著述 本52 パウサニアス『ギリシア案内記』下 10巻 /ポキカ

ギリシア
  1. 本の情報
  2. 十巻 ポキカ(一章-三八章)
  3. フォキス史(一章ー三章)
    1. 一章 フォキスの名祖・領域 テッサリア人撃退戦争
      1. フォキスの名祖・領域(一章1・2節)
        1. フォキスの名祖の問題(二人のフォコス)(1節)
        2. フォキスの領域(2節)
          1. 東はボイオーティアと隣接
          2. 北東はロクリス・ヒュポクネミス人とオプウス人(ロクリス・オプンティス)
          3. 西はロクリス・オゾリス人(ロクリス・オゾリス)
      2. テッサリア人撃退戦争(一章3節ー10節)
        1. テッサリア人撃退戦争について(3節)
        2. 水甕ヒュドリア地雷作戦(対騎兵隊占術!)(3節)
        3. デルポイの託宣(死すべき者が勝利)(4節)
        4. 最初の指揮官ゲロン!?(5節)
          1. フォキス人のヒステリー気質(6節)
        5. エリスの予言者テリアス(8節)
        6. アテナ〈不死〉VSフォコス〈死すべき者〉(10節)
        7. テリアスの「石膏でもののけ作戦」(10節)
    2. 二章 神聖戦争
      1. ペルシア戦争ではギリシア軍へ(1節)
      2. 神聖戦争(二章)
        1. 隣保同盟からの罰金(1節)
        2. フィロメロス、神聖戦争を引き起こす(2節)
        3. 神聖戦争を引き起こした理由(経済的理由:罰金踏み倒しのため)
        4. 第三次神聖戦争勃発と10年戦争(3節)
        5. 第三次神聖戦争の経緯(4節-7節)
          1. 最初の指導者フィロメロス(4節)
          2. 二代目・三代目はオノマコス・ファウロス兄弟へ(5節)
          3. ファライコスが聖財着服、クレータ島に転戦、戦死(7節)
    3. 三章 アバイに見る都市破壊と再建のシステム
        1. 神聖戦争終結(三章1節)
        2. フォキスの主要都市が地面化(1節・2節)
        3. フォキス人都市の村々への散民(2節)
        4. 隣保同盟投票権の剥奪とマケドニア授与(3節)
        5. フォキス人都市再建(3節)
        6. フォキス人のカイロネイアとガラタイ人撃退への貢献(4節)
    4. 四章 パノペウスとダウリス
        1. パノペウス 
        2. ダウリス
    5. 五章 デルポイ託宣所縁起
      1. ダウリスからデルフォイまで
        1. オイディプースのスキステ街道(3節)
      2. デルフォイ託宣所の古伝(5節-8節)
        1. デルポイ縁起の古伝1:ゲーの託宣所
        2. デルポイ縁起の古伝2:ゲーとポセイドンの共有
        3. デルポイの古伝3:平和的にテミスを介してアポロンが譲り受けた
        4. 最初のプロマンティスと六脚韻ヘクサメトロン
      3. アポロン神殿の古伝(9節-13節)
        1. 月桂樹の山小屋
        2. 青銅の神殿
        3. 石造り
        4. 現存の第五神殿はコリントス棟梁の建造
    6. デルポイ市
      1. デルポイ市の古伝
        1. デルポイ市の建設者パルナソス!
        2. デウカリオンの洪水後、リュコレイア建設
        3. ピュト市の蛇ピュトンの正体
    7. 七章 ピュティア競技会の歴史
        1. 最古の競技種目は自作讃歌吟唱(2節)
        2. 歴史的ピュティア競技会は前六世紀初め(2節)
        3. キタラ歌曲吟唱と二本笛歌曲吟唱と二本笛吹奏の種目追加(4節)
        4. 賞品は高価な青銅の鼎(4節)
        5. 賞品が花冠ステファノスへ(5節)
        6. ピュティア競技会公式記録(前582年~)
        7. 二本笛競技の廃止(5節)
        8. アルカディア人の二本笛競技の鼎の銘
        9. キタラ演奏(8Pd)、重装歩兵(23Pd)、二頭立て馬車(48Pd)
    8. 八章 隣保同盟
      1. 隣保同盟アンフィクテュオニア
        1. アムピクテュオーンが名祖説
        2. 「アンフィクテュオネス(近在の人びと)」から説
        3. デメテル・アンフィクテュオニスが語源説
    9. 九章 奉納品解説へ
      1. アポロン聖所の景観
      2. スパルタ人の奉納品(九章7節)
    10. 一〇章 アテーナイ人とタラス人
      1. アテネのマラトン戦勝感謝の奉納(1節)
        1. アテーナイ人の奉納
        2. アテーナイの「名祖」半神像と3人の欠如
      2. タラス市の奉納品(6節)
        1. タラス市植民縁起
    11. 一一章 島嶼の奉納品
      1. シフノス人の宝庫(2節)
      2. リパラ市の奉納品(3節ー4節)
        1. リパラの植民はクニドス人
        2. クニドス人もフェニキア人の一部(3節)
        3. アイオロス群島(エオリア諸島)の植民(3・4節)
      3. その他の宝庫(5節)
        1. 宝庫造営の理由の二つ
    12. 一二章 シビュラ
      1. 女予言者シビュラ(一二章)
        1. 二番目のシビュラ=デルポイのシビュラ(1節)
        2. 初代シビュラ=リビュアのシビュラ(1節)
        3. シビュラの起源は、トロイア戦争前(2節)
        4. 三代目のシビュラ=キュメ(クーマエ)のシビュラ(8節)
        5. 四代目のシビュラーヘブライのシビュラ(9節)
        6. 男予言者バキス(11節)
    13. 一三章 ヘーラクレースの正体
      1. 付近のその他の奉納品(6節)
        1. テーバイ人はヘーラクレース像を奉納!(6節)
        2. フォキス人はヘーラクレースを敵とする(7節)
        3. ティリュンスとエジプトの二人のヘーラクレース(8節)
    14. 一七章 サルド(サルデニャ)島とコルシカ島
      1. サルド(サルデニャ)島とコルシカ島
        1. サルド(サルデニャ)島(1節)
        2. 最初の植民はリビュア人(2節)
          1. エジプトのヘラクレスの子サルドスが名祖
          2. 共存共栄のフェニキア人(プロト・カルタゴ人)
        3. ボイオーティア人による文明化(3節)
        4. ノラの建設(5節)
        5. イオラオスの植民(5節)
        6. トロイア人の植民(6節)
        7. カルタゴ人の征服(7節)
        8. コルシカ島(8節)
        9. カルタゴ人カラリス市とスルキ市建設(9節)
        10. サルドの笑い(13節)
    15. 一九章 ガラタイ族の侵攻
      1. ガラタイ族のギリシア侵攻(一九章5節ー二三章)
        1. 一回目はトラキア止まり(5節)
        2. 二回目はブレンノスの侵攻
    16. 二二章 ガラタイ族の残虐行為
        1. アイトリア人女性への残虐行為(3節・4節)
        2. アイトリア女性軍の出陣(5節)
    17. 二三章 ポセイドーンの地震と雷霆
    18. 二四章 アポロン神殿の格言
      1. アポロン神殿の内陣前廊
    19. 三二章 バキスの詩:アンティオペとアムピーオーンとゼートス
    20. 三三章 リライア
    21. 三五章 アバイ、ヒュアンポリス
        1. アバイ人の祖はダナオイ人のリュンケウス
        2. アバイを焼き払ったテーバイ
        3. ヒュアンポリス人、カドモスに追われたテーバイ原住民
    22. 三六章 アンティキュラ
    23. 三七章 第一次神聖戦争
      1. キラ(5節)
        1. キラ市、デルポイの土地を蚕食・・・第一次神聖戦争勃発
        2. 第一次神聖戦争顛末
    24. 三八章 ロクリス・オゾリス、青銅彫刻鋳造の創始者サモス人
      1. ロクリス・オゾリスの名称由来
      2. アンフィサ
        1. 青銅彫刻鋳造の創始はサモス人(6節)
      3. ナウパクトス(9節)
        1. ナウパクトスVSパトライ
        2. ロクリス一の都市ナウパクトス=レパント
        3. ナウパクトスの名の由来(10節)
        4. アテーナイによるメッセニア人入植(10節)
        5. ロクリス人の帰還(10節)
        6. ヘラクレイダイの帰還を描いた『ナウパクティア』(11節)

本の情報

著者:パウサニアス
訳者:馬場恵二
発行所:株式会社 岩波書店
発行年:1992年 2/17 第一刷
発行年:2021年 7/13 第5刷

十巻 ポキカ(一章-三八章)

フォキス史(一章ー三章)

一章 フォキスの名祖・領域 テッサリア人撃退戦争

フォキスの名祖・領域(一章1・2節)

フォキスの名祖の問題(二人のフォコス)(1節)

フォキス地方でも、ティトレイアとデルフォイの領域に属する地域だけが、明らかに太古から、オリュテュニオンの子であるコリントの人フォコス(ティトレイアに移住)にちなんで、この(フォキスという)名称を得ていた。

その後、あまり年月を重ねないうちにこの名称が今日で言うフォキス地方の全域にまで広がってしまったのは、アイギナの人びとがアイアコスの子のフォコスと連れ立って、この土地へ船で渡って来たためである。

パウサニアスは、フォキス(ポーキス)地方の名祖を二人認めている。
一人目はアイオリス系のシーシュポスの孫オリュテュニオンの子ポーキスで、テーバイ王家の簒奪者アムピーオーンとゼートスの母アルクメーネーと結婚したと伝わる。

もう一人は、アイギナのアイアコスの子フォコス(ポーキス)が船で入植したという。
しかし、同じパウサニアスが、アイギナの人びとに聴取した話では、当のフォコスは、悪党のペレウスとテラモンという異母兄弟に殺され、子供たちがポーキスへ入植したことになっている。

