本の情報
著者 :青木 健
発行所 :株式会社 講談社
シリーズ:講談社選書メチエ
発行年 :2008年3/10 第一刷
プロローグーアーリア民族とゾロアスター教
古代オリエント時代の最終ランナーにしてイスラーム時代の先駆者=アーリア民族
3つの時代区分
古代オリエント時代:紀元前三三〇〇年~紀元前五五〇年
古代アーリア民族の時代:紀元前五五〇年~紀元後六五〇年
イスラーム時代:紀元後六五〇年~現代
p9
古代アーリア民族の活動
古代アーリア民族の活動は、
①古代オリエント文明を政治的・経済的・文化的に集大成した最終ランナーとして興味深く、
②インド亜大陸やヨーロッパに移動した別系統のアーリア民族との比較という点でも注目に値する。
③来たるべき「イスラーム時代」を準備した先駆者としての意義も見逃せず、
④「イスラーム時代」にも独特の位置を維持し、イラン・イスラーム文化を形成した点で重要である。
p17
古代アーリア人の民族宗教
オリエント文明への闖入者
古代アーリア民族は、古代オリエント世界の主軸をなしていたセム系民族とは言語や原始的な宗教観念を異にし、途中から闖入者として西アジアに姿を現した。
p18
古代アーリア民族の宗教の特異性(呪術性・階級制)
古代アーリア民族の宗教は、濃厚な呪術性、思想を神話的イメージに載せて語る独特のディスクール、異なる文化伝統を有する者には意味不明なアーリア人固有の神格群、それらの諸神格に向けて細かく規定された儀式の方法、そして、呪術や儀礼を司る神官が絶対優位な階級社会・・・・・・こういった点に特徴があった。
p18
牧畜文化のベース
また、本来的には中央アジアで牧畜に従事していた古代アーリア人に特有の生活習慣も、それを背後から支える要素として逸することができない。
p18
原子ゾロアスター教教団の誕生
前12~9世紀のザラスシュトラ・スピータマ
続く第二章では、原始ゾロアスター教の成立を扱う。
紀元前一二~紀元前九世紀ごろ、上述のような古代アーリア民族の宗教観念が充満する中央アジア~イラン高原東部から、ザラスシュトラ・スピ―タマという神官が現れ、新たな教えを齎した。
p18
善悪二元論と直線的歴史観
それを要約すれば「この世は善と悪の闘争の舞台であり、人間存在は善の戦士である。世界の終末には救世主が現れて、必ずや善が勝利するであろう」という、あらかじめ筋書きの判明した宇宙的ドラマである。
p18
非理性的原理による善悪の措定
しかし、この二元論的世界観の中で、何が善で何が悪に当たるかは、何らかの原理に従って理性的に弁別されるよりは、教祖の啓示又は古代アーリア民族の生活文化の中で先験的に指定されていた。
p19
悪認定された生命への残虐性
その結果として「カエルやサソリは見つけ次第に殺戮すべし」という宗教法が定められたのでは、カエルやサソリこそ災難である。
p19
古代アーリア民族の諸宗教
ミスラ教・アルメニア人の宗教・ヤズィード教
本書の第三章では、この古代アーリア民族の諸宗教の形態として、イラン高原東部のミスラ教、太陽崇拝、イラン高原西部のアルメニア人の宗教、クルド人のヤズィード教を比較定詳しく取り上げ、原始ゾロアスター教を古代アーリア民族の宗教の枠組みの中で相対化する。
p20
ゾロアスター教の最終形態とサーサーン王朝ペルシア帝国
ゾロアスター教の国教形態
「古代アーリア人の時代」の掉尾を飾るのが、二二四年に成立したサーサーン王朝ペルシア帝国である。この帝国が、数ある古代アーリア人の諸宗教の中からゾロアスター教を国教として選択したことで、同教は他の古代アーリア人の宗教を抑えて国家権力の保護を受け、古代アーリア人の土俗的信仰の枠を超えて明確な教義を備えた宗教に脱皮した。
