四本、高さ一八ペークス、周囲一ニペークスで、その柱頭にも銅を溶かしてつくった百合が一本据えつけられた。百合は五ペークスの高さに伸びていた。周囲には青銅の棕櫚の枝が絡み合った網細工がほどこされ、百合に覆い被さっていた。この網細工から、ニ並びのざくろが二〇〇垂れ下がっていた。二本の柱のうち一本はヤキンと呼ばれて玄関口の右側の門柱として立てられ、左側の他の一本はボアズと呼ばれた。」

豊穣のザクロが200個垂れ下がる柱。実はこのヤキンとボアズの柱は、ヘーロドトスがテュロスのメルカルト神殿で目撃している。そのヘーロドトスは、ユダヤ人の神殿やその他、遺跡、伝説など一切に言及がない。
ソロモン神殿は、テュロスのメルカルト神殿の描写であるとわかる行である。

青銅の海/p36

「ソロモンは青銅を鋳て半球形の「海」を造った。この青銅細工は巨大なために「海」と呼ばれた。洗盤の直径が一〇ペークス、ふちの厚さが一手幅に及んだからである。」

「「海」の底部の周囲には一ニの牛が置かれ、三つずつがそれぞれ風の吹く四方位にむいていた。牛の後背部にはゆるやかな勾配がつけられていたために、底部の周囲が内に向かって湾曲している半球形の海をのせることができた。」

「青銅の海」=洗盤は、12頭の牛に載せられていた。これ自体、動物を象ったり、崇拝したりすることを禁じたヘブル人の神に違反するものである。

これはまさに黄金の子牛同様、牡牛信仰である。
メソポタミアの神は、牛の角の角冠をつけている。アンをはじめ、シンもシャマシュもエンキも、農耕と豊穣と関連があるのであろうが、牛はオリオン座星系のトーテムといえるだろう。

牛は太陽信仰のトーテムである。紀元前は、太陽信仰は人間に役立つ牛がトーテムであった。それゆえ、フェニキア人は、友好的ジモティーを啓蒙し、恩恵を施し、共存共栄した。しかし紀元後、太陽信仰のトーテムがライオン=獅子に変わった。
前1000年ごろの新ヒッタイトから徐々に、ライオン狩りされる対象であった獅子が太陽信仰のトーテムにとってかわった。武力で略奪する野盗集団が、このトーテムを重んじたからである。

この12頭の牛は、12方位とともに12時を表しているように思われる。12カ月など暦との関連を感じる。紀元前は、月神が重要であったが、紀元後から太陽神が重要になっていった。

新ヒッタイト諸都市のサムアルの美術に現われている「丸っこいかわいいライオン像」と酷似したライオン像が、アルハンブラ宮殿にある。動物像を象ってはならないイスラームの宮殿にある。「クレアトラベラー誌」の32番、「熱愛スペイン」のp56に「謎のライオンはどこから来た」と題して、丸顔のコロンとかわいいライオン像の写真が掲載されている。「アルハンブラ唯一の具象。14世紀特権の礼にユダヤ商人から贈られた。」とある。
そして、このライオンも12頭で水盤を支えている。

かつてのテュロスのフェニキア人が、イスラームの強制によってユダヤ教に改宗した覆面一神教徒として、このライオン像を寄進したのだろう。

洗盤と台/p36

燭台/p39

契約の箱、神殿内に運び込まれる/p42

「さて、契約の箱が至聖所内に運び込まれる段になると、一般の人びとはそれから離れ、祭司だけの手で運ばれ、二つのケルーベイスの間に安置された。」

※ ソロモンの神、ヘブル人の神とは?

濃い雲、神殿内に流れ込む/人びと神の顕現を知る/p44

「さて、祭司たちが契約の箱に付随するいっさいのものをそれぞれの場所に置いて至聖所を出ると、突然、濃い雲がーそれは冬の季節に見られるような今にも崩れそうな雨雲ではなかったー現われてたなびき、神殿内に流れ込むと辺り一面を暗闇にしたため、祭司たちは互いを識別することができなくなってしまった(列王記上八10以下、歴代誌下五13以下、参照)。」

「その場に居合わせただれもが、神が神殿におりて来て、喜んでそこをご自分の居所とされたのだという思いにかられた。」

①神殿に住む神
そもそも神殿というのはメソポタミア人の多神教の発想である。

②黒雲の神
ジークムント・フロイトの『モーセと一神教』P61を借用するなら「この神は、夜中にうろつきまわり太陽の光を嫌う、不気味な血に飢えた悪魔なのだ。」と言いたくもなるような、クリーピーな顕現である。
神殿が東向きに立てられていること、牛がトーテムであることを思えば、太陽信仰のような表現と矛盾する。この黒雲の正体は、フロイトのいうようにミディヤン人の第二モーセが導入した火の神であるようだ。

これはもちろんテュロスのメルカルト神を表しているわけではない。テュロスのメルカルト神は、死と再生の神であり、その原型はウガリトの嵐の神バアルであり、
冥界神ネルガル、豊穣神ニヌルタが習合し、嵐の神アダドと習合して、ギリシア本土のテーバイ帝室で、ヘーラクレース神となり、「前1200年のカタストロフ」で、レバントに里帰り植民したフェニキア系ギリシア人によって逆輸入されて、ヒラムが「死と再生の神」として完成させた神格である。

※ ソロモンの王宮

ソロモン、王宮を建てる/51

「王宮は、ヘブル人の国と王の繁栄のおかげで建てられたが、それは語るに値するものである。したがって、わたしはここで、本書の読者に王宮の規模についてある程度の知識をもっていただくために、王宮全体の構成や配置を明らかにしておきたい。」

「この建物には、王が座して審判を下す豪華な造りの座がもうけられ、隣りに王妃のためにつくられた部屋が接続していた。食堂や執務後の憩いの座がもうけられ、すべて香柏の床板が張られていた。」

①王は裁判官
士師やカルタゴのスーフェースのように、王は裁判官であった。

②王妃の部屋が存在した。

※ テュロスの古記録の断片とソロモンの正体

メナンドロスとディオスの証言/p55

「ソロモンとヒラム両王の名は、ツロ人の古記録をフェニキア人の言葉からギリシア語に翻訳したメナンドロスによってあげられている。彼は言う(以下の証言は、『アピオーンへの反論』第一巻117-120でも再録されている。)」

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アビバロス王の没後、彼の息子のヒラムが王国を継承した。ヒラムは五三年の生涯を送り、三四年間支配を続けた。
 ヒラムは埋め立ててエウリュコーロン(広場、大通りの意)とし、黄金の柱をゼウスの神殿に奉献した。彼はレバノンの呼ばれる山に出かけ、そこから神殿の屋根をふく木材を伐り出し、古い神殿を壊して、ヘラクレス(この神はツロ人のバアルの一つメルカートに相当)とアスタルテ(女神アシタロテ)に奉納する新しい聖所を造営した。ヒラムはペリティオスの月(一ーニ月ごろ)にヘラクレスの覚醒を祝った最初の王であった。
 彼は、貢納を拒否したイテュカイオイのもとに遠征し、彼らを降伏させるまで帰ってこなかった。彼の治世中、アブデモノスという若者がおり、エルサレムの王ソロモンの課す問題をいつも何なく解いてしまった。
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①ヒラムは二代目
ヒラムがアビバロス=アビバアルというテュロス王の二代目であることがわかる。

②ヒラムは島を埋め立て拡張した

③初めてメルカルトの覚醒を祝った

④イテュカイオイ(ウティカ人)が貢納拒否して出兵
ウティカは、前1101年頃植民されたとされる。考古資料は、今のところ、前8世紀以降。おそらく、ヒラムの父アビバアルが植民したのであろう。さっそく貢納拒否して独立の気運があったと思われる。

⑤ソロモンの言及は一言
ソロモンはエルサレムの王で、ヘブル人の王ではないのはなぜか。
エルサレムにもヒラムは総督を置いたはずである。ソロモンはヒラムの総督の投影か。
ソロモンは、平和シャロームから派生した名前である。そしてエルサレムのサレムもまたシャロームという意味である。
これは何を意味するのか?
ソロモンはエルサレムの都市名サレムから創られた人格である。

※ ソロモンの通商から見るその正体

ソロモンの戦果/p60

「ヘブル人の中で奴隷にされた者は一人もいなかった。神がかくも多数の民族をヘブル人に服属させたので、彼らの一部を奴隷にすればよく、ヘブル人がその境遇に堕とすことは理に合わなかったのである。」

「王国の奴隷になったカナン人の上には、王によって五五〇人の役人が任命された。」

茶番極まりない。シンデレラの白昼夢か?テュロス人の奴隷は一人もおらず、ヘブル人が奴隷になっていたというのが事実であっただろう。

ソロモンの艦隊/p60

「王はエリュトラ海のエジプト湾(現在のアカバ湾)にあるエジオン・ゲベルと呼ばれる所で多数の船を建造した(列王記上九26以下、歴代誌下八17以下)。」

「ソロモンは、ツロ人の王ヒラムから、建造した船舶にふさわしい贈り物をされた。それは水先案内をつとめる男たちと、操舵術にたけたかなりの数の者たちであった。」

「ソロモンは自分のしもべを船にのせ、贈ってもらった者たちに命じて、現在「黄金の地」と呼ばれる古代のオフルーそれはインドの地に属するーに航海させた。彼らは約四〇〇タラントンの金を買い集めて再び王のもとに帰った。」

エツィオン・ゲバルを港とするインド・アフリカ交易であるが、ヒラムが、エルサレムの総督サレム=ソロモンに命じて、同盟者のエドム人と組んで、立ち上げた東方貿易事業である。

ソロモンの宝/p65

「王はタルシシ(一般にスペイン南部のタルテッソスとされるが、サルディニア島とする学者もいる)と呼ばれる海に多数の商船を所有し、それを使ってあらゆる種類の商品を内陸の国々に運ばせた。」

いわずもがな、ヒラム王=ソロモン確定である。

※ 律法をまったく守らないソロモン異国の神を崇拝

色情狂ソロモンの七〇〇人の正妻と三〇〇人の側室/p67

「彼はある時期に父祖の慣習を捨てたために、その最期は、既述の彼の生き方とはおよそ釣合いのとれないものになった。」

「ソロモンは見境なく外国の女にのぼせあがり、あちらの楽しみにすっかりおぼれてしまったからである(列王記上一一1以下参照)。」

「彼は自国の女では満足できず、シドン人や、ツロ人、アンモン人、エドム人などの外国の女にたいする情熱を満足させるために、彼女らの神々に奉仕しはじめた。」

ソロモン=ヒラム王とすると、何の不思議もない。
テュロス王が、あまり美しくないヘブル人の女など相手にしなかったことは確かである。
「シドン人や、ツロ人、アンモン人、エドム人」は、すべてテーバイ帝室系✕アイオリス人の里帰り植民の民族であり、セム語系コーカソイドとインド・ヨーロッパ語系コーカソイドのハイブリッドの長身で美しい民族であった。ヒラムの同族のフェニキア系であり、当然、妻はフェニキア系であっただろう。
またフェニキア系の神々を崇拝するのはごく自然である。

フェニキア人は基本、一夫一婦制であり、女性を奴隷のように抱えるのはヘブル人の習慣である。ヒラム王は一夫一婦制の規則を破り、革命を招いたのである。

「ソロモンは、実はそれ以前にも罪を犯し、律法を遵守しなかったことがある。それは、彼が奉納物の「海」を支える雄牛の像と、自分の玉座の周囲に置くライオンの像をつくって、瀆神行為をやってのけたときである。」

フェニキア人にとって雄牛やライオンの像を造るのは普通である。ソロモン=ヒラムであるから何の不思議もない。
また、アルハンブラに12匹のライオンを連れてきたユダヤ商人は、実は汎神論者だったのだろう。
列島に来ては、天之御中主神のトーテムが、稲荷=きつねになっていたりしているところを見れば、ユダヤ人=「ユダヤ教原理主義者」ではありえない。ユダヤ人の中に混入したフェニキア人は汎神論者であったということがわかるわけである。

※ ヤラベアムとは何者か?

不首尾に終ったヤラベアムの反乱/p72

「さて、預言者の言葉に励まされたヤラベアムはただちに行動を起こした。
彼はヨセフ部族の監督官の地位につくと、アヒヤの言葉を忘れてはいなかったので、民がソロモンから離反して革命を起こし、最高権力を自分に与えるようにただちに彼らの説得工作に乗り出した。」

「ソロモンは彼の意図と陰謀を知ると、即刻彼を捕えて処刑しようとした。
しかしヤラベアムはいち早くその動きを察知し、エジプトの王シシャクのもとに逃れ、ソロモンが死ぬまで王の所に滞在した。」

『旧約聖書』は、ヤラベアムを、ヘブル人で、ヨセフの子エフライムの末裔に「接ぎ木」しているが、ただのカナン人であっただろう。
彼は後に、黄金の子牛の祭壇を造っているので、友愛的太陽信仰者であったと考えられる。

ソロモン王国は絵空事で、ヤラベアムの本拠地は、エフライムの領域であろう。
この首都ともいえるベテルに後に祭壇を築くのは自然のなりゆきである。

ヒラムがフェニキア人の掟に反して、多くの妻をめとったため、国内での信頼をなくし、エトバアルの革命を招くようなお家事情の折、エフライム地方では、カナン人の民族自決、宗主国テュロスの支配から脱する旗頭として、後、北イスラエルの王となる(措定される)ヤラベアムが反乱を起こしたと推定される。

第三章 分裂王国時代

※ 南ユダ王国の起源

レハベアム、ソロモンの後継者となる/p74

「ソロモンの死後、息子のレハベアムーアンモン部族の女ナアマとの間に生まれた子であるーが王国の継承者になった。」

レハベアム、長老や若者たちと協議し、人びとの要求に答える/p75

「父が彼らを鞭でこらしめたのならば、自分はさそりで彼らをこらしめる。その覚悟をするがよい、と。」

民の怒りの爆発/一〇部族の離反/レハベアムのもくろみの失敗/p76

「民は王の残酷な言葉に愕然とし、その答がすでに実行されたかのようにいたく嘆いた。われわれはもはや、今日からダビデやその子孫といっさいの関係をもたない、と。そして、彼らはレハベアムにたいし、祖父の建てた神殿だけは残してやるが、彼を見捨てる、とおどしをかけた。」

「ユダ部族とベニヤミン部族はレハベアムを王に選んだが、他の部族の人びとは、その日を境にダビデの子孫に反旗をひるがえし、ヤラベアムを自分たちの国家の主人にした。」

①レハベアムはダビデの子孫

②ユダ部族とベニヤミン部族の二部族の王
ヘブル人は今まで、ユダ部族の領域のみの支配であり、ベニヤミン族の領域は、ソロモン=ヒラムに直轄とされていた。
したがって、レハベアムは、「ダビデの家」の子孫で、エルサレムの総督をまかされていた父の子であったと想定される。

③北イスラエル地方が自立、テュロス代官傘下から離反
テュロスがお家騒動でヒラムの王家がエトバアルによって簒奪される前の混乱期、カナンでは、民族自決、テュロスからの自立の動きが高まったと想定される。テュロス総督の「ダビデの家」の後継者レハベアムは、ジモティーのカナン人に反発され、ユダ部族の領域(首都ヘブロン)とベニヤミン部族の領域(首都エルサレム)のみであった、もともと。

後にユダヤの10支族といわれる北イスラエルの領域は、カナン人の北の9支族と、シメオン部族がまとまって、連盟の宗主にヤラベアムを推戴したと想定される。

※ 北イスラエルの歴史

ヤラベアム、ベテルの町に拝所を建てる/p78

「ヤラベアムはシケムの町に王宮を建ててそこに住んだ(列王記上一ニ25以下参照)。」

「そこで彼は次のように一計を案じた。すなわち、二つの金の雌牛を造り、そのための拝所をベテルの町に一つと、小ヨルダンの水源に近いダンの町に一つ建て、そこに雌牛を置いた。そして、配下の一〇部族を召集し、次のように煽動した。」

「「同胞諸君。おまえたちも承知のことと思うが、神はどこにでもおられ、ただ一つの場所だけにおられるわけではない。神はそこがどこであれ、ご自分を礼拝する者には耳を傾け、その者たちを見守っておられる。」

「エルサレム神殿を建てたのは人間である。わたしも神の名を冠した金の雌牛を造り、ベテルの町に一つと、ダンの町に一つ奉納した。おまえたちはこの二つの町の近くに住んでいるのだから、どちらか近い方の町に行って神を礼拝すればよい。」

①神は偏在するか
「ユダヤ教原理主義者」は、エルサレムの神殿だけを有効とするが、汎神論的にいえばヤラベアムの方が正しい。

②雌牛か子牛か
『旧約聖書』では子牛となっているが、雌牛になっている。このことからもヤラベアムと10支族がヘブル人ではなく、カナン人だったことがわかる。

③ヤラベアムは、ベニヤミン族の領域とヘブル人が主張している土地のカナン人であろう。だから首都はシケムなのだ。

レハベアムの腐敗堕落/シシャクの侵入ー/p87

「シシャクが血を流さずに都を取ると、レハベアムは恐怖のあまり協定を受け入れた。しかし、シシャクは協定を守らず、神殿を荒し、神の宝庫と王家の宝庫を空にし、数え切れぬほど大量の金や銀を奪い取り、あとには何ひとつ残さなかった。」

シェションク側の資料には、ソロモンの財宝などなかった。捏造である。


※ ヤラベアムのエフライム王朝から間奏曲をはさんでオムリ朝へ

ヤラベアムの死/p97

「バアシャはナダブの死後王権を手中にし、ヤラベアム一族を全員殲滅した。神の預言によれば、ヤラベアムの近親者は、市中で殺されて犬どもにばらばらに食いあらされ、野で殺されて鳥の餌食にされる、とあったが、事実そのとおりになった。」

嘘であろう。シェションクの侵入時、ヨルダンに移住したようである。

バアシャの最期/p103


※非ヘブル人のオムリ朝

王を僭称したジムリの最期/オムリの治世/p104

「いっぽう、ギベトンを包囲していた軍隊は、王を見舞った災禍とジムリが王を弑逆して王位についたのを知ると、自分たちの指揮官オムリを王に擁立した。」

「オムリは一ニ年間王位にあったが、そのうちの六年はテルザの町で、残りはギリシア人がサマリアと呼んでいるソマレオンの町で治めた。オムリは、セメルという人物から山を買い上げてそこに町を建て、その男の名にちなんでそう呼んだ。」

史料に登場する実在のイスラエル王国の最初の王である。
出自は不明である。ということは、非ヘブル人と見てよかろう。

※ アハブとイゼベル/再びテュロスの属国に

イスラエル人の王アハブ、歴代の王の無法を見習う/p106

「イスラエル人の王アハブは、サマリアに住み、ニニ年間そこで王権を行使した。」

「彼はツロ人とシドン人の王イトバロスの娘イゼベルを妻にし、彼女からその国の神々の礼拝を学んだ。」

「彼女はしたたかな女で、ツロ人がバアルと呼んでいる彼らの神を祭る神殿を建て、そこにあらゆる種類の樹木を植えて拝所にするといった厚かましい醜行もやってのけた。」

実在のイスラエル王アハブとテュロスの王女イゼベルと結婚した。これはテュロスが、ヒラム以来またパレスティナを植民地支配したことを意味する。
イゼベルは、テュロス王イトバールのイスラエル総督であり、王の代理であったのだろう。

メナンドロスによる旱魃の記録/p108

「この旱魃は、ツロ人の王イトバロスの事績の中で、メナンドロスが言及している。
 
 イトバロスの治世中、ヒュペルベレタイオスの月から翌年のヒュペルベレタイオスの月まで、日照りが続いた。彼が神々に雨乞いをすると、はげしい雷雨になった。
フェニキアにボトリュスを、リビアにアウザの町を創建したのはこの王である。

摘録したのはメナンドロスからのもので、アハブ治世中の旱魃にふれたものである。エテバアルがツロ人の王であったのは、アハブ治世中のことである。」

イゼベルの父イトバアル1世の事績である。
リビュアにアウザ市を創建している。
つまり、リビュアにピュグマリオーン=プマイヤトンがカルタゴ市を創建する以前に、ウティカ市とアウザ市が創建されていたということである。


※ ダマスコの王との確執

ダマスコの王ベネ・ハダデ、アハブをサマリヤで包囲/p121

アハブ、ハダデの軍勢に勝つ/p125

ハダデの二回目の遠征と敗北/ハダデ、アハブの好遇を受け帰国する/p126

イスラエル王アハブが、ダマスコ王ベン・ハダドと戦ったかは定かでない。結果から二人は和解したのだから、二人は友好国であったことは確かだろう。

このあと、ダマスコとイスラエルはカルカルの戦いでアッシリアの侵略を防ぐために共闘し、撃退に成功している。

アハブの敗北と死/p136

***************
アハブはダマスコとの戦いで戦死したとされるが、史料が乏しいので不明である。

第Ⅸ巻

第一章 ユダ、イスラエル王国通史

※ テュロス帝国下の支配からアッシリア帝国の支配下へ

時代情況
アッシリア王:シャルマネセル三世:在位 前859-824年
前853年 カルカルの戦い
前841年 イスラエルとダマスコ攻撃:ダマスコのハザエルは撃退、イスラエルのエヒウは服従
テュロス王:バアル・アザル二世:在位 前855-830年

ヨシャパテ王の改革/p141

「さて、既述のように、ヨシャパテ王は、イスラエル人の王アハブと同盟を結んでエルサレムに帰り、シリア人の王ベネ・ハダデと戦争するアハブを支援することになった。
しかし預言者エヒウは王に会い、アハブのような不信仰な悪徳漢と同盟を結んだことを責めた。」

ヨシャパテの信望と、イスラエル人の王との友好関係/p145

「ヨシャパテは、イスラエル人の王であるアハブの息子とも友好関係を保ち、ポントスやトラキアの商港に航海させる船を共同で建造した。しかしその船が大きすぎたために難破し、船を失ってしまった。これにこりた彼は、以後二度と船に興味を示すことはなかった。」

イスラエル王とエルサレム王は友好関係を築き、イスラエル王女アタルヤが、エルサレムの王家に嫁ぐことになるであろう。
ともに、テュロスを宗主国としていたらしいので、海運に手を出したのはありうる話だ。

ヨラムの治世/預言者エリヤの最期/p150

「王(アハブの長男アハジヤ)は、エリヤの預言どおり、それから間もなくして死んだ。王には子がなかったので兄弟のヨラムが王国の継承者になった。このヨラムも父親のアハブに負けない背徳者であり・・・」

「このころ、エリヤが人びとの間から姿を消したが、今日に至るも、彼の最期を知る者はいない。あとに残されたのは、既述した弟子のエリシャであった。」

王は世俗権力を代表し、友愛的汎神論者であっただろう。「ユダヤ教原理主義者」のラビの視点で書かれているため、よき王たちは皆、きゃつらの敵なのだ。

ヨラム、ヨシャパテの後継者になる/p155

「ヨシャパテの遺児は大ぜいいたが、後継者に指名されたのは長子ヨラムであった。彼はアハブの子で、イスラエル人の王である妻の兄弟と同名であった。」

イスラエル王アハブの次男で、イゼベルの子もヨラム、イゼベルの娘アタルヤを娶ったエルサレム王もヨラムである。

同一人物が分身している可能性が推定される。

エリシャ、家僕ハザエルにベネ・ハダデの死を告げ、ハザエルの後継を預言/p169

「ハザエルはベネ・ハダデのもとに帰り、王の病いについて好ましい報告をもたらした。しかし、翌日、彼は水に浸した網を王の上にかけて窒息死させ、王権を簒奪した。」

「ハザエルはなかなかの行動の人で、シリア人やダマスコ人の市民から好意をかち得た。そして彼らの間では、ベネ・ハダデと、次の王になったハザエルの二人が、神々として奉られている。」

ダマスコ王国のベン・ハダドとハザエルは、実在の人物で、神格化されている大王である。

ヨラムの悪事と王妃アタルヤ/p171

「そして、その他の悪事、とくに外国の神々への跪拝を教え込んだのは、王と結婚したアハブの娘アタリヤであった。」

※ 売国奴エヒウの王位簒奪とアッシリア帝国の奴隷へ

ヨラムの負傷/エリシャ、弟子の一人を遣わし、エヒウに油を注ぐ/p174~

①イスラエル王国ヨラム王の負傷によるエズレルへの退却

「イスラエル人の王ヨラムはベネ・ハダデが死ぬと、シリア人からギレアデ地方にあるアラマテの町を取ろうと大軍勢を率いてその町に進軍したが、包囲中にシリア人の一人の矢を射ち込まれてしまった(列王記下八28以下、九1以下参照)。
傷は致命的ではなかったが、傷の手当てを受けるためにエズレルの町に引き上げ、全軍をアラマテに残し、ニムシの子エヒウにその指揮を委ねた。それは彼がすでに町を攻め落としていたからである。そして、傷が癒えたらシリア人との戦争を継続する意向であった。」

②預言者エリシャ、弟子の預言者エヒウに油を注ぐ

「預言者エリシャは弟子の一人に聖なる油を与えて送り出した。それをエヒウの頭に注ぎ、神が彼を王に選んだことを告げさせるためであった。」

「その際、預言者は口頭で伝える他のことも指示し、道中の旅では逃亡者のみすぼらしい姿を装えば、だれにも見られずにそこから立ち去れる、と注意した。」

軍隊、エヒウを王に宣言/p175

「エヒウは軍隊を集めると、ヨラムに立ち向かうためにエズレルの町に出撃しようとしていた。」

エヒウ、ヨラムを射殺し、アハジヤを負傷させる/アハジヤの死/p177

「ヨラムは、ナボテの畑でエヒウに出会い、陣営内は万事うまくいっているか、と尋ねた。それにたいしてエヒウは王をはげしく罵り、彼の母を「魔術師にして売女」とまで呼び捨てた。」