どちらもあやしい。単に「生え抜き」の人びととプロト・カルタゴ人の混成にアイオリス人が移住した民族ととるべきであろう。

フォキスの領域(2節)
東はボイオーティアと隣接

フォキス地方の人びとはペロポンネソス半島対岸のボイオティア地方に寄った辺りの沿岸部にまで住みついていて、片やデルフォイの外港キラ、片やアンティキュラの町までを占めている。

ボイオーティアとの境界は、小さな半島を挟んで西にあるキラ港(デルポイの外港)と東にあるアンティキュラ市である。
東の領域は、海岸部はヘリコン山が、ボイオーティアとの境界となり、
パルナッソス山を中心に、聖都デルポイをかかえる領域がポーキスである。

北東はロクリス・ヒュポクネミス人とオプウス人(ロクリス・オプンティス)

しかしラミア湾方面となると、ロクリス・ヒュポクネミス人の勢力が彼らを遮っていて、沿岸の住民となるのを妨げている。

連中はフォキス地方を越えたこの方面に住む勢力であり、スカルフェイア人がエラテイアの彼方を領域とし、ヒュアンポリスとアバイを越えた向こうには、オプウス市とその外港キュノスを拠点とするオプウス人がいる。

北東はロクリス・オプウス人の首都オプウス市と隣接する地域にあるヒュアンポリスとアバイまでである。
さらにその北西に、同じロクリス人でもオプウス人と区別されるロクリス・ヒュポクネミス人の領域があり、これはエウボイア島の北端のラミア湾に面し、エウボイア島の北半分の対岸に当たる。
南半分の対岸は、ボイオーティア地方で、地峡に位置するカルキス市近郊の港を世界の窓としてテーバイ帝室が陣取っている。

〔註〕オプウス市は東ロクリス人の首都。首都近辺の住民はオプウス人と呼び、北西隣接の同族民ロクリス・ヒュポクネミス人と区別される。

西はロクリス・オゾリス人(ロクリス・オゾリス)

西はロクリス・オゾリスと接し、さらに西がアイトリアである。
北は、ドーリス地方・プティーア地方を含むテッサリア地方である。

テッサリア人撃退戦争(一章3節ー10節)

テッサリア人撃退戦争について(3節)

フォキスの人びとが達成したもっとも顕著な偉業はフォキス全土を挙げた事業であった。イリオン攻略の戦争に彼らが参加したのはもちろん、
ペルシア軍がギリシアに侵攻してくる以前にテサリア人を相手に戦争して、このときもフォキス人たちは後世の記憶に残る功績を世に示した。

このテッサリア人撃退戦争の時期のヒントがヘロドトスにある。

〔註〕ヘロドトス八・二七・二から二八章にかけて、本節および一一節と同じ話がある。前五世紀初めのことらしい。

ヘロドトスは、「今次のペルシア王の遠征に先立つこと幾年にもならぬ頃のことであったが」(下巻P191)と紹介。つまり前五世紀初めである。
やはり、作戦参謀はテリアスで、註に「エリス地方に続いた有名な予言者一族(テリアダイ)に属する人物であったと考えられる。」とある。
テリアダイの始祖がテリアスだっただろうから、このテリアスは、その子孫で、何人ものテリアスを輩出したのか。それとも、この伝説の元ネタが実はもっと古い時代のものなのかという二説が少なくとも想定される。
ちなみにエリス地方の預言者一族テリアダイは、フェニキア系であったと思われる。
なぜなら、フェニキア人のミレトス帰化人タレスの先祖が、テリアダイであったと言われるからである。

水甕ヒュドリア地雷作戦(対騎兵隊占術!)(3節)

というのは、彼らは自分たちの上にテサリア勢が侵入してくると予想して張っていたヒュアンポリスの地で、いくつもの土器の水甕ヒュドリアを穴を掘って埋め、それらの上に土をかけて覆ったうえでテサリア騎兵隊の到来を待ったのだ。
テサリア勢はフォキス人の手口などあらかじめ聞いたこともなかったので、なにも知らないまま馬を駆って例の水甕にさしかかった。そのとたん、馬は足を水甕に突っ込んですっかり足を痛め、騎馬の兵士は馬から投げ出されて殺戮の餌食となった。

古代ギリシア人の陸上戦は、重装歩兵が主体で、騎兵隊は、北方から侵入した騎馬民族のテッサリア人の得意であった。
迎え撃ったフォキス地方の「生え抜き」の人びとは、騎兵をもっていなかったようだ。
フェニキア人は、重装歩兵による陸戦をギリシアに創設したから。

デルポイの託宣(死すべき者が勝利)(4節)

デルフォイに使者を遣わして神(アポロン)に、迫り来る危機から逃れさせ給えと懇願した。すると彼らにこんな託宣が返って来た。
われは死すべき者と不死なるものを戦わせ、
双方に勝利を授くるも、いまはむしろ死すべき者に与えん

当然、テッサリア人南下以前のデルポイは、ピュトンの託宣となろう。
この託宣の意味は、迎撃側は、神より人(半神)を崇拝する習慣のある民族である。
つまりラケダイモーン人のような宗教風習を持っていたフェニキア系が想定される。

最初の指揮官ゲロン!?(5節)

この選抜隊はテサリア軍によって、指揮官のゲロンもろとも殲滅させられてしまった。

何やら、ゲラの僭主ゲロンを思わせるこの名前は、カルタゴ・シュラクサイ戦争を知っている世代が造った伝説かと思われる。

フォキス人のヒステリー気質(6節)

彼らの悲劇はフォキス陣営に大きな衝撃を与え、そのため彼らは女・子供や、財産でも、車に牽いたり手で運んだりできるかぎりの動産すべて、さらに衣服や金銀、それに神々の像までも一箇所に集めておいて、片や、とてつもなく大きな焚き木の山を積み上げ、これら一切を見張る計三〇名の兵士を残留させた。

これは男尊女卑の身勝手なゆがんだ国粋主義を感じさせる。
フォキス人は、平和的に帰属民となって共存共栄する道を選ぶという選択肢がないようだ。
女・子供は、財産と同じで、人権も何もない、いわば奴隷である。
この話は、ヘロドトスにはないが、プルタルコスに載っているらしい。

〔註〕六ー七節の話はヘロドトスにはないが、プルタルコス『倫理論集』二四四A/Eの「フォキス女性」の章には載っていて、つぎに語るような「玉砕命令」を提議したのはダイファントスで、女性は女性、子供は子供で同趣旨の決定を行なったと伝える。ダイファントスの名はパウサニアスではダイファンテス(八節)。

このポーキス人ダイファンテスの倫理意識は、ポーキスの男性の特徴であったらしい。

これらの兵士に与えられた命令は、もしフォキス軍が戦いに敗れることがあれば、そのさいには先ず最初に女・子供を殺し、つぎにこれらの以外を他の財産といっしょに犠牲獣のように焚き木の上に置き、それに火を放ったうえで彼ら自身もお互いに差し違えるか、あるいはテサリア騎兵隊の中へ突入して果てるべし、という命令であった。
この故事から、向こう見ずな評定決断は「フォキス人のやけっぱち」とギリシア人に呼ばれるようになった。

一般的ギリシア人、すわなちテーバイ帝室とテッサリア王家の系統では、ポーキス人のこの倫理意識は、今のイスラム教徒の自爆テロを見るような目で、その女性・子供への人権無視を、批判的に見ていたということであろう。

実は、ハンニバルの攻囲したサグントゥムも同様のことをしたとローマ史家は嘘をつくが、これはギリシア人にとって狂気の沙汰であったのだ。
実際、サグントゥムは降伏し、ハンニバルに財宝を引き渡したようである。
また、ハンニバルは征服した民衆の女性に非道徳的なことは行わなかった。
ハンニバルは、いつも最高の美女を部下に持ってこさせていたスキピオなどのローマ人より、ガリア人などの蛮族より、ギリシア人より、道徳的であった。

このポーキス人の特徴は、不倶戴天の敵ボイオーティア人(テーバイ人)と真逆であった。
フェニキア系のテーバイやラケダイモーンでは、女性の権利が尊重された。

エリスの予言者テリアス(8節)

フォキス軍の将軍はアンブロソスの人ロイオスとヒュアンポリスの人ダイファンテスであって、後者は騎兵隊の、前者アンブロソス出身者は歩兵隊の指揮をとった。

男尊女卑の「やけっぱち」将軍ダイファンテスが、騎兵隊の指揮を取った。つまり、蛮族系の男だったのかもしれない。
いずれにせよ、テッサリア人を撃退したのは、エリスの予言者テリアス(フェニキア人に違いない)であった。

しかし、政治指導の任にある者〈のなかで〉もっとも枢要な地位を占めていたのは、エリスの人で予言者マンテイスの〈テリアス〉であって、フォキス人救済の希望はこのテリアスその人に懸かっていた。

アテナ〈不死〉VSフォコス〈死すべき者〉(10節)

両軍ともに将軍たちによって戦闘中に下されていた合言葉は、テサリア軍のほうが「アテナ・イトニア女神」であったのに対して、フォキス軍のほうは名祖の「フォコス」だったのだ。

前五世紀にテッサリアに存在していた蛮族は、昔からあるアテナ・イトニア女神を合言葉にしたのかもしれない。
一方、エリス地方から、予言者の傭兵として招かれたテリアスは、ディオスクロイを崇拝するラケダイモーン人同様に、祖霊フォコスの方を重んじさせた。

テリアスの「石膏でもののけ作戦」(10節)

身体に石膏の粉を塗りたくり、やはり石膏の粉で白化粧した武器を携帯したのであった。・・・彼らテサリア兵はこの夜中の出来事の奇襲攻撃なんぞより、なにか神の業だろうと見ているうちにやられてしまった。
テサリア軍攻撃のこの計略を編み出したのも、ほかならぬエリスの人テリアスであった。

つまり、テッサリア人撃退の功績は、男尊女卑のポーキス人の功績ではなく、エリス人の予言者テリアスの功績である。
それをあたかもポーキス人のもののように書くパウサニアスは、ポーキスびいきで反ボイオーティアにポジションを取っていることは明らかだ。