p20
第一章 古代アーリア民族と彼らの宗教
1 古代アーリア人の民族移動
インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン・ヨーロッパへの分岐
原始インド・ヨーロッパ語族の分岐/西方系と東方系・・・前三〇〇〇年ごろ
原始インド・ヨーロッパ語族は、紀元前三〇〇〇年ごろから、中央アジアを起点として東西に民族移動を開始し、まず、ヨーロッパへ向かう西方系と、イラン高原・インド亜大陸に向かう東方系に分かれたとされる。
p26
狭義の「アーリア人」:「アーリア人」を自称した東方系のみ
このうち、明確に「アーリア人」と自称していたのは東方系だけなので、狭義の「アーリア人」とは、このころにイラン高原とインド亜大陸に移住したインド・ヨーロッパ語族を指す。
p26
広義の「アーリア人」:歴史から遡及して後年措定されたインド・ヨーロッパ語族全体
後年、この事実から遡及して、ヨーロッパに移住した白人種も「アーリア人」を名乗るケースがあったので、「アーリア人」を広義に用いる場合には、インド・ヨーロッパ語族全体を指す。
p26
東方系は「金髪碧眼の白人種」ならず
先住民族や外来民族との間で絶えず混血を繰り返したと予想される「アーリア人」を、人類学的な特質によって、例えば「金髪碧眼の白人種」と規定することはできない。実際、二〇世紀後半のあるイラン滞在記によれば、現代のイラン高原の住人の一六人中一五人までは黒髪黒目で、金髪碧眼は一六人中一人くらいしかいないとしう。
p26
インド・ヨーロッパ語族の分類
西方系と東方系(前三〇〇〇年を分岐に)
東方系
自称「アーリア人」
イラン高原とインド亜大陸の住民。
西方系
自称「ケルト人」
アナトリア高原、テッサリアからバルカン半島、ヨーロッパの住民。
インド亜大陸:ヒンドゥー教徒ーの祖へ
このうち、インド亜大陸に進出したアーリア人は、紀元前一五〇〇年ごろから、先住のドラヴィダ人に代わってガンジス川流域に定住し、自らの住まうインド亜大陸北部を、サンスクリット語で「アーリヤーヴァルタ(アーリア人の土地)」と名づけた。彼らが、現在のインド人ー少なくとも上位カーストのヒンドゥー教徒ーの祖である。
p27
イラン高原:ハカーマニシュ(アケメネス)王朝とサーサーン王朝のペルシア帝国
他方、イラン高原に進出したアーリア人は、徐々に正体不明の先住民族を駆逐してイラン高原東部に浸透し、ここをアヴェスター語で「アルヤナ・ワエージャフ(アーリア人の土地)」と名づけた。その後、イラン高原全域に拡大して南部のペルシア地方に定住した一派は、紀元前六世紀にはオリエントを統一してハカーマニシュ(アケメネス)王朝ペルシア帝国を樹立した。
三世紀に成立したサーサーン王朝ペルシア帝国は、自らの支配領域をパフラヴィー語(中世ペルシア語)で「エーラーン・シャフル(アーリア民族の帝国)」と称している。
p27
西方系:ヨーロッパ人≠「アーリア民族」
ヨーロッパに移住したインド・ヨーロッパ語族は、自ら「アーリア人」を名乗ることはなかったが、歴史上の一時期、主としてゲルマン民族が、「アーリア人」を称して極端な選民意識を持った。このナチス・ドイツの記憶があるため、・・・・・・・
p27
アーリア人の後継者=テュルク人の民族移動
テュルク人の民族移動
西暦八世紀以降、約三〇〇〇年前にアーリア人が行ったのとほとんど同じ運動律を示し、中央アジアからインド亜大陸、イラン高原、小アジア、さらにはヨーロッパまで進出して、ユーラシア大陸の至る所で政治的な覇権を掌握したのはテュルク(トルコ)系民族だった。
p28
インド亜大陸:テュルク人イスラーム教徒の統一帝国