「しかし、エヒウはヨラムに矢を放ち、見事に彼の心臓を射留めた。ヨラムは、たちどころに崩れ落ち、息絶えた。」

エヒウ、イゼベルを殺す/p178

「さて、エヒウがエズレルの町に入ろうとすると、身を着飾ったイゼベルが塔の上に立って叫んだ(列王記下九)。

「主君殺しのあっぱれなしもべよ!」

エヒウは、・・・宦官たちに命じ、塔から彼女を投げ落とさせた。彼女が落ちたとき血が壁にはねかえった。そして、彼女は馬に踏み殺された。」

「エヒウはイゼベルを死に送り込んだしもべたちに命じて、王家の一員であることに敬意を表して埋葬させようとした。しかし、埋葬を命じられた者たちが塔の所へ行って見ると、彼女の遺体らしきものはなく、あるのはただばらばらにされた四肢の先端だけで、他の部分はすべて犬どもに食い荒されていた。」/p179

①フェニキアの王族の死の作法
フェニキアの王族は、正装して、高い塔から身を投じるらしい。カルタゴ滅亡の時にもスーフェースの将軍ハスドゥルバルの妻が、フェニキア人の作法で投身自殺した。誇り高いと讃えられたフェニキア人らしい矜持である。

エヒウ、サマリアの指導者たちに書簡を送り、アハブの息子たちの処刑を命じる/p179~181

「アハブには七〇人の子供があり、サマリアで養育されていた(列王記下一〇1以下参照)。」

「エヒウは、彼らの家庭教師とサマリア人の指導者たちに当てた二通の書簡を送った。書簡はアハブの子供たちの中で一番勇気のある者を王に任命しー彼らには大量の戦車や、馬、武器、兵士、および堅固な町々などがあったー、それが終わりしだい、主君の死に復讐するよう指示していた、エヒウがこの書簡を書いたのは、自分にたいするサマリア人の気持ちを探り出すためであった。」

「指導者と家庭教師たちは、その書簡を読んで大きな不安をい出した。二人の力ある王に勝った者には降参するしかないと考えたからである。」

「そこで彼らは、エヒウを主君として迎え、彼の命令には何でもしたがうことに同意する、と書き送った。」

「そこでエヒウは再び書簡を送り、今後自分の命令にしたがうことと、アハブの息子たちの首を自分のもとに送ることを命じた。」

「指導者たちは、子供たちの養育係を集め、子供たちを殺してその首をエヒウのもとに送ることを命じた。彼らは憐れみの感情を少しももたずにそれを実行し、編んだ籠のようなものに子供たちの首を入れてエズレルに送った。」

「さて、アハブの子供たちの首が運び込まれ、そのことが友人たちと食事をしていたエヒウに知らされた。エヒウは彼らの首をふた山にし、門の前の両側に、ひと山ずつ積むように命じた。」

「エヒウは朝になると、それを見に出かけた。そして、それを見終わると、集った民に向かって、自分は軍勢を率いて主君に立ち向かって彼を殺したが、この若者たちは殺していない、と断言した。アハブの一族に起きたことはすべて神の預言どおりであり、彼の一家が滅んだのもエリヤの預言どおりであったことを知ってほしい、と民に訴えた。」

戦車を大量に所持してカルカルの戦いを戦ったサマリア王家=アハズ一家は、強大な都市を中心とする領域国家だったようだ。

これを滅ぼしたのは神ではない。
これはテュロス帝国のバアル・アザル二世とアッシリアのシャルマネセル三世の代理戦争であり、イスラエル王国が、アッシリアの脅威におびえて、エヒウが、アッシリアに土下座したように、自由な独立国として友愛的に支配していたテュロス帝国から、強力な「アッシリアの狼」とおそれられたアッシリア帝国へ乗り換え、テュロス王家の親戚であるアハズ一家を、アッシリアの武力によって皆殺しにし、アッシリアにサマリア国という自分の生まれた国を献上したのである。
民がよろこんで信仰していたバアルの信仰を取り上げ、「ユダヤ教原理主義者」の信仰を押しつけた。女性や不具者など弱者は徹底的に弾圧され、非人間的に扱われるようになった。大量殺人鬼の「売国奴」エヒウは、殺人によって「十戒」にも違反している。


※ バアル信仰(メルカルト信仰)の禁止と「金の牛」崇拝の許可

エヒウ、バアルの神殿を大掃除する/p182~

「エヒウは神殿の外に自分にもっとも忠実な武装兵八〇人を配置し、次のように命じて彼らを脅した。

「偽預言者どもはすべて殺せ。父祖伝来の慣習を長い間侮ってきた連中を今こそ罰してやるのだ。一人でも逃せば、おまえたちの命はない。」

兵士たちは彼らを全員惨殺し、バアルの神殿を焼き払った。こうしてこの外国の慣習はサマリアから一掃された。」

「このバアルはツロ人の神であり、アハブが、義父であったツロ人とシドン人の王イトバロスの歓心を買おうとして、サマリアにその神殿を建てたのである。」

「エヒウはこの神を取り除くと、イスラエル人に金の雌牛の礼拝を許した。」

ヘブル人の父祖伝来の信仰は、第一モーセであるアクエンアテンの異父兄トトメス王子がアテン教神官となっていて、ホルエンヘブと19王朝の迫害を避けて、シナイ半島経由でヘブロンを首都とするユダの領域に移住した時以来信仰していた「アテン教」=友愛的太陽信仰と、第二モーセであるミディヤン人のモーセがおしつけたミディアン人の火の神、のちの「ユダヤ教原理主義」になる祭司絶対主義の罰で脅すパワハラ宗教の二つであっただろう。

金の雌牛とは、モーセとアロンの信仰がアテン教で、ファラオは太陽神の祭司であったためファラオのシンボルが「金の子牛」であった。
「前1200年のカタストロフ」で里帰り植民したテーバイ帝室系のギリシア人は、フェニキア人の「郷にいれば郷にしたがえ」のジモティー文化尊重主義によって、すぐに父祖の言語フェニキア語にもどり、アラム語に同化して、カナン人となった。彼らがもっていたヘーラー信仰が「金の雌牛」のトーテムに象徴されるものであったのだろう。友愛的太陽信仰・灌漑農業の豊穣信仰である。それにテュロスのバアル神=メルカルト=ヘーラクレース信仰、こちらは死と再生の秘教である、この二つの信仰が後に、フェニキア人イエスの信仰に繋がることは容易に想像されよう。民衆は「ユダヤ教原理主義者」の前身であるヤハウェの祭司どもの宗教が、王をはじめとして大嫌いであった。だから民衆の代表として王は、常に世俗的であった。民衆は、罰を与える神、奴隷にする神ではなく、豊穣を与え自由にしてくれる神を好んだ。「金の牛」信仰は民衆のお気に入りであったのだ。祭司集団出身のエヒウもこの信仰を許可せざるを得ないほど人気であったと想定される。
金の牝牛=「ヘーラー」、バアル=「メルカルト=ヘーラクレース」であるから、バアル信仰を廃して、「金の牝牛」信仰にしたというのは、意味をなさない。なぜなら、この二柱は、テーバイ帝室の主神であるからだ。
つまり、この時代、「ユダヤ教原理主義者」の想定する「神権政治」が成立していたというのは疑わしい。テュロス帝国とアッシリア帝国の二大大国があり、前1000年から北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされるまでが、テュロス帝国の属国時代である。
テュロスの強大な帝王ヒラム王朝のヒラムとエトバアル王朝のエトバアルからプマイヤトン=ピュグマリオーンまでの帝王に朝貢する属国であり、前722年に北イスラエルがアッシリアによって滅ぼされてからは、アッシリア帝国の属国である。ピュグマリオーン大王が死んだと推定されるのが、前744年、ピュグマリオーンは、いずれ、メソポタミアの大国によって併呑される日があらんことを想定して、新天地の開拓という布石を打っていた。キュプロス島を領域支配すると、北アフリカに後に大帝国に成長するカルト=ハダシュト(カルタゴ)市を建設し、姉を代官として派遣している。またシケリア島・サルディニア島・コルシカ島・アイオリス諸島領域に、エンポリオンの建設を企画していた。

アタリヤの復讐/アハジヤの子ヨアシ助けられる/p184

「アハブの娘辺りやは、兄弟のヨラムや息子のアハジヤが殺されて王族がすべて滅ぼされたと聞くと、ダビデ家に連なる者の中から将来再び王になる者が出ないように、一族全員の殴殺をもくろんだ。」

「アハジヤの一人息子だけは、次のように死をまぬかれた。」

「そして、彼女と夫はヨアシを神殿の中で六年間秘かに養育し続けた。この間、辺りやがエルサレムとニ部族を治めていた。」

大祭司エホヤダ、アタリヤ打倒の陰謀をめぐらす/p184~

「この者はダビデ家出身の、おまえたちの王である。・・・」

エホヤダ、アタリヤを処刑する/p186

「アタリヤの処刑を命じられた者たちは、彼女を捕え、王のらばの門の所に連れて行って、そこで彼女を殺した。」

エホヤダ、人びとに王への忠誠を誓わせ、王にも誓約させる/p187

「それが終ると、彼らはバアルの神殿に走って行ってーこの神殿は、アタリヤと夫のヨラムが祖父たちの神を侮り、アハブの神に敬意を払って建てた者であるー、そこを破壊し尽し、バアルの祭司マッタンを殺害した。

ヨアシ王の統治/p188~

「王位についたヨアシは七歳であった。
ヨアシは掟を厳格に守り、エホヤダの存命中は神への奉仕につねに熱心であった。として年頃になると、大祭司の与えた二人の女と結婚した。

①アタリヤが自分の孫ヨアシ殺害をたくらむのは不自然

②同時代人の二人のヨラム王は実は一人
イスラエルの王ヨラムは、アハブとイゼベルの子でアタリヤの兄である。この王は、エヒウのクーデタで殺されたが、(前851-842頃)の在位とされている。
一方、ユダの王ヨラムは、「ダビデの家」の第4代目の王ヨシャハトの息子で、イスラエル王の同名のヨラム王の在位5年に即位したとされる。アタリヤと結婚してアハズヤを生んだとされる。そして神の罰で病死し、「父祖の墓には葬られてなかった」とされている。
ユダ王のヨラムはいかにも影が薄い。イスラエル王のドッペルゲンガーである。
つまり、この当時北イスラエル王国しか存在せず、ユダの領域は、エルサレム市のみであり、ユダの部族=ヘブル人も、アハズの家であるサマリア朝が支配していたとみるべきである。

③バアルの祭司マッタンとは?
大祭司エホヤダが殺したとされるバアルの祭司マッタンの名は、当時テュロス王マッテン1世(在位829-821)から捏造された。

マッテン1世と前任のバアル・アザル二世は影の薄いテュロス王である。彼らは、破竹の勢いのアッシリアとの来るべき対決を鑑みて、海に逃げる=元来たエーゲ海沿岸諸都市・諸島嶼の「里帰り植民」することを計画していたと思われる。
次代のマッテン王は、実は北イスラエル王国=サマリア王国の宗主であり、だからバアル神官に投影されているのである。
「バアルの祭祀マッタン」を殺害したというのは、シンデレラの白昼夢殺人であろう。
マッタン王は、パレスティナ統治から撤退し、ギリシア世界と北アフリカ世界、つまり展開領域をシフトしつつあったということの投影である。
この王の子供たちが、大王プマイヤトン=ピュグマリオーン、ギリシア神話でも讃えられているテュロス全盛の大王であり、その姉で、シケリア島のタウロメニウムのティマイオスによって、カルタゴの女王に捏造されたエリッサである。

次の強力な大王ピュグマリオーン=プマイヤトンは、キュプロス島を橋頭堡に、地中海全域に「カルト=ハダシュト」すなわちカルタゴ市を建設しまくる。
その最大のものが後に帝国になるカルタゴ市である。彼が姉を植民リーダーとして自己の代官として送り込んで建設させたものである。

④ヨアシ王7歳
傀儡である。大祭司側の女二人と結婚して、アハブの家の一夫一婦制を廃止している。この実在は確証されない。

※ シリア・パレスティナの民族英雄アラム王ハザエル

南ユダ王国=エルサレムでは

シリア人の王ハザエルの侵入/エヒウの死/p188~

「シリア人の王ハザエルは、イスラエル人と、その王エヒウに戦争を仕かけ、ヨルダン川向こうの東の、ルベン人、ガド人、マナセ人に属する土地と、ギレアデ、バタナイアを荒しまわり、いたる所に火を放っては略奪し、手当たりしだいに乱暴を働いた。」

「こうした事態を招いたのは、ハザエルが土地を荒しまわっているとき、エヒウが手をこまねいていたからである。いや、そればかりではなく、彼が神にたいする奉仕を怠り、聖なるものや律法を侮るようになっていたからである。」

当時、北イスラエル王国と南ダマスコ王国が中型国家として成立していた。エルサレムは都市国家に過ぎず、北イスラエル王国の領域内であった、と推定される。
アッシリアに北イスラエル王国という祖国を売り渡し、王族を皆殺しにして簒奪した悪党のエヒウと対照的だったのが、ダマスコ王国の英雄王ハザエルである。ホルスト=クレンゲル『古代シリアの歴史と文化』のp218にハザエル王と推定されている象牙彫刻の考古史料が残っている。りっぱなセム語系コーカソイドの顔つきである。そのハザエルは、超大国アッシリアをなんと撃退した!彼こそパレスティナの民族自決の英雄である。
そのダマスコ王ハザエルが、裏切り者で売国奴のエヒウを成敗したのであろうと推定される。

エホヤダの死/ヨアシ、悪事に走る/エホヤダの子ゼカリヤ、処刑される/p190~

「エホヤダの生涯は一三〇年であった。」

「しかし、エホヤダの死後、ヨアシ王は神への奉仕をやめてしまった。」

「それどころか、王は、大祭司エホヤダがほどこしてくれた恩恵を忘れ、彼の息子のゼカリヤを神殿内で石打ちの刑に処するように命じさえした。」

アタリヤの孫ヨアシ王は、北イスラエル王と南ユダ王のヨアシが、同一人物の投影と推定されるため、唯一のアハズの王室の生き残りであった。
祖母アタリヤを、目の前で殺され、自己の王国を簒奪したエヒウとその手先の大祭司エホヤダを憎みつつ成長したことは想像に難くない。エホヤダが死に祭司どもの勢力が後退するのを待っていたと想定される。エホヤダが130歳で死んだと言うのは捏造であろう。
売国奴にして王室簒奪者エヒウが、正義の英雄ダマスコ王ハザエルに成敗されると、原理主義的独善宗教の祭司集団は、後ろ盾を失う。大祭司エホヤダは、130歳まで生きていたのではなく、病死していたのであろう。だからこそ、本人に復讐できなかった王ヨアシは、息子のゼカリヤを処刑されたと推定される。

ハザエルの侵入とヨアシの贈り物/ヨアシの死/p192~

「ヨアシは、神の宝庫をすべて空にして奉納物を祭壇から取りおろし、それをシリア人の王のもとに送った。」

「エホヤダの子ゼカリヤの死に復讐するために王に陰謀を企てた友人たちに攻撃されて死んだ。」

「王位を継承したのは息子のアマジヤであった。」

実際は、ヨアシ王はハザエルと連合して、祭司どもを始末したのであろう。
それを祭司どもの一党が殺害した。

北イスラエルでは

イスラエルの王エホアハズ、シリア人に敗れる/p192~

「ヨアシの治世の第二一年に、エヒウの子エホアハズがサマリアでイスラエル人の統治権を握り、一七年間それをわが物にした。」

売国奴エヒウは、おそらくシリア人とダマスコ人の王ハザエルよって戦死したのであろう。エヒウの子もエホアハズも実在が確かではない。
実は、後継した王ではなく、エヒウの王子の立場であったと推定される。
北イスラエルを簒奪していたエヒウが、猫かぶりで復讐の機会を狙っていたアタリヤの孫ヨアシ王と連合したシリア・ダマスコの王ハザエルに討たれると、息子のエホアハズも成敗されたと推定される。

ヨアシ、父エホアハズの後継者となる/エリシャの預言/p193~

「エホアハズの死後、王権は息子のヨアシのものになった。
ヨアシがユダ部族を治めていた第三七年目に、エルサレムの王と同名のヨアシがサマリアでイスラエル人の王権を握り、一六年間在位した。」

「彼は徳行高き君子で、その性向は父親とまるで正反対であった。
このころ、すでに老齢であった預言者エリシャが病いに倒れた。イスラエル人の王は見舞いに来て、彼の最期が近いことを知ると、その前で声を上げて泣き崩れた。」

南ユダのアタリヤの孫ヨアシが、統治七年目に、北イスラエルを、ハザエルと共闘して奪還したことを投影していると推定される。
預言者エリシャを大切にしたというのは、この王が成功した王だったから、神の加護で成功したというためである。

エリシャの死と盛大な埋葬式/p195~

ヨアシ、シリア人のベネ・ハダデを破る/ヨアシの死と後継者/p196

「シリア人の王ハザエルが亡くなり、王権が息子のベネ・ハダデのものになると、イスラエル人の王ヨアシは彼に戦争を仕かけた。」

「ヨアシが死んで遺体がサマリアに埋葬され、王権は息子のヤラベアムの手に移った。」

南ユダ王国では

アマジヤ、ユダ部族の王となる/p196~

「まず最初に、父親のヨアシを殺した友人たちを処罰して復讐することを決意した。」

北イスラエル王ヨアシ=南ユダ王ヨアシであるから、南ユダ王ヨアシしか実在しない。
ヨアシは、ハザエルと共闘して、北イスラエルを奪還したが、「友人たち」に殺された。
つまり祭司集団側によって殺害されたのである。
それを息子のアマジヤが復讐を果たして、祭司側の「友人たち」を処刑した。

ヨアシ、エルサレムを占拠/p200

「こうしてヨアシはエルサレムの主人になると、神の宝庫の財宝を奪い、亜麻時やが王宮に置いたすべての金銀を持ち出した。そして万事が首尾よくいったので、アマジヤを捕虜の身から解放し、サマリアに帰って行った。

このヨアシは幽霊である。ユダ王ヨアシは、北イスラエルを奪還し、南ユダのアマジヤ王を攻めて、エルサレムの財宝を奪ったとされているが、事実は、おそらく、北イスラエル遠征から帰った。そこを「友人たち」すなわち祭司側の貴族たちに闇討ちされて殺されたと推定される。
それをすかさず、息子のアマジヤが復讐したのである。

二人のヨアシの時代の謎
ユダ王国のヨアシ王は、アタリヤの孫で、在位は前837-800年の37年間。
アッシリアにこびて売国奴となった祭司どもから、世俗の王権に権力を奪還したと想定される。
テュロスは、大王プマイヤトンが前820年に即位すると、威信を回復し、地中海交易で強大となり、親族のアハズの家の末裔ヨアシ王をバックアップしたと想定される。
復讐の機会を幼少期より待っていたヨアシは、祖母アタリヤの仇を討って大祭司の息子ゼカリヤを処刑する。

イスラエル王のヨアシは、売国奴のエヒウの孫とされるが、実在性は薄い。在位は、前798-782とされ、ユダ王の継続と考えられる。つまりユダ王ヨアシの遠征して父祖の王室を奪還した姿である。
エヒウの血は、実は一代で耐え、エヒウの子供は即位前にヨアシ王によって殺されたと推定される。

シリア・ダマスコ王国の実態

シリア・ダマスコ王国史の復元

①「前一二〇〇年のカタストロフ」で成立したアラム人王国
おそらく、シリア・パレスティナに残留していたカナン人=アムル人と新来のアラム人の混血、「里帰り植民」してヘーラクレース帝国人などの混血によって成立したセム語系コーカソイドの王国である。

②ベン・ハダド1世(前885-865年)
聖書では、ユダ王国のアサ王の要請で、北イスラエルをバシャ王朝を滅ぼし、ダンからナフタリに至る北イスラエルを占領したと推定される。フェニキアと通商を開き、フェニキアの宗主国テュロス帝国と共闘したと推定される。
考古史料として「メルカルト石碑」が残存する。テュロスの主神メルカルトへの崇拝が推定される。

③ベン・ハダド2世(前865-842年)
ハダドエゼル=ハダデゼル。Haḏiḏ-ʿezer 「ハダドは助けです」の名でも知られる。
北イスラエルのアハブ王と共闘し、シャルマネセル3世をカルカルの戦いで迎撃して追い返した。カルカルの戦いでの総帥であり、最大の戦力を供出した。その後、アハブを戦死させたとするが、疑わしい。二人は共闘関係であったと推定されるからである。

④ハザエル(前842-796年)
聖書は、ベン・ハダド2世を殺して簒奪したと伝える。しかし、これは疑わしい。
おそらく「ハザエル」=「ハザデゼル」であり、この王室の王の称号であったと推定される。
ヘーラクレース帝国のヘーラクレースというようなものである。
彼は、ベン・ハダド2世の息子であっただろう。
テュロス王とも共闘し、オムリ王朝の復権に、オムリ王朝の遺児ヨアシュ王を助けて手を貸す。売国奴エヒウを戦死させ、北イスラエル王国をヨアシュに返してやる。
ユダ王国が反乱でヨアシュを殺したときは、エルサレムに攻め上り、祭司勢力を処刑して、ヨアシュの子にユダ王国を返してやる。
彼のファクトが「テル・ダン碑文」である。
ハザエルは、ヘブル語で「חֲזָאֵל または חֲזָהאֵל」、古期アラム語で「𐤇𐤆𐤀𐤋 Ḥzʔl 」とされるので、「ハザデゼル」と読める。

⑤ベン・ハダド3世(前796 ~ 792 年)

⑥レティン(前754年~紀元前732年)
聖書では、イスラエルのペカ王と組んで、ティグラト・ピレセル三世に反乱し、ユダ王国のアハズがティグラト・ピレセル三世にダマスコ王国とイスラエル王国を売り渡して、レティンは殺された。パレスティナの民族自決王国ダマスコ滅亡。
史実は、フェニキアのテュロスのヒラム2世と組んで、ティグラト・ピレセル三世に反乱し殺された。

「テル・ダン碑文」

テル・ダンの石碑は、古代アラム語で書かれた勝利の碑文の断片から成り、紀元前9世紀後半のこの地域の重要人物であったアラム・ダマスカスのハザエルによって残されたと考えられています。名前の知られていない王は、イスラエルの王と彼の明らかな同盟者「ダビデの家」(帝国アラム語:𐤁𐤉𐤕𐤃𐤅𐤃、ローマ字:  bytdwd )の王に対する勝利を誇っています。これは、ヘブライ語聖書以外でユダヤ国家の創始者としてダビデの名に言及した最も古い広く受け入れられた例と考えられていますが、それ以前のメシャの石碑には、さまざまな妥当性を持つ可能性のある言及がいくつか含まれています。/Wikipedia。

以下は転写です。原文と同様に、ドットは単語を区切っています。空の角括弧は破損または欠落したテキストを示し、角括弧内のテキストはビランとナヴェによって再構成されたものです。

1. [ 𐤀]𐤌𐤓.𐤏[ ]𐤅𐤂𐤆𐤓[ ]

2. [ —].𐤀𐤁𐤉.𐤉𐤎𐤒[.𐤏𐤋𐤅𐤄.𐤁𐤄]𐤕𐤋𐤇𐤌𐤄.𐤁𐤀[ ] ‎ 3. 𐤅𐤉𐤔𐤊𐤁.𐤀𐤁𐤉.𐤉𐤄𐤊.𐤀𐤋[.𐤀𐤁𐤄𐤅]𐤄.𐤅𐤉𐤏𐤋.𐤌𐤋𐤊𐤉[ 𐤉𐤔] ‎ 4 . 𐤓𐤀𐤋.𐤒𐤃𐤌.𐤁𐤀𐤓𐤒.𐤀𐤁𐤉[.𐤅]𐤄𐤌𐤋𐤊.𐤄𐤃𐤃[.]𐤀[𐤉𐤕𐤉] ‎ 5. 𐤀𐤍𐤄.𐤅𐤉𐤄𐤊.𐤄𐤃𐤃.𐤒𐤃𐤌𐤉[.𐤅]𐤀𐤐𐤒.𐤌𐤍.𐤔𐤁𐤏[𐤕—] ‎ 6 . 𐤉.𐤌𐤋𐤊𐤉.𐤅𐤀𐤒𐤕𐤋.𐤌𐤋[𐤊𐤍.𐤔𐤁]𐤏𐤍.𐤀𐤎𐤓𐤉.𐤀[𐤋𐤐𐤉.𐤓] ‎ 7 . 𐤊𐤁.𐤅𐤀𐤋𐤐𐤉.𐤐𐤓𐤔.[𐤒𐤕𐤋𐤕.𐤀𐤉𐤕.𐤉𐤄𐤅]𐤓𐤌.𐤁𐤓.[𐤀𐤇𐤀𐤁.] ‎ 8 . 𐤌𐤋𐤊.𐤉𐤔𐤓𐤀𐤋.𐤅𐤒𐤕𐤋[𐤕.𐤀𐤉𐤕.𐤀𐤇𐤆]𐤉𐤄𐤅.𐤁𐤓[.𐤉𐤄𐤅𐤓𐤌.𐤌𐤋] ‎ 9 . 𐤊.𐤁𐤉𐤕𐤃𐤅𐤃.𐤅𐤀𐤔𐤌.[𐤀𐤉𐤕.𐤒𐤓𐤉𐤕.𐤄𐤌.𐤇𐤓𐤁𐤕.𐤅𐤀𐤄𐤐𐤊.𐤀] ‎ 10. 𐤉𐤕.𐤀𐤓𐤒.𐤄𐤌.𐤋[𐤉𐤔𐤌𐤍 ] ‎ 11. 𐤀𐤇𐤓𐤍.𐤅𐤋𐤄[… 𐤅𐤉𐤄𐤅𐤀.𐤌] ‎ 12. 𐤋𐤊.𐤏𐤋.𐤉𐤔[𐤓𐤀𐤋… 𐤅𐤀𐤔𐤌. ]