二章 神聖戦争

ペルシア戦争ではギリシア軍へ(1節)

ペルシア軍がエウロペ(ヨーロッパ)の地に渡ったとき、伝承ではフォキスの人びとは余儀なく大王の側に与したものの、ペルシア陣営を離脱して、プラタイアイ合戦ではギリシア軍の戦列についたとされる。

ペルシア軍の侵入経路にあったマケドニア人、テッサリア人、ボイオーティア人は、ペルシア軍に服属した。住民の生命を思ってのことである。
しかし、「やけっぱち」の国粋主義・男尊女卑主義者のポーキス人は、ギリシア軍について、プラタイアイ合戦を戦った。

パウサニアスはポーキスびいきの反テッサリア・ボイオーティア人の立場であることはあきらか。

神聖戦争(二章)

隣保同盟からの罰金(1節)

そののち彼らフォキス人が隣保同盟評議会アンフィクテュオネスによって罰金支払いの懲罰を受けるという事態が生じた。

フィロメロス、神聖戦争を引き起こす(2節)

罰金の巨額さにフォキスの人びとが意気消沈していると、彼らの命運を預ったフィロメロス、すなわちテオティモスの子で社会的地位の点ではフォキス人の誰にもひけをとらない人物ー彼の出身地はフォキス諸市のひとつレドンであった-、
このフィロメロスが罰金の支払いはとうてい不可能なことを彼らの前ではっきり言明し、デルフォイの聖所を占拠すべしと説得した。

神聖戦争を引き起こした理由(経済的理由:罰金踏み倒しのため)

そのさい彼は人の気持ちを誘う好条件をいろいろ並べ立てるなかで、こうも言った。
われわれとアテネ、スパルタとの友好関係は昔から存在する。
たとえテーベあるいはどこかほかの勢力がわれわれに対して戦争を仕掛けてきても、われわれは武勇アレテと現金支出に物言わせて勝ち残れるのだと。

ペルシア戦争でギリシア軍と共闘したため、アテーナイとスパルタはポーキス側についてくれると想定した。一方、ペルシア戦争でペルシア軍側につき散々な制裁を蒙った不倶戴天の敵テーバイは、神聖戦争の急先鋒を務めた。
この時代の徳(アレテ)は、ピュタゴラス的な友愛的な道徳ではなく、ポリスを守る武勇であったことも注目だ。

おそらく神が彼らの判断力を麻痺させ給うたか、あるいは彼らという人間が敬神の念エウセベイアよりも物質的利益のほうを大事とする性質にうまれついていたのであろう。

敬神の念エウセベイア涜神の念アセベイア

後のユダヤ教・キリスト教・イスラム教の一神教の涜神罪とちがって、ギリシア人にとっては、ゆるい概念である。
これは、ポリスが分立していたため、各ポリスが別の主神を立てており、おけげでゼウスやヘーラーはあまり重んじられなかった。
ポリスの利益の前には、敬神の念は二の次であった。

とくにソクラテス以後、ペリクレスの悪政で、アテーナイ人が食っていけなくなると、死体遺棄や窃盗・殺人など涜神犯罪が横行した。
それゆえに戦後、ソクラテスは、多くの市民を殺したペリクレス、アルキビアデスの一党として、また古い神への涜神によって道徳性を低下させたとして、極刑に処せられた。

第三次神聖戦争勃発と10年戦争(3節)

フォキス人がデルフォイ占拠を敢行したのは、デルフォイではヘラクレイデスが長官プリュタニスの職にあり、・・・第一〇五期オリュンピアドの第四年目のことであった。

〔註〕第三次神聖戦争の開始。パウサニアスは第一〇六期オリュンピアドの前年(前三五七年)に置いているが、ディオドロス一六・二三・一はアテネでカリストラトスが最高執政官であった年(前三五五/四年)とする。
前三五六年と見るのが通説。

第三次神聖戦争の勃発年は、前356年と覚えておこう。ひとつの指標として。

以前から犬猿の仲であったテーベが公然と戦争をしかけてきた。その戦争はひっきりなしに、なんと一〇年間もつづいた。

10年戦争となった。
涜神側:ポーキス人、隣保同盟評議会(アムピクテュオネス)の基金をネコババ。
敬神側:テーバイ人、みんなの基金を守るために立ち上がる。
最期は、マケドニアのピリッポス二世が介入して終結させる。

神聖戦争

第一次神聖戦争(前595-585年)
ソース:パウサニアス十巻37章
涜神側:ポーキス人のキラ市
敬神側:シキュオンの僭主クレイステネスとアテーナイのソロン
キラが聖域の領域を切り取ったことで勃発。
神域が海に触れることのない限り、キラの町は征服されないという神託が出たために、クレイステネスが、町と周辺の土地を全て神に捧げて(法的に)神域が海に触れるようにした。
ソロンが毒を入れて、下痢作戦でキラを陥落させる。
キラが陥落すると、その一帯は本当に神に捧げられ、市はデルフォイの外港となった。

第二次神聖戦争(前449-448年)
ソース:トゥキュディデス一巻112
涜神側:ポーキス人+アテーナイ人(ペリクレス)
敬神側:スパルタ人
ペロポネソス戦争の一部、ポーキス人がデルポイ神殿を占領し、スパルタが出兵して、デルポイ人に返した。そのあとアテーナイのペリクレスが、デルポイ神殿を奪いポーキス人に返した。

第三次神聖戦争(前356-346年)
ソース:パウサニアス第十巻
涜神側:ポーキス人
敬神側:テーバイ人+マケドニア(ピリッポス二世)
ポーキス人が、デルポイ占領。四代目の司令官ファライコスが聖財を強奪。テーバイ人が、隣保同盟を守って抗戦。
最終的にピリッポスが介入して、決着。
ポーキス人が隣保同盟より除名、マケドニアがその権利を得る。

第三次神聖戦争の経緯(4節-7節)
最初の指導者フィロメロス(4節)

ネオンの町で合戦となったときフォキス軍は敗退して、フィロメロスは敗走の途中、険しく切り立った断崖から身を投げて自ら命を断った。

テーバイ人が勝利し、フィロメロスを自殺に追い込む。

二代目・三代目はオノマコス・ファウロス兄弟へ(5節)

フィロメロス亡きあと、フォキス人は総帥権ヘゲモニアをオノマルコスに授け、片やテーベとの同盟関係にアミュンタスの子フィリポス〈二世)が自らすすんで入った。
オノマルコス敗走して、死んでしまった。
フォキスの人びとは絶対権をもった将軍にオノマルコスの兄弟のファウロスを選出した。

二代目のオノマルコス一族が世襲王のようになる。オノマルコスを継いだのが、弟のファウロス、その後継者が息子のファライコス。
テーバイ側には、ピリッポス二世が参戦して加勢。

ファライコスが聖財着服、クレータ島に転戦、戦死(7節)

ファウロスが没すると、フォキスにおける政治の実権は彼の息子のファライコスに渡った。しかしファライコスは聖財を私的に着服しているとの告発を受けて、職を辞した。
彼はフォキス人のうち彼の命運に賭けた者たちや傭兵の一隊とクレタ島に渡り、キュドニア攻撃中に、・・・兵力の大半を失い、彼自身も戦死してしまった。

三章 アバイに見る都市破壊と再建のシステム

神聖戦争終結(三章1節)

聖所占拠一〇年目に、フィリポス(二世)がフォキス戦争とも神聖戦争とも呼ばれるこの戦争にけりをつけた。
第一〇八期オリュンピアドの初年のことであった(前三四八年)。

〔註〕正しくは前三四六年の夏

第三次神聖戦争は、前356年-346年の11年。

フォキスの主要都市が地面化(1節・2節)

そしてフォキス地方の諸市は占領のうえ、ただの地面と化すまで破壊し尽くされた。これらの町を数え挙げればリライア、ヒュアンポリス、アンティキュラ、ラポタミオイ、パノペウス、それにダウリスであった。
これらは昔からの名前で、なかんずくホメロスの叙事詩のおかげで知れ渡っていた。

また、ほかの諸市はクセルクセスのペルシア軍が焼き払って(ヘロドトス)、それらの名をギリシア世界に高からしめた。
すなわちエロコス、カラドラ、アンフィクレイア、ネオン、テトロニオン(ティトロニオン)、それにドリュマイアの諸市である。そのほかの町はエラテイアは別格として以前は有名ではなかった。

ポキスの著名な都市で神聖戦争の戦後処理で廃市となったのは、
リライア、ヒュアンポリス、アンティキュラ、ラポタミオイ、パノペウス、ダウリス。
その前のペルシア戦争で廃墟になったのは、
エロコス、カラドラ、アンフィクレイア、ネオン、テトロニオン(ティトロニオン)、それにドリュマイア。

フォキス人都市の村々への散民(2節)

以上、列挙した諸市はすべてこのとき根こそぎにされ、アバイ(本巻三五・一ー四参照)は例外として、ほかの町はいずれも住民が村々コマイに散らされてしまった。

〔註〕第三次神聖戦争の戦後処理をフィリポス二世に任された隣保同盟評議会は、フォキス人諸都市の撤去廃絶と村落分住を定め、一村落(kome)は五〇戸を越えてはならず、各村落は一スタディオン(一八〇メートル弱)以上離れるべきこととした(ディオドロス一六・六〇・二)

アバイの人びとは瀆神の罪アセベイアの外に身を堅持して、聖所の占拠や戦争に関与しなかったのだ。

隣保同盟投票権の剥奪とマケドニア授与(3節)

フォキスの人びとはデルフォイにある地元の聖所とギリシア世界の代表者総会(隣保同盟)に参加する権利を剥奪され、彼らのもっていた投票権は隣保同盟加盟諸国がマケドニアに与えてしまった。

フォキス人都市再建(3節)