インド亜大陸では、アーリア人ヒンドゥー教徒の諸王朝はテュルク人イスラーム教徒の統一帝国に取って代わられ、
p28
イラン高原:新来のテュルク人イスラーム教徒のマムルークへ
イラン高原では、土着のアーリア人イスラーム教徒は新来のテュルク人イスラーム教徒の武力に圧倒された。
p28
小アジア:オスマン帝国
小アジアではビザンティン帝国が滅んで、オスマン・トルコ帝国が樹立され、
p28
ヨーロッパ:フィンランド、ブルガリア、ハンガリー
ヨーロッパにはフィンランドやブルガリアなどテュルク系国家が誕生した。
p28
モンゴロイド=テュルク系の帝国へ
一七世紀ごろ、中国とヨーロッパを除くユーラシア大陸を支配した三大帝国が、インド亜大陸のムガル帝国、イラン高原のサファヴィー王朝、小アジアのオスマン・トルコ帝国と、いずれもテュルク・モンゴル系の王朝だったのは、テュルク民族の政治的・軍事的覇権の絶頂を示している。八~一〇世紀を境にして、アーリア人のユーラシア大陸中央部における覇権は終わり、新たにウラルアルタイ語族に属するテュルク人の時代が始まったと見ることができる。
p29
2 古代アーリア人の宗教
アーリア人の民族宗教保持とテュルク人のイスラーム改宗
インド亜大陸では、古代アーリア人の宗教(通称ヴェーダの宗教)をそのまま発展させてバラモン教を形成したし、イラン高原では、古代アーリア人の民族宗教を改革する形でゾロアスター教を生み出し、中央アジアでもゾロアスター教の亜流が栄えた。
p30
宗教観念の共通性
デュメジルの三階級制度
今、仮にデュメジルの説くところに従えば、古代アーリア人の社会は、神官階級・戦士階級・庶民階級という三階級によって厳然と仕切られていた。この階級制度は、民族移動した後も、インド社会のカースト制度、イラン社会の三階級制度などとして、各民族に痕跡として残った。また、彼によれば、ナチス・ドイツの組織も、この古代アーリア人社会の三階級制度を無意識的に継承していると分析される。
p31
アーリア人の民族宗教の変容
ゲルマン民族(階級的多神教→平等のキリスト教的一神教)
ヨーロッパに定住したゲルマン民族の間では、当初ゲルマン神話の世界観が主流だった。しかし、五世紀にセム的一神教であるキリスト教の布教が始まったからは、ゲルマン神話に代表される民族宗教は急速に衰えていった。
p32
イラン民族:後300-700年(階級的多神教→階級的・善悪二元論的ゾロアスター教)
イラン高原に定住したアーリア人は、宗教思想に関しては最も激しい変動を経験した。彼らは、本来は古代アーリア人の多用な民族宗教を信仰していたが、三世紀に、ザラスシュトラ・スピータマの教えがサーサーン王朝の政治権力と結びついてペルシア帝国の国教に昇格すると、これによって一元化された。
p32
イラン民族:後700-1000年(スンナ派イスラームへ)
しかし、この状況も四〇〇年ほどしか続かず、七世紀にペルシア帝国がアラブ人イスラーム教徒によって征服された後は、三〇〇年ほどかけてスンナ派イスラームに改宗していった。
p32
イラン民族:後1000年-現在(シーア派イスラームへ)
一〇世紀ころからテュルク人がイラン高原に大量進出すると、今度はシーア派イスラームに改宗して現在に至っている。
p32
インド亜大陸:バラモン教からヒンドゥー教へ
古代アーリア人の宗教をインド亜大陸に移植してバラモン教を形成した。途中、仏教の興隆を挟みつつ、四世紀になると、征服されたドラヴィダ人の要素が表面に浮上し、「純粋アーリア的要素(バラモン教)+ドラヴィダ的要素」の混合態としてヒンドゥー教が成立した。
p32-33
インド亜大陸:テュルク系イスラーム教徒の侵入もヒンドゥー教が優勢