完全にフェニキア語じゃん。アラム語=フェニキア語。

1995年のビランによる翻訳では次のように述べられている。

  1. [ ]…[…] をカットし […]
  2. […] 私の父は、彼が[…]で戦ったときに彼に立ち向かいました。
  3. そして父は病床につき、先祖のもとへ行きました(つまり、病気になり、亡くなりました)。そしてイシュマエルの王は
  4. ラエルは先に私の父の国に入り、ハダドは私を王とした。
  5. そしてハダドは私の先頭に立って行き、私は七人の[…-]から出発した。
  6. 私は王国の王たちを殺し、何千もの武器を操る七十人の王たちを殺した。
  7. 暴動と数千の騎兵(または馬)。[私は]アハブの息子ヨラムを殺した
  8. イスラエルの王ヨラムの息子アハズヤフを殺した。
  9. ダビデの家の者たちを滅ぼし、わたしは彼らの町々を廃墟と化し、
  10. 彼らの土地を[荒廃させる]
  11. その他[…そしてイエフ・ル-]
  12. イスラエルに導かれて[そして私は横たわった]
  13. [ ] を包囲する

これで証明されることは、ハザエル王はハダド信者であること。
北イスラエルに侵攻したこと。
北イスラエルのアハブの子ヨアシュとその子アハズヤフを殺して、70人の王たちを殺したことである。
つまり、エヒウの蛮行は、単なるダマスコ王との戦争での出来事の誇張であったのかもしれない。ダマスコ王の戦功を盗んだのかもしれない。
またユダ王国=ダビデの家と読むなら、ダビデの家は、テュロス総督の家であったので、ダビデの家を滅ぼしたのは、ヒラム王ではなく、ジモティーのダマスコ王ハザエルだったのかもしれない。

新ヒッタイト都市国家の一つパティン=ウンキ(アッシリア語)について

※パティン=ウンキ王国
このパティン=ウンキの首都はキナルワ(現ハタイ)である。
ルウィ語が国語であり、王名ヒッタイトの衣鉢を継ぐものが多い。
初代は、タイタ1世(前11世紀)、スッピルリウマ1世(前10世紀後半)、スッピルリウマ2世(前858-857年)ハルパンティヤ2世(前857-853年)、ルバルナ2世(前831没)などがいる。
スッピルリウマ2世(前858-857年)ハルパンティヤ2世(前857-853年)はアッシリアの碑文で実在が確認されている。
①スッピルリウマ2世(前858-857年)=サパルルメ(アッシリア語)
シャルマネセル3世が、前853年のカルカルの戦いの前哨戦として、北シリアの新ヒッタイト都市国家を掃討した戦いで、戦死した。
まずビート・アディニ、カルケミシュ、サムアルという新ヒッタイト諸都市と同盟を結び、ルティブ近郊で迎え撃ったが破れる。シャルマネセル3世は、オロンテス川を渡り、パティン王国領内に進攻。ここで、4つの同盟国(アダナワ、ヒラク、ヤハン、ヤスブク)がレジスタンスに加わった、シャルマネセル3世を迎撃するも、戦死。後継者のハルパンティヤ2世は、降伏して貢納を約束する。
②ハルパンティヤ2世(前857-853年)
シャルマネセル3世に降伏し、貢納を約束。イスラエルのエヒウと同様、黒色オベリスクに貢納の様子が刻まれている。

※ 第二のヤラベアムの正体とテュロス帝国の後ろ盾失いイスラエル滅亡

イスラエルの王ヤラベアムの悪事/ヨナの勧告とヤラベアムの遠征/p201~

「アマジヤの治世の第一五年に、ヨアシの子ヤラベアムがサマリアでイスラエル人の王になり、そこで四〇年間統治した。」

「この王は、神にたいして恐ろしく傲岸不遜で、律法など歯牙にもかけず、偶像を崇拝し、見苦しい外国の慣習を多数取り入れた。しかし、イスラエルの民には潤沢な恩恵を施した。」

「あるときヨナがヤラベアムに次のように言った。ヤラベアムは、シリア人と戦争して彼らの軍隊を打ち破り、自分の王国を北はハマテの町、南はアスファルティティス湖(死海)まで拡張しなければならない。なぜなら、指揮官ヨシュアが定めたように、そこはかつてはカナンの国境だったからである、と。」

「ヤラベアムは、シリア人のもとに遠征し、ヨナの預言どおりに彼らの全土を制圧した。」

北イスラエル王国がテュロス帝国の属国に復帰

前876年オムリがオムリ朝を創設。
おそらく、前887年にヒラム朝を倒してテュロス王となったエトバアル1世の権力を背景にしたと推定される。

前869年息子のアハズが、エトバアル1世の娘イゼベルと結婚し、テュロス帝国の娘婿として、祭司王イゼベル・統治王アハズの二王制の統治が発足したと推定される。
アハズは、歴史に史料の残る実在の王で、堂々たる軍人でもある。カルカルの戦いで、事実上アッシリアの侵略を阻止した英雄であったと推定される。
カナン人の民族自決の英雄はおそらくシリア・ダマスコ王国であると推定される。
前852年、そのダマスコとの戦争で、テュロスの属国王であるアハズは戦死する。
しかし、女王イゼベルは、引き続き北イスラエル王国の王として統治したと推定される。

前842年にエヒウが、イゼベル女王の孫ヨラム王以下70名の王族を皆殺しにして「オムリ朝」をアッシリアの力で滅ぼして簒奪した。
当時のアッシリア王は、シャルマネセル3世である。前859~824年の在位を誇る征服王である。シャルマヌ・アシャレド(Šulmānu-ašarēdu)。シャルマヌ神とは何か。不明であるが、アシャレドは、至高(アッシュール)なりと言う意味であろうから、シャルマヌ神に一番近い音名の神は、ヒッタイト帝国が導入したフリ神話の最高神テシュプ・ヘバト・シャルマの息子神であると推定される。
これはエトバアル1世の後継者でイゼベルの兄弟バアル・アザル二世とその子マッテン1世と、ライジング・スターのアッシリア帝国のシャルマネセル3世のパレスティナ統治をめぐる代理戦争であり、シャルマネセル3世の手先のエヒウが勝利したということを意味する。

これに絡む第三勢力がパレスティナのジモティー政権シリア・ダマスコ王国である。
英雄ハザゼルは、テュロス帝国とアッシリア帝国のはざまにあって、シリア・パレスティナ地域をカナン人の自治に残そうと奮闘したと推定される。
そのハザゼルが、前852年には、アハズ王を討ったが、北イスラエルを併合することはなかった。それは、属国として残して遠隔統治する通商国家テュロスのやり方を受け入れていたからであると推定される。
しかし、前842年にアッシリアの傀儡ともいえるエヒウが北イスラエルを簒奪すると、北イスラエルの亡命政権であるエルサレムの南ユダ王国の王ヨアシュと共闘して、北イスラエルのエヒウを討って戦死させ、息子のエホアハズを殺した。

前801年、ハザエルの力を借りて、アッシリア勢力を駆逐した南ユダ王ヨアシュは、北イスラエル王に復帰する。
前786年、ヨアシュ王は、祭司勢力が反乱を起こしたエルサレムに帰還した先で、「友人たち」に投影されている祭司勢力によって殺害される。

前783年、ヨアシュ王の盟友シリア・ダマスコ王ハザエルは、すぐに盟友ヨアシュの敵を討ち、祭司勢力を撃破して処刑し、ヨアシュの息子アマジヤをユダ王位に復帰させたと推定される。

実はこの一連のオムリ朝の復活劇の背景に、シリア・ダマスコ王家と共闘して、大きな与力を果たしたと推定されるテュロス帝国の大王プマイヤトン=ピュグマリオーンの存在があったと推定される。
プマイヤトンの在位は、前820年~774年である。
彼の在位は、アッシリアの征服王シャルマネセル3世の死の824年の後から始まる。
アッシリアはお家騒動で、シャルマネセル3世の子シャムシ・アダド5世とその子アダド・ニラリ3世が継承した間、弱体化し、外征どころではなくなる。その間、皇太后サムラマトが事実上の権力を握ったと推定される。女王は戦争を好まない。

プマイヤトンは、シリア・ダマスコ王国と共闘して、南ユダ王国のオムリ朝を存続させ、北イスラエルには、ヨアシュが南ユダにもどった後、傀儡となるヤラベアム2世を王位につけたと推定される。

このヤラベアムの名は、初代のイスラエル王の名と同じであり、カナン人である。
ヘブル人の売国奴エヒウの家に「接ぎ木」されているが、
そもそも父のヨアシの実体が、アタリヤの孫のユダ王のヨアシであるから、テュロス王家の血を受け継ぎ、ヤラベアム1世と同じ「金の子牛」信仰や、テュロス王家のバアル信仰を促進したと想定される。在位は前782-753年で、テュロスの大王ピュグマリオーンの肝入りでパレスティナの王になっていたと想定される。

ヨナ物語/p202

「ヘブル人の著作の中に書かれているこの預言者について、すべてを語らぬかけにはいなかい。」

「彼は、ニネベの王国に行って二ネバがやがてアシアの覇権を失うことを市中で宣言するように神に命じられた。」「ところが、彼は自分の使命を恐れてにねべに出発せず、それどころか、神の目をかすめてヨッパの町に逃げ込んだ」「そして、そこで船を見つけて乗り込み、キリキアのタルソスへ航海した。」「しかし、途中はげしい冬の暴風に見舞われ、船が沈みそうになった。」

「この物語によれば、預言者は鯨に飲み込まれ、三昼夜の後、エウクセイノス海(黒海)の岸辺近くに生きたまま吐き出されたが、彼の体には傷一つなかった。」

「預言者は、神に自分の赦しを乞い、二ネベの町に行って人びとに聞こえる所に立ち、やがてすぐに彼らがアシアの覇権を失うと宣言した。」

ヤラベアムの後継者とアマジヤの後継者/p204

「ヤラベアムは栄耀栄華の生活を送り、四〇年間統治した後亡くなった。
埋葬はサマリアで行なわれた。王国を継いだのは息子ゼカリヤであった。」

シャルム、ゼカリヤを殺す/メナヘム、シャルムを殺す/p207~

「ヤラベアムの子ゼカリヤは、イスラエル人の王であったが、統治の六か月目に、友人の一人であるヤベシの子シャルムの奸計に落ちて殺された。」

ゼカリヤは、ユダ王国の邪悪な大祭司エホヤダの子ゼカリヤと同名である。
つまり大祭司側の人物であり、これが殺されて、売国奴エヒウの血が絶えたとしているが、そもそもエヒウの血はユダ王ヨアシが、イスラエル・ユダ共通の王となったところで絶えていたと想定される。

前774年、テュロス帝国の大王ピュグマリオーン=プマイヤトンが死ぬと、テュロスのシリア・パレスティナへの影響力が後退し、シリア・パレスティナは混乱に陥ったと想定される。

メナヘム、アッシリアの王に金を払う/p208

「このような仕方で王になったメナヘムは、アッシリア人の王プルが遠征して来たときに戦おうとせず、説得工作によって王に一〇〇〇タラントンの銀を与えて帰らせ、戦争を回避した。」

またもテュロスとアッシリアの代理戦争で、イスラエル王国は内乱の巷に。
アッシリアのバックによって王位についた。
プル=ティグラト・ピレセル三世である。

イスラエルの王ペカヒヤの在位とレマリヤの子ペカの奸計/p208

「彼は息子ペカヒヤを王位の継承者に残した。」

「千人隊長のレマリヤの子ペカが仕組んだ奸計に落ちてしんだからである。」

「このペカは二〇年間王位にあったが、不信仰な無法者であった。ペカの治世中アッシリア人の王テグラテピレセルがイスラエル人に戦争を仕かけ、全ギレアデとヨルダン川の向こうの地、それに隣接するガリラヤと呼ばれる地、ケデシ、ハゾル等を制圧して住民を捕虜にし、自分の王国へ引いて行った。」

ペカヒヤとペカ、簒奪合戦の末に、アッシリアによって征服。

ペカの死と後継者ホセア/p215~

「このころ、イスラエル人の王ペカが、友人の一人のホセアの仕組んだ陰謀の犠牲になって死んだ。」

「そして、アッシリア王シャルマネセルが、彼のもとに遠征して来てこれを破り、彼を服属させて一定額の貢納を課した。」

※ ユダ王国のアハズ王

ヨタムの後継者アハズの罪/p211

「王国は息子のアハズの手に渡ったが、・・・その偶像には、カナンの慣習にしたがって、わが子さえも焼き尽くす犠牲に捧げた。」

アハズ、アッシリアの王を同盟者とし、シリアとイスラエルを攻撃/p213

「さて、イスラエル人との戦争で敗北を喫したアハズ王は、アッシリア人の王テグラテピレセルのもとに使者を派遣し、同盟者になって、イスラエル人や、シリア人、ダマスコ人などを相手の戦争に協力してくれるように要請した。」

アハズの偶像崇拝/その死と後継者/p214

「今度はアッシリア人の神々に鞍替えして敬いはじめた。」

「息子のヒゼキヤがその後継者になった。」

ダマスコ王ハザエルによって王位に復帰したオムリ朝の末裔であるユダ王朝である。
ヨアシュが分身しているため、この時点で、北イスラエルの王朝は、オムリ王朝からピュグマリオーンの据えたヤロベアム2世の家系になり、ユダ王国がオムリの家系になった。
ともにテュロス帝国の傘下である。
北イスラエル、南ユダともに、バアルとアシェラを崇拝して、ユダヤ教の祭司を疎んじる「ライシテ」王室である。

アハズは、かつてエヒウがしたように、民族自決で、カナン人=パレスティナ人同志協力せず、ライバルのイスラエル王国をティグラト・ピレセル三世に売り渡した。
虎の威を借るキツネ、売国奴アハズである。

※ ヒゼキヤという「善王」と言う名の木偶捏造

ヒゼキヤ王、過ぎ越しの祭と種入れぬパンの祭を祝う/p218

ヒゼキヤの改革/p219~

「ソロモン王のときから中断されていた祭が、そのときはじめて盛大に挙行された。」「民が携えてくる十分の一税と他の果実の初穂が彼らに与えられるようにした」

ヒゼキヤ、ペリシテ人を打ち破る/p219~正しい情報を得ていた?!

「さて、王は前述の仕方でさまざまな改革を成し遂げると、ペリシテ人に戦争を仕かけて彼らのを打ち破り、ガザからガテにいたる敵の全都市を掌握した。」

「いっぽう、アッシリア人の王は、使者をよこし、彼の父がかつて治めていた貢を納めなければ、王国全体を制圧するぞ、と脅して来た。
しかし、ヒゼキヤはこうした恫喝には一顧だに与えなかった。
神への敬虔と預言者イザヤー王は預言者から起るべき事態について正しい情報を得ていたーを信頼していたからである。」

「この王について語りたいことは、今のところ以上である。」

①過ぎ越しの祭を捏造キャラのソロモン王以来再開した
ソロモンが捏造ならヒゼキヤも捏造

②ペリシテ人を打ち破りガザ他ペリシテのペンタポリスを占領した
強大なペリシテ人をアッシリア帝国の睥睨する下占領するほどの兵を動かせるわけもなく軍事力もない。
ヒゼキヤの在位は(前740-687年)とされる。
この時代のテュロス王は、10年在位のヒラム二世の時代から始まって、アッシリアに攻められて、キュプロスで客死したルリ(エルライオス)王の治世(前729-694)の時代である。ユダヤは攻めるに値しない財宝のないいなかの都市であったと思われるが、自分にアッシリアに備えないといけない時に、野盗戦争に打って出ることは考えられない。
『旧約聖書』の神が18万5000人のアッシリア兵を殺害したという記述も茶番である。

③アッシリアに反抗?
この時代に、エルサレムのような弱小都市が、アッシリア帝国に楯突くのはきちがい沙汰である。

④「ヒゼキヤの泉」?
古代アラム解読の鍵になったという「シロアム碑文」には「ヒゼキヤの名」は一言もない。

「シロアム碑文」

トンネル(が完成し)、反対側から来た石工たちが互いに叩きあい、斧と斧を打ちあわせた。そして
水は水源から池まで1200キュビットにわたって流れた。そして(100?)
キュビットが石工の頭の上の高さであった……(Wikipedia)

そして原文の文字を見れば、フェニキア文字である。ヘブル文字に発展する前のほとんどフェニキア文字そっくりである。
この時代のエルサレムの都市王が、フェニキア系であった証左である。

以上から、ヒゼキヤは祭司に都合のいい木偶として捏造されたものと想定される。

※ ガザの歴史(英語版Wikipedia)/ヒゼキヤのガザ征服はハスモン朝の投影

①青銅器時代
カナン人のテル・エ・サカンに築かれた古エジプトの要塞
エジプトとカナン人の境界であったと想定できる。

②ヒクソス時代(前1650年頃)
テル・エ・サカンに二度目の都市建設。

③トトメス三世(前15世紀)
都市アッザティ建設。エジプトのカナンの行政首都になる。

④ペリシテのペンタポリス
「前1200年のカタストロフ」からペリシテ人がペンタポリスを建設した一つになる。

⑤アッシリア帝国・ペルシア帝国で存続
アッシリア、ペルシア帝国下では貢納によって破壊されることなく独立存続

⑥アレクサンドロス占領
アレクサンドロスが5か月包囲して、前332年に占領。
これを、短期間でヘブル人がやってのけたなら歴史書に残っているはず。

⑦セレウコス1世が占領、セレウキアと改名

⑧プトレマイオス二世が掌握

⑨ハスモン朝による破壊(前96年)
ハスモン朝、事実上初めての「ユダヤ教原理主義者」国家が、野盗国家として、攻撃。二代目のアレクサンドロス・ヤンナイオスが、ガザを占領し、500人の民間人をアポロンの神殿にアズル請求で逃げ込んでいたごと虐殺した。
実は、このハスモン朝の蛮行が、ヒゼキヤの功績に投影されていると想定される。

⑩イドマヤ人アンティパトロスの再生
ハスモン朝の野蛮王ヤンナイオスとはちがい、総督になったイドマヤ人将軍アンティパトロスは、住民と友好して都市を再建した。

⑪ローマの統治下で繁栄
そのままローマの統治下となり繁栄した。

⑫ビザンティン・イスラーム時代も繁栄

⑬十字軍のテンプル騎士団の都市に

⑭マムルーク朝・オスマン朝で繁栄

⑮1993年パレスティナ国家政府の統治

⑯2008年、イスラエル軍、ガザへの攻撃
現在のイスラエルによるガザ侵攻は、架空の極悪人ヒゼキヤの後継か、実在の極悪人ハスモン朝のヤンナイオスの再来であろう。

第二章 サマリアの陥落とイスラエル王国の終焉

イスラエル王国の終焉/p221

「アッシリア人の王シャルマネセルは、・・・ホセア王を捕虜としてそこに引き立てた。そして、クタと呼ばれる土地からーペルシアには同名の川があるー他の民族を連れて来て、サマリアとイスラエル人の土地に定住させた。」

イスラエル王国の滅亡と、カナン人を移住、ペルシア人を入植させる。

※ テュロスのアッシリア支配の史料

古記録に見るアッシリア人の侵入について/p222~

「そしてついにアッシリア人の王が、戦争を仕かけるために、全シリアとフェニキアに侵入して来た。

ところで、この王の名はツロ人の古記録に記載されている。
エルライオス(この人物は、アッシリア側の史料で「ルリ」という名で登場する)がツロを治めていたとき、そこに進軍して来たからである。

※ルリ=エルライオス
つまり、エルはギリシア語に訳したときについてものであり、神を表わすエルではなかろうか。
ライオスとは、オイディプース王の父にして、一度、アナトリアに逃れ、迎え入れたらたテーバイ帝室の正統の王とされている。
フェニキア語で、ルリ=ライオスであるとすれば、実在のテュロス王が、ギリシア神話に投影されているともとれる。

このことは、『年代記』を著わしツロ人の古記録をギリシア語に翻訳したメナンドロスによっても証しされている。彼は次のように言っている。

メナンドロス OCDのp931、エフェソスのメナンドロス(生年未詳)

彼の治世中、アッシリア人の王セラムプサス(前出277のシャルマネセルを指す)が軍を率いて全フェニキアに侵入した。そして全都市と和平の協定を結び、その地から撤退した。

シドン、アルケー、旧ツロおよびその他多くの都市がツロ人に背き、アッシリア人の王に降伏した。そのときフェニキア人は王に四〇艘の船と八〇〇人の舵手を提供した。ツリ人は、一ニ艘の船で彼らに立ち向かい、敵の船団を散りぢりにして五〇〇人の男を捕虜にした。事実、そのためにツロでは、すべての品物の値段が高騰した。

しかし、アッシリア人の王は撤退するにあたり、川と導水管の所に守備兵を配置し、ツロ人が水を引くのを阻止した。そのために彼らは五年間水不足に耐えねばならず、掘った井戸から水を飲んでいた。

①戦争の規模が現実的
『旧約聖書』のように18万5000人のアッシリア兵を殺したなどとうそぶかない。
島の新テュロスが、大陸の旧テュロスをはじめ、全フェニキア人がアッシリア人に服従する中、海中から水を採取して、籠城に成功したことは驚嘆に値する。

サマリアのクタ人について/p224

「ところで、サマリアに移されたクタ人であるが、彼らはクタと呼ばれる土地から連れて来られたために、現在でもその名で呼ばれている。クタはペルシアにあり、そこには同名の川がある。各部族ー全部で五部族であったーがそれぞれの神をサマリアへ持ち込み、それぞれの慣習にそたがって神を拝した。そのために彼らはいと高き神の怒りと憤慨を買ってしまった。神が彼らに悪疫をもたらされたため、彼らの一部は滅んだ。」

「彼らはこの災禍になすべき術を知らず、いと高き神こそが自分たちに災禍からの救いをもたらしてくれる方であるから、この神を礼拝すべきことを神託から学んだ。」

「ヘブル人がクタ人と呼び、ギリシア人がサマリア人と呼んでいるこの者たちは、われわれと同じ慣習を現在も守って来ている。」

「彼らはユダヤ人が繁栄しているのを見れば、自分たちはヨセフの子孫であるから、われわれとは本来結びついている、とぬかしてわれわれを同族扱いするが、ひとたび困難な情況に置かれたわれわれを見ると態度を豹変させ、・・・自分たちは他民族の移住者だと宣言する。

実はこのペルシア系のサマリア人が、ペルシアの宗教を持込んで、「ユダヤ教原理主義者」が完成したと想定されるのだ。もちろん、ペルシア帝国から直接影響を受けたのが大であろうが。

第Ⅹ巻

第一章 ユダ王国史(その一)

※ ヒゼキヤのアッシリア撃退の茶番

ヒゼキヤ、アッシリアの王センナケリブに降伏/p229~

「アッシリア人の王セナケリブが、大軍隊を率いて来攻し、ユダ部族とベニヤミン部族のすべて町を攻略したのは、ニ部族の王ヒゼキヤの在位一四年目のことであった(列王記下一八13以下参照)。」

「セナケリブは軍を率いてエルサレムに進軍しようとしたが、ヒゼキヤは先んじて王のもとに使節を送り、降伏していかなる額の貢でも納める、と約束した。」

「王自身はエジプト人とエチオピア人に向かって軍を進める一方、エルサレム略奪のために、指揮官ラブシャケに大軍と他の二人の指揮官をつけて残した。この二人の指揮官の名はタルタンとラブサリスである。」

①アッシリア王センナケリブの来襲
実際は、王自身は大国エジプトを攻略に行き、部下の将軍ラブシャケをエルサレムへ差し向けた。
ヒゼキヤに投影されたユダ部族とベニヤミン部族の族長は、貢納を申し出て勘弁してもらおうとする。

アッシリア軍の指揮官、エルサレム人の降伏を要求/p230~

「彼ら指揮官はエルサレムに到着すると、城壁の前に幕舎を張り、ヒゼキヤのもとに使者を遣わして、話し合いに応ずるよう要求した。しかし、臆病風に吹かれたヒゼキヤは自ら出て行かず、腹心の三人の友人を送り出した。すなわち王国の摂政であるエリアキムとセブナ、および記録官のヨアである。」

「ラブシャケが得意のヘブル語を駆使してこう告げると、エリアキムは、城壁上の者たちがそれを聞いて大混乱に陥るのを恐れ、シリア語(ここでのシリア語はアラム語を指す)で話すよう要求した。」

「わたしはヘブル語で話す。それはおまえたち全員が大王の命令にしたがってわれわれに降伏し、おまえたちの益になる道を選ばせるためである。
おまえたちや王が、民を欺いてむなしい希望をもたせ、われわれに抵抗させるように仕向けているのは明らかなことだ。」

ヒゼキヤが民の命を無駄にして、自分だけを守ろうとする下衆野郎であることがわかる。

預言者イザヤ、アッシリアの敗北を預言/p232~

「すなわち、敵は戦わずして敗れ、みじめな姿で帰って行く。それは神が彼らの敗北を計画しておられるからである。そして、アッシリア人の王セナケリブのエジプト攻略は徒労に終わり、帰国の途中に剣で倒される、と。」

出たー、「ユダヤ教原理主義者」の「後出しじゃんけん」!