しかしながら、時過ぎるうちにフォキス人の諸市は再建されて、村々から故郷の町に復帰する者たちも出てきた。
アテネとテーベの両勢力が彼らフォキス人の復帰を促進していた。しかもそれはカイロネイアにおけるギリシア陣営の敗北(前三三八年)が起こる以前のことであった。

この戦後処理の「村々への散民」と「村々からの復帰による再建」は、ギリシアの都市の自然復旧システムを構成する。

フォキス人のカイロネイアとガラタイ人撃退への貢献(4節)

そして事実、フォキス人はカイロネイアの戦いに参加していて、そののちもラミアとクランノンにおいて、アンティパトロスとそのマケドニア軍を相手に戦ったのである。

ガラタイ族とケルト軍の撃退にはギリシア諸国のなかで最も熱意ある実績を挙げたが、それは彼らフォキス人がデルフォイに在す神(アポロン)のために復讐を遂げると同時に、私が思うに、昔の非難に対する身の証を立てるためでもあったのだ。

都市の破壊と再建のシステム

まず戦争で都市が占領されると、指導者層は、処刑されるか捕虜にされる。
市民は虐殺されたり処刑されたり奴隷にされたりして壊滅したと言われる都市が、何度も同じ場所に再建されているのだ。
たとえば、アレクサンドロスに破壊されたテュロス市。
ハンニバルが亡命して来た時には、再建されていた。
カルタゴ市も草木も生えぬように地面化されたが、後にカエサルによって再建され、ローマ帝国の都市として復活し、ヴァンダル王国の首都になる。

都市の再建システムは、公民両面から実行された。
まず征服者が行うシステムが、「村々コマイへの散民」と復旧である。
占領都市の民衆を、近辺の村に移住させ、その都市を手ごまに使う必要が生じた時、再建して自分たちの陣営の戦力とする。

神聖戦争で、「散民」されたポーキス人の都市を、戦勝国のテーバイは、もともとポーキス人とぐるのアテーナイと協力して、再建した。
マケドニアに対抗するためだ。
すると、ほとぼりが冷めるのを待っていた自発的避難民が、もとの都市に帰ってくる。
そしてもとの都市が復旧するのである。

だから、まったく住民が変わってしまいわけではないということだ。

四章 パノペウスとダウリス

パノペウス 

カイロネイアから距離二〇スタディオンでパノペウス。フォキス人の一都市ポリスというわけだ。

ただし、都市とは言っても、そこの住民が公官庁の建物アルケイアも、体育所ギユムナシオンも、劇場テアトロン、それに広場アゴラさえもたず、水を引き入れた泉場クレネもない。
まるで山奥の山小屋同然のあばら屋を住処として、ここの場合はカラドラの河床を下に見て人が住んでいる、それを都市と呼んで差し支えなければだが。

〔註〕この場合のカラドラ(charadra)は固有名詞ではなく、降雨時の流水で地面がえぐられた水無し川の河床を指す。その流水は海や湖に達する前に地下に吸収され河床もそこで終わる。
ケイマロス(cheimarrhos=「冬季の流れ」)もほぼ同義。

それでも彼らの領域コーラの、隣接民との境の境界標ホロイがあり、彼らだってフォキス総評議会シュロゴスに代議員たちを送り出している。

そこの水無し川の河床の縁に石が(ふたつ)でんとあって、・・・
そして彼らが最大の確証として指摘するのは人間の体臭であって、これらはすべて、プロメテウスが粘土を練り上げてこしらえた、その粘土の余った残りなのだと説いている。

パノペウスは、十巻のフォキス領内最初の都市である。
ボイオーティアのカイロネイア市の隣市である。
しかし、カラドラ(水無し河)のほとりのしがないケチな都市である。

ここで注目すべきは、プロメーテウスが初めて人間を作った河床とされていることである。
プロメーテウスといえば、テッサリア人の祖で、もっと北方に住んでいたであろうに、
ギリシア人にとって北方の果てが、このポーキスであったということは興味深い。

ダウリス

パノペウスから二十七スタディオンほどの距離でダウリス。
そこの住人は人口こそ多くはないが、背丈の大きさと体力の点ではいまでもフォキス随一を誇っている。

ここダウリスは(プロクネ、フィロメラ二人姉妹の)女たちがテレウスの食膳に彼の息子を供したと伝わる場所であり、これが人間どもの食卓汚染の始まりとなった。

さて、ダウリスはアテナの聖所と年代の古い祭神像がある。さらに一層古い木彫祭神像のほうはプロクネがアテネからもって来たと伝わる。

ダウリスは、フォキス領の二番目に言及される都市であるが、ここにアテーナイからパンディーオンが進出し、婿のトラーキア人テレウスと娘プロクネが住居を構えていたのであろう。
アテーナイからアテーナー信仰を持込んだのも、このダナオイ系の王女だ。

ここは、ボイオーティアのテーバイ王家との争奪の国境線であったのだろう。
おそらくプロクネとピロメラの死亡とパンディーオーンの死亡は、テーバイ王ラブダコスの軍に制圧された結果であろう。
戦争に勝ったのはテーバイ軍で、王は親族のエレクテウスをアテーナイ王として送り込んできたと想定される。

五章 デルポイ託宣所縁起

ダウリスからデルフォイまで

オイディプースのスキステ街道(3節)

あなたは「スキステ」と呼ばれている街道にお着きになる。まさしくこの道のところで父親殺しというオイディプウスの例の事件が起こったのである。
コリントならびに地峡部の辺りがオイディプウス成長の地であり、
フォキス地方とスキステ街道が父親殺しの穢れで汚染された。

オウディプウスにとってはスキステ街道とそこの蛮行の始まりとなったのだが、(父王)ライオスとその従僕の墓はいまでも「三本道」のちょうど真ん中に二ついっしょにあって、ただの石ころが積み上げられている。
プラタイアイの王であったダマシストラトスがこれらの死体が転がっているのを見つけて、両者を埋葬したと言い伝えられている。

デルフォイ託宣所の古伝(5節-8節)

デルポイ縁起の古伝1:ゲーの託宣所

そもそも大昔は託宣所クレステリオンは大地女神ゲーのものであって、そこではダウニスが大地女神ゲーによって託宣代行の巫女プロマンティスに任命されていた。

デルポイ縁起の古伝2:ゲーとポセイドンの共有

ギリシア諸国の人口に膾炙している一編の詩があって、叙事詩の名は『エウモルピア』、作者はアンティフェモスの子のムウサイオスに帰されている。

この叙事詩では託宣所はポセイドンと大地女神ゲーの共有とされていて、女神のほうはみずから託宣を授けるが、ポセイドンのほうには託宣伝達担当の係りの者としてピュルコンが仕えていたとなっている。

たちまち地下神クトニエなる〈大地女神ゲー〉は思慮深き言葉を語り、
合わせてその名も響く「大地を揺るがし給う神」(ポセイドン)の宮司ピュルコンも語りぬ。

つまりこういうことだ。
最初は「生え抜き」のゲーが託宣所をひらいていたが、プロト・カルタゴ人が上陸し、仲良く共存して、二者が託宣所を開いており、ピュルコン(ピュトン?)という祭司職があった。

デルポイの古伝3:平和的にテミスを介してアポロンが譲り受けた

その後、大地女神ゲーのものであった役柄が同女神から掟女神テミスに授与され、さらにアポロンが掟女神テミスから賜ったと伝わる。

アポロンは、ゲーから平和的にテミスに授与された託宣所を、テミスから平和的に授与されたと主張。しかしピュトン殺しは、暴力で託宣所を奪った証拠である。

ポセイドンには託宣所と引き替えにトロイゼン前面の島カラウレイアをアポロンが提供したと人びとは主張している。

どうして後から来たアポロンが自分のものでもないトロイゼンの島を与える権利があるのか。ゲーとポセイドンの神官王であったピュトンを殺して託宣所を略奪したというのが事実だろう。
ポセイドンはアポピスなど大蛇の化身とされる。
ピュトンはポセイドン神官であったのだろう。

最初のプロマンティスと六脚韻ヘクサメトロン

大方の人から耳にするもっとも重要な世評はフェモノエについてもものであって、フェモノエは同神の最初の託宣代行の巫女プロマンティスでもあり、六脚韻ヘクサメトロンの韻律を歌った最初の女でもあったという。

アポロン神殿の古伝(9節-13節)

月桂樹の山小屋

アポロンの神殿はそもそものはじめは月桂樹ダフネで造られていて、テンペ峡谷の月桂樹の枝が運ばれて来たと言う。この神殿の形は変わっていて、山小屋の形をしていたとされている。

青銅の神殿

さて、三番目の神殿が青銅で出来ていたという伝承、この点はなんら眉唾ではない。
現にアクリシオスは娘の監禁のために青銅の部屋を造ったことでもあるし、
スパルタではアテナ・カルキオイコス(青銅の家のアテナ)の聖所がわれわれの時代でも残っており、・・・
そうゆう次第で、アポロン神殿が青銅造りであったとしても、何等あり得ないことではない。
それが大地の割れ目に陥没して行ったとも、火に溶かされてしまったとも伝わるのだ。

ディオドーロス・シケリオーテスとは違い、このパウサニアスは、荒唐無稽な話を科学的・合理的な思考を働かせず、うのみにする性質である。
また、強いアテーナイびいきのバイアスがかかっている。
青銅造りの神殿の遺跡が一つでも残っていない以上、これは作り話であろう。
アテナ・カルキオイコスも、ダナエの部屋も、アテーナイ人捏造伝説に類するものであろう。

石造り

四番目の神殿は・・・、これは石造りであったと人びとは記憶している。
同神殿が鳥有に帰したのは、・・・
第五八期オリュンピアドの初年のことであった(前五四八年)。

現存の第五神殿はコリントス棟梁の建造

われわれの同時代に現存の神殿は隣保同盟評議会アンフィクテュオネスが聖財から建立したものであって、その棟梁はコリントのスピンタロスとかいう人であった。

デルポイ市

デルポイ市の古伝

デルポイ市の建設者パルナソス!