一三世紀以降のテュルク系イスラーム教徒の侵入からもそれほど大きな影響を受けないまま、現在に至っている。
p33
イラン高原のアーリア人の神々列伝
イラン高原の古代アーリア人の三階級社会に対応する三階級神格
ゾロアスター教思想を理解するためには、その前段階として、イラン高原の古代アーリア人の三階級社会に対応する三階級神格ーを理解しなくてはならない。
p33-34
デュメジルの分類にみる古代アーリア人の三階級神
図表3に示すところがデュメジルが分類する社会三階級の神々、アーリア人の呪術に欠かせない聖火の神、河の女神など、一般的な自然崇拝の神々である。
p34
ミスラ神
ミスラ神:友情・契約などを司る太陽神=神官階級を投影
ミスラ神:友情・契約などを司る太陽神で、古代アーリア人の間で非常に人気が高かったらしい。特に、宇宙の秩序を維持する機能は、地上における神官階級の役割を投影したものと考えられている。
p34
二元論のゾロアスター教の中で位置を与えられず
しかし、イラン高原ではザラスシュトラ・スピターマの二元論的世界観の中に座を与えられず、ゾロアスター教的には目立たない位置に追いやられた。
p34
周辺部で、ミトラ教、弥勒菩薩信仰へ
それでも、ゾロアスター教の影響をそれほど受けないイラン高原周辺部の古代アーリア人の間ではかなり後世まで生き残り、ローマ帝国におけるミトラ教、中央アジアにおける弥勒菩薩信仰などに継承された。
p34-35
ヴァーユ神
ヴァーユ神:風を擬人化した戦闘神=戦士階級を投影
ヴァーユ神:風を擬人化した戦闘神で、戦士階級の間で信仰されていたと考えられている。
p35
二元論ではやっかいな神で降格=善悪両義的な神
しかし、イラン高原ではザラスシュトラ・スピターマの二元論の枠内に上手く収まりきらず、善悪両方の勢力に協力する日和見的な神に降格されている。
アータル神
アータル神:聖火を擬人化した神
アータル神:古代アーリア人は、聖火を焚いて呪術を執行する習慣があったので、その聖火を擬人化した神。
p35
ゾロアスター教=「拝火教徒」/「アータル神一神教」と誤認
従って、ゾロアスター教を指して「拝火教徒」と呼ぶのは、あたかも「アータル神一神教」を連想させて本人たちにとってはなはだ不本意である。
p35
アナーヒター女神
アナーヒター女神:豊穣・子孫繁栄・純潔を司る女性神
古代アーリア人は、中央アジア→イラン高原と、比較的水資源の乏しい地域を民族移動してきたので、河川に対して格別の思い入れがあったらしい。そして、その河川の神は、アーリア人の神格としては珍しく、豊穣・子孫繁栄・純潔を司る女性神アナーヒターとして古代アーリア人のパンテオンに祀られることになった。
p36
第二章 原始ゾロアスター教団の成立ー二元論と白魔術の世界観
1 ザラスシュトラ・スピターマの到来
ザラスシュトラ・スピターマの誕生
前12-9世紀=「前一二〇〇年のカタストロフ」直後の時代
紀元前一二~紀元前九世紀ごろ、中央アジア~イラン高原東部一帯では、民族移動途上の古代アーリア人が、牧畜生活を送っていた。
p38
ザラスシュトラ・スピターマの出自=古代アーリア人の神官一族
ザラスシュトラ・スピターマは、その古代アーリア人の階級社会と多神教信仰のただ中に、ハエーチャスパ族の神官一家の息子として生まれた。
p38
宗教改革の開始:20歳
二〇歳の時に、彼は自分が継承した古代アーリア人の宗教に反旗を翻した。そして、家出して放浪の旅に出たらしい。
p38
宗教紛争を巻き起こす
後世の伝承によれば、彼の宗教的主張のせいで至るところで紛争を巻き起こし、在来の古代アーリア人の宗教の神官階級から忌避されて一所不在の生活を送らざるを得なかったのだという。