ヒゼキヤ、アッシリア王の挑戦を無視/p233~

「ヒゼキヤはその書簡を読んだが、神の信頼を得ていたのでそれを無視した。」

セナケリブ王、エジプト攻略に失敗/ヘーロドトスの記述とベーローソスの証言/p234~

「また、『カルデア史』を著わしたベーローソスも、セナケリブ王に言及しており、王がいかにしてアッシリア人を治め、どのようにして全アシアとエジプトに遠征したかを次のように述べている。すなわち(ヨセフスは以下でベーローソスからの文章を引用していたらしい。転写の過程で脱落したのであろう)・・・

ベロッソスの『カルデア史』の引用文には、「ユダヤ教原理主義者」に不都合な記述があったので意図的に削除された可能性がある。

アッシリアを見舞った悪疫/p235~

「さて、セナケリブはエジプトとの戦争を放棄してエルサレムに戻って来ると、指揮官ラブシャケ麾下の軍隊が疫病のために潰滅の危機に瀕しているのを見た(列王記下一九35参照)。神による性質の悪い悪疫が彼の軍隊を見舞ったからである。」

「そして包囲の第一夜にはすでに一八万五〇〇〇の兵士や、指揮官、下士官たちが滅んだのである。」

フェニキア随一のテュロス帝国の首都テュロスを包囲するのに、ジモティーの陸のテュロス人を使って「フェニキア人は王に四〇艘の船と八〇〇人の舵手を提供した」とあるように、800人と50艘を投入しただけだったのに、ケチなエルサレムを包囲するのに18万5000人を投入するわけがない。
こんな茶番はこっけいである。

セナケリブ、二人の息子に殺される/p235~

「王は、そこにしばらく滞在していたが、上の息子のアデランメレクとシャレゼルの変節に遭ってその生涯を終え、遺体はニスロクと呼ばれる彼の神殿に安置された。
二人の息子は、父親殺しのかどで市民によって国を追放され、アルメニアに逃れた。王国の継承者になったのは、エサルハドンであった。」

※ 「ユダヤ教原理主義者」の捏造善王ヨシヤ

ヨシヤの偶像破壊と神殿修復/p244~

ヨシヤ王、偽預言者たちの骨を焼き払う/p247~

「王はエルサレムでこれら一連の宗教改革を行なうと地方に出て行き、ヤラベアム王が外国の神々を敬うためにつくったすべてのものを破壊し尽くし、偽預言者たちの骨を祭壇ーこのような祭壇をつくったのはヤラベアムが最初の人物であるーの上で焼き払った。」

「かつて、ヤラベアムが犠牲を捧げていたとき、一人の預言者がやって来て、すべての民が聞いている中で、今ここで書き記したような改革を、ダビデ一族に属する者ーヨシヤであるーが実行する、と告げたことがあった。そしてこの預言は三六一年後にそのとおりになったのである。」

ヨシヤ王の死/p249~

ヨシヤはエジプト王ネコが、アッシリアを助けるために送った軍の通行妨害を使用と出撃して戦死している。

ネブカドネザル、ネコを打ち破る/エホヤキム、ネブカドネザルに貢納する/p252~

エレミヤ、エジプトとの同盟に反対し投獄される/p253~

エホヤキム殺される/エホヤキン、後継者とされる/有力者たち、バビロンへ拉致される/p255~

第二章 ユダ王国史(そのニ)ーバビロン捕囚とエレミヤの警告

※ ゼデキヤ王とエレミヤの関係性は?

ネブカドネザル、エホヤキンを包囲し、拉致/p256~

ネブカドネザル、ゼデキヤを王にする/p257~

ゼデキヤ、エジプトと同盟を結ぶ/p259~

エレミヤ投獄される/p260~

ネブカドネザル、再びエルサレムを包囲/p261~

ゼデキヤ王、エレミヤの身を自由にする/p262~

「ゼデキヤ王は、思いやりがあり正義感が強かったので、・・・その身を自由にしてやった。」

エレミヤ、ゼデキヤに都の明け渡しを勧告/p263~

第三章 エルサレム陥落とユダ王国の終焉

バビロニア人、エルサレムを一八か月包囲する/p267~

エルサレムの陥落/p268~

「都はついに陥落した。それはゼデキヤの治世の第一一年(前五八六年)の四月九日であった。」

「都を攻略したのは、ネブカデネザルに包囲の指揮を委ねられたバビロニア人の軍の指揮官たちであった。そのとき王地震はリブラの町(ハマテの南西約五〇マイル、オロンテス川上流の東岸にある現在のリブレー)に滞在していたのである。
エルサレムを陥落させた指揮官たちの名はーどうしてもその名を知りたいという方がおられるであろうー、ネルガル・シャレゼル、ラブマグ、サムギル・ネボ、サルヤキム、およびラブサリスである。」

ゼデキヤ、捕えられてバビロンに引かれる/p269~

「ネブカデネザルはまた、ゼデキヤが王国を自分から与えられるとーネブカデネザルは、エホヤキムから王国を取り上げてゼデキヤに与えていたー、それを与えてくれた恩人に敵対するためにその権力を行使した忘恩者である、とはげしく彼を罵った。」

「ネブカデネザルは、・・・彼の息子や友人たちを、ゼデキヤやその他の捕虜が見ている前で即刻処刑するように命じた。そして、ゼデキヤの両眼をえぐりとり、鎖につないでバビロンに引いて行った。」

エルサレムの都の破壊/神殿の炎上/p271~

「バビロニア人の王は、エルサレムの神殿を荒らすために指揮官ネブザラダンを派遣し、神殿と王宮を焼き払って都を破壊し、民をバビロニアに移して住まわせるように命じた。
それはゼデキヤの治世の第一一年、ネブカデネザルの治世では第一八年の五月の新月の日であった。」

三回目の捕囚/p272~

「バビロニア人の王の指揮官は、エルサレムを破壊して民を立ちのかせると、大祭司セラヤや、次席の祭司ゼパニヤ、三人の神殿警護長、兵士たちの世話を命じられていた宦官、ゼデキヤの友人七人と彼の書記、その他六〇人の役人などを捕虜にし、全員を略奪した什器類とともに、シリアの町のリブラに滞在中の王のもとに連れ去った。
王はその地で大祭司と役人たちの首を切り落とすように命じ、王自身はその他の捕虜のすべてとゼデキヤをバビロンに引いて行った。王はそのとき、既述のシリアの町リブラで殺した大祭司セラヤの子ヨザダクを鎖につないで連行した。」

①主犯の大祭司を処刑
②民は立ち退きで免除(ここが皆殺しの野蛮なヘブル人と違う)
③なぜかゼデキヤは捕囚、大祭司の息子ヨザダクは捕囚
これはご都合主義ではあるまいか。この大祭司の血筋を残してやる必要性はない。

大祭司のリスト/p272~

「そこで次に大祭司の名を列挙し、歴代の王のもとでだれが大祭司職を継承したかを語りたい。」

「ソロモンの建てた神殿の最初の大祭司になったのはザドクであった。そして、その地位を継いだのはその子アヒマアズであり、以下順次、アザリヤ、・・・・ヒルキヤの子アザリヤであり、最後は、バビロンに捕虜として引かれていったアザリヤの子ヨザダクである。いずれの場合も、息子が父親の大祭司職を継承した。

①大祭司と王がセットで統治した構造がわかる。
②アロンの末子の家系の末裔ソロモン時代のザドクの子孫が、継承し、その先端が、ゼデキヤ時代のセラヤ=アザリヤ?、その子のヨザダクは残されたとなっている。

ゼデキヤ、バビロンで死ぬ/p273~

「バビロンに凱旋した王は、死ぬまでゼデキヤを獄舎に入れておいた。彼が死ぬとその遺体を手厚く埋葬し、それが終わると、エルサレムの神殿から略奪した什器類を自分の信じている神々に奉納した。そしてエルサレムからの民はバビロニアの領地内に居住させ、大祭司の鎖はといてやった。」

ゲダリヤ、ユダヤの知事に任命される/p273~

「指揮官ネブザラダンは、ヘブル人の民を捕虜にした後、貧しい者や投降者たちをユダヤの国に残し、貴族出身の、アヒカムの子ゲダリヤを彼らの指導者にした。
彼は思いやりのある廉直な人物であった。指揮官は彼らに土地を耕作させ、定められた貢を王に供出させた。」

エレミヤ、バビロン行きを拒否/p274~

「指揮官は、預言者エレミヤを獄舎から出し、自分と一緒にバビロンに来るように盛んにすすめた。」
「エレミヤよ、わたしはおまえを十分世話するように王から命じられている。」
「エレミヤは地方のミヅパと呼ばれる町に留まることにした。」

親バビロニアの預言者エレミヤを、ネブカドネザルは尊重した。

逃亡者たち、ゲダリヤのもとに集る/p275~

「さて、この者たちがやって来ると、ゲダリヤは彼らに、土地を耕していればバビロニア人からは何の危害も受けないですむのだから、バビロニア人を恐れずにしばらくこの地方に留まるようにすすめ、何か厄介なことが起これば力になろうと約束した。」

ヨハナン、エレミヤとバルクを連れてエジプトに向かう/p279~

第四章 ダニエル物語

ネブカデネザルの宮廷でのダニエルと三人の若者たち/p283~

「バビロニア人の王ネブカデネザルは、ユダヤの若者のうち貴族の生まれの若者と、彼らの王ゼデキヤの縁者のうちで、精悍で容姿端麗な者を選び出し、家庭教師の手に委ねて世話をさせ、その一部の者を宦官にした。」

「王は自分が征服して捕虜にした他の民族の若者にも同じ措置を取っていた。王は自分の食卓から彼らに食べ物を与え、教育し、土地の者の言葉とカルデヤ人の言葉を教え込んだ。」

「彼らは王が修得を命じた知恵に通暁したが、その中にはゼデキヤ一族のすぐれた立派な資質の若者が四人いた。ダニエルと呼ばれる者、ハナニヤ、ミシャエル、そしてアザリヤである。」

「バビロニア人の王は、彼らの名を改め、異名を用いるように命じた。そこで、人びとはダニエルをベルテシャザル、ハナニヤをシャデラク、ミシャエルをメシャク、そしてアザリヤをアベデネゴと呼んだ。」

①ダニエルはゼデキヤの一族
ゼデキヤ王は、オムリ王の末裔である。つまり、ダニエルは、テュロス人とイスラエル人の混血血族ということである。

②ダニエルは宦官か
ユダヤ教では、宦官は不浄らしい。しかし、情況はダニエルを宦官と言っている。

ネブカデネザルの見た夢/p286~

神、ダニエルに夢の解き明かしを教える/p287~

ダニエル、ネブカデネザルの夢を解き明かす/p288~

※ ベロッソス『カルデヤ史』のネブカドネザル

ネブカデネザルの死/ベーローソスの証言/p293~

「ネブカデネザルの事績は、ベーローソスの『カルデヤ史』第三巻でふれられている。
ベーローソスは次のように言う。」

ベロッソスの引用
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「彼の父ナボパラサロスは、エジプト、およびコイレ・シリアとフェニキアの周辺地域の総督にした男が自分に背いたことを聞き及んだとき、自らはもはや戦争の労苦に耐えることができなかったので、まだ血気盛んな息子のネブカデネザルに託し、軍の一部をその総督に立ち向かわせるために送り出した。」

「ネブカデネザルは、この謀反人と一戦を交え、堂々と彼を打ち破って勝利者となり、彼の配下にあった土地を自分の王国のものにした。」

「そして、そのころ、彼の父親のナボパラサロスがバビロニア人の町で病に倒れ、ニ一年(前六ニ五-六〇五年)の統治の後、亡くなった。」

「ほどなくして父親の訃報を知ったネブカデネザルは、エジプトやその他の地方の事件に決着をつけると、友人たちの一部に次のことを命じた。」

「すなわち、大軍を率い、戦利品を携えて、ユダヤや、フェニキア人、シリア人、エジプト国籍の者などの捕虜をバビロニアに連れて行くことである。」

「彼は父親の残した帝国全土の主人になると、自分のもとにやって来た捕虜に居住地としてバビロニア内の最適地を割り当てるように命じた。」

「彼はベーロスの神殿やその他の戦利品で壮大に飾り、旧市街を再建し、新市街のように堅固なものにすると、将来包囲する者たちが流れを変えて川を町に導いたりしないように、市街の内外をいずれも三条の塁壁ー内側は焼きレンガとアスファルト、外側は素焼きレンガ-で取り囲んだ。」
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※ バビロニア王朝史の史実とのちがい

エビルメロダク、ネブカデネザルの継承者となり、エルサレムの王エホヤキンを釈放/p295~

「ネブカデネザルが死んで、王国を引き継いだ彼の息子エビルメロダクは、即刻、エルサレムの王であるエホヤキンの鎖をといて腹心の友人の一人に加え、たくさんの贈り物をして、バビロニアの王たちよりも高い位を与えた。」

「それは既述のように、エホヤキンの生地が包囲されたとき、彼はそこが攻め落とされて蹂躙されないように、すすんで妻子や全親族とともに降伏したが、エビルメロダクの父が彼を信用しなかったために不当な扱いを受けていたからである。」

ヘブル人は皆殺しをしておきながら、バビロニア人の正義を期待するなどずいぶん虫のいい話である。バビロニア人は十分人道的である。

エビルメロダク死後の王権の行方/p296~

「ついで、それはバビロニア人の間でナボアンデロスと呼ばれたベルシャザルの手に移った。」

別系統とはしているが、ナボニドゥスとベルシャザルを混同している。

ベルシャザル、宴席で幻影を見る/マギら、その解き明かしに失敗/p296~

「ペルシア人の王クロスとメディア人の王ダリヨスが戦争を仕かけたのは、この王ベルシャザルにたいしてである(ダニエル書五1以下)」

「ベルシャザルがバビロンで包囲されていたとき、不思議な幻影が現われた。それは王室の接待のためにつくられた大宴会場で、そばめや友人多数とともに食卓に臥して飲み食いしていたときである。
王はふとその気になって、ネブカデネザルが戦利品としてエルサレムから持ち帰り、自らは使用せずに自分の神殿内に安置しておいた神への奉仕に用いる什器を運び出すよう命じた。そればかりか、王はさらに大胆になって、その什器を使用したのである。」

「そして、王がそれで酒を飲み、神を冒瀆する言葉を吐くと、突然、人の手が壁から現われて別の壁に文字らしきものを書くのを見た。
王はこの幻影に動揺し、書かれた文字の意味を明らかにさせるため、マギや、カルデヤ人、およびバビロニア人の中にいて、徴や夢を解き明かせるこの種の職業集団に属する者を全員召集した。」

「この結果にすっかり気落ちしている王を見た王の祖母は、次のように言って王を慰めようとした。」

ダニエル、ベルシャザルの幻影の意味を明かす/p298~

「マネーという文字は、ギリシア語で数を意味します。すなわち、神はすでにあなたの余生と残りの統治の帰還を数えておられますが、それはまだしばらく残されております。
テケルは、はかりのことです。神はあなたの王国の時間を量り、すでにそれが傾いていることを明らかにしております。
ファレスは、ギリシア語で分裂を意味します。したがって、神は将来あなたの王国を裂き、それをメディア人とペルシア人に与えます。」

言語がギリシア語であることは、「後出しじゃんけん」の証拠である。

ベルシャザル、ダニエルに数かずの贈り物をする/p300~

「しかし、それにもかかわらず、王は、ダニエルが自分の災禍を預言したことを理由に約束の贈り物を与えないようなことはせず、そのすべてを与えた。」

ベルシャザル王は、暴君ではなく、非常に徳が高い。これを普通に出来る人は少ないだろう。バビロン捕囚に関わらず、ユダヤ人が、バビロンで、たいへんな好待遇を受けていたからであろう。
ユダ王国の王族は、オムリ王朝なので、ヘブル人ではなく、テュロス人であり、それゆえに、バビロニア王ベルシャザルは、同族として遇したのである。ダニエルの名前がそもそもダン族で、テーバイ帝室系を意味する。

※ ペルシアのダリウスによって原理主義的なペルシアの二元論宗教が導入

ダリヨス、バビロン帝国を滅ぼす/p301~

「親族のクロスとともにバビロニア人の帝国を崩壊させたのはダリヨスであるが、彼がバビロンを攻め落したのは六ニ歳のときであった。」

まず、バビロニアを滅ぼしたのは、メディア人のキュロス二世であり、ダリウスは、キュロスの息子カンビュセスのメディア王家から、王国を簒奪したペルシア人である。キュロスはメディア人・ペルシア人のハーフであったが、カンビュセスはメディアの王女の子であり、ほとんどメディア人である。

「ダリヨスはダニエルをメディアにある自分の王宮に連れて行き、彼にあらゆる名誉を与えて自分の傍らに置いた。」

ダニエルは、ネブカドネザル二世が壮年のころ、若者であったとして、王は前562年に亡くなったとされている。新バビロニア王国滅亡が前539年。
ネブカドネザル(~前562年)
ナボニドゥス(前555年~539年)。15年ほどの在位。
ベルシャザルは息子で、バビロン総督。
ネブカドネザルの息子という記述は、彼がネブカドネザルの娘ニトクリスの息子で、ネブカドネザルの孫だったからだろう。
ダニエルが、50歳くらいにはなるだろう。カンビュセスが死んだのが、前522年。ダニエル70歳とする。しかし、ダニエルは架空の人物で、しかもバビロニア・シンパでの人物の投影であろうと推定される。
要は、ヘブル人の預言者の「ダニエル」を、ペルシア帝国の簒奪者ダレイオスの近侍とすることで、「善悪二元論的ゾロアスター教」の影響を受けて「ユダヤ教原理主義者」が誕生したため、このダレイオス三世と「ユダヤ教原理主義者」のラビどもがずぶずぶの関係であったことがわかる。

ダレイオスが、原理主義的ユダヤ教の神を唯一の神と宣言!

ダリヨス、ダニエルに高い名誉を与える/p304~

「ダリヨス王は、ダニエルに陰謀を企てた連中が滅びると、全地に詔を送りダニエルの拝する神を讃美し、その神だけが真実にして全能の神であると宣言した。」

ペルシアの宗教が、事実上の原理主義的一神教の土台であることを思えば、逆であろう。ペルシアの宗教と出会って、「ユダヤ教原理主義」が誕生したのである。

つまり、ダレイオスは、伝統的に「友愛的汎神論」で「ライシテ」であったパレスティナに、
「独善的一神教」をおしつけたのである!
「前一二〇〇年のカタストロフ」以来、ダレイオスに支配されるまで、パレスティナは、
アッシリア帝国とテュロス帝国の間にあって、友愛的汎神論=寛容な多神教を信じてきたが、
ダレイオスがメディア王国(とあえてよぼう)を簒奪した前522年こそ、「ユダヤ独善的一神教」のバースデイトである!
この後世界を支配するユダヤ教・カトリック教・イスラームの独善的一神教は、前六世紀、前522年に誕生したのである。
ムー大陸よりこの方、悠久に続いてきた多神教の歴史が、その前には横たわる。
少なくとも、大洪水以後を算定にいれると、前10000年~前522年までの9500年の間、人類は、多神教を信じてきた。敵は敵であり、悪ではなかった。前522年から現在の2025年まで、2500年は、敵=悪であり、異端に死刑を宣告するような邪見が勢力を張っていた。その間、「広義のフェニキア人」は、それと戦い「友愛的汎神論」を復旧させようと奮闘してきた。もう、いいかげん進化が必要な時期であろう。


第Ⅺ巻

第一章 バビロン捕囚からの帰還と神殿再建

※ ペルシア帝国との関係

クロス王、バビロン捕囚を終わらせる/p313

クロス王、預言者イザヤの書を読み、ユダヤ人たちに祖国への帰還と神殿再建を許す/p314

キュロスが、イザヤの書を読んで、バビロン捕囚を終わらせたなどこじつけはなはだしい。

※ サマリア人との関係、カンビュセス悪者扱い

サマリア人、神殿建設の取りやめを要求/p317

サマリアの住民、カムビセス王に書簡を送り直訴する/p318~

ユダヤ教原理主義者のラビたちは、簒奪者ダレイオスと同じ穴の貉だから、正当なペルシア王カンビュセスが悪者になる。
ヘーロドトスにありもしない「カンビュセスのアピス虐殺事件」をでっちあげて伝えたのも、アテーナー一神教のエジプト人かなどであろう。

※ エズラとクセルクセス王、原理主義者エズラ

クセルクセスと友人のエズラ/p342~

エズラ、同胞たちの雑婚を知る/p347

「さて、それからしばらくすると、人びとがエズラのもとにやって来て、一般の人や、レビ人、祭司などの一部の者がモーセの統治原理を足蹴にし、父祖伝来の律法を破っていると訴え出た。彼らは異邦の女と結婚したり、祭司族に異民族の血を混ぜたりしていたのである。」

異邦の女たちの追放/p348~

「この提案は承認され、・・・その結果、大祭司エシュアの子孫や、祭司、レビ人、イスラエル人などの多くの者は、妻子への愛情よりも律法を重んじ、即刻、妻子たちを追い出し、・・・

エズラが異民族との雑婚という悪しき慣習を潔めた結果、それ以後は異邦の女と交わらぬという慣習が続いているのである。」

エズラ以来「ユダヤ教原理主義者」の民族主義が重要視された。それまでは、ほぼカナン人と雑婚していたと見ていい。
王族、上流階級は、フェニキア人、貧民は、ヘブル人である。

第二章 エステル物語

アルタクセルクセスの招宴/p359

ユダヤ人孤児エステルとおじのモルデカイ/p362~

「おじはベニヤミン部族の者で、ユダヤ人の指導者の一人であった。」

アルタクセルクセス、エステルを正妻にする/p363~

アルタクセルクセスではなく、クセルクセス1世を投影しているとされる。
クセルクセス1世の正妻は、アメストリスであり、偽スメルディス殺害の7人の貴族の一人オタネスの娘である。残虐な王妃として、ヘーロドトスに弾劾されている。

王の腹心ハマン、モルデカイとユダヤ人を憎む/p365

「アマレク種族の子孫であるハンメダタの子ハマンが王に伺候したときは、いつも外国人やペルシア人が彼に跪いた。」

悪役ハマンは、アマレク人を投影している。アマレク人とは、エサウの子孫として神が絶滅させるように命じたヘブル人の敵キャラの一民族。

エステル、ハマンを王に告発/p378~

ハマン、十字架に架けられる/p380~

ユダヤ人、敵を次つぎに襲撃して復讐する/p385~

「王の書簡が王の統治下の全州に到達すると同時に、スサのユダヤ人はその敵およそ五〇〇人を殺した。

エステルにさらに望みがあるかと尋ね、あればかなえると言った。すると王妃は、まだ一掃されずに残っている敵にユダヤ人が次の日も同じような仕打ちができるように、またハマンの一〇人の子を十字架に架けさせてくれるように願った。

また、諸州およびその他の都においても、ユダヤ人によって七万五〇〇〇の敵が殺された。
この殺戮が行われたのはその月の一三日であり、ユダヤ人は翌日を祝祭日にした。」

エステル物語は、シンデレラの醜いルサンチマンの心が生んだ妄想

エステルは、娼婦にして大虐殺者で、へどの出る下衆野郎である。
これが事実なら、アルタクセルクセスは希代の暴君・女におぼれて7万もの人びとを虐殺する暗君であり、エステルは、アルタクセルクセスを地獄に落したことになるだろう。もちろん自らも、七万回の死刑をカルマとして負ったであろう。

しかし、安心してよい。これは不遇なシンデレラの汚い復讐心から生まれた白昼夢である。ニーチェのいうとおりである。ルサンチマンの空想の産物でしかない。

実際の勝者は、ハマンの民族であるアマレク人である。これはヘブル人の不倶戴天の敵エドム人=イドマヤ人で、マケドニア人ともいわれるように、ギリシアの北部のテッサリアやマケドニアから「前一二〇〇年のカタストロフ」の時期に移住して来たインド・ヨーロッパ語族のコーカソイドで、容姿の美しさからサウル王が命を助けようとした王もアマレク人である。

歴史は、ペルシア支配の後、まさにギリシア人の支配となり、ギリシア系エドム人のヘロデの王朝が、ヘブル人の「ユダヤ教原理主義者」のハスモン王朝を簒奪して台頭し、カエサルなどのローマ人の支援を得て、ユダヤの領域を支配する。エルサレムをりっぱな都市に再建し、神殿をりっぱに再建したのもヘロデ大王である。

エステルとモルデカイの正体!

モルデカイ、エステル、ハマンなども架空の人物である。
なんどモルデカイはバビロニア人の主神マルドゥクから、エステルはテュロス人の女神アシュタルテ=イシュタルからとられているのである。

ペルシア人が崇めた神は、ヘブル人の神ではなく、バビロニア人の神、いわばカルデア人のマギの神ということになる。
バビロニアの神が、エジプトの神ハマン=アンモン=アメンに打ち勝ったという話として解明されてしまうのだ。

目次

はじめに

アレクサンドリアにおける聖書の翻訳ー七十人訳聖書成立の伝承

エジプトとシリアのはざまで

マッカバイオス戦争(その一)ーアサモナイオス一族の反乱とユダスの死

ⅩⅢ

マッカバイオス戦争(そのニ)

ユダヤ独立とアサモナイオス朝(その一)ーシモンの支配(前144-136年)

アサモナイオス朝(そのニ)ーヒュルカノス一世の支配(前136-105年)

アサモナイオス朝(その三)ーアリストブロスの支配(前105-104年)

アサモナイオス朝(その四)ーアレクサンドロス・ヤンナイオスの支配(前104-78年)

アサモナイオス朝(その五)ーサロメ・アレクサンドラの支配(前78-69年)

ⅩⅣ

アリストブロス二世による統治(前67-63年)

ヒュルカノス二世による統治(前63-40年)

アンティゴノス二世による統治(前40-37年)

ソッシオスとヘロデによるエルサレム包囲と占領ーアサモナイオス朝の終焉

Ⅻ はじめに

※ プトレマイオスによるエルサレム占領(前300年頃)

ユダヤ人のエジプトのコミュニティの始まり(前300年ごろ)

「ところでプトレマイオスのエルサレム占領は、はなはだ狡猾な、詐欺的手法によるものだった。
 まず彼は、安息日に、神殿で犠牲を捧げるかのように装って、市中に入り込んだ。」/p14

「この話の真実性は、アレクサンドロスの後継者たちの事績を書き記したクニドスのアガタルキデース(前二世紀ごろのクニドス出身の古典学者。)が証言している。もっとも彼はわたしたちを、迷信ゆえに自由を失った、と非難してのことであるが。」/p14

「さて、プトレマイオスは、ユダヤの丘陵地帯、エルサレムの周辺、サマリアおよびゲリジム山地方の処々から多数の捕虜を得、それらすべてをエジプトに送りそこに定着させた。」/p15

※ エルサレム人とサマリア人のエジプト移住/p14-16

「ところが、プトレマイオスは、エルサレムの人びとがダリウスを破った後に派遣されたアレクサンドロスの使者への返答を今もって墨守しているのを見て、彼らが、誓いを守り信頼に応えることにかけてはもっとも確かな者たちであることを知り、多数のエルサレム人を守備兵に起用した。」

「またアレクサンドリアでは、マケドニア人と同等の市民権を与えると同時に、信頼を与えた自分の子孫たちにたいしても将来その信頼に応えるよう彼らに誓わせた。」

「また、すくなからざる他のユダヤ人たちもエルサレムから自らの意志でエジプトにやって来た。彼らは、その国の長所やプトレマイオスの寛容さにひかれたのである」

※ エジプトでのエルサレム人とサマリア人のお布施争奪戦/p16

「ところで、彼らの子孫は、父祖伝来の生き方や慣習をあくまで守りぬく決意を固めていたので、サマリア人としばしばトラブルを起こした。
すなわち、エルサレムから来た者は、自分たちのエルサレムの神殿こそは唯一の聖なる場所であると主張し、犠牲はそこに送らねばならぬと要求したのにたいし、一方のシケム人は、ゲリジム山(この山上にはサマリア人の神殿があった)に送ることを強く望んだため争ったのである。

正当な神殿は?