この地の最古の町はパルナソスによって建設されたといい、彼は妖精クレオドラの子であったという。そして彼の父親としては、ほかのいわゆる半神の場合と同様、神格ではポセイドン、人間の男性ではクレオポンポスの名が挙げられている。

このパルナソスにちなんで当の山に名がつき、パルナシア谷の名称も生れたと伝わる。
空飛ぶ鳥の有様から吉兆の占いマンテイアを得るのはパルナソスの発明であった。

パルナソス山が先で、伝承が跡と考えると、テッサリア人であろう。

デウカリオンの洪水後、リュコレイア建設

さて、この町はデウカリオン当時に起こった降雨で流されてしまったと言い、人間どものなかでも嵐を逃れることのできた者たちは狼どもの吠え声を頼りに、岩場野獣の道先案内によってパルナソス山の頂上にたどり着いて助かったので、彼らが築いた町をこの一件からリュコレイアと呼んだ。

ピュト市の蛇ピュトンの正体

同市のことをデルフォイだけではなくピュトとも呼んだのであって、・・・
だが、世間一般に広く流布している伝承は、アポロンの矢で射殺された者の肉がその場所で朽ち果て、そのために同市にピュトという名が生じたとする説である。
つまり、往時の人たちは「朽ち果てる」ことを「ピュテスタイ」と言ったからであって、そうであればこそホメロスは、セイレンたちの島は人骨だらけ、というのも彼女らの歌を聞く人間どもが「朽ち果てたエピュトント」ためと歌ったのである。

アポロンに殺された者のことを詩人たちは、それは一頭のドラコンであって、大地女神ゲーによって託宣所の警備に配置されていたのだとしている。

デルフォイ市は昔ピュト市と呼ばれ、ゲーの神官ピュトンが神官王だったのではないか。ここではピュトンはゲーの神域護衛官となっている。

七章 ピュティア競技会の歴史

最古の競技種目は自作讃歌吟唱(2節)

最古の競技種目であるとともに、当初は賞品が出されていた競技種目は、アポロン神に捧げる自作讃歌の吟唱であったと人びとは記憶している。
作詞吟唱して最初に優勝したのはクレタ出身のクリュソテミスであったが、彼の父カルマノルはアポロンの穢れを清めた人と伝わっている。

クレタ人でアポロンの穢れを浄めた人の息子というのは意味深長である。

〔註〕彼の父カルマノルはピュトン退治で穢れたアポロン神を清めたと伝えられるように、ピュティア競技会の伝承はその起源を神話時代にさかのばせる。

神アポロンが人間もしくは蛇を殺して穢れるというのも、人間に清められるというのも不可解である。アポロン=テッサリア人、ピュトン=カドモス一党の王と考えるのが自然。

歴史的ピュティア競技会は前六世紀初め(2節)

〔註〕ピュティア競技会は前六世紀初めに全ギリシア人的祭典として発足する以前は、デルフォイないしキラ市主催の八年ごとの地方的祭典だったが、

キタラ歌曲吟唱と二本笛歌曲吟唱と二本笛吹奏の種目追加(4節)

クロトンの人グラウキアスが優勝した第四八期オリュンピアドの第三年に当たる年(前五八六年)に、隣保同盟評議会はキタラ歌曲吟唱キタロディア賞品アトラを設け、賞品は昔ながらの品で変わりなかったが、二本笛歌曲吟唱アウロディア二本笛吹奏アウロイの競技種目を増設した。

賞品は高価な青銅の鼎(4節)

〔註〕キタラ歌唱吟唱は賞品の点を含めて、在来の形のまま隣保同盟が継承。前五八六年以前にはこの種目が地方的ピュティア競技会の唯一の競技種目であった。賞品は青銅の鼎(tripous)といった高価な品物であったが、
第二期ピュティアドには金目の賞品は廃止されて、競技は花冠ステファノスを争うagon stephantesになった。

賞品が花冠ステファノスへ(5節)

しかし第二期ピュティアドのさい、もはや賞品を競わせるために召集するのは止めて、競技はこれより以降、花冠をもって賞とすると定めた。

ピュティア競技会公式記録(前582年~)

〔註〕花冠は月桂樹の冠。競技開催の公式記録はこの前五八二年の大会をもって第一回ピュティア競技会とする。

二本笛競技の廃止(5節)

さらに二本笛歌曲吟唱の種目を廃止したが、耳にするその音色が縁起のよいものではないと判断してのことであった。
二本笛歌曲吟唱が二本笛独特有の物悲しさ極まる調べと、二本笛に合わせて歌われるエレゲイア詩(悲歌)の歌詞から成っていたのがその理由であった。

二本笛(アウロス)の名手マルシュアースがアポロンのキタラに負けて皮剥にされた神話は、この投影か。

アルカディア人の二本笛競技の鼎の銘

エケンブロトスの奉納品も私の言葉を裏づけてくれる。それはテーベに在すヘラクレスに奉納された青銅の三足の鼎であって、鼎にはこんな銘がある。
 この奉納品をヘラクレスに捧げまつるのはアルカディアのエケンブロトス
 隣保同盟評議会主催の競技にて得たる勝利の贈り物なり。
 ギリシアびとらがために歌の調べと悲歌の歌詞とを吟唱せし折の。

ヘラクレスは実はテーベの半神であること。二本笛演奏のメッカがアルカディアであること(マルシュアースもアルカディアのサテュロス)、アポロン勢力によって、二本笛(ディオニュソス勢力)が圧倒されたこと、などがわかる。

キタラ演奏(8Pd)、重装歩兵(23Pd)、二頭立て馬車(48Pd)

一方で馬車競走の種目が追加された。その馬車競走の優勝者として勝利宣言を受けたのは、シキュオンの僭主クレイステネスであった。
第八期ピュティアドにはさらに歌曲吟唱なしのキタラ弾きの競技が制定されて、・・・
第二三期ピュティアドに重装歩兵競走の種目が追加されて、・・・
第四八期ピュティアドに二頭立て馬車競走の種目が設置され、・・・

八章 隣保同盟

隣保同盟アンフィクテュオニア

アムピクテュオーンが名祖説

ある人たちは、当地のギリシア人総評議会はデウカリオンの子アンフィクテュオンによって創設され、そのため総評議会出席者たちは「アンフィクテュオネス」の渾名を戴いたのだと考えている。

伝説では、デウカリオンの子アンフィクテュオンが名祖であるとする。
しかし、これはありえない。むしろ逆であろう。
隣保同盟から名づけられた英雄が、アンフィクテュオンであるのだ。
アムピクテュオーンとは、アイオリス系の祖デウカリオーンの息子の一人ヘレーンと兄弟の英雄である。
彼の特徴は、アテーナイ王クラナオスを追放して、12年間アテーナイを支配したが、ダナオイ系の王エリクトニオスに追放され、ポーキスに撤退したことであろう。
彼はテーバイと共闘関係にあり、当時アルゴスとアテーナイに勢力を張っていたダナオイ人と対立していた。

「アンフィクテュオネス(近在の人びと)」から説

だが、アンドロティオンはその著『アッティカ史』で、もともとはデルフォイへやって来たのは総会を議する近在の代表者たちであり、それゆえ参集の代表者たちは「アンフィクテュオネス(近在の人びと)」の名で呼ばれたのだが、年ごとに現在の名称が幅をきかして定着するに至ったのだと語っている。

〔註〕アンドロティオンは前四世紀半ばのデモステネスと同時代の政治家で、アテネ史家のひとり。
アンドロティオンの説に従ってアンフィクテュオネスとすると、語源は
anphi(~の周囲、近隣)+ktizo(開拓、定住する)で、「近隣、近隣諸国」の意。

デメテル・アンフィクテュオニスが語源説

〔註〕この隣保同盟は元来はテルモピュライ隘路西側の、アンテレ所在のデメテル・アンフィクテュオニス聖所を集会の場とするテサリアならびに中部ギリシア諸国の宗教的性格の同盟で、集会はテルモピュライ近傍の場所柄からピュライア(門)と呼ばれて、年二回春秋の開催。・・・
隣保同盟がピュティア競技会を主催。

隣保同盟の名称の由来は、実はデメテル・アンフィクテュオニスの同盟が起源であった。
であるならば、デーメーテールの秘儀を導入したテーバイ人が作ったといえよう。
ピュティアの託宣所も、プロト・カルタゴ人が創設していたらしい。

プロト・カルタゴ人とテーバイ人の創設した託宣所と宗教団体組織を、アイオリス人が引き継いだのであろう。

九章 奉納品解説へ

アポロン聖所の景観

デルフォイ市は市全体が斜面の景観を呈している。
ただの市街部だけではなく、アポロンの聖なる囲壁の境内までがそうなっているのだ。

スパルタ人の奉納品(九章7節)

アテネ軍からの戦利品の収益をもって奉納されたスパルタ人の(国家名義の)奉納品の数かずがならんでいる。
ディオスクロイとゼウス、アポロンならびにアルテミス、これらの諸像に加えてポセイドンから花冠を授けられるアリストクリトスの子のリュサンドロスその人、当時リュサンドロスに占い師として仕えたアギアス、リュサンドロス搭乗の旗艦の舵をとったヘルモンの面々の像である。

ラケダイモーンは、リュサンドロスの戦争の利益を奉納。

一〇章 アテーナイ人とタラス人

アテネのマラトン戦勝感謝の奉納(1節)

アテーナイ人の奉納

この馬の下手にある一基の台座には、その台座に載る群像がマラトン合戦の戦利品の「十分の一」デカテー奉納で建立された旨の銘が刻まれている。
アテナ、アポロン、それに当時将軍として指揮を執った者たちのなかではただひとりミルティアデスだけが入っている。

アテーナイの「名祖」半神像と3人の欠如

「名祖」と呼ばれる半神たちのうち、エレクテウス、ケクロプス、パンディオン、レオス、それにヘラクレスがフュラスの娘メダに生ませたアンティオコス、さらにアイゲウス、そしてテセウスの息子のひとりアカマスも入っているが、それらの半神がデルフォィの神託にしたがってアテネの諸部族の名祖になった。
しかし、メラントスの子コドロス、テセウス、フィライオスもいるにはいるのだが、こちらの半神のほうは一度も「名祖」の列に連なったことがない。