p39
カウィ・ウィーシュタースパとの邂逅
パトロンとの出会い
四二歳の折に、たまたまナオタラ族の王カウィ・ウィーシュタースパと出会ってから運が開けた。
伝承によればカウィ・ウィーシュタースパに仕えていた古代アーリア人の宗教の神官たちは追放され、ザラスシュトラが王の専属神官の地位を得たようである。
p39
ザラスシュトラの死去
ザラスシュトラの死去については、ほとんど何も分かっていない。
教祖死去の段階では原始教団の基礎は相当固まっていたらしく、娘婿のジャーマースパが教団の指導権を引き継ぎ、特に離反者を出すこともなかった。
p40
2 アーリア人の神々の二元論的再編成
教祖直伝の呪文
ザラスシュトラの作った呪文=ガーサー
ザラスシュトラは、伝統的な古代アーリア人の宗教の呪文の他に、自ら韻文の呪文「ガーサー」を詠んだ。原始教団の中核的呪術儀礼「ヤスナ」の中では、このザラスシュトラ作成の呪文こそ、最も霊力が高く、一連の儀式の中心で朗誦されるべき聖呪とされた。
p41
善なる神々と悪魔たちの創出
人工的な新たな神「アフラ・マズダー」の創案
ザラスシュトラは、・・・・・・古代アーリア人の多神教の中で崇められていた諸神格の一つを選んで自分の啓示を仮託するということはなく、新たに「アフラ・マズダー(叡智の主)」という神格を創案した。
p41
独善的一神教の創出
他の伝統的な神格にとっては迷惑なことに、教祖は、このアフラ・マズダーだけが崇拝に値すると主張した。
p41
六つの「不死の聖霊」たち
さらにザラスシュトラは、このアフラ・マズダーの下には、この世に善を広めるために、六つの「不死の聖霊」たちが存在すると考えた。
p41
大悪魔や六大悪魔を考案
これらの善神と六大天使を考案した後、それらに対応する大悪魔や六大悪魔についてもきちんと述べている。
p42
古代アーリア人の神々の転落と復権
古代アーリア人の神格の転落
多くの古代アーリア人の神格が弊履のごとく捨て去られていった。
p43
ザラスシュトラの後継者:古代アーリア人の多神教に妥協
ザラスシュトラの後継者たちは、教祖の二元論を破壊せずに古代アーリア人の多神教に妥協する方途を模索していた。
p44
「ヤシュト」=古代アーリア人の神々の復活
こうして、「ガーサー」を中心とするゾロアスター教に固有の「ヤスナ」祭式の他に、古代アーリア人の多神教の要素を大量に盛り込んだ「ヤシュト」が成立した。
それらは、現存『アヴェスター』の中の「ヤシュト」全二一巻を構成していいる。たとえば、その中の第五巻はアナーヒターに捧げられ、ゾロアスター教の中で水の女神に対する信仰が復権した。また、第一〇巻では、伝統的なミスラ神が復活し、競技場ではかろうじてアフラ・マズダーの下位にいるものの、アフラ・マズダーと同じ「全能者」の称号を許されるなど、あいかわらず古代アーリア人たちの熱心な崇拝を集めていた。
p45-46
個人の選択
マゴス神官団の習慣を取りいれ
ゾロアスター教神官団の教える「善行」は、後にイラン高原上の雑多な習慣ー特に、イラン高原西部で勢力を持っていたマゴス神官団の習慣ーを大量に取り込んだので、かなり奇妙なものに変質していった。
p46
アーリア民族至上主義からの近親相姦の推奨
たとえば、アーリア民族の血の純潔を維持するために、結婚はなるべく近親者同士で行うのが望ましいとされた。とすると、最も奨励されるべきは、兄妹・姉弟間での婚姻で、・・・・・・
p46
独善的一神教と古代アーリア人の階級差別主義の結合
また、ゾロアスター教徒は、犬は善なる創造物で、カエルは悪なる創造物であると教えられた。このために、忠実なゾロアスター教徒たる者は、毎月カエルを殺す日を設け、熱心にカエルを探し出して叩き潰さねばならないことになった。