エルサレム人:エルサレムだけが神殿建設OK
サマリア人 :ゲリシム山のサマリア人の神殿が総本山。他の都市の神殿もみとめる。

サマリア人とは?

①ヨシュアに投影されたエフライム部族のシケム=シェケムの聖所
これは、ヨシュアの時代にエフライム部族に投影される人びとが建てた聖所、それがゲリシム山である。麓にはシケム(シェケム)の町がある。

実は、ヨシュアの率いるヘブル人が入植する以前から、シェケムの町とゲリシム山の聖所は存在していた可能性がある。もとは、カナン人の聖所だったのだろう。
エフライム部族に投影されている人々、その代表はーサウル王であるーは、インド・ヨーロッパ語系のコーカソイドの子孫の可能性が高い。

②北イスラエル王国の首都として、オムリ朝のオムリが遷都し、宗主国テュロスから王女イゼベルを迎え、息子アハブと共同統治した可能性が高い。
つまりイスラエル王国の首都として栄えた。

③アッシリアの占領下、異国人を植民
ヨセフスは、クタ人(ペルシアとメディア)だけをサマリア人の先祖に挙げているが、はなはだ偏っていると思われる。クタ人=クテ人はその一部であり、アッシリア人が入植させたのだから、バビロン人、ハマテ人(シリア人)、セファルワイム人も入植した。
セファルワイムは、アッシリアの都市で、「二つのシッパル」という名前の二重都市であった。古くは、アッカドのサルゴン1世のシッパル市(東岸)に由来し、サルゴン1世はここに図書館を建てた。太陽神で法の神シャマシュの都市である。アドラメレク神(壮大な王)アナメレク神(アヌは王なりと言う名の月神)が祀られ、サマリア人となって入植時に導入されたようである。
天神アン=アヌは、月神シンに吸収されていったようであるから、メソポタミア人の月神信者とこの年が二重都市であるように太陽神シャマシュに由来する神々であろうと想定できる。
つまり、カナン人の寛容な信仰と、ヘブル人のヤハウェ信仰をミックスさせたと想定される。

サマリア人は、ユダヤ人以外でユダヤ教を信じる民族として発展していき、イエスの時代の新約聖書にも重要な役割を果すので、正確に、その来歴を把握しておく必要があろう。

第1章 アレクサンドリアにおける聖書の翻訳ー七十人訳聖書成立の伝承

※ プトレマイオス二世の律法翻訳、ファレロンのデメトリオスの勧告で

プトレマイオス・フィラデルフォス、ユダヤ人の律法の翻訳をのぞむ/p17~18

「アレクサンドロスの統治は一二年で終わり、後継者プトレマイオス・ソテルは四一年にわたって支配をつづけた。ついでフィラデルフォス(プトレマイオス二世フィラデルフォオス、前308-246)が、エジプトの王位に就き、三九年間その地位にあった。」

「彼は、ユダヤ人の律法を翻訳させ、またエジプトで奴隷とされていた約一二万のエルサレム人を解放したが、それには次のような理由があった。」

「当時王の図書館を管理していたファレロン人デメトリオスは、全世界の図書を収集しようと躍起になっており、研究に値する図書を見たり聞いたりすれば、必ず購入していた。」

「デメトリオスは、現在手もとにあるものは約二〇万冊ですが、間もなく五〇万冊位にはなるでしょう、と答え、次のように付け加えた。」

「情報によりますと、ユダヤ人は、彼らの律法に関する多くの書をもっており、それは研究に値し、王の図書館に備えつけるにふさわしいものと思えますが、文字や言葉が彼らの言語で書かれているため、ギリシア五に翻訳するには相当な困難がともないます。と申しますのは、彼らの文字は、特殊のシリア文字(アラム語)に似ており、またその発音もシリア文字のそれに似ているように思われますが、しかし実際には、全く独特なものだからです。」

「このようなわけで王は、・・・ユダヤ人の大祭司に書簡を送って、自分の希望の実現に力を貸してくれるように依頼した。」

パレロンのデメトリオスは、もとはアテーナイのパレロン港に生まれた。父は、アテーナイ国粋主義の将軍コノンの奴隷であった。スパルタ側のフェニキア系だった可能性は濃厚。カッサンドロスによって、生国アテーナイの独裁者に付けられ、経済的に善政を布いた。攻城者デメトリオスが、アテーナイを民主化解放すると、テーバイに亡命したのは、フェニキア系であったからではあるまいか。その後、エジプトへ移住してプトレマイオス家に使え、アレクサンドリア大図書館の館長として文化的に大きな功績を残す。

※ フェニキア人、シリア人、ユダヤ人奴隷の解放の実情

アリスタイオス、王にユダヤ人捕虜の釈放を請願/p19~20

「王のもっとも親しい友人の一人で、慎重な言行ゆえに王から敬意を払われていたアリスタイオス(ヨセフスは、アリステアスをアリスタイオスと呼ぶ)という人物がいた。彼はかねがね、王国全土のユダヤ人捕虜の釈放を王に請願しようと考えていたが、そのためには今が絶好の機会であると判断した。」

「まず王の護衛隊長のタラス人ソシビオス(プトレマイオス二世フィラデルフォスの治世下のアレクサンドリアでソシビオスなる人物で知られているのは、スパルタからアレクサンドリアへ来た歴史家のソシビオスのみである)と、アンドレアス(プトレマイオス四世の侍医で、薬物類について著作した人物にアンドレアスがいる)に話し、王への請願に力を貸してほしいと頼んだ。」

この「ユダヤ人」の奴隷解放に尽力したアリステオスは不明である。
ヨセフスは、アリステオスの名を、カドモス家の婿で文化英雄のアリスタイオスの名と取り違えているようである。

しかし、彼にユダヤ人に伝わる文書についての情報を与えたと思われる人物が、その裏に存在したようである。

①タラス人ソシビオスとは?
その一人が、「タラス人ソシビオス(プトレマイオス二世フィラデルフォスの治世下のアレクサンドリアでソシビオスなる人物で知られているのは、スパルタからアレクサンドリアへ来た歴史家のソシビオスのみである)」と紹介されている「タラス人ソシビオス」である。
ヨセフスは、「護衛隊長」と言っているので、プトレマイオス四世時期の有名な「奸臣ソシビオス」と取り違えているようである。
このプトレマイオス二世時代のソシビオスは、訳注のように、タラス人=タレントゥム人であるようだ。スパルタ人でアレキサンドリアに来て歴史家をしていたソシビオスは、スパルタの植民都市タラス市=タレントゥム市に移住した可能性はある。先祖は、テーバイ帝室系ギリシア人、つまりセム語を話すギリシア人だった可能性が高く、セム語に通じていたことは想定できる。
つまりフェニキア系ギリシア人であったのだろう。
②アンドレアス
これもまた(プトレマイオス四世の侍医で、薬物類について著作した人物にアンドレアスがいる)とあるように、ヨセフスは、プトレマイオス四世時代の有名な侍医の名を借用した可能性がある。
つまり、薬学に通じた侍医もフェニキア系の可能性が高く、
ソシビオスやアンドレアスなどのプトレマイオス四世時代の重臣は、知識の高いフェニキア系が活躍していた可能性が高いのだ。

この時奴隷解放されているのは、シリア人、フェニキア人、ユダヤ人などセム語系のシリア・パレスティナからの奴隷である。
この奴隷解放に、フェニキア系の重臣が関わっていた可能性が高いということが想定される。

プトレマイオス王の法令/p20~

「予の父の軍隊にあってシリアおよびフェニキアに侵入しまたユダヤを征服した兵士に捕えられて、予の王国内の町や地方に連れて来られて売られて奴隷となった者全員、・・・の所有者は、一人につき一ニどらくめーの身代金を得て、その奴隷を釈放せよ。・・・」

シリア、フェニキア、ユダヤ全域からの奴隷解放であることに注意を要する。
プトレマイオス二世の重臣のフェニキア系による同胞の奴隷解放であったことが想定される。

※ 70人訳聖書の翻訳の経緯

デメトリオスより王への覚え書/p23~

「デメトリオスより大王へ。
そして現在、ユダヤ人の律法の諸書が、他の書籍とともに未収集で残っております。その理由は、それらが、ヘブル文字で書かれておりまたその民族特有の発音で読まれているためわたしたちには理解しがたいものだからであります。」

「なお、アブデラのヘカタイオス(アレクサンドロス王およびプトレマイオス一世治下の人。プトレマイオス一世治下の歴史を扱った『エジプト史』は、エジプトこそが文明の源泉であるという理論を一般化した)の語るところによりますと、これまで詩人や歴史家が、この律法について何ひとつ言及しなかったのは、あるいはまた、この律法にしたがって生活している人たちについても全く触れなかったのはこの神聖な律法がいたずらに俗人の口端にかかってあばかれるのを畏れたからだ、とされております。」

「この際王は、ユダヤ人の大祭司に書簡を送られ、律法にもっとも精通している長老たちを、各部族からそれぞれ六名ずつ派遣するよう要請されることを希望いたします。」

①『旧約聖書』はこれまでヘブル語で伝承されてきた。

②アブデラのヘカタイオス『エジプト史』
バナール氏の理論のように、プトレマイオスにおもねって、エジプトを文明の源泉としている。
メソポタミア起源説VSエジプト起源説がある。

七〇名の長老たちの派遣/p29

「なお書簡の末尾に記されている、エレアザロスのもとに派遣されて律法の書を持参した七〇名(各部族から、すなわち一ニ部族からそれぞれ六人の長老が派遣されたわけであるから、その総計は七ニとなるはずである)の長老の名は、不必要と思われるのでここでは省略する。」

各部族6人ということは、6の倍数でなければならないのに70人は不思議である。
そもそも12部族があやしい。10支族は北イスラエルとともに離散したはずである。その10支族は、フェニキア人=カナン人だった可能性もある。
ユダ部族の中の各部族と解すべきだろう。

アレキサンドリアにおける長老たちの受入れ/p35~

「二人の使者と七〇人の長老たちがアレキサンドリアに到着したのを聞いたプトレマイオスは、即刻使いを出し、アンドレアスとアリスタイオスの二人を迎えた。」

二人の使者がアンドレアスとアリスタイオスであるから、この二人はユダヤ系ギリシア人で、どこかの部族の長老であったともとれる。

律法の翻訳/p38~

「律法の転写がすすみ、翻訳の仕事は七ニ日で終わった。」

第2章 エジプトとシリアのはざまで

ヨセポスの子ヒュルカノス伝説/p60

ヒュルカノスの末路/p70~

「さて、セレウコスが死ぬと(前一七五年)彼の兄弟でエピファネスと呼ばれたアンティオコスが王位についた。」

「ユダヤ教原理主義者」の汚い英雄ヒュルカノスの自殺。
アンティオコス・エピファネス登場(前175年即位)

第3章 マッカバイオス戦争(その一)ーアサモナイオス一族の反乱とユダスの死

※ アンティオコス四世エピファネス登場

①ユダヤ教の禁止と割礼の禁止

第一回のエルサレム占領/p75~

「さて、アンティオコスは、ローマ人を恐れたため、エジプトから引き返すと、エルサレム人の都に向かって進んだ。そしてセレウコス暦の第一四三年(前171-170年)、彼はそこへ入城したが、町の門は、彼の一味によって、あらかじめ開かれていたので、彼は戦うことなく全市を占領した。」

第二回のエルサレム占領とユダヤ教の禁止/p76~

「それから二年後、・・・

さらに王は、ユダヤ人が律法にしたがって神への日々の犠牲を捧げることを禁じ、全市を略奪した後で、市民のある者は殺し、ある者は妻子ともども捕虜として連れ去ったが、捕えられた者の数は一万にも達した。」

「さらに王は、ユダヤ人にたいし、ユダヤ人の神を礼拝するのをやめ、王自身が信仰している神々を崇拝するように強制し、各市や村に聖所を建設させ、そこに日々の犠牲として豚を捧げる祭壇をもうけるように命令した。」

「加えて王は、ユダヤ人が子供に割礼を施すことを禁止し、もしこの命令に違反したものは、発見しだい処罰すると脅迫したうえ、ユダヤ人にその命令を強制する監督官まで任命した。」

②サマリア人、離反

ゼウス・ヘレニオスに捧げられたサマリア人の神殿/p78~

「ところで、ユダヤ人がこのような不幸に見舞われて苦しんでいるのを見ると、サマリア人は、もはや彼らが自分たちと同族関係にあることや、ゲリジムにある神殿がいと高き神の聖所であることなどを認めようとはせず、すでに述べたとおり、彼ら本来の性質にふさわしい行動をとるようになった。」

「王アンティオコス・テオス・エピファネス宛のシケムに住むシドン人からの覚え書。
われわれの先祖は、・・・ある種の古い迷信にしたがって、ユダヤ人がシャバットと呼ぶ安息日を守ることを習慣としました。また彼らは、ゲリジムと呼ぶ山の上に、無名の神殿をつくり、そこに彼らが適当と信ずる犠牲を捧げてきました。
 しかし、われわれは、元来がシドン人であり、そのことは、われわれの公的な史料によっても明白であります。
 われわれは、彼らユダヤ人とは、人種も習慣も異にするものであり、またかつての無名の神殿も今やゼウス・ヘレニオスという名によって知られているのであります。」

①サマリア人=シドン人?
ヨセフスは、メディアやペルシアから来た「野蛮人」と主張するが、彼らサマリア人の自称は、「シドン人」であり、「文明人」である。
バビロン、ハマト、メソポタミアのシッパルから移住してきているので、これは納得だ。シドン人=フェニキア人=カナン人である。

シェケムを首都とするエフライムの地にもともといたのはカナン人で、変わらずカナン人の居住地で、さらに同族のバビロン人などが移住したなら、もっともな話でる。ヤハウェ信仰でも、「ユダヤ教原理主義者」ではない。

②サマリア=シュメルかもしれない。

※ ハスモン朝の原点は、ヘシュモン村出身のマタティア

マッティアスとその息子たち/p81~

「また同じころ、ユダヤのモダイス(エルサレムの西方約17マイル。現在のラス・メディエー(エル・メディエー))村に、マティアスという人が住んでいた。彼は、アサモナイオスの子、シモンの子、ヨアンネスの子であって、ヨヤリブの祭司組に属する祭司であり、故郷はエルサレムであった。」

「彼には五人の息子があった。すなわち、ガッデス(未詳)と呼ばれたヨアンネス、タティスと呼ばれたシモン、マッカバイオスと呼ばれたユダ、アウランと呼ばれたエレアザロス、およびアッフスと呼ばれたヨナテスである。」

①モダイス=モディン出身
発音から、彼らこそメディア人出身ではあるまいか。

②アサモナイオス朝=ハスモン朝
ヨセフスがギリシア風にアサモナイオスと呼んだことから。ヘシュモン村と関係があるようだ。

マッティアスの抵抗とその成功/p82~

「彼が話し終えたとき、一人のユダヤ人が進み出て、人びとの中央で、アンティオコスの命令どおりに犠牲を捧げた。これを見たマッティアスは、怒りに燃え、幅広の短剣をもった息子たちとともにその男に襲いかかってこれを切り捨てると、彼に犠牲を強要した王の将軍アペレスを、彼の連れてきた少数の兵士ともども殺してしまった。
 そして彼は、異教の祭壇を覆すと、大声で叫んだ。
「祖国の習慣を守る熱意をもち、神の礼拝を守ることに熱心な者は、わたしの後にしたがえ」と。
 彼はこう言い終えると、全財産を村に残したまま、息子たちとともに荒野へ入っていった。」

ハスモン朝のマタティア=マッティアスの反乱。
野盗として荒野に住む。

※ ユダス・マッカバイオスの後継とアンティオコス・エピファネスとの死闘

マッティアスの死/ユダ・マッカバイオス、その後継者となる/p84~

「しかし、マッティアスは九一年間彼らを指揮したのち、病に倒れた。」

「そして、彼の息子でマッカバイオスとも呼ばれたユダスが、第一四肋年(前168-167年)その指揮権を引き継いだ。」

ユダス、アポロニオスとセロンを破る/p87~

リュシアス政務を代行/ユダス、エマウスにて勝つ/p88~

神殿における聖なる奉仕の再開/光の祭の決定/p94~

イドマヤ人とアムマン人への戦い/p96~

シモンのガリラヤ遠征/p97~

ヤムネイアでの敗戦/p101~

③アンティオコス・エピファネスの死

アンティオコス・エピファネスの死とアンティオコス・エウパトルの即位/p102~

「こうして、さきの失敗に、これらの新しい心労が加わったため、心痛に打ちひしがれた王は、失意のうちに病気となった。

そこで王は、友人たちを集めて、自分の病気が重いことを告げ、自分がこのように苦しめられるのは、ユダヤ人の神殿を略奪し、その神を侮って彼らに悪事を働いたからだと告白した。そしてそう言い終わると息を引き取った。」

「そのようなわけで、わたしは、良心的であるメガロポリスのポリュビオスが、その著書でアンティオコスは、ペルシアのアルテミスの神殿の略奪を望んだため、その神罰で死んだのだ、と述べているのに驚かざるを得ない。なぜなら、ある悪事を望んでも、それを実行に移していなければ、神による処罰の対象とならないからである。」

「リュシアスは彼の死を人びとに知らせると、その養育をまかされた彼の息子アンティオコスを王に指名し、エウパトル(「立派な父をもつ者」の意)と呼んだ。

※ セレウコス朝シリアのお家騒動の陰で

アンティオコス、ユダヤ人と講和/p109~

アンティオコス四世・エピファネスの子アンティオコス五世が、ユダヤ人のマカバイ家と和解する。

デメトリオス、王位に就く/バッキデスの戦略/p110~

セレウコス四世の子でローマに人質に行っていたデメトリオス1世が王位に就く。
アンティオコス五世とリュシアスを処刑。
アンティオコス四世の家臣バッキデスをエルサレム人との戦いに投入。
ちなみにバビロニアを解放したからソテルという添え名がある。(デメトリオス一世ソテル)。

ユダスとアルキモスの戦い/p113~

バッキデス、大祭司アルキモスにユダス討伐をまかせる。

二カノルの遠征とアダサ会議/p114~

デメトリオス、ローマからともに脱出した忠臣ニカノルをユダス討伐に投入
ニカノル敗北して戦死。

アルキモスの死/ユダス大祭司となり、ローマと協定を結ぶ/p116~

大祭司アルキモス、死亡。エルサレム人、ユダスを大祭司に選ぶ。
ローマの敵、脱出者デメトリオスと戦うため、ローマに支援を打信。
荒野のレジスタンスの闘士ユダスが、エルサレムの大祭司を兼ねる。
挙国一致でレジスタンスへ。

バッキデスとの戦闘再開/p119~

バッキデス、2万の歩兵と2千の騎兵でユダス討伐へ。
ユダス軍は、1000名しかおらず、野盗軍であった。

ベルゼトの会戦/ユダス・マッカバイオスの敗戦と死/p120~

ユダスはさすがに戦死。
ユダスの兄弟シモンとヨナテスは、休戦して、死体を受けとりモダイスの村に埋葬する。

ⅩⅢ

マッカバイオス戦争(そのニ)

※ 弟ヨナテス、ユダスを後継、セレウコスのお家騒動利用してエルサレムに帰還

ヨナテス、ユダヤ人の指導者となる/p125~

エルサレム市は、バッキデスと和解する反原理主義者の支配に。
ユダスの同志は、弟ヨナテスを首領に選ぶ。

ヨナテス、荒野へ退く/兄弟ヨアンネスの死/p126~

敵支配のエルサレム市を棄てて、ヨナテス、荒野へ逃走。野盗へ。

ヨルダン川の戦闘/バッキデス、多数の町を要塞化/p127~

ヨナテス、バッキデスと協定を結ぶ/p131~

バッキデスを圧倒して、和解し、マクマ(ミフマシュ)市を拠点にする。

アレクサンドロスの侵入/ヨナテス、大祭司となる/二人の王位請求者のユダヤ人への譲歩

アンティオコス・エピファネスの子を称したアレクサンドロス一世バラスが、ローマとプトレマイオス朝の支援を受けて、デメトリオス一世ソテルと対峙する。
デメトリオス、ヨナテスと和解。
ヨナテス、居をエルサレムへ移す。エルサレム帰還。

デメトリオスの敗戦とその死/p138~

デメトリオス、アレクサンドロス・バキスの軍に破れて戦死。


ヨナテス、野盗からエルサレム支配の大祭司王ヘーロドトス総括

①野盗ゲリラ生活が独善的一神教を先鋭化
野盗集団では女性は虐げられる。殺すなかれも守れない。
邪見の「独善的一神教」が先鋭化して、ライシテと正反対の「大祭司王」による「神権政治」となる。

②アンティオコス朝シリアのローマとの戦争と内紛の故にエルサレム復帰
自力で奪還したのではない。最強ローマがアンティオコス朝を攻めていたので和解してもらえた。

※ エジプトにユダヤ人の拠点づくり

オニアス、エルサレムのレオントン・ポリスに神殿を造営/p139~

大祭司オニアス、プトレマイオス六世の元に、アレクサンドリアに亡命していた。
この大祭司が、エジプトのブバスティス神殿の廃墟に、ヘブル人の神殿を建てる。

「そこで彼は、プトレマイオスと王妃クレオパトラに使節を送り、エルサレムの聖所に模した神殿をエジプトにつくり、そこに自分の同胞の中から選んだレビ人と祭司たちを任命する権限を与えられるように請願しようと決心した。」

「われらは、ヘリオポリス州のレオントン・ポリスにあるブバスティス・アグリアと呼ばれる神殿の廃墟を浄化したいという貴下の請願書を受領した。」

アレキサンドリア在住のユダヤ人とサマリア人の争い/p143

アレクサンドリア在住のユダヤ人とサマリア人が、それぞれの神殿について論争し、エルサレムの神殿とゲリジム山の神殿の正当性について、プトレマイオス・フィロメトルの面前で論争し、負けたサマリア人の弁者サバイオスとテオドシオスを処刑させた。

※ ヨナタスとプトレマイオス六世、アレクサンドロス・バラスの蜜月時代

アレクサンドロス、エジプト王の娘を娶る/p144~

アレクサンドロス・バラス、プトレマイオス六世の娘を娶る。

ヨナテス、数かずの栄誉を受ける/p145~

エジプト王プトレマイオス六世、シリア王アレクサンドロス・バラス、エルサレム祭司王ヨナテスの蜜月時代。

※ アシドドのダゴン神殿焼き討ちとアスカロンとの友好のなぞ

デメトリオス・ニカトルの侵入/アポロニオスをアシドドで破る/p146~

前149-148年、デメトリオスの子デメトリオス二世が、クレタ島民ラステネスが供給した多数の傭兵を率いて上陸、アレクサンドロス・バラス、キリキアへ迎撃に向かう。

コイレ・シリアの知事として残したアポロニオスが、ヨナテスと対立し、戦争に。
ヨッパの郊外で会戦し、アポロニオス軍が敗走して、アシドドの町に逃げ込んだ。

「ヨナテスは、これらの敵をアシドドまで追撃してその多数を殺した。敵の中には、追いつめられて逃げ場を失い、アシドドのダゴン(ダゴンは、前一二世紀にカナンに定着したペリシテ人が礼拝した穀物の神)の聖所へ避難する者まであった。

しかしヨナテスは、町そのものをも急襲し、近郊の村落ともどもすべてを焼き払った。もちろん彼は、ダゴンの神殿も遠慮なく焼き払って、そこに避難していた者たちを焼き殺した。」

「さて、このような大軍を征服した後、ヨナテスはアシドドからアスカロンへ進出し、町の外に幕舎を張った。アスカロン人は、歓迎の贈り物を携えて彼を出迎え、その名誉をたたえた。そこで彼も彼らの友情を認めることを表明し、勝利後に捕獲した多数の戦利品を携えて、そこからエルサレムへ帰った。」

「アポロニオスは自分の意志に反して、自分の友人であり同盟者であるヨナテスと戦ったと言いふらし、ヨナテスの勝利を喜んでいるかのように装った。
さらにエクロン(ヤムネイアの西方約四マイル、現在のアキール)およびその周辺地域を領地として譲渡した。」