〔註〕ただしここではアイアス、ヒポトオン、オイネウス計三名の名が欠落(本書一・五・一以下参照。)

アテーナイ人は、ダナオイ人とアカイア人から構成されていることがわかる。

タラス市の奉納品(6節)

タラス市植民縁起

青銅の馬どもや捕虜の女たちの群像はタラス市の人たちの(国家名義の)奉納品で、・・・

スパルタが植民市タラスを建設し、植民指導者オイキステスはスパルタ完全市民のファラントスであった。

メッセニア人の奴隷とスパルタ完全市民の女性との混血ではないのか?
オイキステス(植民指導者)だけは、完全スパルタ人のファラントス。

植民に派遣されるファラントスのところにデルフォイの神託が届き、彼が快晴の空アイトラの下で雨を感ずるとき、そのときにこそ国土と都市とを獲得せん、との内容であった。

やがて涙は堰を切って溢れ、ファラントスの頭に雨となって落ちた、その瞬間、彼は神託の意味がわかった。妻の名はアイトラだったのである。
このようにして彼はその日の夜のうちに、沿岸部の異民族諸都市で最大、かつもっとも豊かな都市タラスを占領したのであった。

ファラントスと妻アイトラの逸話。

人びとの主張では、半神のタラスはポセイドンと地元の妖精との息子で、この半神にちなんでその都市と、それに川にも名がつけられたと言う。

先住植民者はポセイドーン信者のプロト・カルタゴ人。

一一章 島嶼の奉納品

シフノス人の宝庫(2節)

シフノスの人たちによってもつぎのような理由から宝庫が建立された。
シフノスの島には金の鉱山があって、神(アポロン)はその産出高の「十分の一デカテー」奉納をデルフォイに納めるように命じ給うた。

〔註〕パロス大理石造りの豪華な建物。正面の二本の柱は円柱ではなくカリュアティデス=女人柱で、・・・
ヘロドトスは金銀鉱山の収益によるシフノス人の富裕を語るなかでこの宝庫にも触れ、(三・五七・二)・・・
デルフィ考古学博物館の一室を飾る。
彫刻様式から宝庫建立の年代は前五二五年頃と推定されている。

ペルシア戦争以前の、前525年ごろ、島嶼は繁栄を誇っていた。
シフノス島はその一つで、宝庫を建立し、博物館の一室を捧げられるほどであった。
ヘロドトスは、アテーナイからのイオニア人植民者としているが、明らかに最初の植民者はクレータ島からであろう。

リパラ市の奉納品(3節ー4節)

リパラの植民はクニドス人

リパラの人びとも肖像彫刻群像を奉納していて、海戦でエトルリア勢を撃ち破った折の奉納である。
このリパラ人がクニドス系の植民者であったのは事実だが、植民の指導者はクニドスの一市民だったと一般に説かれている。

クニドスは、小アジア半島のラケダイモーン人のヘクサポリスの一つ。
ラケダイモーン人は、ヘラクレイダイの子孫だから、もとはフェニキア系ということになる。祀られている神々もアプロディーテー、ムーサ、ディオニューソスとテーバイ系の神々である。

だが、シュラクウサイの人、クセノファネスの子アンティオコスは、その人物の名はペンタトロスであったと、その著『シケリア史』の中で語っている。

〔註〕ディオドロスによれば、前四二四/三年までの『シケリア史』全九巻を執筆したシュラクウサイ出身の全五世紀後半の歴史家。
リパラ諸島に関するパウサニアスの記事はツキジデスに酷似し、両者ともアンティオコス『シケリア史』に依拠。

ソースは、シュラクサイの歴史家アンティオコスの『シケリア史』(前424/3年)である。

クニドス人もフェニキア人の一部(3節)

彼がさらに語っているところでは、彼ら植民者たちはシケリア本島のパキュノス岬にポリスを築いて建国したが、エリュモス人やフェニキア人に戦争に負けて追い出されてしまった。

リリュバイオン岬と取り違えている可能性もある。ただ最初は全島をフェニキア人が支配していた可能性もある。
いずれにせよ、クニドスに経由で、シケリアに植民しようとしたラケダイモーン人(元フェニキア人)が、先行してシケリアに植民していたフェニキア人やカルタゴ人に敗れて、島嶼に植民したのであろう。
おそらく戦争に敗れたというより、同じフェニキア系なら島嶼もティレニア海共栄圏の一部であり、大きな意味でフェニキア人同士であったので平和的共住ととれる。
なぜなら、シケリア島、サルデニア島、マルタ島、コルシカ島などの比較的大きな島嶼と、エオリア諸島のような小さな島嶼も含めて、南イタリアのティレニア海沿岸都市と島嶼も含めて、フェニキア人の「ティレニア海共栄圏」の一部であったからだ。

アイオロス群島(エオリア諸島)の植民(3・4節)

そこで彼らはまだ無人であったか、あるいは先住民を立ち退かせるかなどして群島を手に入れた。それはいまだにホメロス風叙事詩の呼びかたを踏襲して「風神アイオロスの島々」と呼ばれている群島である。

この群島の一島リパラに都市を築いて、彼らはここに定住した。ヒエラ(聖島)、ストロンギュレ(丸島)、ディデュマイ(双子島)の島々は、彼らが船でこれらの島に渡って耕作した。ストロンギュレ島では地下から火の噴出する有様がよくわかる。ヒエラ島の先端部ではひとりでに火が燃えていて、海岸に天然風呂が点在する。

〔註〕ヒエラは現在のヴルカノ(「へファイストス神の聖島」に由来)、ストロンギュレは現在も噴煙を上げるストロンボリ、ディデュマイはサリナに相当。

その他の宝庫(5節)

宝庫造営の理由の二つ

テーベ人の宝庫もアテネ人の宝庫もともに同じく、戦争で発揮した偉業の果実である。
クニドス人の宝庫造営の場合は、きっかけとなる何か勝利でもあったのか、それとも繁栄エウダイモニアの誇示のためだったのか、私には分からない。
だが、テーベ人はレウクトラの戦いの偉業、アテネ人はダティスとともにマラトンに上陸した敵に対する偉業から、それぞれ宝庫の造営となっているのである。

経済的成功の島嶼の小国は、経済的繁栄を感謝して、
大国は戦勝を感謝して、奉納した。
アテーナイ、ラケダイモーン、テーバイなどは、戦争の偉業を国際展示会場であるデルポイに展示することで、国威を示そうとしたのだろう。

一二章 シビュラ

女予言者シビュラ(一二章)

二番目のシビュラ=デルポイのシビュラ(1節)

地面の上に頭を突き出しているひとつの岩がある。デルフォイの人たちが説くひとつの岩がある。デルフォイの人たちが説くには、この岩の上にひとりの女が立って神託を歌っていたが、名はヘロフィレ、渾名をシビュラと言ったという。

初代シビュラ=リビュアのシビュラ(1節)

〈シビュラという〉先輩に当たるほうの女は、昔の女でも最古の部類に属するひとりであることに私は気づいた。
彼女はゼウスを父としポセイドンの娘ラミアを母として生れた娘だ、と本土のギリシア人が主張している女にほかならず、女性としては神託を歌った最初の人物で、リビュア人からシビュラの名を戴いたと伝えられている。

シビュラの起源は、トロイア戦争前(2節)

ヘロフィレ本人のほうは彼女よりも若いが、それでもトロイア戦争以前に生れていたと思われるふしがあって、・・・

つまりリビュアは、トロイア以前すでにフェニキア人が文明化していた可能性がある。

三代目のシビュラ=キュメ(クーマエ)のシビュラ(8節)

彼女のつぎに同じく神託を告げる女性は、オピキ人の領域にあるキュメ市の出身でデモと呼ばれていた、とキュメの人ヒュペロコスはその著書に書いている。

四代目のシビュラーヘブライのシビュラ(9節)

デモのあとからでもパレスティナの上手のヘブライ人のところで、神託を告げるサベという名のひとりの女性が育て上げられていた。
サベの父はベロソス、母はエリュマンテだったと言う。
一部の者は彼女を「バビロニアのシビュラ」と呼び、一部の者は「エジプトのシビュラ」と呼んだ。

男予言者バキス(11節)

それにボイオティア出身で妖精に憑かれたバキスもこの仲間に入るとされている。

シビュラを説明する行で、バキスの説明あり。どうやら現地の占い師のようである。

一三章 ヘーラクレースの正体

付近のその他の奉納品(6節)

テーバイ人はヘーラクレース像を奉納!(6節)

ヘラクレスの像はテーベ市の奉納で、彼らテーベ人がフォキス人といわゆる神聖戦争を戦ったときのものである。

神聖戦争の勝利を記念して、テーバイ人がデルポイに奉納するのは実に理にかなっている。しかし、奉納したのは当時の軍事指導者の像ではなく、ヘーラクレースの像なのだ。
これこそ、テーバイ人がヘーラクレースを自分たちの先祖と解していた証拠である。

フォキス人はヘーラクレースを敵とする(7節)

ヘラクレスとアポロンが同じ一個の三つ足の鼎を握って、鼎の争奪合戦をやっている。・・・これもまたフォキス人の奉納品で、・・・

ポーキス人からデルポイを守ったテーバイ人の先祖がヘーラクレースと思っていたのは、敵のポーキス人も同じ。
ヘーラクレースがアポロンと鼎を争った像を奉納して、ヘーラクレース(テーバイ人)を弾劾している。

ティリュンスとエジプトの二人のヘーラクレース(8節)

託宣代行の巫女はこういった。
 そはティリュンス出なれば、別のヘラクレス。カノボス出身者でもなくて。
これ以前すでにエジプト出身のヘラクレスがデルフォイにやって来たことがある、というわけなのだ。