p47
マゴス=マギの変遷
マギの概念の転換
紀元前六世紀:独善的一神教成立時
メディア人のマゴス僧の宗教=イラン高原西部の宗教で、ゾロアスター教と古代アーリア人の宗教の結合で、メディア人の呪術師を指した。
善悪二元論に基づいて、犬を大切にし、カエルを殺した。狼の子孫というアーリア人の自己民族至上主義と、友愛的水神信者に敵対した。
紀元前後:イエスを拝む東方の三博士
ハッラーンの天文学・占星術師であり、友愛的水神信者と共闘して月神信者の博士である。
死後の世界
世界の終末と最後の審判
ザラスシュトラは、死後の審判は二つに分かれて発生すると考えた。個人の死と世界の終末である。もっとも、ザラスシュトラ本人の意識の中では、世界の終末も直近の出来事と予想されていたので、個人の死と世界の終末の間にはそれほど時間的な隔たりはないはずであった。
p47
死後三日の悪魔祓いと曝葬
個人の死は、善なる生命が悪に対する闘争に敗北した結果である。しかして、死者の肉体は滅ぶが、霊魂は死後四日目に死者の枕頭から去って天界へと赴くことになる。その際、生者の側では、死後三日めまでは悪魔祓いの呪文を唱えて死者の霊魂を悪の勢力から守護し、無事に天界へ送り出す義務がある。その後、敗北の象徴である汚れた肉体は太陽光線に曝すなり、禿鷹に喰わせるなりして処理する。・・・・・・いわゆる曝葬である。
p47-48
阿弥陀教は仏教ではない。ゾロアスター教である。
阿弥陀=アフラ・マズダー。
仏教は、死者にかかずらわらず自己の解脱を目指す。中有も〇である。
ゾロアスター教は、神官なしで供養はできず、神官ぼろもうけのための宗教である。
「チンワトの橋」審判
他方、死者の霊魂は、天界へ赴く途中で、生前の善行・悪行を量る「チンワトの橋」を渡らなくてはならない。
p48
終末説
地上最後の日に、地底から溶岩が噴出し、全人類はその中に巻き込まれる。
その後、善の最終的な勝利と悪の無力化が達成され、世界は完全な善に包まれて、至福の時を迎えるとされる。
p49
救世主思想
処女受胎のサオシュヤント思想
しかし、ザラスシュトラにとっては明日にでも起こると予感されていた世界の終末は、現実には、待てど暮らせど起こりそうになかった。
そこで、後代の神官たちが知恵を絞った結果、将来、保存されていたザラスシュトラの精子によって妊娠した処女から生まれたサオシュヤントが、世の終わりに救世主として出現し、悪を滅して至福をもたらすとの神学が生み出された。
p49-50
メシア思想の原点
東方では、大乗仏教の未来仏信仰に影響したとされ(後述)、西方では、ユダヤ教・キリスト教のメシア思想の成立を促したと言われている。
p50
メシア思想・阿弥陀来迎・弥勒思想の原点はゾロアスター教
原理主義的ユダヤ教の選民思想、終末思想も、カトリックの処女受胎から生まれるメシア思想も、「前一二〇〇年のカタストロフ」に生きたザラスシュトラの宗教の変形から、前6世紀に、独善的ユダヤ教捏造のラビどもによって、捏造され、その後継者たるカトリックが継承した。
東方では、阿弥陀教徒など大乗仏教が継承した。
これは、差別主義、戦争と人殺しを推奨するとんでもない邪教・邪見である。
これらは、フェニキア人の友愛的汎神論、イエスの教え、釈迦の仏教とは対極にある。
モノサシは、友愛か差別が、不殺生か殺生か、これだけで十分である。
前者が、フェニキア人の思想=フリーメイソン、イエスの思想=クエーカー教徒、スーフィズム、釈迦の思想=テーラワーダ仏教。
後者が、ゾロアスター教、原理主義的ユダヤ教、イスラーム教、中世のカトリックである。
3 白魔術としてのゾロアスター教儀式