①アレクサンドロス・バラスとは訣別へ

②ペリシテのペンタポリスのアシドドとアスカロン
人種は、ペリシテ人で、ダゴン信仰のような友愛的豊穣信仰者である彼らは、反「ユダヤ教原理主義者」で、反エルサレムの野盗ヨナテスであると想定されるが、このときのアスカロンの対応は、危機回避かそれともアシドドと争っていたからかであろう。

※ シリアがプトレマイオス六世とバラスの戦争を通して、デメトリオス二世ニカトルの手に

プトレマイオス・二カトルのシリア占領/p150~

「そのころ、フィロメトルとアダ名されたプトレマイオス王は、自分の婿のアレクサンドロスに力を貸すために、海陸の兵を率いてシリアへ入った。シリアの町々は、アレクサンドロスの命令にしたがい、熱烈に彼を歓迎したのち、彼をアシドドの町まで送った。」

「アシドドでは全住民が、ダゴンの神殿の焼失にたいして彼に賠償を求めて騒ぎ立て、またヨナテスを、神殿を破壊し、土地を焼き払い、彼らの多くの仲間を殺した、として告発した。しかし、プトレマイオスは、これらの訴えは聞いたが、それには返答をせず沈黙を守った。」

「彼はそこで、アレクサンドロスがその友人のアムモニオスを使嗾して企ませた陰謀にかかり、危うく一命を失いかけるという事件が発生した。」

「そして、アレクサンドロスから娘を取り戻すと、さっそくデメトリオスに使節を送り、彼と同盟を結んで娘を妻として与えること、さらに、彼のために父の王座を奪還してやることを申し入れた。」

エジプトのプトレマイオス六世が、シリアを占領し、アレクサンドロス・バラスからデメトリオス二世に鞍替えする。

アレクサンドロス・バラスの死と、プトレマイオス・フィロメテルの死/p153~

プトレマイオス六世とアレクサンドロス・バラスは戦い、バラスが敗走してアラビアに向かう。途中、アラブ人の首領ザベイロスに討たれる。
プトレマイオス六世も戦争の傷でまもなく死亡。

王デメトリオスと、ユダヤ人に宛てた書簡/p154~

ニカトルとも呼ばれたデメトリオスは、漁夫の利で、シリアを入手する。
ヨナテスと同盟する。

※ ペリシテのガザを攻略のなぞ

トリュフォンの陰謀/p157~

バラスの忘れ形見の幼君アンティオコスを、アラブ人マルコスからもらいうけ、アンティオコス六世として擁立したシリアの将軍トリュフォン。

ヨナテス、デメトリオスを援助/デメトリオス、トリュフォンに敗れる/p158~

デメトリオスの兵士、トリュフォン側へ寝返る。

ヨナテス、アンティオコスと同盟/p161

敗北したデメトリオスがキリキアへ退くと、ヨナテスは、アンティオコス六世と同盟する。

ヨナテス、ガザを占領しベツズルを攻略/p161~

アンティオコス六世(トリュフォンの木偶の幼君)は、ヨナテスに、「デメトリオス側の将軍たちと戦うために、シリアとフェニキアから大軍を徴発する許可を与え、」ヨナテスは、トリュフォンに使嗾されて、パレスティナへ出かける。

当時、ヨナテスになびいたとされるアスカロンは、実はシリアのアンティオコス側であったらしい。おそらくアシドドは、デメトリオス側だったのかもしれない。

「これにたいしてヨナテスは、彼らはもとより、コイレ・シリアのすべての町の人びとは、デメトリオスを見かぎってアンティオコスの側にたち、・・・」

「こうして町々に、アンティオコスとの同盟に合意するよう説得していたヨナテスは、さらにまた、これもアンティオコスの側につけようと、ガザの町へ出向いた。」

「しかしガザ人は予想以上に敵対的で、彼にたいして町の門を閉ざし、自分たちはデメトリオスをすでに見捨てたが、アンティオコス側への鞍替えもまた絶対にしない決意を固めていた。」

「ガザ人たちは、ようやく自分たちがどのように困難な状態に置かれているのかを知った。そこで彼らは、ヨナテスに使者を出し、アンティオコスと同盟を結ぶことに同意した。」

ヨナテス、デメトリオス軍を破る/p164~

「さて、ヨナテスは、ガリラヤのゲンネサル(ガリラヤ湖。旧約ではヤム・キネレテ)と呼ばれる湖水のほとりー当時、彼はそこに幕舎を張っていたーを出発して、敵がいるとも知らずにハツォルの平原まで進出した。」

結局、ガリラヤ湖畔で、デメトリオス軍を破ってエルサレムに凱旋する。

与えられた軍は、アンティオコス六世が調達したシリア・フェニキアからの傭兵であり、ヨナテスは、体よく使嗾されたのである。

※ スパルタとの「縁戚関係」とは?!

ローマ人との同盟の再確認とスパルタとの親善/p165~

「・・・次に使節をローマ人のもとへ送った。すでにユダヤ国民が彼らとの間に結んでいた友好関係を更新しようと望んだからである。」

「ヨナテスはまたこの使節に、ローマからの帰途スパルタ人のもとへも赴き、ユダヤ人と彼らのとの間の友情と縁戚関係とを再確認するよう命じた。」

「それに対して元老院は、ユダヤ人との友好に関する旧法令を確認し、・・・」

「そして使節は、帰途スパルタに入り、ヨナテスからあずかっていた書簡をスパルタの指導者に提出した。以下は、その写しである。」

※ ヨセフスの引用した書簡の写し

「ユダヤ国民の大祭司ヨナテス、ゲルーシア(長老会)の議員および祭司団より、その兄弟の、ラケダイモン国の長官、ゲルーシア議員およびラケダイモン国民に挨拶を送ります。」

「さて往年、貴国の使節デモテレスが、諸兄とわれわれが縁戚関係であるとするアレイオス王のご書簡をーその写しを同封いたしましたー当時のわれわれの大祭司オニオス王(ヤドゥアの子オニアス、大祭司在位三二〇ーニ九〇ころ。ただしヨセフスはここでオニアスをオニアス三世としている。)に伝達されましたとき、われわれはそれを喜んで拝受するとともに、王ならび使節にたいし、心からの謝意を表明いたしました。」

「もっとも、実を申しますと、お互いのこのような関係は、われわれにとってはすでに、われわれの聖なる書物によって熟知されていたことであり、いまさらの証明は全く不要のものでありました。」

①ハスモン朝のユダ・マカバイの弟ヨナタン時代の書簡
ハスモン家は、アロンの家系とは関係なく、モディン出身の出自不明の家である。
モディンからメディア人であるとの仮説すら成り立つ。

②スパルタのアレイオス王=アレウス1世時代の書簡
アレウス1世は、在位前309-265年であり、アロンの家系の大祭司ヤドゥアの子オニアス(大祭司在位前320ー290)と同時代人である。
まず、アロンの家系は、先祖は、モーセと同じエジプト人でヘリオポリスの神官の家系のアテン教信者だったと想定される。
エルサレム人は、旧ジモティーはカナン人の一分枝エブス人=イビサ島のフェニキア人であった。
ダビデーソロモンの統一王朝は捏造であり、
王家は、テュロス帝国の王ヒラムの代官時代を経て、テュロス帝国イトバアルの代官イゼベルとアタリヤの女王時代はフェニキア系が支配者階級、
ユダ王家は最期の王まで、フェニキア系であっただろう。
一方民衆は、エジプト出身の第一モーセの率いた友愛的アテン教徒集団と、ミディヤン人の第二モーセの率いた「ユダヤ教原理主義者」の祭司や預言者集団がいた。
ヘブロンを首都としたヘブル人は、エジプトやパレスティナの無産者階級・奴隷あがりの野盗集団だっただろう。
支配者階級のフェニキア人と民衆のヘブル人の集合体と考えてよい。

一方アレウス1世の血統はどうだろうか。
彼の父は、アギス朝のスパルタ王クレオメネス2世の長男で、アクロタトスである。この父は、シュラクサイの僭主アガトクレスに対抗するため植民都市タラスの救援に無断で出かけ、さんざん遊蕩の限りを尽くし不評判をとってスパルタに逃げ帰った愚人である。
祖父のクレオメネス2世は、英傑のスパルタ最後の王クレオメネス3世とはちがいテーバイ帝室の血統を次ぐテーバイのエパメイノンダスに破れて、スパルタの覇権を失い、マケドニアのアレクサンドロス3世の撃退にも参加しなかった体たらくである。彼の父、アレウス1世の曾祖父クレオンブロトス1世は、まさにエパメイノンダスに破れてスパルタの覇権を失った王である。その父は、アテーナイ・シンパで、アテーナイから三十人僭主を引き上げた売国奴である。その父のプレイストアナクスは、アテーナイと共闘してペルシア戦争を戦ったが、収賄を疑われ、アテナ神殿に逃げ込んで餓死したといわれる。この血統に確実にアテーナイ人の血が入っていることは明白である。

③ユダヤ人の古文書に残るスパルタ人とユダヤ人の縁戚関係とは?
ユダヤ人の王族及び世俗の上流階級は、テュロス王国のフェニキア人であろう。
もとエルサレムの住民エブス人もフェニキア系である。
そしてテュロス王家は、テーバイ帝室系ギリシア人の「里帰り植民」、つまりヘーラクレース帝国人である。
スパルタ人の王族と、民衆は、テーバイ帝室系のヘーラクレース帝国人である。
ただしアレウス1世の血筋は、母方からアテーナイ人の血統が混入していたと想定される。古来からの縁戚関係の秘密文書は、双方がフェニキア系であったことが書かれていたと想定される。

※ ユダヤ人の中の三つの宗派/p168~

※ ユダヤ人の中の三つの宗派/p168~

「そのころ、ユダヤ人の中には、人間の営みについてそれぞれに異なった見解をもつ、三つの宗派があった。すなわち、パリサイ人、サドカイ人、そしてエッセネ人のそれである。」

「され、パリサイ人の見解によれば、ある出来事はーすべての出来事ではないー運命による業であるが、その他は、それが起こるのも起こらないのも、われわれ人間の側の自由な意志にかかっている、とする。」

「しかしいっぽう、エッセネ人の宗団は、運命こそがいっさいの出来事の支配者であり、われわれ人間の経験するすべてのことは、運命の定めるところにしたがって生起したものだと説明する。」

「他方、サドカイ人は、この運命というものを認めない。すなわち、この世にそのようなものは存在せず、したがって人間の営みがそれに支配されることもまたありえない。いっさいのことは、われわれ自身の自由な意志で定まり、われわれの幸福はわれわれ自身がつくりだし、不幸に苦しむのはこれまたわれわれ自身の無思慮の結果である、と主張している。」

「しかし、このことは、わたしはすでに『ユダヤ戦記』の第二巻でより詳しく説明した(『戦記』第二巻119-166)。」

運命論を切り口としたユダヤの三宗派の比較である。
ヨセフスは、パリサイ派なので、
パリサイ派=運命・人為両立説
エッセネ派=運命論者
サドカイ派=人為論者
のように措定し、パリサイ派が正しい「運命論」に立つとした。

①パリサイ派の実態
しかし、パリサイ派の運命を支配する方法は、自分たちで捏造した膨大な「律法」を守ることなのである。それを「ヤハウェ」の命令として。これは「十戒」に完全に矛盾する。
「十戒」が最高法規「憲法」であるとすれば、違憲法規をたくさん作って人々に押し付けた。

②エッセネ派の実態
エッセネ派は、アテン教の「自由・平等・友愛」の神を信じるアテン教徒から発展した。
反宇宙的唯心論的となる問題を孕む。

③サドカイ派の実態
フェニキアのメルカルト教から発展した。祭祀で運命を左右できるという考え。
世俗的で、世俗支配者の味方。

第1章 ユダヤ独立とアサモナイオス朝(その一)ーシモンの支配(前144-136年)

ヨナテス、トリュフォンの策に陥る/p173

トリュフォンは、ヨタテス(ヨナタン)を逮捕し、捕虜とする。

シモン、ユダヤ人の指導者となる/p175

弟シモンが、ハスモン家とユダヤ人の指導者を継承する。
マッティアスの末子で長男のユダス(ユダ・マカバイオス)がユダヤ人の最初のリーダーになり、死ぬと、兄で2男のヨナテスが継承。死ぬと兄で4男のシモンが継承した。

ヨナテスの死/p180~

トリュフォンとの交渉が雪で中断され、彼はヨナテスを殺害する。
シモンは、遺体を取り戻し、モディンに埋葬する。

シモン大祭司となる/エルサレムの要塞を占領/p181~

シモンが、ヨナテスの大祭司職を継承(前144-136年)

シモンの死/p186

娘婿プトレマイオスのわなにかかって宴席で殺害。

第2章 アサモナイオス朝(そのニ)ーヒュルカノス一世の支配(前136-105年)

※ ヒュルカノスのセレウコス朝内乱時代に野盗集団として大暴れ時代

ヒュルカノスの登場/その義兄弟プトレマイオスとの戦い/p187~

シモンの長男ヒュルカノスが継承。(ヒルカノス)。

アンティオコス・シデテスによるエルサレム占領/p189

※アンティオコス七世シデテスとは?(前159-129)

デメトリオス一世ソテルの息子。デメトリオス二世ニカトルの弟。
シデで育ったのでシデテスの添え名をもつ。
アンティオコス六世より王位を簒奪したトリュフォンを滅ぼす。
エルサレムを一時占領。(前135年)。
パルティアが、捕虜の兄王を釈放して、シデテスを殺害(前129)。
ここで、ヨセフスは、シデテスがエルサレムを人道的に占領したため、エウセベース(敬虔なる者)とあだ名されたと語る。

ヒュルカノス、パルティア遠征に同行/p192~

アンティオコス・シデテスに占領されて、再び根無し草となったヒュルカノスは、シデテスのパルティア遠征に同行する。
パルティア王アルサケスは、シデテスを暗殺し、兄のデメトリオス二世を釈放してセレウコス朝シリアの内乱を誘発する。

ヒュルカノス各地に遠征/p193

「ヒュルカノスは、アンティオコスが死んだ(前129年)という知らせを聞くと、ただちにシリアの町々に進軍を開始した。」

セレウコス朝シリアで、王が空位の真空期間を利用し、野盗団の首領となっていたヒュルカノスは、シリアの町々を略奪して回る。サマリア人の領域のシケムとゲリジムを攻略する。イドマヤ人の領域の町アドラとマリサを攻略して、割礼を強制。

※ セレウコス朝シリアの内乱

デメトリオス二世の死/p196~

※デメトリオス二世ニカトルとは?(前145-138年、前129-126年)
クレタから上陸したデメトリオス一世ソテルの子。
パルティア遠征を行ない、パルティア王ミトラダテス一世によって捕虜になる。
弟のアンティオコス七世シデテスが即位する。
アンティオコス七世がパルティア遠征で死んだため、シリア王に復位する。
プトレマイオス朝のクレオパトラ二世の誘いを受けてエジプト遠征に行くが、弟のプトレマイオス八世の反撃を受けて、逃亡。
妻のクレオパトラ・テアに門を閉ざされ、テュロスへ逃亡中、テアの指金で殺害された。

※クレオパトラ・テアとは?(前164ー121年)
プトレマイオス6世とクレオパトラ2世の娘。
シリアの内乱に送り込まれ、事実上のシリアの女王となって暗躍したらしい。
デメトリオス・ソテルの対抗馬として担がれた自称アンティオコス四世エピファネスの子・アレクサンドロス・バラスに嫁ぐ。
バラスが、プトレマイオス六世と対立すると離婚し、デメトリオス二世ニカトルに嫁ぐ。デメトリオス・ニカトルがパルティアの捕虜になると、その弟アンティオコス七世シデテスに嫁ぐ。
シデテスが死ぬと、ニカトルを拒否して、テュロスへの船上で殺害させる。
ニカトルとの長男セレウコス五世フィロメトルを擁立するが、父殺しの母と対立し、殺害した。弟のアンティオコス八世グリュポス(鷲鼻の)を擁立するが、毒殺しようとして逆に毒殺される。

アンティオコス・グリュポスとアンティオコス・キュズィケノスの争い/p197~

強力な女王クレオパトラ・テア(在位:前125-121)の死後、弱体の息子アンティオコス・グリュポスが第16代セレウコス朝シリア王となるも、非合法のアンティオコス九世キュズィケノスと並立して戦い、空位時代のようになる。
この前125ー95年の20年間、シリアは無政府状態となり、ユダヤ人の野盗集団の首領ヒルカノス=ヒュルカノスが好き放題暴れることになる。

※セレウコス朝シリアの系譜

①初代からアンティオコス3世大王まで
初代:セレウコス1世ソテル(前312ー281年)
2代:アンティオコス1世ソテル
3代:アンティオコス2世テオス
4代:セレウコス2世カリニコス
5代:セレウコス3世ケラウノス
6代:アンティオコス3世大王(前223ー187年)

②セレウコス4世からアンティオコス9世キュジケノス
7代:セレウコス4世フィルパトル
8代:アンティオコス4世エピファネス(前175ー164年)
9代:アンティオコス5世エウパトル
10代:デメトリオス1世ソテル(前162ー150年)
11代:アレクサンドロス1世バラス(前150ー145年)
12代:デメトリオス2世ニカトル(前145ー138年)
13代:アンティオコス7世シデテス(前138ー129年)
14代:デメトリオス2世ニカトル(前129ー126年)復位
15代:クレオパトラ・テア(前125ー121年)
16代:アンティオコス8世グリュポス(前125ー96年)

※ パリサイ人とサドカイ人

ヒュルカノスとパリサイ人との軋轢/p202~

①パリサイ派の成立

「さて、ヒュルカノスについてであるが、ユダヤ人の中には、彼の成功や、彼の息子たちの成功に嫉妬するものがあらわれた。」

「とくに反感を示したのは、すでに述べたユダヤ教の一宗派パリサイ人である。
そして、彼らの大衆にたいする影響力は絶大であって、彼らが王や大祭司に攻撃を加えると、その言葉はただちに信用された。」

「もっとも、ヒュルカノス自身も、実はパリサイ派の信徒であり、その派の人びとからとくに愛されていたのである。」

※パリサイ派とは?
「分離した者」という意で、律法の本質を守らぬ人間と自らを分離するという意味。
現在の「ラビ的ユダヤ教」「ユダヤ教正統派」である。
発祥は、アンティオコス4世エピファネスのヘレニズム強制政策に反発したハシディーム(敬虔派)に遡る。

第一神殿時代のユダヤ人の構造は、テュロス帝国の属州の一つとしてユダ部族の領域があり、ヘブル人の首都としてヘブロンがあったが、テュロス帝国の属国となり、王権は、テュロスの総督が占めていた。そこでは、ヘブル人の信仰も認められ、帝国のメルカルト信仰を押しつけることはなかったが、多神教国家であった。
野盗あがりのヘブル人の集団から祭司と預言者の集団が形成され、民衆に影響を及ぼしていたが、民衆は大喜びで異教のご利益信仰に走っていた。

第二神殿時代になると、セレウコス朝シリアの中の一都市エルサレムを核として、領域国家をもたない民族集団形成へと変容していった。
そんな中、アンティオコス4世エピファネスの出現で、ユダヤ教禁止、ヘレニズム化強制政策が起こり、それに反発する形で、バビロン捕囚時代の「ユダヤ教原理主義者」のラビたちを指導者とするパリサイ派が形成された。
これは、「ユダヤ教原理主義者」で、異教徒を武力で制圧する殺人大肯定野盗集団を下部組織にもった。

おそらくそんな下部組織の民衆で、メディア人出身の一族がハスモン家だったと想定できる。

※サドカイ派とは?
ソロモンの神殿の大祭司ツァドクに遡る。
ソロモン神殿=メルカルト神殿、ソロモン王=テュロス帝王ヒラムであったから、このツァドクに遡る大祭司の血統もフェニキア系もしくは、友愛的太陽信仰のアテン教徒系だったと想定される。
ヨセフスの主張するように、マカバイ家は、パリサイ派的である。「ユダヤ教原理主義者」の王権が成立したのは、このマカバイ王家だけである。
ユダ王国もヘロデの王国も大きいくくりでは、フェニキア系の王を戴く世俗的な王権である。祭司階級も実は、初めから原理主義的でなかった可能性があるのだ。
ヨセフスのいうように、この時期のサドカイ派が成立したとは、考えられない。

②パリサイ派とヒュルカノスの対立の原因

「しかし客の中に性質の曲がった口論好きのエレアザスという男がいて、次のように言った。」

「そして、どのような理由で大祭司職を辞さねばならないのかというヒュルカノスの問には、次のように答えた。
「わたしが長老たちから聞いたところによりますと、アンティオコス・エピファネスが王であったとき、あなたの母上は捕虜であったということであります。」
もとよりこの話は偽りであったために、ヒュルカノスは激昂した。」

「長老たち」とは上流階級であろう。そしてフェニキア系であった可能性がある。
ヒュルカノスの母が捕虜であったとは、彼が誰の種であるかわかったものではないと言おうとしたのか。いずれにせよ、ハスモン朝の祖マタティス自身が、馬の骨である。
「長老たち」はフェニキア系もしくはアロン(エジプト王朝)の子孫であるツァドクの大祭司家系にしか、大祭司になることを認めていなかったと想定される。

③ヨセフスのいうサドカイ派とは?

「ところで、ヒュルカノスの親友の一人に、パリサイ派の人びととは異なった見解をもつサドカイ派に属する、ヨナテスと呼ばれる者がいたが、彼はヒュルカノスに向かって、エレアザロスがあのような中傷をしたのは、パリサイ派の人びとすべてから承認されてやったものにちがいない。」

「そして、そのとき、とくに彼の怒りを煽りたてたのはヨナテスであり、その働きかけによって彼は、パリサイ派と袂を分かってサドカイ派に加わり、それまで大衆のためにパリサイ人が制定していた律法諸規定を撤廃するとともに、それを遵守する者を処罰した。」

「すなわち、パリサイ派の人びとは、モーセの律法に記載されていないが、父祖たちから代々受けついできたある種の律法諸規定を大衆に教え伝えてきた。ところがサドカイ派は、それらがモーセの律法に記されていないというまさにその理由から、そのような諸規定は斥けてしまい、そして五書に記載された律法こそ価値をもつが、父祖から伝承されたものなどは遵守する必要はない、と主張するのである。」

「そして、これらのことに関して、両派の間に激しい論争が起こったが、サドカイ派を支持したのは富裕な人たちだけで、大衆の中に追随者はなく、これに反しパリサイ派は、大衆の圧倒的支持を受けていた。」

「なお、わたしはこれら二つの宗派とエッセネ派についての詳細な説明を『ユダイカ』(『ユダヤ戦記』を指す)の第二巻の中で行なっている。」

つまり、ヨセフスは、パリサイ派の原理主義者であったハスモン朝のヒルカノスが、自分の出生を誹謗されたため、パリサイ派を弾圧に走るかげに、サドカイ派がいたとする。

しかし『旧約聖書』のモーセ五書の律法だけでも、矛盾を含み膨大すぎるのに、パリサイ人はさらに、律法を増やしたということなのだ。これは、不思議である。
むしろ、あの煩雑で非合理な律法こそ、パリサイ人が加筆したもので、サドカイ人は、十戒だけを守っていればよいとしたというならわかる。
なにせ、サドカイ人は、運命は存在せず、いわば儀式で運命はいくらでも好転させられるという考えのようであるからだ。

いずれにせよ、パリサイ人の規定のなかに、「捕虜になった者の子供は大祭司になれない」という規定があったのだろう。

ヒュルカノスの死/p206

ここでは、パリサイ派との内乱は記されていない。

第3章 アサモナイオス朝(その三)ーアリストブロスの支配(前105-104年)

大祭司アリストブロス、王位に就く/その肉親への苛酷な扱い/p207~

「父の没後、長男のアリストブロスは、ユダヤの国を、自分が最上の統治形態と思っている王国に改めるほうが適当と考えた。そして、民がバビロン捕囚から解放されて祖国へ帰還して以後四八一年三か月めに、その頭上に王冠を戴いた最初の人となった。」

ヒルカノスの長男アリストブロスが継承。
彼は、一族を粛清した苛酷な王とも、ストラボンのいうように心優しい王ともいわれている。

彼がフェニキア流の世俗王権を復刻したようなので、「ユダヤ教原理主義者」から中傷されていることはありうる。
たった1年の在位も、「ユダヤ教原理主義者」たちの陰謀で殺された可能性が高い。

第4章 アサモナイオス朝(その四)ーアレクサンドロス・ヤンナイオスの支配(前104-78年)

①ガザを焼き討ち・大殺戮

アレクサンドロス・ヤンナイオス、王となる/p213~

プトレマイオスとクレオパトラとの戦い/p220~

シリアに侵入したプトレマイオス9世と戦い、それと対立する母のクレオパトラ3世の支援を受けて撃退する。

アレクサンドロス、ガザを攻撃/p222~

「そして彼は、プトレマイオスがガザからキプロスへ撤退し、また母クレオパトラがエジプトへ帰還したことを知ったとき、ガザ人が救助を求めてプトレマイオスに迎えを出したことを怒り、ガザ人の町を攻め、その領地を荒らした。」

「なお、町には五〇〇名の議員がいたが、彼らはすべてアポロンの神殿内へ避難していた。そして攻撃は、ちょうど彼らが会議のために着席しているときに開始された。アレクサンドロスは

彼らのすべてをその場で殺し、ついで町を徹底的に破壊し尽くした後、一年を費やしたこの攻撃を終えてエルサレムへ帰還した。」

②ユダヤ人の反抗

アレクサンドロスにたいするユダヤ人の反抗/p226~

「すなわち、彼が祭壇の傍らに立ってちょうど犠牲を捧げようとするとーすでに他の所でも記述したが、仮庵の祭では、すべての人がシュロの葉とシトロンでつくられた棒を手にするのが習慣だったー人びとは、彼をめがけてそのシトロンを投げつけ、さらに、彼は捕虜の子孫であり、したがって大祭司の地位についてユダヤ民族を代表して犠牲を捧げる資格はない、と侮辱的な言葉を浴びせた。」