〔註〕エジプト出身のヘラクレスの意味。ヘロドトス二・一一三はナイル河口のひとつカノボス河口の辺りにヘラクレスの聖所があったこと、その聖所が奴隷たちの庇護嘆願所、つまり「駆け込み寺」(asylum)となっていたことを伝えている。

エジプトのヘーラクレースは、カノボス河口で祀られているヘーラクレースである。
つまり、ディオドーロス・シケリオーテスの伝える世界征服をしたヘーラクレースである。つまりリビュアのヘーラクレースと呼ぶ方がふさわしかろう。

つまりエジプト(リビュア)のヘーラクレースは、プロト・カルタゴ人のヘーラクレースであり、カドモス一党の世界征服の前に、前2000年代に西地中海を文明化したフェニキア人の投影である。
一方、ティリュンスのヘーラクレースは、テーバイ帝室のヘーラクレースであり、テーバイの外港アウリスから、エーゲ海を里帰り征服したヘーラクレースである。

一七章 サルド(サルデニャ)島とコルシカ島

サルド(サルデニャ)島とコルシカ島

サルド(サルデニャ)島(1節)

西方の異民族のひとつにサルド島に住む人たちがいて、彼らは自分たちの名祖の青銅の肖像彫刻を送ってきている。
海上交易エンポリアの途上に寄港したギリシア人たちは、この島の形が人の足跡イクノスにとてもよく似ているところからイクヌウサ(足跡島)と呼んだ。

最初の植民はリビュア人(2節)
エジプトのヘラクレスの子サルドスが名祖

この島に船で最初に渡ったのはリビュア人と伝わる。そのリビュア人一行の指導者がサルドスであって、彼はエジプト人やリビュア人からヘラクレスと渾名されていたマケリスの息子であった。

サルド島(サルデーニャ島)を最初に文明化したのはエジプトのヘラクレスと渾名されるマケリスの息子のサルドス。これはリビュアのフェニキア人=プロト・カルタゴ人と思われる。
ヘーラクレースは一人ではなく、多くのフェニキア人がヘーラクレースと綽名されたようだ。クレータのイダのヘーラクレースもいる。

マケリス本人のもっとも有名な事柄と言ってもデルフォイ参詣の旅ぐらいだが、サルドスのほうにはイクヌウサ島入植というリビュア人指導の実績があり、そのために同島はこのサルドスにちなんで名を改めるに至った。

共存共栄のフェニキア人(プロト・カルタゴ人)

しかし、リビュア人の植民団は土地生え抜きの原住民を追い出したわけではなく、彼ら新来者のほうが原住民によって、好意的にとは言わないまでも、仕方なく共同の住人シュノイコイとして迎え入れからたのであった。

しかもリビュア人にせよ原住民にの種族にせよ、都市建設の知恵がなかった。彼らは山小屋や在り合わせの洞窟などに分散して住んでいたのである。

ボイオーティア人による文明化(3節)

リビュア人のあと何年も経ってから、アリスタイオスに率いられた一行がギリシア本土からこの島にやって来た。アリスタイオスハアポロンとキュレネの息子と伝わる。
彼はアクタイオンの悲劇的最期にあまりにも深く心を痛め、同様にボイオティア地方にもギリシア本土にも愛想が尽きて、サルド島に移住したとされている。

ある人たちは、これと同じ頃にダイダロスがクレタ軍勢の襲来を受けてイニュコス市を脱出し、アリスタイオス引率のサルド島植民に参加したと確信している。
だが、植民活動にせよ、カドモスの娘のアウトノエを妻としていたアリスタイオスの事業にダイダロスが参加できた道理がない。なにせダイダロスは、年代から言えばテーベ王オイディプウスが在位の頃に当たる人物なのだから。

シケリア島、サルデーニャ島領域を初めて文明化したのは、テーバイ帝室となったフェニキア人だったのだろう。

ノラの建設(5節)

アリスタイオスらののち、イベリア族が直民団長ノラクスに率いられてサルド島に渡り、彼らによってノラ市が建設された。
人びとはこれが同島における最初の都市であったことを記憶にとどめていて、ノラクスはゲリュオネスの娘エリュテイアとヘルメス神の息子だったと伝えている。

前8世紀、ノーラ遺跡の石碑は、フェニキア人がこの島をShardenと呼んだ証拠となっており、これがSardiniaという名前の由来となっている。つまり、サルドと命名したのも、ノラ建設もフェニキア人。イベリア経由でフェニキア人が入植した可能性もある。

これは前1200年頃の気候変動による「海の民」の大移動に続くものであろう。
アリスタイオスの子孫のサルデーニャ人=シェルデン人(Sharden)は、海の民の植民にも参加し、里帰り移住して、フェニキア地方やパレスティナ地方に定住したのであろう。

メルエンプタハの石碑に見える「海の民」は、
アカイワシャ人=アカイア人、トゥルシア人=エトルリア人、ルッカ人=リュキア人、
シェルデン人=サルデーニャ人、シェケレシュ人=シケリア人と比定されている。
アカイア人以外は、友好的に家族総出で移住を目論んだのであろう。

イオラオスの植民(5節)

四番目の植民団としては、イオラオスに率いられたテスピアイ人とアッティカ出身者混成の遠征隊が、サルド島の一角に割り込んでオルビア市を建設した。

トロイア人の植民(6節)

イリオンが陥落したとき、脱出したトロイア人のなかにはアイネイアスとともに落ち延びた一行も含まれていた。
その一行の一部が風によってサルド島へ流され、先住のギリシア人と入り混じって生活することになった。

カルタゴ人の征服(7節)

しかし、多くの年月を重ねたずっとのちに、ふたたびリビュア人が大船団をもって同島に渡り、ギリシア系住民に対して戦争を始めた。ギリシア系住民はほとんど全滅させられてしまい、生存者がいたとしてもその数はごく僅かにすぎなかった。

サルデーニャ島がカルタゴ人の占有に。

コルシカ島(8節)

サルド島から大した距離ではないところにひとつの島があって、ギリシア人からはキュルノス島、現地住民のリビュア人からはコルシケ(コルシカ)島と呼ばれている。

コルシカ島の原住民は、リビュア人=プロト・カルタゴ人。

カルタゴ人カラリス市とスルキ市建設(9節)

さて、今回のカルタゴ人も同島にカラリスとスルキの両市を建設した。
カルタゴ人の補助軍となっていたリビュア人ないしイベリア人は、戦利品分配の件でカルタゴ人と一悶着起すことになり、憤激のあまりこの連中も島の内陸高地に引き籠もってしまった。

サルドの笑い(13節)

一種類の植物を除いて同島は死を招く毒物とは無縁で、きれいさっぱりしている。その有毒植物はセロリに似ているが、これを食べたものたちは笑いのために死に見舞われるという話である。
それゆえにホメロスやその後の人たちは、健全でない陰惨な笑いのことを「サルドの笑い」(サルダニオス・ゲラス)と名づけた。

一九章 ガラタイ族の侵攻

ガラタイ族のギリシア侵攻(一九章5節ー二三章)

一回目はトラキア止まり(5節)

ガラタイ族のギリシア侵攻・・・
そのとき彼らはトラキア地方まで進出したものの、そこから先へは前進する勇気がなかった。

二回目はブレンノスの侵攻

そのときである。ブレンノスは公の集会の席でも、またガラタイ族の枢要の地位にある人たちの一人ひとりに対しても、ギリシア遠征の腰を上げさせるために熱弁をふるい、・・・指摘した。

二二章 ガラタイ族の残虐行為

アイトリア人女性への残虐行為(3節・4節)

ふたたびテサリア地方を進軍してアイトリア地方に侵入した。カリオン住民に対してコンブウティスとオレストリオスが働いた行為は、われわれが伝え聞いて知っている途方もない残虐行為の最たるものであって、・・・だが、生き残った女たちもいて、ガラタイ兵たちは有無を言わせぬ強引さで彼女らをあらゆる種類の暴行の餌食とした。

情欲の限度を知らない異民族の連中が次からつぎへと輪番で犯しつづけたからである。ある連中は命絶えつつある女と、ある連中はすでに屍となった女とさえ平気で交わった。

アイトリア女性軍の出陣(5節)

アイトリア軍は使者たちの通報から自国を襲った悲運の詳細を聞くや、直ちに大いぞぎでテルモピュライから兵を引いてアイトリアに転進したが、・・・彼らの出陣には女たちも自ら進んで加わった。ガラタイ族に対して男顔負けの闘志を燃やしていたのである。

アイトリア兵士とアイトリア女性軍のほうは沿道一帯に配置されて、異民族軍めがけて投げ槍などの飛び道具による攻撃を浴びせつづけた。

二三章 ポセイドーンの地震と雷霆

ガラタイ族の軍隊が占拠しているかぎりの土地すべて、激しく、しかも一日の大半を通して揺れつづけ、おまけに雷鳴と落雷まで絶え間なくつづいたのである。

ブレンノスは、惨敗の責任者だっただけに、これを恥として自らすすんで生の葡萄酒をあおって命を断った。

二四章 アポロン神殿の格言

アポロン神殿の内陣前廊

デルフォイの神殿の内陣前廊プロナオスには、人類の処世に有益な金言が明記されている。この人たちはイオニア出身者でミレトスの人タレスとプリエネの人ビアス。レスボス島のアオイロス(系ギリシア)人ではミテュレネ出身のピタコス。アシアのドリス(系ギリシア)人ではリンドス出身のクレオブウロス。そしてアテネ人のソロン、それにスパルタ人のキロンとつづくが、アリストンの子プラトンは、七番目の賢人にキュプセロスの子のペリアンドロスに代えてケナイ出身の〈ミュソン〉を挙げている。
さて、これらの有為の士たちがデルフォイにやって来て、アポロン神に「汝自身を知れグノーテイ・サウトン」と「度を過ごすなかれメーデン・アガン」の有名な格言を奉納した。この人たちがこの場所で、いま延べた格言を書き上げたのである。