ゾロアスター教儀礼の四分類
イラン高原の古代アーリア人の呪術の継承
ザラスシュトラのラディカルな宗教改革とは別に、ゾロアスター教は、祭式儀礼の面ではイラン高原の古代アーリア人の呪術を濃厚に受け継いでいた。
p50
ヤスナ祭式
この祭式は、聖火の御前で、人間からアフラ・マズダーにハオマ草の樹液を捧げることを目的としている。
p51
通過儀礼/女性神官の拒否
神官階級の家系に生まれた男性は、生まれながらにして神官になる権利を持っている。逆に、それ以外の階級に生まれた男性及びすべての女性は、神官になることはできない。
p60
第三章 ゾロアスター教以外の古代アーリア人の諸宗教
1 イラン高原の古代アーリア人の諸宗教総説
資料情況
サカ族の太陽信仰
特異な太陽信仰カルト・・・・・・彼らは、アルシャク王朝(パルティア王国)時代にアーリア系サカ族がイラン高原からインド亜大陸に侵入したのにともない、・・・・・・
p72
ヤズィード教
イラン高原西部のクルド人は、イラン高原のアーリア人ゾロアスター教徒たちがイスラームに改宗した後も、根強く彼ら固有の民間信仰を維持し続けた。後に、彼らの民間信仰はイスラームの中のスーフィズムと混合して、独特のヤズィード教を創出している。
p74
2 インド亜大陸に進出したイラン高原のアーリア人の宗教
ハカーマニシュ王朝ペルシア帝国領「ヒンドゥシュ」と「パルサヴァ族」
サーサーン王朝ペルシア帝国と「パーラスィーカ」族
3 大乗仏教に影響したイラン高原のアーリア人の宗教
第四章 ゾロアスター教の完成ーサーサーン王朝ペルシア帝国の国教として
1 国教の座の獲得
ゾロアスター教神官団とエーラーン・シャフルの国教化
ゾロアスター教神官出身のサーサーン王朝
サーサーン王朝の皇帝は、ペルシア州の拝火神殿の神官出身で、彼らとゾロアスター教の関係は非常に密接であった。
紀元後二二四年における、パルティア州出身の世俗諸侯が樹立した地方分権的なアルシャク王朝から、ペルシア州出身のゾロアスター教神官が樹立した中央集権的なサーサーン王朝政権への政権交代が、ゾロアスター教にとってのターニング・ポイントだった。
p105
2 聖典『アベスターグ』の成立とパフラヴィー語文献
欽定『アベスターグ」の編集
紀元前一二世紀ごろの古代アーリア語で語り伝えられたそれらの伝承に対して、当時の公用語であったパフラヴィー語で訳注を書き加え、浩瀚な書物として編集したのである。それが、パフラヴィー語で『アベスターグ』、近世ペルシア語で訛って『アヴェスター』と称されるゾロアスター教聖典である。
p108
欽定『アベスターグ』の宇宙創成論
アフラ・マズダー(オフルマズド)VSアンラ・マンユ(アフリマン)
それによると、太古の昔、宇宙は善なる光の神アフラ・マズダー(パフラヴィー語形オフルマズド)の世界と悪なる暗黒の神アンラ・マンユ(パフラヴィー語形アフリマン)の世界に分離していた。その間に虚空の神ヴァーユが挟まって、両者に接点はなかったらしい。しかし、ある時、暗黒の勢力が光の勢力に挑戦して、虚空が消滅し、善悪の要素が混合した。そこから、現在我々が生きているこの世界が生まれたのである。
p113-114
エーラーン・シャフルは中華思想
最後に、世界が七つの州として形成され、その中心にアーリア民族が住まうエーラーン・シャフルが存在し、伝説的なカイ王朝がそれを統治したとされる。
p114
時間論
一回性・直線性の時間論
原始ゾロアスター教の時間論は、一回性・直線性のゆえにユダヤ教・キリスト教に影響を与えたとされる。
p122
第五章 ペルシア帝国の滅亡とアーリア人の宗教叛乱、そしてイスラーム改宗
アラブ部族のメソポタミア平原侵攻