「これに激昂した彼は、約六〇〇〇人を処刑し、さらに、祭司のみが入城を許される祭司の庭の笠石にいたるまで、祭壇と聖所の周囲に木柵を設け、人びとが彼に近づく道を封じてしまった。」

「しかも国民がこの失敗について彼をなじると、彼は国民にたいしても挑戦し、六年に満たない短い期間(前90-85年)に五万人以上のユダヤ人を処刑した。」

シケムにおけるアレクサンドロスの敗戦/p227~

ユダヤ民衆が支援に呼んだデメトリオス・アカイオスとシケムで会戦して敗北する。

アレクサンドロスの残虐な復讐/p228~

「ところが、敗れたアレクサンドロスが山岳地帯へ逃れると、彼の悲運にたいする同情から六〇〇〇人のユダヤ人が彼のもとへ集った。」

「アレクサンドロスは、彼らの中でもっとも強力な一団をべッオマスの町へ封じ込めて包囲攻撃を加え、町を占領すると、彼らを捕虜としてエルサレムへ引き立てた。そして彼は、人間のなしうるもっとも残忍な行為をそこでやってのけた。」

「すなわち彼は、人目をひく公開の場所で、妾たちと祝宴を張りながら、およそ八〇〇名のユダヤ人に十字架刑を申し渡したが、その哀れな連中のまだ生きている眼の前で妻子たちを殺してみせたのである。」

アレクサンドロスの死とその遺言/p234~

「彼女がパリサイ派の人びとにその権力の一部を与えるように忠告した。」

第5章 アサモナイオス朝(その五)ーサロメ・アレクサンドラの支配(前78-69年)

アレクサンドラの即位と二人の息子/p238~

パリサイ人の支配とその行きすぎ/p239~

アリストブロスの反抗とアレクサンドラの死/p244~

ⅩⅣ

第1章 アリストブロス二世による統治(前67-63年)

①ハスモン王家の兄弟の内戦

ヒュルカノス二世とアリストブロス二世との内戦/p252~

温和な兄ヒュルカノス二世が大祭司に、弟アリストブロス二世が王位を継承する。

②アンティパトロスとアレタスがヒュルカノス担いで参戦

イドメヤ人アンティパトロスの策謀/p252~

「ところで、ヒュルカノスの友人に、アンティパトロスと呼ばれるイドメヤ人がいた。」

「さて、アンティパトロスは、当初、その父と同じようにアンティパスと呼ばれていたと思われるが、アレクサンドロス・ヤンナイオス王とその妃によって、全イドメヤの知事に任ぜられていた。そして、噂によれば、近隣のアラブ人やガザ人、アスカロン人等と友人となり、多くの贈り物をしては、彼らの心をつかんでいた。」

「さらに自分の忠告を受け入れて、アラブの王アレタス(アレタス三世)のもとへ逃げることを承知すれば、王も彼の同盟者となることを請け合った。」

「そこでアンティパトロスは、そうした保証を得た後、エルサレムにいるヒュルカノスのもとへ戻って来たが、しばらくすると、ヒュルカノスを連れ、夜にまぎれて市中を脱出、大旅行ののち、アレタスの宮殿のあるペトラという町についた。」

イドマヤ人アンティパトロスもアラブ人アレタス三世も、実の所、フェニキア系の多神教友愛主義者である。

③ローマ人、ポンペイウス参戦、木偶ヒュルカノスを奪ってエルサレム占領

アレタス王、ヒュルカノスを支援してユダヤ侵入、神殿内のアリストブロスを包囲/p256~

ポンペイオス麾下のスカウロス、アリストブロスを援けてアレタスの包囲を解く/p258~

ポンペイオス、アリストブロスを監禁/p265~

神殿の占拠/ポンペイオス、ユダヤ人を支配/p268~

「かつてこれまで、何ぴとといえど、入ることも見ることもできなかった所を、ついに外部の者に侵された罪は小さくない。というのは、ポンペイオスと、その少なからざる部下たちが、聖所内に入り、大祭司以外見ることが許されないものを見てしまったからである。」

ハスモン朝のアリストブロスとヒュルカノスは木偶となり、
エルサレム争奪戦が始まる。

アンティパトロスとアレタス三世のフェニキア系とローマ人ポンペイオスの争いで、ともに担いだ木偶は、在野のヒュルカノスである。

ポンペイオスが勝利し、ヒュルカノスが王位に就く。

第2章 ヒュルカノス二世による統治(前63-40年)

※ ローマ人によって、ヒュルカノスの木偶が担がれる

アレタス王、スカウロスに屈服/p274~

ポンペイオスの代理スカウロスは、アレタス王のペトラへ進撃する。
アンティパトロスが、二人を取り持って、アレタス王から300タラントンを預かって和平を成立させる。

アリストブロスの子アレクサンドロスの抵抗と挫折/ガビニオスによるユダヤの再編成/p275~

ローマ人のガビニオスが、アリストブロスの子アレクサンドロスの帝国を治めて、ヒュルカノスにエルサレムを任せる。

アリストブロスの抵抗と敗北/p277~

アリストブロス、ローマから脱出して、エルサレム奪還を図る。
ガビニオスに敗れる。
ガビニオス、クラッソスに支配権を引き継いでローマに帰還する。

クラッソスの神殿における盗賊行為/p281~

クラッソスの戦死とカッシオスのユダヤ侵入/p285~

アリストブロスとアレクサンドロスの死/p286~

カエサルが支援するが、ポンペイオスの手のものによって毒殺される。

※ アンティパトロスとカエサルの蜜月はじまる

アンティパトロスとユダヤ人、エルサレムのカイサル支援に活躍/p287~

カエサルは、アンティパトロスをユダヤ人の「エピメレテス」(監督官)に任じる。
アンティパトロスにローマ市民権を与える。

ローマ人およびアテナイ人の、大祭司ヒュルカノスヘの感謝決議/p292~

「ユダヤ人の大祭司にしてエスナルケスたるアレクサンドロスの子ヒュルカノスは、つねに、アテナイ人全員にたいして、またその個々の市民にたいして、好意をよせ、彼らのために尽していささかの労も惜しむことはなかった。」

アンティパトロスと二人の息子たちの声望/p296~

「次男のヘロデには、ガリラヤ地方の行政を任せたが、後者はまだわずか一五歳の少年にすぎなかった。」

ヘロデにたいする裁判と彼の逆襲/p298~

「彼の言ったことは、二つとも実現した。すなわち、ヘロデは王権を獲得するとヒュルカノスを殺し、サマイアスを除くスュネドリオンの全議員も殺したのである。」

アンティパトロスの死/p331~

アンティパトロスをマリコスというユダヤ人が毒殺する。

マリコスにたいするヘロデの復讐/p333~

ヘロデがマリコスを討つ。

シリアにおけるアントニオス、ユダヤ人代表団を処罰/p344

アントニウスは、ヘロデに味方して、ユダヤ人の敵を処刑する。

ヘロデ、逃亡に成功/P350~

パルティア人が侵入してヒュルカノスとファサエロス(ヘロデの兄)を捕虜にした。ヘロデはイドマヤへ逃れる。

ヒュルカノス不具とされ、ファサエロス、自らの生命を断つ/p354~

アンティゴノスは、ヒュルカノスが大祭司に復位できないように、両耳を切り落とした。「この地位につきうる者は五体満足な者に限る、と律法で定められているからである」

一方、ファサエロスは、自殺した。

第3章 アンティゴノス二世による統治(前40-37年)

ヘロデを敬遠したマルコス/p357~

ヘロデの受け入れをアラブ王マルコスは拒否する。

ヘロデ、エジプトよりローマに急ぐ/p358~

ローマでアントニウスに面会し、ヒュルカノスと兄ファサエロスがパルティア人に捕えられて、兄が自殺したことなどを相談する。

元老院の承認を受け、ヘロデ王となる/p360~

アントニウスの口利きで、ローマ元老院に、ユダヤ人の王位を授けられる。

ヘロデの第一回エルサレム攻撃とシロンの不協力/エリコ占拠/p365~

ガリラヤ征服と洞穴での戦い/p369~

ヘロデのエルサレム包囲/p381~

婚約中のアリストブロスの子アレクサンドロスの娘と結婚。

第4章 ソッシオスとヘロデによるエルサレム包囲と占領ーアサモナイオス朝の終焉

ソッシオスとヘロデによるエルサレムの包囲と占領/アサモナイオス王朝の終焉/p383

ヘロデは、アンティゴノスを捕え、アントニウスに委ねた。
アントニウスはヘロデの希望に従って、アンティゴノスを殺害した。

5巻 目次

ⅩⅤ

第一章 ヘロデによる統治(前37ー25年)ー権力確立のための時期

第二章 ヘロデによる統治(前25ー13年)ー全盛時代

ⅩⅥ

第一章 ヘロデによる統治

第二章 ヘロデ家の内紛

第三章 ヘロデの建造物その他

第四章 宮廷内の軋轢の深刻化

第五章 ヘロデの息子たちの最期

ⅩⅦ

第一章 アンティパトロスの策謀

第二章 ヘロデの死(前4年)

第三章 ヘロデの死後の混乱

ⅩⅤ

第一章 ヘロデによる統治(前37ー25年)ー権力確立のための時期

※ ハスモン朝の家族内残党への戦い

ヘロデの強欲ぶり/アンティゴノスの処刑/p14~

ハスモン家の最後の神官王アンティゴノスを、アントニウスはヘロデのために処刑する。ハスモン朝滅亡。

ヒュルカノス、エルサレムへ帰る/p16

パルティア王は、捕虜のヒュルカノスをバビロンに住むことを許す。ヒュルカノスは、ヘロデの友情を信じて、エルサレムへ帰る。

アナネロス、大祭司となる/p19~

不具のヒュルカノスは大祭司に復位できず、無名のアナネロスを大祭司にする。

アレクサンドラの策謀/p20~

ハスモン家のアレクサンドラは、ヒュルカノス2世の娘で、アリストブロス2世との間に、マリアムネとアリストブロスという子供をもうけていたので、アリストブロス(3世)を大祭司にしないことに不満を持つ。

ヘロデとアレキサンドリアの和解/p22~

アナネロスを大祭司から解任し、若いアリストブロス3世に大祭司職を与える。

アレクサンドラ、再び策謀/p25~

アレクサンドラは息子アリストブロス3世を連れて、支援者のエジプト女王クレオパトラの許に逃亡を企てる。事前にばれて阻止されるが、ヘロデは2人を表面上許す。アントニウスの手前、クレオパトラを怒らせることができないため。

若いアリストブロスの横死/p28~

ヘロデ、プール遊びの最中、アリストブロス3世を溺死させる。

クレオパトラの追求とヘロデの釈明/p31~

クレオパトラにアレクサンドラが息子の横死を訴え、アントニウスから呼出しがかかる。留守中を任せた叔父のヨセポスに、もし自分がアントニウスの所で殺されることがあれば、その時は、妻マリアムメ=マリアムネも殺すように言い残す。

ヘロデは、ローマで、アントニウスを巧みに人たらし力で説得し、クレオパトラの口添えも無力化した。

マリアムメにたいする疑惑とヨセポスの処刑/p41~

ヨセポスが、ヘロデの命令を洩らしたため、マリアムメが激怒し、ヨセポスとの仲を疑ったヘロデは、ヨセポスを処刑する。

ヘロデのハスモン朝殲滅計画

ヘブル人かメディア人の来歴と推定される「独善的一神教」野盗国家=ハスモン朝を、娘婿に入って中から侵食し、自分の子であるハスモン朝の王になる可能性のある最後の候補アリストブロス3世を殺害。
その母のアレクサンドラと自分の妻となっているマリアムネは粛清保留。

軍人としての力量と、一番勢力のあるローマの支配者カエサル-アントニウス-オクタヴィアヌスの三代にわたって、その「人たらし術」によって誑し込み、前550年のダレイオス支配以来誕生した「ユダヤ人の王」といして、初めて正当にエルサレムを首都としての実効支配を始めたといえよう。

※ アラブ王国=ナバテア王国との確執と吸収

ヘロデとアラブ王との紛争/p43~

クレオパトラへの貢を、ヘロデがアラブ王より徴収して支払うことになっていたが、アラブ王マルコス1世=マリコス1世は、怠った。

ヘロデとアラブ王マルコスとの戦争/カナタにおけるヘロデ軍の大敗/p44

ナバテア王国のマリコス1世とヘロデ大王は、アクティウムの海戦前夜の前31年9月、ナバテア王国のローマへの貢納滞納により、徴収官を代理するヘロデと戦争になる。
緒戦は、クレオパトラの派遣した軍が、ナバテア軍の味方をして敗戦に追い込まれる。

新たな戦争/フィラデルフェイアにおける勝利/p49~

「さて、このような手荒らい打撃を加えられて、アラブ人たちは、かつてのその自信をまったく失ってしまった。そして、ヘロデがその逆境にあるときに発揮したすぐれた統率力を讃美したのち投降し、ヘロデを自分たちの民族の保護者とすると宣言した。」

※ナバテア人とは?

①北アラビアを起源とする遊牧民。(前312年)
前312年、マケドニア王国のアンティゴノス1世・デメトリオス攻城者の父子が、乳香交易を奪おうとナバテア族と戦うが敗退する。

②ナバテア王国誕生(前168年)
ペトラを首都として王国を誕生させる。初代は、アレタス1世。
灌漑下水道建設やペトラ遺跡にみられる高度な建設技術を有した。

南アラビアからの乳香交易路の結節点に位置し、インド航路のレース・コーメ港から上陸してからの結節点にも位置し、陸上・海上交易を支配した。
ガザ市は、両交易の地中海への玄関港となり、ガザのペリシテ人とナバテア人は友好的に交流し、おそらく多くがガザに移民したとも想定される。

③ハスモン朝ユダヤのアレクサンドロス・ヤンナイオスのガザ占領(前100年頃)
野盗国家ハスモン朝が、多神教友愛通商国家ナバテア王国とつよい絆にあるガザ市を攻撃、セレウコス朝の兵士を受け入れたガザ市を襲撃して、アポロン神殿の議場に逃げ込んだ兵士もろとも500名の議員を焼き殺した。

④オボダス1世の反撃(前93年頃)
ガリラヤ湖東のガダラの戦いで、らくだ軍団で、野盗ヤンナイオスを撃破し、ガザの悲劇に復讐を果し、ヨルダン川東のモアブとギレアデの2つの山を奪回した。
前83年には、セレウコス朝シリアのアンティオコス12世ディオニュソスも撃退し、ネゲブ地方で神として祀られた。

⑤アレタス3世時代に最大版図(前84-62年)
ハスモン朝の内乱に乗じて、エルサレムを包囲するが、ポンペイウスに恫喝され、エルサレム占領をポンペイウスに奪われる。ポンペイウス麾下のスカウルスにペトラ進撃され、ローマの属国になることを申し入れる。

⑥マリクス1世時代にヘロデのユダヤ王朝と戦争(前31-30年)
ユダヤのヘロデ大王と戦争をして敗れたマリクス1世は、ヘロデ朝の保護下に入る。

⑦アレタス4世時代(前9年ー後40年)
ユダヤのヘロデ朝のガリラヤ領主ヘロデ・アンティパス(在位:前4年ー後40年)に娘を嫁がすほどの友好関係であったが、彼が離縁してヘロデヤと結婚したため戦争になる。ヘロデ・アンティパスの肩をもったティベリウス帝によって追及されるも、同帝の死で事なきを得る。

⑧ボスラへ遷都(後1世紀ごろ)
アラビアが野盗集団によって不穏になると、ボスラに遷都する。
ナバテア人の建築技術は、黒いローマ都市としてのボスラが、世界遺産に登録されたことでもわかる。

⑨ローマに併合(106年)
ラベル2世の時代に、ローマに保護的統合を求めて認められる。

ナバテア人=アラブ人の一つ

ナバテア人=アラブ人
アラム語のナバテア文字をつかう。
民族的には、セム語系コーカソイドである。
メソポタミア系の多神教信者である。
ガザにも多く植民し、ペリシテ人と同様、ヘーラクレース帝国の里帰り植民が、シナイ半島や北アラビアに落ち着いた人びとの末裔と想定される。

セム語系コーカソイドの第5波と措定できる。
第1波=ウバイド人
第2波=アッカド人
第3波=アムル人
第4波=アラム人
第5波=アラブ人

紀元後1世紀までである。
これらにニグロイドの遺伝子は殆ど含まれていないと想定される。
ニグロイドを含むアラブ人は、アラビア半島のアスクル王国の征服以後である。

※ ヘロデ、アントニウスについでオクタヴィアヌスも垂らし込む

アクティウムの戦いとヘロデの危機/ヘロデ、ヒュルカノスを殺す/p59~

ヘロデの呼出しに、ヘロデ没落を確信したハスモン朝残党が、ヒュルカノスを担ごうと陰謀し、無事帰国したヘロデによってヒュルカノスが処刑される。

ヘロデ、カイサルの好意を確保/p65~

①弟フェロラスと母キュプロスにもしもの時の政権を託す

「そこで彼は、すべての仕事を弟のフェロラスに任せるとともに、彼の母キュプロスと姉、および子供全員をマサダ(死海の沿岸の要塞)に移し、もし自分についての悪い知らせでも届けば、すぐ自分に代わって権力を握るようにと命令した。」

「妻のマリアヌメに関して言えばー彼女と、彼の母や妹が不仲であるため、同じ場所に住まわせることなどは不可能だったー、彼は彼女を、彼女の母アレクサンドラとともにアレクサンドレイオンに移し、こちらは、最初からヘロデにもっとも忠実であった執事ヨセポスとイトゥライア人ソアイモスとをその係として残した。」

ヘロデ大王は、イドマヤ人の父アンティパトロスとナバテア人の母キュプロスの息子とされる。
つまりユダヤの王でも世俗的多神教徒のヘーラクレース帝国の末裔同志の家系の結合から生まれている。

一方、妻のマリアムネは、ヘブル人の末裔か、メディア人の末裔の野盗王朝ハスモン家の末裔で、「ユダヤ教原理主義者」の家系である。

②アントニウスへの忠義をアピールしてオクタヴィアヌスを垂らし込む

「ヘロデは、カイサルに向かって言った。自分は、アントニオスにたいして、最高の友情をもっていた。そして自分は、行い得るすべてのことを行なって、彼に勝利を得させようとつとめた。もっとも、自分は彼の遠征には参加しなかったが、これは現地で、アラブ人たちの妨害を受けたためである。しかし、自分の果すべき義務からすれば、はなはだささやかな寄与であったとはいえ、彼にたいして、金と穀物を送り届けた。」

「しかし、すくなくともただひとつ、われながらよくやったと自覚していることがある。すなわちそれは、アクティウムの戦いで、アントニオスが敗北した後も彼を見捨てなかったことであり、運命の女神から彼が明らかに見捨てられてしまったときにも、彼によせる期待をなお変えなかったことである。そして、彼にたいし、たとえ価値のある戦友ではなかったとしても、少なくとも有能な忠告者としての任務はひきつづき引き受けて、彼に向かい、彼の身の安全を計り、その権力を維持する唯一の途は、クレオパトラを殺害することだと忠告した。「なぜなら」とヘロデは言った。」

「もし彼女さえ葬っておけば、彼にとってその権力を維持することは可能だっただろうし、またあなたご自身と彼との和解も、怨みなどを残すことなく、容易に行なわれたと思われたからです。」

「そしてカイサルは、再び、王冠を彼に授けたが、同時に彼に向かい、彼がかつてアントニオスにたいして示した友情に劣らぬ友情を自分にたいして示してくれるようにと力をもめて語った。」

ヘロデは、アントニウスを全力で支えたことを堂々とオクタヴィアヌスに話し、逆に彼の讃嘆と信頼を得る。

※ ハスモン朝の最期の残党妻マリアムネと姑アレクサンドラの処刑

ヘロデとマリアムメの不仲/p71~

留守中になにかあったら殺害を知って、マリアムネがヘロデを詰問、ヘロデとの不仲が発展する。

マリアムメとソアイモスの処刑/p76~

「彼女はまた、ヘロデの母や妹たちにたいしても、その出自の低さをあからさまに嘲笑して、侮辱的な言葉をなげつけ、ときにはそのため、女性たちの間には深刻な軋轢や抜きがたい憎しみが生まれた。」

マリアムネこそいやしい馬の骨の野盗国家ハスモン朝の血筋であり、
ヘロデの家系は、テーバイ帝室を祖とするヘーラクレース帝国の末裔のイドマヤ人の金持ち豪族と、同じくヘーラクレース帝国の末裔のナバテア王国の王女である。
ヘロデの実家のほうが、百倍古く由緒ある家系である。

ヘロデの母キュプロスと妹サロメは、憎悪するマリアムネを処刑させるように仕組んだ。ヘロデ毒殺未遂を疑われ、とうとうマリアムネは処刑される。
その後、アレクサンドリアも処刑され、残るは、マリアムネの残した子供たちだけとなった。

第二章 ヘロデによる統治(前25ー13年)ー全盛時代

※ 友愛的汎神論者ヘロデ大王の民生政策

ヘロデによるエルサレムの俗化/p89~

ローマ帝国化して、円形競技場など建設する。

大飢饉と悪疫の猖獗/ヘロデの気前よさ/p98~

「彼の宮殿にある金銀の装飾品はすべてー特別な注意を払ってつくられたものも、また美術的な価値をもつものも、惜しむことなくー硬貨に改鋳させた。」

「そしてヘロデは、こうして得た金をエジプトへ送ったが、・・・

そして、いったん食糧品が到着すると、ヘロデは人びとの苦痛を軽くするよう、十分な考慮を払って配分したので、それはそれまで彼に敵意をもっていた人びとの態度を改めさせたばかりでなく、人びとにたいして自分の好意と保護者的な行為とを大々的に宣伝することにも成功した。」

「また、老齢とか虚弱な体質とかで、穀類を自分の手で調理できない者にたいしてはーそのようなものも多数いたー、パン焼き職人を働かせ、できあがった食物を提供したのである。」

「そして、自分の人民にたいするそれらのものの支給がすむと、彼はさらに、近隣の都市の救済にも乗り出し、シリアの住民たちに種子類を与えた。そして、このことは彼に少なからざる利益をもたらした。というのは、彼のこの寛大な行為が時機を得ていたため、翌年にはよい収穫があり、すべての人びとが満足するほど十分な食糧が得られたからである。」

このヘロデの友愛的相互扶助や弱者救済の精神は、友愛的多神教、汎神論の出自からくるものであることは明らかである。
彼は、民生を考慮したエンキ信者の末裔で、身体障がい者を救済したエブス人の末裔であったからである!