汝自身を知れグノーテイ・サウトン」と「度を過ごすなかれメーデン・アガン」の有名な格言は、ソクラテスのものではなく、タレスのもの。

三二章 バキスの詩:アンティオペとアムピーオーンとゼートス

本書のテーベ誌で私は、アンティオペがディオニュソス神の怒りに触れて気が狂ったこと、またどのような原因で彼女が同神の怒りを買ったかについて説明しておいた。
またさらに、彼女がオルテュティオンの子のフォコスに愛されて結婚し、フォコスといっしょに埋葬された次第や、同墓とテーベにあるゼトスとアンフィオンの墓との双方に共通する、神託占いバキスの語る話のことも紹介しておいた。

神託占いバキスの詩がアンティオペと双子についてのソース。

三三章 リライア

リライアは、パルナソスの山越えで下って行くと、冬の季節でもデルフォイから一日行程の距離である。
リライアには劇場と広場各ひとつと、それにいくつかの浴場がある。神々の聖所もあって、アポロンの聖所と、もうひとつはアルテミスのそれ。

同河川(ケフィソス)はここに水源がある。

ケフィソス河畔の土地は果樹栽培にせよ、播種、牧畜にせよ、フォキス地方抜群の最良の沃地との評価が高い。

リライアは、ケピソス河の水源にある都市。

三五章 アバイ、ヒュアンポリス

アバイ人の祖はダナオイ人のリュンケウス

アバイの住民は、自分たちはアルゴスからフォキス地方にやって来たのだと言い、都市はその名を都市創設者アバスから取り、そのアバスはリュンケウスを父、ダナオスの娘ヒュペルメストラを母とする息子であったとしている。

アバイを焼き払ったテーバイ

だが、このフォキス戦争にさいしてテーベ軍は、戦いに敗れてアバイに落ち延びたフォキス軍兵士、しかも庇護嘆願人となった彼らを聖所ごと劫火に委ねてしまった。

ヒュアンポリス人、カドモスに追われたテーバイ原住民

オプウス直通の本道にもどると、そのつぎはヒュアンポリスがあなたを待ち受けている。
テーベ出身のヒュアンテス人たちがカドモスとその麾下の兵力をはばかって当地へやってきたのである。

三六章 アンティキュラ

アンティキュラ市まで道はずっと下り道。
アンティキュレウスはヘラクレスと同時代人であったから、・・・
アンティキュラ市はメデオンの廃墟の真向かいにある。
デルフォイの聖所に対する瀆神行為のあったことを説明しておいた。
先ずアミュンタスの子フィリポスが町を略奪破壊して住民を立ち退かせ、ついでローマ人のオティリウスが事態を再現させた。

三七章 第一次神聖戦争

キラ(5節)

キラ市、デルポイの土地を蚕食・・・第一次神聖戦争勃発

後年、キラの市民はアポロン神に対する瀆神の罪をあれこれ犯し、なんど同神の土地まで蚕食した。
そこで隣保同盟評議会はキラ住民に対する開戦を決議して(第一次神聖戦争)、シキュオンの僭主クレイステネスを総帥に担ぎ出し、アテネからソロンを招聘して参謀の任に当たらせた。

涜神側:キラ市(ポーキス人)
敬神側:コリントスの僭主クレイステネス、アテーナイのソロン

第一次神聖戦争顛末

デルフォイの巫女ピュティアはこう答えた。
 上町櫓の占領破壊は、それ以前には、汝らになし得ず、
 わた神域を青き瞳のアンフィトリテの波が洗うまでは。
 葡萄酒色の大海を渡って打ち騒ぐ、彼の波が。
(アンフィトリテやポセイドンなど海の眷属は青い瞳で描かれること多い)

そこでソロンは、同神にキラの領土を聖財として奉納するように説得した。そうすることによって海がアポロンの神域に隣接することになる、というわけである。
だが彼は、プレイストス川にあるヘレボロス(キンポウゲ科の植物)の根を投げ入れ、その毒に河川の水がたっぷり染まった頃合いを見計らってから、その水をふたたび堀切にもどしたのである。
・・下痢が止まらず持ち場を離れる有様だった。

隣保同盟は同市を占領すると、神のためにキラ住民から償いを取り、こうしてキラはデルフォイの外港となった。

三八章 ロクリス・オゾリス、青銅彫刻鋳造の創始者サモス人

ロクリス・オゾリスの名称由来

オゾリス人と呼ばれているほうのロクリス人の占める地域は、キラ寄りのところでフォキス地方に接続している。
こちらのほうのロクリス人(オゾリスという)添え名について私はさまざまな説を耳にしたが、分け隔てなくすべての説を紹介するとしよう。

デウカリオンの子のオレステウスが同地方の王であったとき、・・・この棒切れを生めておいたところ、春とともにそこから葡萄の木た生えて来たので、棒切れの若枝オゾイにちなんで住民の名がついたと一説に言う。

他の説では、エウエノス川の渡し守であったネソスがヘラクレスによって傷を負わされたものの、すぐには死なず、この地に逃げて来たとしていて、彼が死ぬと埋葬されないまま腐乱して、当地の空気をひどい臭いオスメで汚染したという。

当地の最初の住人は土地生え抜きの連中アウトクトネスで、・・・つまり、彼らの皮膚は生皮のいやなにおいがするようになった、というのである。

アンフィサ

青銅彫刻鋳造の創始はサモス人(6節)

本書のずっと前の箇所(八・14・8)ですでに私は説明しておいたが、青銅をもっとも精密に溶かす技術を発明したのはフィライオスの子のロイコスと、テレクレスの子のテオドロスというふたりのサモス出身者であって、
彼らが初めて(彫刻を)鋳造した。

第八巻にこの顛末があるということ。アルカディアの宝物の説明の行。

〔註〕両彫刻家の創作活動は前六世紀後半のサモス島の僭主ポリュクラテスの時代に重なる。(本書八・一四・八参照)

ヘラ女神の寵児ポリュクラテスは偉大なり!
サモスの僭主ポリュクラテスが青銅彫刻を創始させた。

Their method of working bronze statues I have already described when speaking of the image of Zeus Most High in my history of the Spartans.
Pausanias. Complete Works of Pausanias (Delphi Classics) (Delphi Ancient Classics Book 39) (p.418). Delphi Classics. Kindle 版.

[8.14.8] The first men to melt bronze and to cast images were the Samians Rhoecus the son of Philaeus and Theodorus the son of Telecles. Theodorus also made the emerald signet, which Polycrates, the tyrant of Samos, constantly wore, being exceedingly proud of it.
Pausanias. Complete Works of Pausanias (Delphi Classics) (Delphi Ancient Classics Book 39) (p.418). Delphi Classics. Kindle 版.

テオドロスの作品は青銅製品に関する限り、私はこれまで探して未だにお目にかかったことがない。
これがロキコスの作品で、エフェソスの人たちは「夜」と呼んでいる。
この奉納像のほうはアンフィサのアテナ像よりも、見るからに年代が古く、作風も粗い。

ナウパクトス(9節)

ナウパクトスVSパトライ

海岸地帯にはオイアンティア、そしてこれに境を接するナウパクトスの両市がある。アンフィサを除いて、ほかのところの住民はアカイア勢力のパトライによって支配されている。アウグストゥス帝がパトライに贈与したからである。

〔註〕コリント湾を挟んでナウパクトス対岸のアカイア地方の都市。
アウグストゥス帝はパトライの開運上の地の利に着目してローマ植民市を建設して、パトライにさまざまな特権を与えた。

ロクリス一の都市ナウパクトス=レパント

〔註〕西ロクリス最大の都市。一九世紀にコリント運河が開通するまでは海運の重要拠点。ヴェネツィア時代はレパントの名で呼ばれ、史上有名な一五七一年の「レパント沖の海戦」にその名が留められている。

ナウパクトスの名の由来(10節)

ナウパクトスのこととなると私は伝承を知っていて、アリストマコスの息子たちに率いられたドリス人たちが当地で船を建造して、それらの船でペロポンネソスへ渡ったというのである。
そして、この故事から同地にこの名称がついたとされている。

〔註〕アポロドロス『ギリシア神話』二・八・二には、アリストマコスの子のテメノスが「ロクリスの、今話ではその故事によってナウパクトスと呼ばれている所で船を建造した」(岩波文庫版)とある。

ヘラクレイダイのリーダーであったアリストマコスの子テメノスは、ロクリス地方のナウパクトスまで南下し、そこで船を建造し、コリントス湾を渡って、コリントスを奪還した。そこからアカイア族(オレステス王家)の首都アルゴスを奪取して拠点とし、ラケダイモンなどペロポンネソスを平定した。

アテーナイによるメッセニア人入植(10節)

ナウパクトス人についての私の話、つまり、スパルタの地震に乗じて離反してイトメに籠もった(メセニアの)人びとのために、アテネ人がロクリス人を排除して、彼らのナウパクトス入植を認めてやった次第、

メッセニア戦争で追放されたメッセニア人をアテネ人がロクリスのナウパクトスに入植させる。

ロクリス人の帰還(10節)

アイゴス・ポタモイにおけるアテネ軍の敗北ののち、スパルタ人がメセニア人をナウパクトスから追い出すということまでやってのけた次第については、本書のメセニアの巻(四巻)がこっと突っ込んで詳細に立ち入っている。
メセニア人がやむなく退去したので、ロクリス人はふたたびナウパクトスに集まって来た。

ヘラクレイダイの帰還を描いた『ナウパクティア』(11節)

ギリシア人から『ナウパクティア』と呼び慣らされている叙事詩のことを多くの人たちはミレトスのさる男の作としている。
だが、ピュテスの子のカロンは、これはナウパクトスの人カルキノスの作だとしている。
われわれもこのランプサコス出身の人の見解に従う。
女性たちのことを歌ったミレトス人の叙事詩に、『ナウパクティア』というような表題のつくわけが一体どこにあろうか。

〔註〕一説ではヘシオドスと同時代で競争相手であったケルコプス。

〔註〕前五世紀半ばから後半のヘロドトスと同時代の歴史家で、ランプサコスの出身。

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