アーリア人の外人支配からアラブ人の外人支配へ
もともと、メソポタミア平原では、アーリア人はイラン高原から外来の征服者であって、人口的にはセム系アラム人やアラブ人が多数を占めていた。
もともと、土着のアラム人にとっては、支配者がアーリア人からアラブ人に替わっただけなので、この制圧戦に際して激しい抵抗は記録されていない。それどころか、サーサーン王朝時代の租税よりもアラブ部族軍の占領時代の租税の方が低額だったらしく、住民たちは事態を歓迎しらようである。
p152
ネヴァーヴァンド会戦
六四二年のネバーヴァンド会戦で大敗して、エーラーン・シャフルの命数は尽きた。
p153
2 アーリア人の宗教叛乱
シーア派の反乱
そんな中、七四七年六月に、イラーク平原から派遣されたアーリア人改宗イスラーム教徒であるアブー・ムスリム将軍が、シーア派の名の下に、ホラーサーン州におけるアラブ占領軍の駐留都市メルヴで、反ウマイヤ王朝の旗を掲げたのである。
預言者の一族を支持する親シーア派のアラブ部族とウマイヤ家に忠誠を誓うアラブ部族、・・・
p159
終章 ヨーロッパにおけるゾロアスター幻想
1 ルネッサンスとゾロアスターの「叡智」
ビザンティン帝国からの使者、ゲミストス・プレトン
プレトンがゾロアスターの虚像を中世のイタリアに導入
この随員団の中に、コンスタンティノープル出身の大学者ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンがいた。彼は、ユダヤ人哲学者エリシアの影響を受けて、異教的な古代ギリシア哲学の研究に没頭した哲学者である。師は後に異端の廉で火刑に処せられたが、彼自身は生き延びて、中世イタリアにプラトン主義哲学を紹介してルネサンスの導火線となった。そして、同時に、ヨーロッパにゾロアスターの虚像を導入したのである。
p188-189
ザラスシュトラ=バビロニア占星術の大家・キリスト教の先駆者・マギの魔術師という虚像
プレトンは、実際には二世紀にユリアノスによって作成されたギリシア語文献『カルデアの神託』(現存せず、逸文のみ)を誰あろうゾロアスターその人の真作と信じ、・・・・・・
「バビロニアの占星術の大家、プラトン主義哲学の祖、キリスト教の先駆者、マギの魔術の実践者」というザラスシュトラ本人が聞けば間違いなく驚愕するであろう「ルネッサンス的ゾロアスター像」が、深く刻み込まれたのである。
p189-190
ザラスシュトラの虚像の源泉
プレトンが媒介したこの虚像は、ユダヤ人哲学者エリシアに学んだものである。
新プラトン派は、ピュタゴラス神秘学をプラトンがアルキュタス一族が買った本がもとである。
ピュタゴラスはフェニキア系サモス人である。タラス発のスパルタ人継承のアトランティスの叡智である。星辰を崇める。
一方、グノーシス派キリスト教は、フェニキア人イエスの教えが、一度ユダヤ人の知識層の中で、ゾロアスター教に影響を受けて成立した独善的一神教であるユダヤ人の中に、ゾロアスター教の終末論・救世主についての教えなどが混入して、反宇宙的で、星辰を敵視する。
ヘルメス学は、アレクサンドリアのヨハネの福音書を書いたキリスト教徒の影響を受けている。つまり、エジプトが叡智の源泉であるとのカリオストロの媒介も、ユダヤ教を経由して、ゾロアスター教が混入している。
テュロス生まれのフェニキア人ポルピュリオスが、ユダヤ教徒の哲学の問題点を指摘していることは、この誤謬が、紀元前のアレクサンドリアで混入したことがわかる。
プレトンが誤認したのは、師がユダヤ人であったからである。ユダヤ人でも、アレクサンドリアのエジプト人やユダヤ教徒の影響がないハッラーン経由のカバラは、汎神論的である。

コメント