※ アレクサンドリア人ボエトスの子シモンの娘マリアムネとの結婚と外人好き

ヘロデの宮殿建設/ヘロデのマリアムメ二世との結婚/p102~

アレクサンドリア人で、ボエトスの子シモンという有名な祭司の娘と結婚して、マリアムメ二世とする。

ヘロデ、アグリッパと会見/アラブ人の策動/p111~

カイサル=アウグストゥスの名代アグリッパも垂らし込む。

ヘロデとエッセネ派の人びと/マナエモスの預言/p117~

ヘロデ大王の出世を預言したマナエモスとの交流から、エッセネ派を保護する。

※ ヘロデの神殿改築

ヘロデ、神殿の再建を企画/p120~

エルサレム神殿は、ヘロデが荘厳した。

神殿とその周辺の強化/p123~

神殿を立派に再建し、廻廊を新設した。

ⅩⅥ

第一章 ヘロデによる統治

王ヘロデの強引な統治/p133~

「たとえば、押し込み強盗と働いた者の処罰は、奴隷に売り、王国から追放すると改めたが、このような処罰は受刑者にとり苛酷すぎたばかりでなく、内容的にも伝統の律法の精神とは相容れないものだった。」

「なぜなら、それでは受刑者は、ユダヤ人とは全く生活様式を異にしている外国人へ奴隷として売られ、そして、その人たちの命令することならどのようなことにでも服従しなければならぬことになるわけだが、そうなれば、王が犯人を処罰するというよりは、王が伝統の宗教へ挑戦している、と受け取られてしまう。」

「ユダヤ教原理主義者」の悪法を解体しようとした偉大なヘロデである。

ヘロデの息子たちローマより帰る/彼らへのサロメたちの中傷/彼らの結婚/p134~

マリアムネの息子アレクサンドロスとアリストブロスが、ローマから帰国し、ハスモン朝の残党の神輿になりそうな気配。
王の妹サロメの一党は、警戒する。

第二章 ヘロデ家の内紛

ヘロデと二人の息子、アレクサンドロスとアリストブロスの反目/p152~

母を殺したヘロデを二人は嫌い、確執する。

ヘロデ、アンティパトロスを優遇/アグリッパス、彼をローマに伴う/p155~

二人を押えるため、平民時代の最初の妻ドリスとの間に設けた息子アンティパトロスを呼び優遇する。

ヘロデ、二人の息子をカイサルに告発/p158~

ヘロデ、二人の息子と反目し、カエサルに訴える。

ヘロデ、ユダヤへ帰り、王位継承の順位を定める/p170~

この時点では、最初の妻ドリスの子アンティパトロスが第一位、次はマリアムネの二人の息子であった。

第三章 ヘロデの建造物その他

ヘロデのつくったパレスチナ各地の建造物/p175~

「またエリコを見おろす地点に要塞をつくり、母の名にちなんでキュプロスと呼んだ。」

「さらにまた、兄弟のファサエロスにたいしては、彼にたいする愛情から美しい記念物を捧げたが、それはほかならぬエルサレムの市中につくられた塔で、その大きさはファラオスの塔に匹敵し、ファサエロスと呼ばれた。」

母と兄、妹サロメに対しては、最後まで愛情を保った。

ヘロデ、ダビデの墓をあばく/p187~

「ところで、わたしの場合は、いささかこれと事情を異にする。すなわち、アサモナイオス(ハスモン。ラビ伝承ではハシュモナイ)家の歴代の王に直接縁のある一族の一員であり、その結果、祭司たる資格と王族としての名誉を合わせもつわたしは、いかなる場合も王について虚偽を語るのは不当きわまることと考えており、そのため彼らの事績についても、誠実に、公平に筆を進めている。

そして、今なお統治にあたっておられる彼の子孫の多くの方々にたいし、わたしは十分な敬意は払うものの、しかし真実は、その方々よりさらに尊いものと考えている。そして事実、ある場合には、そのつとめを果し、これらの方々の怒りを買ったこともあったのである。」

※ ヨセフスの出自
本名ヨセフ・ベン・マタティアフ(マタティアの家のヨセフ)つまり、ハスモン王朝の祖マタティアの子孫である。
そしてパリサイ派である。
いかに、偏向な立場かということである。
ハスモン朝は、馬の骨の野盗集団と思われるし、高貴な血筋とはいえない。
ヘロデの血筋の方がよっぽど高貴である。

ヨセフスの生年が37-100年頃と言われるので、
イエスが生まれたときのガリラヤ領主、ヘロデ・アンティパスの在位(前4-39年)の終盤に生まれ、彼が追放されたあとを襲った、ヘロデ朝のヘロデ大王の父アンティパトロスの弟ヨセポスの子孫であるアグリッパ1世(在位37-44年)
それを継いだ息子アグリッパ2世が、100年頃まで生きており、ヨセフスと同時代人。

このアグリッパ二世には、ハスモン朝とヘロデ朝の血が入り混じっている。
曽祖父はヘロデ大王、曾祖母はマリアムネ1世、祖父はヘロデ大王に処刑されたアリストブロス4世、祖母はヘロデ大王の妹ベロニカ、その間に生まれたのが父のアグリッパ1世である。
母ベロニカは、自分の母サロメと結託して夫ハスモン朝の血筋のアリストブロス4世を処刑させた。

アグリッパ2世は、第一次ユダヤ戦争の折、ローマ軍といっしょになって、ヘロデ大王の建造したエルサレム神殿を破壊した。
エルサレム神殿は、ハスモン朝にとってはおそらく悪と世俗の象徴であろう。
そもそも神殿というのは、フェニキア人の聖殿の形式である。

ソロモン神殿はテュロスのメルカルト神殿であり、エルサレムの神殿は、エブス人の建てた神殿が、バビロン捕囚時に破壊され、第二神殿としてケチな神殿を、帰還したユダヤ人が再建したが、それを大幅に改築したのはヘロデ大王であったからだ。

ソロモンと言う名前は、エルサレムのサレム=シャローム、平安から捏造されたと想定される。安男さんって感じか。サロメは安子さんなのだろう。きわめて、ヘロデの妹のサロメは世俗的な名前ということになる。

第四章 宮廷内の軋轢の深刻化

ヘロデの宮廷内の軋轢の深刻化/p190~

ドリスの息子アンティパトロスが、マリアムネの二人の遺児を追い落とそうと画策する。
兄アレクサンドロスの妻はアントニウスの部下カッパドキア王のアルケラオスの娘でグラフュラ。
弟アリストブロスの妻はヘロデ大王の妹サロメの娘ベロニカである。

兄弟たちにたいするアンティパトロスの策謀/p201~

ヘロデは美しい宦官たちを寵愛しており、一人は酌人、一人は食事係、一人はベッドメイカーであった。これらの宦官が、二人のマリアムネの遺児によるヘロデ中傷(白髪染めのヘロデはお先短い、いずれ自分らの天下になる)をゲロする。

アレクサンドロス、カッパドキアのアルケラオスの仲介で父と和解する/p208~

舅のカッパドキアのアルケラオスの仲介で、アレクサンドロスは一旦父ヘロデ大王と和解。

第五章 ヘロデの息子たちの最期

ヘロデ、息子たちを調べる/p225~

マリアムネの二人の遺児が、ヘロデ暗殺失敗の逃亡先をカッパドキアのアルケラオスのもとにしていたことはゲロする。

ヘロデ、息子たちを裁くためベリュトスで会議を開く/p238~

二人の裁判にべリュトス集結を命じる。カッパドキアのアルケラオスは呼ばれない。

二人の兄弟の最期/p248~

絞殺で処刑。

ⅩⅦ

第一章 アンティパトロスの策謀

ヘロデの妻と子供たち/p260~

「なお、そのころの王ヘロデには九人の妻があった。」

「すなわち、アンティパトロスの母親(最初の妻ドリス)、大祭司の娘で自分と同じ名を名乗らせた息子の母親、兄弟の娘、従妹、ただしこの二人に子供はなかった。」

「また、サマリア人の妻には、アンティパスとアルケラオスという二人の息子と、後年、王の甥ヨセポスと結婚することになるオリュムピアスがいた。」

「なお、アルケラオスとアンティパスはローマであるユダヤ人に育てられた。」

「エルサレム人の妻クレオパトラには、ヘロデとフィリポスという二人の息子があり、後者もまたローマで育てられた。」

最期まで王位継承者であったドリスの子アンティパトロスは、土壇場で、ヘロデへの暗殺陰謀が発覚し、処刑される。

相続人たちの出自

四分割相続に残るのは、
①サマリア人の妻の長男アルケラオス:ユダヤ・サマリア・イドマヤの領主へ。
②サマリア人の妻の次男アンティパス:ペレアとガリラヤの領主へ
③エルサレム人の妻の子フィリポス:小さな領域
④妹サロメ:小さな領域

である。
つまりヘロデの後継者=イドマヤ人✕サマリア人である。

第二章 ヘロデの死(前4年)

ヘロデの病気と遺言状/p300~

「とくに妹のサロメには莫大な資産を与えた。彼女はどのような場合にも彼に忠実であって、あえて彼を損なうようなことをしなかったからである。」

ユダスとアッティアスの反乱とその鎮圧/p301~

ユダヤ人最高の二人の学者が、ヘロデの律法に反する建造物を引き倒すべきだと言って、「ユダヤ教原理主義者」の若者を煽動した。
ヘロデはエリコにこの反逆者を連行し、円形競技場で弾劾した。
ハスモン朝の連中は、125年の統治期間、このような荘厳な建造を一つもしなかったのに、自分の神の栄光のためにした建築を破壊するとは言語道断。
学者と反逆者どもは焚刑に処す。

ヘロデの病状悪化と、彼の大虐殺計画/p306~

全ユダヤ民族の主だったユダヤ人を呼出し競技場へ拘禁する。
妹サロメと夫のアレクサスを呼出し、競技場の全員を殉死虐殺で、自分の墓を荘厳するように頼む。これはヘロデの保守的ユダヤ人を抹殺する彼なりの善政の総仕上げだったのかもしれない。

カイサルの命令とアンティパトロスの処刑/p311~

ヘロデ暗殺が発覚し、アンティパトロス処刑される。

ヘロデの最後の遺言状とその死/p313~

①サマリア人の妻の長男アルケラオス:ユダヤ・サマリア・イドマヤの領主へ。
②サマリア人の妻の次男アンティパス:ペレアとガリラヤの領主へ
③エルサレム人の妻の子フィリポス:小さな領域
④妹サロメ:小さな領域

※ 新王アルケラオス

アルケラオスの登場/p314~

サロメとアレクサスは、競技場のユダヤ人のセレブを解放し、新王アルケラオスを支えるように言い渡す。

第三章 ヘロデの死後の混乱

エルサレムにおける反乱の鎮圧/サビノス、エルサレムへ赴任する/p319~

律法学者の残党がアルケラオスに、復古政策を要求して、暴動。
アルケラオス3000人を粛清。

アンティパス、アルケラオスと王権を争う/p324~

アンティパスは、王妹サロメの支持があり、実母も彼の味方であった。
おそらく母違いの兄アルケラオスの凶暴性を畏れたユダヤ人は、アンティパス側についた。

カイサル、決定を保留/p326~

土壇場で王位継承を指名されたいちばん年長であったアルケラオスと、サマリア人の母の腹で、直前まで王位継承者に指名されており、王妹サロメの支持があるアンティパスの支持者が、ローマに駆けつけて、カエサル=アウグストゥスの決定を仰ぐが、保留する。

サビノスの挑戦とユダヤ人の抵抗/p333~

決定保留のうちに、アルケラオスの母親マルタケが病気で亡くなった。
ユダヤでは総督サビノスが暴動を武力で粛清して叛乱が広がる。

ユダヤ各地の騒乱/p338~

反乱は、エルサレムからユダヤ各地に飛び火する。

ウァロス、サビノスを救援して反乱を鎮圧/p343~

叛乱鎮圧。寛容な措置。

ユダヤ人、カイサルに統治形態の変更を要求/p346~

ユダヤ人、アルケラオスが暴君のため、王政廃止、ローマのシリア属州編入を要求。

アルケラオスの統治/p357~

結局、カエサルに認知されヘロデ大王の後継者に。

アルケラオスにたいする新たな告発/p358~

アルケラオスの統治の第10年、ユダヤとサマリアの指導者が、アルケラオスの残虐性と暴君ぶりを、カエサルの命令に違反していると訴える。
カエサル、アルケラオスをイタリアの町ビエンナに流刑にする。

ユダヤ、シリアの1州となる/p362~

アルケラオスの領地、ユダヤ、サマリア、イドマヤは、シリア州に編入されて、シリア総督キュリニオスが着任する。

※イエス誕生前夜のユダヤとガリラヤ

イエスが誕生したころのユダヤは、アルケラオスの治世。これを逃れて、ガリラヤへ移住した。ヘロデ・アンティパスの治下の方が寛容だったので。
紀元後6年に、シリア属州=ユダヤ属州となる。
最初の総督はキュリニオス=キュリニウス。
二代目がピラトゥス(在位26-36年)。

一方、移住先のガリラヤでは、王妹サロメの娘婿アンティパスの治下でまだ王国である。

第6巻目次

ⅩⅧ

第一章 ユダヤ、ローマの属州となる(後六年ー)
第二章 ヨセフスのいわゆる「キリスト証言」
第三章 アグリッパス一世の統治(三七年ー)

ⅩⅨ

第一章 ガイオス・カリグラ帝の暗殺
第二章 クラウディオス、皇帝に即位
第三章 アグリッパス一世の支配

ⅩⅩ

第一章 ローマ総督支配下のユダヤ(その一)
第二章 アディアベネ王家の改宗物語
第三章 ローマ総督支配下のユダヤ(その二)
第四章 大祭司制
第五章 ローマ総督支配下のユダヤ(その三)ー破滅への道

ⅩⅧ

第一章 ユダヤ、ローマの属州となる(後六年ー)

※ ユダヤ属州化(後6年~)とピラトス登場

キュリニオス、諸民族統治のため、シリアに着任/総督コポニオス、ユダヤに着任/大祭司ヨアザロス、ユダヤ人に服従を説得/p13

後6年、全シリア総督にキュリニウスが、ユダヤ総督にコポニウスが着任する。
ガマラ(ヘブル語でらくだ=ガマル)という町から来たユダスという男が、パリサイ人のサドコスを引きずり込んで、反抗運動に乗り出す。
ユダスとサドコスは第四の異端の哲学をもたらした。

ユダスとその一味/p20~

反ローマ主義、ローマ皇帝を主と呼ぶことを拒否。

サロメの死/p22~

カエサル=アウグストゥスの死。
王妹サロメの死。
ティベリウス・ネロの即位。
ユダヤ第5代総督・ポンティオス・ピラトスが着任(26-36年)。

ティベリアスの建設/p24~

四分王のガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスは、ティベリウス帝の親しい友人仲間に加えられていた。
ゲンネサル湖にのぞむ一等地に町をつくり、ティベリウス帝の名を冠して、ティベリアスと名づけた。

ユダヤ人、ピラトスに抵抗/p31~

ピラトスは賢明にも、エルサレムに水を運ぶ導水管の工事に、聖なる拠出金の一部を費消した。「しかし、ユダヤ人たちは聖なる拠出金を使ってまでしての工事を快く思わなかった。」(これはヨセフスの主観であろう)。
ユダヤ人の「ユダヤ教原理主義者」どもは暴徒と化した。ピラトスは、兵士たちに棍棒で暴徒を鎮圧させた。

第二章 ヨセフスのいわゆる「キリスト証言」

※ 「ユダヤ教原理主義者」VSヘロデ朝とローマ帝国

イエスス・クリストスの生と死と復活/p34~

「さてこのころ、イエススという賢人ー実際に、彼を人と呼ぶことを許されるならばーが現われた。」

「ユダヤ教原理主義者」ヨセフスのいうことだから、キリスト教徒による加筆が疑われている行である。

ユダヤ人、首都ローマから追放される/p39~

三人のユダヤ人詐欺グループが、ローマ夫人をユダヤ教に勧誘し、エルサレム神殿に送るといって金や紫染料を巻き上げる。
夫がティベリウス帝に申し出て、怒ったティベリウス帝は、
①全ユダヤ人共同体をローマ追放に処す。
②ユダヤ人から4000人を徴兵して、サルディニア島の死亡率高い戦線に送った。

ピラトス、サマリア人を虐殺/ウィテリオス、ピラトスをローマへ召還/p40~

サマリア人の武力叛乱を鎮圧して、全シリア総督ウィテリオスが、ピラトス解任、召還。

ウィテリオス、大祭司の式服の保管を祭司たちの手に戻す/p42~

「ウィテリオスは人びとから盛大な歓迎を受けた。彼はそれに応え、・・・さらに、大祭司の式服およびすべての副飾品が神殿内で祭司の手で保管される、かつての彼らの特権を許すことに同意した。」

「なお、大祭司の式服が、当時アントニアーそこはこのように呼ばれた要塞があったーに収められていたのは、次のような理由からである。」

「大祭司の一人であるヒュルカノスーというよりは、同名の者の中で最初にこの名で呼ばれた人物ーは、神殿の近くに大邸宅を建て、ほとんどいつもそこで暮らし、そして式服を手もとに置いていた。」

「ところが、ヘロデが王になると、この邸宅が便利な所に建てられていたため、彼は巨費を投じて修理を行なったのち、アントニオスの友人だった彼は、それをアントニアと呼んだ。しかし彼は、そのとき見つけた大祭司の式服だけは、そのままそこに置いていた。こうしておけば、民衆は自分に反抗しないだろう、と信じたからである。」

後のウィテリウス帝は、ユダヤ人におもねって、ヘロデが成し遂げた世俗化を、後退させた。

領主ヘロデ、義父アレタスに敗れ、ティべりオス帝に援助を願い出る/p48~

ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパス、アレタスの娘を追い出して、親族のヘロディアと結婚したため、義父と戦争に。旗色が悪くなり、友人のティベリオス帝に援助を申し出る。

洗礼者ヨアンネスの物語/p50~

ヘロディアとの結婚を批判され、ヘロデは、洗礼者ヨハネを処刑する。

ヘロデ朝の北王国の主人ヘロデ・アンティパスは、南王国の主人アルケラオスとともにサマリア人の母マルタケとイドマヤ人のヘロデ大王の子。

※ ハスモン朝とヘロデ朝のハーフのアグリッパスがカリグラの支持で王に

アグリッパス、ユダヤに帰る/ここでも食いつめ再びイタリアへ/p57~

ティベリオス、アグリッパスの帰還を喜ぶ/ついで投獄/p61

食いつめたアグリッパスは、ローマに帰るが、アントニアの孫のガイウスのご機嫌を取って、ティベリウス帝に投獄される。

ガイオス、ヘロデとヘロディアをガリアへ追放し、彼らの領地をアグリッパスに与える/p87~

ガイウス・カリグラが即位すると、ご機嫌取りのアグリッパスをガリラヤの王にして、ヘロデ夫妻を追放する。

※ ユダヤ人への風当りが増す、ユダヤ人暴徒化

アピオーン、ユダヤ人を告訴/p90~

アレクサンドリアで、ユダヤ人とギリシア人の間で紛争が起きる。
アレクサンドリア人の代表は、ユダヤ人を口汚く罵ったアピオーンだった。
アピオーンは、ホメロス学者。
ユダヤ人だけ皇帝を神として祀らないことを攻撃。

ガイオス、フィローンを斥け、ユダヤ人にたいする立腹ぶりを示す/p91~

ユダヤ人の代表は哲学者フィローン。ガイウス・カリグラは、ユダヤ人に激怒。

二人の兄弟アシナイオスとアニライオスの繁栄物語/p109~

ユダヤ人の兄弟が野盗になって貢納を巻き上げる。

アニライオスのスキャンダルとアシナイオスの死/p117~

アニライオスはパルティア人の妻を娶るが、妻は持仏を持って祈っていた。
「その国では習慣として、すべての人が家の中に自分の礼拝する対象となるものをもっており、国外へ出るときもそれを携行した。」
アシナイオスが、異教崇拝を非難すると妻は、彼を毒殺した。

アニライオス、ミトリダテスを捕え、ついで釈放する/p121~

アニライオスは、パルティア王アルタバノスの娘婿ミトリダテスを捕え、裸にしてろばに乗せる。これはパルティア人の間では最大の屈辱とされる。そののち許してもらえると釈放する。

アニライオスの死/p123~

ミトリダテスの妻の王女は激怒して、アニライオスを殺すようにいう。
パルティア人によって野盗アニライオスは殺される。

セレウケイアのユダヤ人/p127~

野盗アニライオスが殺されると、貢納を強いられていたバビロニア人とシリア人は団結して、セレウケイアのユダヤ人を皆殺しにした。

ⅩⅨ

第三章 アグリッパス一世の支配(四一ー四四年)

クラウディオス、アグリッパスの統治権を確認し、加領する/p212~

ガイウス・カリグラ帝が暗殺されても、クラウディウス帝は、先帝が37年にアグリッパスに認めていたユダヤ人の統治権をそのまま承認した。
したがって、アグリッパ一世のユダヤ王としての統治期間は、37年から44年となる。

ドラの若者たち、カイサルの像を建てる/p218

ドラのユダヤ人の若者たちが、カエサルの像をユダヤの会堂に持込んで建てる事件が発生。
ローマの支配を受けてより、ユダヤ人は、ローマ皇帝の権威を拒否していたことがわかる。イエスは現実的で、「カエサルのものはカエサルに」という表現で、世俗生活と信仰生活を分けて常識的に受け入れられる生活様式を勧めた。ユダヤ原理主義者のパリサイ派より、ピラトスなどローマの役人からみると、イエスのほうがよっぽど常識的で、友愛的であった。


ライシテ主義者イエス

「カエサルのものはカエサルに」のイエスの名言の誕生した背景は重要である。
イエスは、「ドラのユダヤ人の若者たちが、カエサルの像をユダヤの会堂に持込んで建てる事件」に原理主義的に律法違反と弾劾したパリサイ人に対して、
世俗生活と信仰生活を分けて常識的に受け入れられる生活様式を勧めたのである。
日本国憲法やフランスの憲法が、「ライシテ」=「世俗主義」を取っているのと同様、イエスは、神権政治の害毒を熟知していたと推定される。

アグリッパスの性格/p225~

ヨセフスは、ハスモン朝とヘロデ朝両方の混血のアグリッパスについて寛容で、高く評価している。ヘロデをこきおろしているが、丸まる「ヘロデ一代記」を成す「ユダヤ古代誌 5」を読めば、ヘロデの大王といわれる偉大な人物像が、その事績によっておのずとわかる。

カイサレイアの劇場内での出来事とアグリッパスの最期/p229

「アグリッパスは、全ユダヤを王として支配するようになってから満三年のときが経過したとき、はじめてカイサレイアの町ーそこはかつてストラトンの塔と呼ばれたーを訪問した。」

「さて、見せ物の二日目のことである。アグリッパスは銀糸だけで織られたすばらしい布地で裁った衣装をつけて、暁の劇場へ入場した。太陽の最初の光が銀糸に映えてまぶしく照り輝くその光景は、彼を見つめる人たちに畏怖の念を与えずにはおかなかった。」

「「・・・これからは不死のお方であります」
王はこれらの者たちを叱りもしなければ、その世辞を神にたいする冒瀆として斥けることもしなかった。」

「しかし、五日間にわたる腹部の痛みに消耗し切った王は、ついに五四年間(前10ー後44年)におよぶ生涯と七年間の治世を終えた。」

「彼はガイオス・カイサル治世四年間(37ー41年)を王として治め、そのうちの三年間はフィリッポスの領地を支配し、四年目にはヘロデの領地をそれに加えた。引き続いて彼は皇帝クラウディオス・カイサル治下の三年間(41-44年)を王として治めたわけであるが、その間、前記の土地を支配し、ユダヤ、サマリア、およびカイサレイアをも領地に加えた。」

※ ヘロデ大王の後継者たち 総括

①ヘロデ・アルケラオス(後4ー6年)
ヘロデ大王の四分割王国を、継承した筆頭相続者ヘロデ・アルケラオスは、ユダヤ、サマリア、イドマヤ全域を相続したが、6年に、その残虐性をローマに否認されて、ガリアに流刑になり、彼の領域はいったんローマの属州になる。

②ヘロデ・アンティパス(後4ー39年)
ガリラヤを相続したヘロデ・アンティパスは、ティベリウス帝の友人で、ティベリウス帝治下では、ガリラヤとペレアの領地を安堵されており、ヘロディアとの結婚を非難され洗礼者ヨハネを処刑したが、イエスの敵ではなかった。イエスを罰する必要ありとはしなかった。帝が死ぬと、カリグラ帝におもねっていたアグリッパ一世が讒言して、イタリアに流刑となる。ヘロディアは、ハスモン朝の血も引いていたので許されようとするが、夫に殉じて流刑を選択し、夫婦仲のよさが伝わっている。
イエスは、ガリラヤ人であったが、ローマ属州のピラトス総督治下で、裁かれ、パリサイ派によって処刑に導かれた。

③アグリッパ1世(後39ー44年)
ガイウス・カリグラ帝によって、ユダヤの旧領地を復帰してもらったアグリッパ1世は、ローマ直轄からユダヤの独立王国を安堵される。
カリグラ帝が亡くなっても、クラウディウス帝からも領土を安堵される。
パリサイ派のハスモン朝の末裔ヨセフスは、善君として評価するが、
原始キリスト教の『使徒行伝』の著者は、パリサイ派を優遇して、ゼぺタイの子ヤコブを処刑し、ペテロを投獄する残虐な君主として描いている。
大ヤコブやペテロは、ユダヤ教の分派としてのキリスト教者という立場を取っていたが、それでもパリサイ派からは敵であった。
イエスは、ユダヤ教の一分派ではなくアテン教の末流の立場である。パリサイ派とは真向から対立した。

アグリッパスの遺児/p232~

アグリッパ1世の子アグリッパ2世は、ローマでクラウディウス帝の所で養育されていた。

ⅩⅩ

第二章 アディアベネ王家の改宗物語

アディアベネ王家の改宗物語/p244~

アディアベネ(メソポタミア地方北部に流れる二つのザブ川にはさまれた地域。首都はアルベラ)の王女ヘレネとその子イザテスのユダヤ教改宗。

例によって、末子のイザテスは、上の息子たちの嫉妬を買って、スパシヌー・カラックスの王アベンネリゴのもとで養育される。

アディアベネ王国を兄たちを差し置いて相続。

スパシヌー・カラックスのユダヤ商人アナニアスからユダヤ教を学ぶ。

母ヘレネも別経路でユダヤ教に改宗。

ガリラヤから来た教師エレアザロスが割礼を勧める。

ヘレネのエルサレム巡礼と、飢餓下の善行/p252

エルサレムに巡礼して、市に巨額の寄付をして飢饉を救う。

イザテスとヘレネの死/エルサレムにつくられた彼らの墓/p263~

エルサレムに墓を建設。

第三章 ローマ総督支配下のユダヤ(その二)

カルキスの王ヘロデの死と、その後継者アグリッパス二世/p267~

アグリッパ1世の弟カルキスのヘロデがユダヤ王を継承していたが、死に、アグリッパ二世が相続する。(後48年)。

第四章 大祭司制

連綿とつづいてきた大祭司制について/p298~

①モーセの兄アロンの家系

②アロンからユダヤ戦争中のファナソスまで83名。

③アロンからソロモン治世まで13名。
アロンの三男筋と二男筋が継承。

④ユダヤの統治形態は、貴族制・独裁制・王制と変遷。
(独裁制や王制は、大祭司の力をそぐ。世俗的な君主は、民衆の利益を代表するからだ。王制が崩壊したところに原理主義がはびこる。フェニキア人は「自由・平等・友愛」であったが、世俗性の希求のため、王権や帝国を形成した。)

⑤ソロモンからバビロン捕囚の大祭司ヨサダコスまで18名。
強力な王=テュロス帝国の代官が統治したので、大祭司の力は弱化。

⑥70年のバビロン捕囚時代。(前538年まで)

⑦第二神殿建設
「第二神殿の定礎は前537年秋。ただし神殿工事は妨害のため中止。
再着手は前520年。完成と奉献は、前516年。

⑧第二神殿からアンティオコス・エウパトル王治世
ヨザダク=ヨサダコスを含めた15人。

⑨アンティオコス・エウパトルとその将軍リュシアスが、歴史上大祭司を解任した最初の人物。
父は英雄アンティオコス4世エピファネス。「ユダヤ教原理主義者」の世俗化に大活躍。

⑩大祭司不在時代が7年

⑪ハスモン朝で、ヨナテスが大祭司に。シモン、ヒュルカノス、ユダス・アリストブロス。

⑫ユダス・アリストブロス、大祭司と王を兼任。

⑬アレクサンドロス・ヤンナイオスが、大祭司兼王として27年統治。

⑭ヒュルカノスとアリストブロスのハスモン朝の末裔

⑮ヘロデ大王が大祭司をハスモン朝以外の祭司から立てる。
ヘロデは、大祭司を王の下に置いたのである。世俗の優先である。

第五章 ローマ総督支配下のユダヤ(その三)ー破滅への道

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